読書

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 注文しておいた岩波の「北槎聞略」、夕刻帰宅したら届いていた。さっそく読み始める。

 文語体とは言っても中世のものとは違って江戸時代のものだからかなり読み易い。また漢字の異体字は通用のものに直す等してあるので、かなり楽に読める。

引用する日付をショートコードで定型化

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 最近、(ジジィ)化してきて、時事などにケチをつけてはそれをブログに書いて楽しむようになってしまった。

 子供の頃、私の父はアニメや「8時だョ!全員集合」などの子供が見たがる番組など絶対つけてくれず、子供にとってはつまんないニュース番組などばかりつけていたもので、しかもそれを見て楽しんでいるというならまだしも、「なにがフェミニズムだ!!何が日教組だ!!」などと、どうでもいい他人のことに腹を立てはじめ、しまいには湯気を立てて激昂し、私にそこらの手近のものなど投げつけて八つ当たりするという、誠にもって迷惑な父であった。

 さすがに私はそこまではいかず、父のようにニュースを見て激昂するなどという人間にはならなかったが、どうでもいいニュースに勝手なコメントを加えてブツブツ言っているというところは、多少似ていると言えば言えるかもしれない。

 さて、時事にケチをつけるときは、だいたいニュースなどへのリンクを張っている。例えば、昨日の羽生結弦先生のニュースなら、

……というような書式で引用している。

 前から思っていたのだが、この引用するときの日付が気に入らない。上の例だと「2018年2月17日21時57分」という部分だ。これがマスコミ各社それぞれに、「年」「月」「日」が入ったり、「/」区切りだったり、「-」区切りだったり、時間が入ったり入らなかったりして、不統一である。

 それより何より最も気に入らないのが、年号が全部「西暦」であることだ。和暦を付記すべきだ。……いいや、違うッ!。和暦に西暦を付記すべきである。

 こんなこと、気にしなければいいだけの話なのだが、これをまた、「このブログは日付の書式が不統一だ」などと、私のブログを見てケチをつけてくる人がいるのである。

 これは手作業でひとつづつ書き直すようなことではない。こんな機械的なことは、機械がやるべきだ。

 何か、日付を正規化するプログラムでも書いて、そのAPIでも公開してやろうかい、などとも思ったが、「和暦に西暦付記でないと嫌だ」などという変な人は世の中私ぐらいだろうと思うし、何もAPIを世の中に提供まですることもあるまい。ここはひとつ、WordPressの機能の、「ショートコード」というのを活用して、記事を書くときにチョコッとおまじないを書き足せば、いろいろな日付が私の認める日付書式(俺様用日付)に書き換わって表示される、というふうにすることにした。

 WordPressはPHPで作られている。そのため、ショートコードを作るには、PHPでプログラムを書けばそれでよい。PHPは簡単で、誰でもがWordPressに機能追加することができる。

 具体的には、WordPressのインストールディレクトリの下の「wp-content/themes」の下にある、自分が使っているテーマの中の「functions.php」の末尾にPHPでプログラムを書いてやるのだ。「子テーマ」を作成して使用している場合は、その子テーマの下のfunctions.phpにプログラムを書き加える。

