小池一夫氏死去

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 漫画原作者の小池一夫氏が亡くなったそうである。

 祈冥福。

(おぼろ)月の下

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 夕刻。十四夜の大きな(おぼろ)月が上がった。旧暦三月、晩春の夕霞(ゆうがすみ)の向こう、相応にあたたかな月が上がるのかと思いきや、ぼんやりした輪郭であるのにもかかわらず、意外にや、月は青く冷えた色をしている。

 退勤帰路、都会の喧騒。意外にスッとする月の青光に照らされて、花の散った桜の木々が緑ゆたかに葉を張り始めている。反対側の舗道には企業や官庁が立ち並び、その植栽の躑躅(つつじ)が赤白あざやかに咲き始めている。

 1時間半程の通勤電車の手慰みは読書だ。先月からウィル・デューラントの「哲学物語」を読んでいる。ようやく半分ほど読んだ。ソクラテス、プラトン、アリストテレス、時代は飛んでベーコン、スピノザ、ヴォルテール、カント、ヘーゲル。今夕、やっとショーペンハウエルまで来た。

 50年以上、60年近く前の古書だ。赤い布表紙のそれを手に持ったまま電車を降りる。はや春月は中天にある。周囲の匂いも色も明度も、ベッドタウンらしいものとなってゆく。

 春燈ゆらめく住宅密集地の温気(うんき)の中、住み慣れた家に帰る。百花繚乱と書いてみて、文字通りの惜春である。

Today’s drinking and snacks 今日の酒肴・鯛のいろいろ

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 最寄り駅の駅ナカ、「新越谷VARIE」の鮮魚店「魚力」によく立ち寄る。通勤経路だからだ。

 立ち寄って何か買うと言うことはそんなにないが、気が向いて、とりどりに並んでいた「(たい)(さく)」を(もと)めた。

 それを肴にして、一杯やった。例によって動画に撮り、YouTubeに上げた。

 実に旨かった。

 動画の中で呑んでいる酒は、「会津ほまれ」である。

 読んでいる本は、「平凡社 世界教養全集 第1巻 哲学物語」である。
 

春田

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Today’s drinking and snacks 今日の酒肴・葱とピーマンの焼き物

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 先日、旧知のI君と東寺展に行ったが、その時買った図録を見ながら一杯やることにした。

 冷蔵庫の葱とピーマンをガスこんろのグリルで焼き、醤油、花かつお、七味を振り、これを肴にした。実に旨かった。

 例によって動画に撮り、YouTubeに上げた。

 図録はAmazon等では取り扱いがなく、ISBNもない。国立博物館オフィシャルショップで売っている。

 動画の中で呑んでいる酒は、相変わらず「会津ほまれ からくち 米だけの酒」である。

Today’s drinking and snacks 今日の酒肴・ほうれん草と鶏の辛子和え

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 何か旨い酒肴でも、と思い、ほうれん草と鶏肉を辛子和えにして一杯呑んだ。旨かった。

 例によって動画に撮り、YouTubeに上げた。

 動画の中で呑んでいる酒は「会津ほまれ からくち 米だけの酒」である。

 動画の中で読んでいる本は平凡社の古書「世界教養全集 第1巻 哲学物語」(ウィリアム・デュラント著)である。

「近しい」と「……てあげる」って言うのやめろ(笑)

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 最近気になる流行の言い方に、標記の二つがある。ドイツもフランスも、……いや違ったドイツもコイツも「チカシイ間柄」だとか「このネジをキュッと締めてアゲル」などと言っている。

 どっちも変だし、おかしいからやめてほしい。

近しい

 「近い」は活用して確かめて貰えば誰にでもわかることだが、「近かろう・近かった・近い・近いとき・近ければ」で命令形はなし、つまり典型的な形容詞だ。語幹は「ちか」であり、「ちかし」ではない。

 同じような形容詞に「赤い」がある。「赤かろう・赤かった……」と活用するが、「赤しかった」などと言うだろうか。言わない。同様に、「(かゆ)い」という言葉を「痒しい」などと言うだろうか。言わない。「正しい」という言葉を「正しし(・・)い」などと言うだろうか。絶対に言わない。

 「何々しい」というふうに使う言葉には、例えば「いたましい」がある。しかしこれは、「いたむ」という動詞を形容詞的に変化させて使うものである。元の言葉が形容詞であるわけではない。

 「(した)しい」という言葉があるが、「近しい」なんていうのと同じ言葉ではない。「親しみ」「親しむ」というふうに、名詞的にも動詞的にも使う幅広い言葉である。「近しい」を使う人に言いたいが、「親しみ」「親しむ」と同じように、「近しみ」「近しむ」と口に出して言ってごらんなさい、そんな言い方はないでしょう?