 私は子テーマを使用しているので、その下にあるfunctions.phpの末尾に、次のように書き足した。

/********************************************************************************
 * regdate();
 *   平成30年2月18日(日)11時00分~
 *   佐藤俊夫
 *   ネットのマスコミニュースの日付などをコピペする際、書式がばらばらであるので、
 *   これを私こと佐藤俊夫が認める日付書式に変換するショートコード 
 ********************************************************************************/
function regdate( $arg, $content = null ) {
	$content = mb_convert_kana($content, "n");	//  全角数字はすべて半角数字に
	$content = preg_replace("/$/", "/", $content);	//  処理の単純化のため、末尾に例外なく「/」を付加(日付のみで数字で終了する文字列に対応)
	$content = preg_replace("/^[^0-9][^0-9]*/", "", $content);	//  行頭の数字以外の文字はすべて削除
	$content = preg_replace("/[^0-9][^0-9]*/", "/", $content);	//  数字以外の文字を全て「/」に置換
	$content = preg_replace("/[^0-9]([0-9])[^0-9]/", "/0$1/", $content);	//  数字1文字のみの場合は「0」をパディング
	$content = preg_replace("/^([0-9])[^0-9]/", "0$1/", $content);
	$content = preg_replace("/^([0-9]{2}[^0-9])/", date("Y")."/$1", $content);	//  冒頭が2桁の数字のものは、今の西暦を強制付加する。
	$content = preg_replace("!^([0-9]{4}/[0-9]{2}/[0-9]{2})/$!", "$1/00/00/", $content);	//  年号と日付しかないと見られるものは、00時00分とし、末尾に付加する。
	$content = preg_replace("!/$!", "", $content);	//  末尾の「/」をサニタイズ
	$content = preg_replace("!/([0-9][0-9])/([0-9][0-9])$!", " $1:$2", $content);	//  末尾の数字4つは時間とみなして「 12:34」の形に。
	$unixtime_content = strtotime($content);	//  「strtotime」が高性能なので、一旦丸投げしてUNIXタイムスタンプにする。
	//  元号と和暦年を取得して付加
	$Y = date("Y", $unixtime_content);
	$Ymd = date("Ymd", $unixtime_content);
	if ($Ymd >="18680125" && $Ymd <= "19120729") {
		$gg = "明治";
		$yy = $Y - 1867;
	} elseif ($Ymd >= "19120730" && $Ymd <= "19261224") {
		$gg = "大正";
		$yy = $Y - 1911;
	} elseif ($Ymd >= "19261225" && $Ymd <= "19890107") {
		$gg = "昭和";
		$yy = $Y - 1925;
	} elseif ($Ymd >= "19890108") {
		$gg = "平成";
		$yy = $Y - 1988;
	} else {
		//  明治以前の場合は一律「皇紀」を用いることとする。
		$gg = "皇紀";
		$yy = $Y + 660;
	}
	if($yy == 1){
		$yy = "元";
	}
	$content = $gg.$yy."年".date("(Y)m月d日(", $unixtime_content);
	//  日本語曜日を取得して付加
	$sevendays = array("日","月","火","水","木","金","土");
	$content .= $sevendays[date("w", $unixtime_content)].")".date("H時i分", $unixtime_content);
	//
	return $content;
}
add_shortcode('date', 'regdate');

 「functions.php」に上のように書き加えたら、よく確認して保存する。

 さて、このショートコードの利用である。

 例えば最初のほうで例に述べた朝日新聞の記事の場合、そのまま日付をコピペすると次の赤字で記した部分のようになってしまい気に入らないことは、先述の通りである。

ショートコードを使わない場合の記事ソース
<ul><li> <a href=”https://www.asahi.com/articles/ASL2K52X2L2KULZU004.html” rel=”noopener” target=”_blank”>羽生結弦、自分に勝った孤高の金「僕はアニメの熱血系」</a>(朝日、2018年2月17日21時57分)</li></ul>

 しかし、今回作ったショートコードを使えば、簡単に書式を一定化できる。次の通りだ。

ショートコードを使った場合の記事ソース
<ul><li> <a href=”https://www.asahi.com/articles/ASL2K52X2L2KULZU004.html” rel=”noopener” target=”_blank”>羽生結弦、自分に勝った孤高の金「僕はアニメの熱血系」</a>(朝日、[date]2018年2月17日21時57分[/date])</li></ul>

 WordPressは、このように簡単でわずかなプログラムを書き加えるだけで自分の好みに改変することができる。非常に便利であり、ユーザ・フレンドリであると言える。

 世の中には、「日付に和暦や元号を使う合理性なんてまったく認められない。こんなものはやめるべきだ」などと言い立てている変な人がいるようだが、そういう人は私のように、自分の環境だけ変えればよい。私と同じように、自分の環境だけ、逆に西暦でもイスラム歴でも、勝手に好きなように使えるようにすればよい。そんなもの、上記で実践して見せたように大した手間ではない。

余寒

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読書

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 吉村昭の「大黒屋(こう)太夫」、上下巻とも読み終わる。

 実在の大黒屋光太夫は10年もの間異郷ロシアで過ごす。しかしこの作品での物語の展開はスピーディだ。主人公光太夫がダメもとでオランダ公使に手紙を託すシーンがあって、その文中で「この八、九年と申すものは……」と、突如9年ほどもの時間が経っていることを知らされて読者は驚くのである。多くの読者は、このあたりを読んでいるときには、「あれっ?……まだ(ふた)冬か()冬くらいしか経っていないはずだが……?」くらいの感覚しか多分ないと思う。

 ともあれ、とても良い本で、面白く読み終えた。女帝エカテリーナに拝謁するシーンの緊張感、高揚感、また帰国後将軍に引見されるところなど、光太夫の気持ちが伝わってくるようであった。

 司馬遼太郎が「菜の花の沖」で高田屋嘉兵衛を描いた昭和57年(1982)頃は、大黒屋光太夫の伝記にはまだはっきりしていない部分があったらしく、一般に大黒屋光太夫は晩年不遇であったということになっていたらしい。「菜の花の沖」の中にも、「高田屋嘉兵衛に比べて、大黒屋光太夫は帰国後幽閉のような状態に置かれ、不遇な晩年を過ごした」というような描写がある。またそれは、井上靖が大黒屋光太夫を主人公に据えて書いた名作「おろしや国酔夢譚」でも同じであるらしい。

 ところが、吉村昭が「大黒屋光太夫」を書いた平成15年(2003)頃までには、それまで未発見であった古文書などが見つかり、光太夫はそれほど不遇ではなかったらしいことがわかってきたそうで、そうした古文書の研究結果などが反映され、この「大黒屋光太夫」の作品中ではどちらかというと平穏で恵まれた晩年を送ったように描写されている。あとがきや、Wikipediaの「大黒屋光太夫」の項目などからも、そうしたことがわかる。

 さて、次の読書だ。この実在の人物・大黒屋光太夫に関する基礎資料中の基礎資料は、なんといっても「北槎(ほくさ)(ぶん)(りゃく)」である。これを読まなければ面白くない。

 「北槎聞略」は岩波文庫から出ている。越谷図書館の蔵書にないか探してみたが、どうも、ないようだ。では、とAmazonで探すが、現在は市場にないらしく、入手可能なのは中古品のみである。

 では、ということで、184円+送料350円=534円で購入。Amazon Primeではなく、古本屋の出品なので、月曜以降に届くようだ。
 

やっぱりviでないと(はかど)らない

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 20年前から10年前にかけて、システム管理の仕事をしていた。はじめ、私の役目はサーバとエンジニアリングワークステーション数十台からなるシステムの、商用UNIXのrootであった。UNIXはNECが出していた「UX/4800」で、SVR4.2の標準に準拠していた。サーバはUP4800、エンジニアリングワークステーションはEWS4800という製品だった。

 職場のサーバやエンジニアリングワークステーションなので、勝手に環境を変更することは許されず、いきおい、エディタなどは標準で入っている「vi」以外に選択肢がなかった。

 その後、その職場ではLinuxサーバが増えたのだが、GUIが重くて面倒臭いので、Xをインストールせず、管理作業等はコンソール画面で、エディタは相変わらずviのみを使っていた。

 それら数十台のLinux/UNIXマシンを相手に、10年の間、地味な管理作業に(いそ)しんだ。

 その頃からの習い(さが)で、今でも「ああ、これ、vi使ったほうが早いのになあ……」などと思うことがどうしても多く、職場のPCにviが入っていなかったりするとイライラする。しかし、今の職場のPCは私が管理しているものではないので、どうにも仕方がない。

 しかし、自宅は別で、何を放り込もうが私の勝手である。だから、躊躇なくviをインストールする。viを使うと、ちょっとしたことでも迅速・快適に作業ができるからだ。

 先ほども、ネットで拾った複数行の文字列を、行ごとに「<tr><td>文字列a</td><td>文字列b</td></tr>……」というふうにテーブルに成型する必要があったのだが、このようなことはそこいらの変なエディタを使うより、viのほうがよっぽど早くできる。

 ネットで拾った文字列は次の通りだ。愛用のタブレット、T101HA-G128のBIOSセットアップのパスワードをリセットするためのレスキューパスワードの羅列だ。

2011-11-23 A1AAABBA
2011-11-24 AL11LAAA
2011-11-25 ADH0AHBB
2011-11-26 AAAAB1BL
2011-11-27 A9BOCAAD
・ ・ ・

 これを、先に述べたように<table>タグで囲めるよう、<td>タグ等で成型するわけである。

 こんなこと、viでやればほんの数秒だ。普段から手になじんでいれば、人によっては「3秒」で終了させられる。

 それには、次の数個のコマンドを投入するだけでよい。

:1,$s/^/<tr><td>/
:1,$s! !</td><td>!
:1,$s!$!</td></tr>!