 他に、「おいしい」という言葉もある。だが、これは語幹が「おいし」で、活用語尾が「い」だ。「おいしかろう・おいしかった・おいしい・おいしいとき・おいしければ」で命令形なしである。「し」は語幹に含まれる。「おいしい」の「し」を取り除いて「おいかろう・おいかった・おいい・おいとき・おいければ」などと活用するとまったく成り立たないのは明らかだ。だから、「近い」で成り立つものに無駄な「し」を入れた「近しい」とは根本的に違う。

 もっと(あげつら)ってみよう。「近い」の反対の言葉に「遠い」がある。「近しかろう・近しかった・近しく・近しい……」なんていう変な言い方書き方があるのなら、「遠しかろう・遠しかった・遠しく・遠しい……」などという「遠い」の活用が許されなければならぬ。「遠しい親戚」だの「遠しい街角」だのというものの言い方・表現はあるだろうか。……いや、断じてない。

 こう考えてくると、だからやっぱり、「近しい」なんていう言い方・書き方は変だ。「近い間柄」とか、もし言うなら「(した)しい間柄」とすべきものだ。

 歴史的に「近しい」と著述した文筆家はいるのかも知れないが、これは「揺れ」の(たぐい)だろう。

あげる

 昔は小児科で「先生がくれたお薬を赤ちゃんにあげたら……」(正しいのは「頂いたお薬を息子に()ませたら」とか「先生が下さったお薬を子供に与えましたところ」等でしょうね)なんていうスットコドッコイな日本語を使う若いお母さんが笑いぐさになってしまったものだが、最近の「アゲル」は違う。モノであろうと現象であろうとお構いなし、美容師から学校の先生から大工さん、IT技術者、料理人まで、全員「アゲル」だ。特に説明者に多いようだ。

「この残りの髪をピンでとめてアゲル

「共通項の二乗の部分を消去してアゲテ、ルートでくくってアゲル。」

「ここで釘を打ってアゲル

「で、コンストラクタをオーバーライドしてアゲテ……」

「大根は面をとってアゲテ、十字に切れ目を入れてアゲマス。」

 だ~~~ッ!!

 ……ええい、誰も彼もアゲルアゲテアゲマスだの言ってやがって、鬱陶(うっとう)しいんじゃ!

 「ピンでとめる」「消去して、ルートでくくる」「釘を打って」「オーバーライドする」「面をとって」「切れ目を入れます」と言えんのかあああ!(笑)。

 はあ、ふぅ……落ちつけ、俺。

 まあ、言葉と言うのは、時代により人により、(ゆる)やかに変わっていくものだということは否定できない。だから私も、興奮せずに寛容でありたい。

 だが、極端に変なものや、誰にでもわかるようなルールに沿っていない変化には、注意深く向き合っていくべきものだろう。

近況片々

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SOBA 満月

 先頃からすっかりファンになった新越谷駅前の蕎麦(みせ)、「SOBA 満月」。このところ毎土曜日昼の行きつけである。

 店主が体調を崩していて、先週、先々週の土曜日は閉まっていて残念であった。今日は本復されたようで、いつもどおりの営業だ。

 今日は季節メニューで「桜エビと新たまねぎのかきあげ」というのが出ていたからそれと、いつものように新潟県の銘酒「吉乃川」で蕎麦前をやって、生粉打ち十割の「もり」で〆。

 美味、至福と言う他なく、やめられぬ。

 妻と近所の川べりの桜を見に行く。

 地元の隠れた名所で、美しい。

改元令奉祝

 (かしこ)きあたりにおかせられては、(かね)て改元の内意(あまね)く知ろしめられること(おそ)れ多く、去る4月1日、これを奉じた政府によりついに「令和」と布達されたことは誠にもって喜ばしいことである。

 (しづ)、このブログも早速改元に対応し、5月1日以降の日付に遺憾のないようにした。

 改めてテストしてみる。

2019/4/30 23時59分 → 平成31年(2019)04月30日(火)23時59分
2019/4/30 24時00分 → 令和元年(2019)05月01日(水)00時00分
2019/4/30 24時01分 → 令和元年(2019)05月01日(水)00時01分
2019/5/1 0時00分 → 令和元年(2019)05月01日(水)00時00分
2019/5/1 0時1分 → 令和元年(2019)05月01日(水)00時01分

……良く動く。いい感じだ。24時1分、なんぞというところも私の考えた動きである。

旧暦雛祭

 明日は旧暦三月三日、つまり旧雛祭(ひなまつり)。当然月は三日月。晴れれば日没後すぐ、針のような尖った月が日とともに沈むだろう。