 たったこれだけで、全部の行が一瞬で次のようなHTMLに生まれ変わる。

<tr><td>2011-11-23</td><td>A1AAABBA</td></tr>
<tr><td>2011-11-24</td><td>AL11LAAA</td></tr>
<tr><td>2011-11-25</td><td>ADH0AHBB</td></tr>
<tr><td>2011-11-26</td><td>AAAAB1BL</td></tr>
<tr><td>2011-11-27</td><td>A9BOCAAD</td></tr>
<tr><td>2011-11-28</td><td>A0B0ADBD</td></tr>
・ ・ ・

 あとは前後に<table>~</table>タグを入れ、スタイルをちょっと書くだけだ。

 ことほど左様に、viはいい。

 ……なのだが、「viは作業が早く済む、生産性が極めて高くなるから職場のエディタはこれで統一すべきだ」なんてことを言うと、あらゆる人から排撃され、揉めなくてよいところで揉めることになるので、便利でいいものだと思っても、人に(すす)めたりしないよう黙っているしかない。

ASUS TransBook T101HA-G128 BIOSパスワードのリセット方法

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 昨夜、寝床でPCを使用していた。先日購入したASUSの2 in 1ノート、「TransBook T101HA-G128」だ。夜中のこととて、イヤホンを挿入した。ところが、「オーディオ機器が接続されました」とのメッセージは表示されるのに、音が出ない。

 前のTransBook(T100Chi)では、タッチパネルが動かなくなることが多く、そういうときはBIOSのデフォルトをロードしなおして再立ち上げすると直った。時計が遅れる現象などもこれで直ったものだ。

 このPCもそうだろう、同じようにすれば直るのでは、と思い、BIOSセットアップ画面を出した。T100Chiと比べて、T101HAはキーボードがBluetoothではなく、物理接続なので簡単だ。電源投入直後、「ASUS」ロゴの表示画面で[F2]キーを押し下げながら起動すると、BIOSセットアップ画面が表示される。

 BIOSセットアップに入るためのパスワード画面が出る。一昨日、他人に悪用されることがないようにとBIOSパスワードをセットしておいたのだ。Administrator・User両方ともである。

 得たり、とセットしておいたAdministratorのパスワードを入力する。

 「Invalid Password」とはじかれる。あれ?慎重にもう1回……あれ?もう2回……

 パスワードは3回はじかれて、画面がフリーズした。

 電源を入れなおしては数回試みるが、同じである。

 幸いにUserパスワードのほうは正しくセットされていなかったらしく、無入力+EnterでBIOS画面だけは出すことができた。だが、Administratorではないので、デフォルト値ロードなどの肝心の選択肢が使えない。

 うーむ。参った……。

 ……と、いうようなわけで、ネットを渉猟し、「ASUS TransBook T101HA-G128」の「BIOSパスワードリセット方法」が分かった。

 検索して出てくる方法は、少し情報が古かったりするようなので、私が実行してうまくいった最新の方法をここに書き留めておきたい。多分、私と同じようなハメに(おちい)った人が、検索して役立てるだろう。

「ASUS TransBook T101HA-G128」のBIOSパスワードリセット方法
  1.  PCの日付を「2011年11月23日」にする。
  2.  ネットのほかの情報では「2002年1月2日にする」と書かれているものがあるが、私の環境ではなぜかうまくいかなかった。おそらく機種や発売時期で異なるのだと思われる。

  3.  再起動し、ASUSロゴ表示前に[F2]キーを長押し等する。長押しでうまくいかない場合は、間欠的に指を離してまた押す等するとよい。
  4.  パスワード入力画面が表示される。
  5.  なんでもいいので、何か文字を入力し、一旦Enterする。「Invalid Password」となる。Enterキーを押す。
  6.  (おもむろ)に [Alt] + R を入力する。(←重要!)
  7.  画面に「Enter Rescue password / 2011/11/23」と表示される。
  8.  「A1AAABBA」とパスワードを入力する。この際、シフトキー等を使用しない。
  9.   BIOSのAdministratorパスワードが解除された状態でBIOSセットアップが起動する。

 これで無事、自分のPCの支配権がすべて自分に戻ってくるのであった。めでたしめでたし。

その他の補足情報

 実は上記に行き着くまでに、ほかの方法もいろいろと試した。結局あまり意味はなかったが、副産物として後々参考になりそうな事項があったので、以下に書いておく。

BIOS等のバイナリファイルの16進及びASCIIダンプの取り方

 昔は「dump」などのコマンドがMS-DOSの拡張キットなどに入っていたと記憶するが、Windows 10のコマンドラインツールにはない。

 しかし、代替手段はある。証明書関連の諸作業に使用するコマンドの「certutil.exe」を使えばダンプをとることができる。

 例えば下記は、そのcertutil.exeを使用し、ASUSのサイトからダウンロードした本日現在最新のBIOSのダンプをとっているところである。

C:\>certutil -f -encodehex C:\T101HAAS.304 C:\T101HAAS.304.dmp
入力長 = 6293504
出力長 = 29824512
CertUtil: -encodehex コマンドは正常に完了しました。

 こうすると、「C:\T101HAAS.304.dmp」にテキストでダンプが取れるから、それを見て解析するとよい。注意すべき点は、バイナリ形式の中での文字列は、一文字ごとに0x00が入ったりすることなので、「ALAA」という文字列を探す場合は、「A.L.A.」……というふうに探さないと見つからない。また、改行も入るから、文字列を当てにしての検索はあまりうまくいかないと思ったほうがよい。

ASUS「WinFlash」で無理やりBIOSを書き換える方法

 実はBIOSを強制的に上書きすれば、BIOSのAdministratorパスワードもリセットされるのではないか、と思ったのだ。結果は「リセットされなかった」ので、無駄であった。ネットのQ&Aなどで「BIOSをアップデートすればパスワードもリセットされますよ」などという解答があったのだが、これは誤りとみてよい。また、機種等にもよるのであろう。

 だが、何か他のことで、BIOSを無理やり上書きしたいという人もいるかもしれないと思うので、その情報を書いておく。

 標記「WinFlash」はASUS純正のBIOSアップデートユーティリティだ。安全にできており、日付などでうまく制御され、無駄なダウングレードなどはできない仕組みになっている。

 しかし、コマンドラインオプションをつけて起動することで、強制的に書き換えたり、日付を無視してダウングレードなどすることができる。

 ネットでは「/nodate」オプションが第三者によって紹介されているが、このプログラムのダンプをとると、次のようなコマンドラインオプションがあることがわかる。

/nodate ダウングレード等のため、タイムスタンプを無視する。
/force 強制的に書き換え
/nowmsg 不明(メッセージの抑制ではないかと思われる)
/nodefault 不明

 私は上のうち、「nodate」と「force」の両方を試し、特にシステムが破壊される等の支障はなかった。BIOSはきれいに上書きされた。……パスワードは初期化されなかったので、意味はなかったが(苦笑)

 しかし、意味もなく上記のオプションをつけてWinFlash.exeを実行し、PCがおかしくなったとしても、私の知ったことではない。

cmospwd

 他に、「cmospwd」というフリーソフトを使ってCMOSをフラッシュする、という情報がネットに多く見つかるが、どうもASUS TransBook T101HA-G128には適合しないらしく、うまくいかない。「ioperm」というシステムのインストールを求められるのだが、それがうまくいかない。

他のパスワード

 ASUSのBIOSパスワードに関することはネットに情報があり、PCに設定する日付ごとにパスワードが変化するようである。

 実際に入力して試してはいないが、次のような情報がある。

日付 パスワード
2011-11-23 A1AAABBA
2011-11-24 AL11LAAA
2011-11-25 ADH0AHBB
2011-11-26 AAAAB1BL
2011-11-27 A9BOCAAD
2011-11-28 A0B0ADBD
2011-11-29 AADD0L2B
2011-11-30 L1DDO1AB
2011-12-01 0DADBALA
2011-12-02 LA9AC0BA
2011-12-03 L9L1ACAA
2011-12-04 B0L00ALA
2011-12-05 BBAAAA0B
2011-12-06 2ABOHBAL
2011-12-07 2OA0BALD
2011-12-08 1BADLL0D
2011-12-09 1H9A2BAB
2011-12-10 B9BA0BDB
2011-12-11 BBB1AAL0
2011-12-12 OBDH4LAL
2011-12-13 OAAABBDB
2011-12-14 AO2OLBL2
2011-12-15 AB40BAA1
2011-12-16 A4ADAHD1
2011-12-17 AABAO1LC
2011-12-18 AAB1AAA9
2011-12-19 A1DHDBDB
2011-12-20 AADHLHBA
2011-12-21 AOAAB1AA
2011-12-22 AL1BAADA
2011-12-23 A4HB0BBA
2011-12-24 AAADALAA
2011-12-25 AAOADABB
2011-12-26 A2021BBL
2011-12-27 B0D4ALAD
2011-12-28 BLAAB9BD
2011-12-29 LA1BAA2B
2011-12-30 BACBOBAB
2011-12-31 AAOLDOA0

米本位制

投稿日:

 歴史小説などを読んでいると、どうしても米本位制の「『石高』とは?」とか、「そもそも米本位制とは?」といったようなことが気になる。

 今読んでいる「大黒屋光太夫」でも、随所に「御藩米五百石を積み込んだ」というような描写が出てくる。

 そんなところを読むうち、ふと、落語の「目黒のさんま」に、次のような「枕」があることを思い出した。

落語「目黒のさんま」の枕・講談社「古典落語」ISBN978-4062020459より引用

 さてだれしも見てはいけない、聞いてはいけない、食べてはいけないといわれると、見たい聞きたい食いたいと思うのが人情で、ご登城の途中お駕籠の中で、なにか珍しいことはないかと、きょろきょろ見ていらっしゃる。お江戸は八百八町八百万石のおひざもと、百万石も剣菱も、すれ違ったる繁盛は、金のなる木の植えどころ、土一升に金一升と申しまして、お大名のお行列だってちっとも驚かない町人衆が、

甲 「おう聞いたか、今日の米相場を・・・・・・。」

乙 「いやまだ聞かねえ」

甲 「だいぶ暮らしよくなったな、両に五斗五升だとよ」

 それを小耳にはさんだお大名が、

大名 「ははあ、米は両に五斗五升か、おそらくこれを知っている大名はなかろう、これはよいことを聞いた」

 ただちにご登城になって、

大名 「いやおのおの大きに遅刻いたした」

同輩 「おやおはようござる。さあこちらへ、……どうですな、なにか変わったことでもございますかな」

大名 「さよう、今日の米相場をお聞きになられたか」

同輩 「いやうけたまわらん」

大名 「さようか、町人どももだいぶ暮らしよく相なったな、両に五斗五升でござる」

同輩 「貴公もいつもながら下世話にお明るいが、米相場までごぞんじとはいやどうもおそれ入ったしだい。してただいま両に五斗五升とおおせられたが、いったい両とは何両のことでござるな」

大名 「うむ、それはむろん百両だな」

 まずお大名の心持ちはそのくらいのものでございます。

 この「枕」で笑うのだって、現代の資本主義的物価尺度と、江戸時代の米や貨幣の相場とのニュアンスがわからなければ、笑うことすらできない。

 筆に(したが)って書き出してみよう。

江戸時代米本位制雑聞

 江戸時代の経済は、「米本位制」とでも言うべき特殊なものだったことは今更言うまでもないが、ここに出てくる「金一両・米五斗五升」という言葉の尺度というのはどういうものなのだろうか。

 昔の日本の「米本位制」の基礎は、度量衡の基準を人の生存リソースに求めた、人間本位制とも言うべき優れたものだった。人が食べる米の量を貨幣の相場基準にまで適用していたのである。江戸時代はものの価値を金銀に換算するのではなく、まったく逆に、金銀やものの価値を米に換算していた。

 誰にでもわかる理屈だが、掘り尽くせば枯渇する金銀とは違い、米は自然な農業のサイクルにより、何度も再生可能である。その再生可能な資源を、江戸時代の日本は価値の基準として使っていた。だから、武士の格や藩の貧富も、「30俵2人扶持」「100石どりの旗本」「紀州50万石」「加賀100万石」などと、給与の米の量や領地で取れる米の量で表していたのである。

 さて、この、「米の量」である。わかりやすいところから書いてみよう。

 メートル法が行き渡った現在、料理の教科書などで「1カップ」と書かれているのが、実は「1合」であることは、どなたにも直感的にお分かりになると思う。メートル法で180ccだ。文字通り「コップ1杯分」ほどである。居酒屋で冷酒を注文すると出てくる1合枡に、米がすり切り1杯入っているところをイメージしてもよい。同じ量だ。

 この「1合」の米は、成人の一食分だ。副食物(おかず)の豊富な現代では、1食で1合の米飯は少々多めだが、昔はごく少量の漬物などで、突き残しの胚芽が多く含まれた、ビタミンたっぷりの米を大量に食っていたので、1合でちょうどか、やや少ない目というくらいなのである。さておき、この計算なら10合の米で、3.3日を暮らすことができる。10合は「1升」である。

 1升で3.3日であるから、その10倍、10升の米があると、大人1人が1ヶ月と少しの間、食べていけることになる。10升は「1斗」だ。1斗=1か月、である。

 10ヶ月あまり、すなわち1年を暮らそうとすれば10斗の米が必要だ。10斗は「1石」だ。1石=1年、である。

 つまり、大人1人が1年間食べるのには、1石=1000合の米が必要という計算になる。

 ちなみに『1俵』というのは米4斗で、重さは60キロである。大人一人につき5ヶ月弱程の所要量だ。大人1人が「よっこらしょ」と持ち上げることの出来る重さの米は、その人が春夏秋冬のうちいずれか1季節、四半期ほど食える量の米、ということになる。30俵というと12石、「扶持」というのは1日に5合の米による手当ということで、2人扶持というのは1日1升の米手当である。そうすると、30俵2人扶持というのは年に米16石ほどを貰う武士のことである。

 この、「大人1人1年分」の米、すなわち「1石」を産する土地の面積を、「1反」と言った。また、この「1反」を360で割った面積、つまり、「大人1人・1日分」の米を作ることが出来る面積を「1坪」と言った。今も住宅地の売買に「坪」を用いるが、坪はだいたい1.8m×1.8m、たしかにこれくらいの広さの田んぼを想像すれば、3合ほどの米は採れそうである。

 10反を「1町」と言った。つまり、大人10人が1年間食べる米を産する面積だ。昔の家族は爺様、婆様、女房に子供、弟妹、下男、と言ったところだろう。その家族の様子を想像すると10人くらいはひとかたまりで暮らしていそうだから、1町=10石=1家族1年間、ということになる。

 そうして、貨幣では、1石の米が「1両」にあたる、と決められていた。つまり、大人1人1年間の食費が1両、と、なっていたのである。

 まとめると、大人1人1年間の食費が1両、1両ぶんの米は1石、1石を産する土地は1反、ゆえに1反の土地の値は1両。また、1坪の土地があれば1日食える。わかり易い。

 落語「目黒のさんま」の枕に出てくる「一両五斗五升」というのがどういう尺度かは、もうお判りだろう。基準の2倍弱ほどの値段だ。町の人たちが、それを「だいぶ暮らしやすくなった」と言っている。

 江戸時代も下るにしたがって米相場が高騰し、1石1両ではなくなっていた。文久3年(1863年)には江戸で1両・4斗、慶応3年(1867年)には大坂で1両・9升にまでハネ騰がったそうだ。

 いま、下級の武士を、現代のサラリーマンと概ね同じくらいの年収と仮定してみる。なにしろかつては「サラリーマン」などというものはなく、給与で生計を立てている者は、武士しかいなかった。サラリーマンの語源を引くまでもなく、武士は正真正銘のサラリーマンであったと言えるのだ。

 現代のサラリーマンの平均所得は、国税庁の統計によると年に概ね420万ほどである。税抜きで400万。ちょっと生活キツいね、という印象の年収だろうか。

 一方、「ちょっと生活キツいめの武士」はどうだっただろう。時代劇のせりふや、話芸の文句に、「100石6人泣き暮らし」などと出てくるが、この「100石」というのは、ちょっとカツカツの、キツいめの暮らしだったのだろう。

 その、「100石取り」の武士が、平均年収のサラリーマンと同じくらいだ、と、してみるわけだ。

 武士は俸給を米で貰う。受領した米を、「札差し」という金融業者に持って行ってお金にするのだ。多くの武士が貰っていた100石の年収を、現代の平均年収420万円とすると、1石あたり4万2千円相当、概ね4万円ということになるだろうか。

 先の落語の枕の、庶民の口にした相場を思い返してみる。「両に五斗五升」=「4万円で米が82.5キロ」=「米1キロ484円」という計算になる。

 ちなみに、現代人が家庭で買う普通の米が5キロで2千円、ブランドのササニシキがネット通販で2キロ2千円だから、今の相場は1キロ400円~1000円の間ぐらいということになる。現代のわれわれの米消費は、豊富な副食物のために減っているから、食費が家計の中に占める割合と、さらにその中で米が占める割合を考え合わせると、まずまずこの換算はそう見当はずれでもなかろう。

 この「目黒のさんま」の頃は、かなり米相場が高騰したあと、すこし下がって、ちょっとは暮らしやすくなった、というような時代だったのだろうか。

 さて、そうした諸々を踏まえた上で改めて計算すると、落語「目黒のさんま」の枕のお大名は、「両」というのを「100両」と間違えているから、上述の100倍の相場の、「米1キロが4万8千円で、庶民は暮らしよい」と言っていることがわかる。

 いかがだろう。「目黒のさんま」の、浮世離れしたお大名の超然たる天然ボケッぷりが、やっと笑えるようになっただろうか?

建国記念の日

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天皇陛下万歳

 祝日「建国記念の日」である。玄関先に掲揚した国旗は新春の青空と陽光に映えて美しい。

 言うまでもなく今日は昔でいう「紀元節」であり、神武天皇即位の記念日である。日本人すべての新春だ。

読書

投稿日:

 「御松茸(まったけ)騒動」(朝井まかて)、楽しく読み終わる。

 主人公の尾張藩士、小四郎の19歳から28歳までの9年間を描く。ああ、いるいる、こういう奴、30になっても40になっても、いや、場合によっては50を超えていても、こういうわかってない馬鹿、愛すべき野郎、いるなあ……と思った。

 いわゆる、「意識高い系」というやつだ。俊秀なのに抜けている。読者としてはこの主人公を目の前に据えて、諄々と説き語りたい、父になり母になり、あるいは上司になり先輩になり、主人公を心配してやりたくなるのだ。あるいはまた、主人公を自分と照らし合わせ、ああ、俺もそうだと共感する若い人もいるかもしれない。

 そんな風に思わせるほどに、現代のサラリーマン社会をもチクリと、あるいはグサリと風刺している。

 さておき、この小説の表題に目を引かれたのは、以前、岡本綺堂の「半七捕物帳」の中に、綺堂の別の作品「三浦老人昔話」の主人公三浦老人が出てきて、半七老人・三浦老人ともどもに昔話をするという一話があり、その一話が「松茸」であったからだ。江戸時代の将軍家献上のための松茸にともなうドタバタが面白おかしく描かれている。その内容が印象に残っていたのだ。

岡本綺堂「半七捕物帳」のうち「松茸」から引用(平成30年現在著作権消滅)

 三浦老人も笑いながら先ず口を切った。

「お話の順序として最初に松茸献上のことをお耳に入れて置かないと、よくその筋道が呑み込めないことになるかも知れません。御承知の上州太田の呑竜(どんりゅう)様、あすこにある金山(かなやま)というところが昔は幕府へ松茸を献上する場所になっていました。それですから旧暦の八月八日からは、公儀のお止山(とめやま)ということになって、誰も金山へは登ることが出来なくなります。この山で採った松茸が将軍の口へはいるというのですから、その騒ぎは大変、太田の金山から江戸まで一昼夜でかつぎ込むのが例になっていて、山からおろして来ると、すぐに人足の肩にかけて次の宿(しゅく)へ送り込む。その宿の問屋場にも人足が待っていて、それを受け取ると又すぐに引っ担いで次の宿へ送る。こういう風にだんだん宿送りになって行くんですから、それが決してぐずぐずしていてはいけない。受け取るや否やすぐに駈け出すというんですから、宿々の問屋場は大騒ぎで、それ御松茸……決して松茸などと呼び捨てにはなりません……が見えるというと、問屋場の役人も人足も総立ちになって出迎いをする。いや、今日からかんがえると、まるで嘘のようです。松茸の籠は琉球の畳表につつんで、その上を紺の染麻で厳重に(くく)り、それに封印がしてあります。その荷物のまわりには手代りの人足が大勢付き添って、一番先に『御松茸御用』という木の札を押し立てて、わっしょいわっしょいと駈けて来る。まるで御神輿おみこしでも通るようでした。はははははは。いや、今だからこうして笑っていられますが、その時分には笑いごとじゃありません。一つ間違えばどんなことになるか判らないのですから、どうして、どうして、みんな血まなこの一生懸命だったのです。とにかくそれで松茸献上の筋道だけはお判りになりましたろうから、その本文(ほんもん)は半七老人の方から聴いてください」

 江戸時代の松茸というものは、ことに将軍家にかかわるものはこれくらいに血眼になったものなのだ。朝井まかての「御松茸騒動」では、このように大仰で、現代人から見れば滑稽ですらある松茸の扱いと、それにかかわる人々の哀歓、愛すべき主人公の成長を描いている。