味噌は八丁味噌。
月: 2019年10月
即位礼正殿の儀
天皇陛下万歳
畏きあたりにおかせられては、本日、御即位を
本日は祝日であり、今年に限り休日である。
海外から2千人に及ぶ賓客が参内するという。
- 天皇陛下の「即位の礼」に関するお知らせ(政府広報オンライン)
尚、本日は天候や災害などもこれあり、「祝賀御列の儀(パレード)」は11月10日(日)に変更された。
秋期情報処理技術者試験とITストラテジスト
昨日(10月第3日曜日、今年は10月20日日曜日)は秋期情報処理技術者試験の日であった。
私は「ITストラテジスト」のキーワードでこのブログに記事を書いていることもあり、毎年秋のこの時期と、合格発表のある、2か月先の12月~年明け頃になると「ITストラテジスト」のキーワードでの検索アクセスが増える。
「ITストラテジスト」はなかなか歯応えのあるテストだが、経験を積み、勉強をすれば必ずしも合格不可能と言う事はなく、それよりもなお、なかなか役に立つ資格であるから、興味のある向きは奮って受験してみては如何。
秋明菊
男はつらいよ
「男はつらいよ」の新作が出ると聞いて、ふと主題曲「男はつらいよ」が聴きたくなり、Google Play を検索してみたら、びっくりした。
玉置浩二の「男はつらいよ」があるのだ。
試聴してみたら、これがなかなか切々とした哀歌で、捨て置けない傑作である。
だが、アルバム丸ごと買わなければついてこないということで、買うのは断念。
だが、Amazon Primeでは提供されていて、聞ける。
- 玉置浩二の「男はつらいよ」(Amazon Prime Music)
折角だから、本家渥美清の「男はつらいよ」を250円で買う。
ゲームや媒体 や手段や目的や読書や
婚活サイトのネット広告で、「ゲーマーの旦那さんください」というキャッチ・コピーのものがあって、思わずクスリと笑ってしまった。
パズルゲームが大好きな婚活女子が、念願
どうしてそういうふうに思うのか。
私は、ごくクローズドな範囲の、小さい読書コミュニティの世話人をしている。この2~3年ほどそこの中核メンバーである。
ところが、単に「読書」というタイトルで人が集まっても、これがまた、話なんざ、全く合わないのだ。なぜと言って、それは簡単な理屈で、世の中に本は何百億冊とあるからだ。そして、その内容はすべて異なる。本はメディアに過ぎず、話が合う合わないはどんなジャンルが好きかとか、今どんな内容の本を読んでいるかということに依存する。これを仮に「小説が好き」というふうにジャンルを狭めたとしても、世の中にはこれまた何億という数の小説があり、単に小説が好きというだけでは話を合わせることが難しい。
こんな経験から、漠然とした「読書」「本」という枠組みだけではどうにもならないということが私にはよくわかる。
そこからすると、ゲーミングも読書と同じだ。今やゲームは、本と同じ「媒体」と見てよい。ゲームは新しい分野であるとはいえ、もう既に数十年の歴史を経つつある。
こうして考えてみると、新たなものを何か考える際、それが「プラットフォーム化」「基盤化」「媒体化」したとき、はじめて、そこから十分なお金を安定して引き出すことができるようになるのだろう。
かつて、「無線」は、それ自体が趣味や職業として成立し得た。アマチュア無線や市民無線(CB)の免許をとり、他人と話をすることはなかなか程度の高い趣味であった。話の内容なんか、どうだっていいわけである。「無線機を使って話をするということそのもの」に意味があった。また、無線従事者の資格を持つ者は職業として幅広い選択が可能であった。だがしかし、万人が「携帯電話」という名の無線電話を持つ今となっては、アマチュア無線などもはや風前の
同じことはかつての「マイコン」、現在の「パソコン」にも言える。これらは、かつてはそれ自体で立派な一分野で、趣味としても、職業としても成立し得た。だが、今やそうではない。パソコンはネットへの窓口としての安価なコミュニケーション端末か、安い汎用事務機器か、ゲームマシンか、そういうものに過ぎなくなってしまった。大切なのはパソコンで何をするかである。昔のように「パソコンが趣味です」などと言っても、ほとんど意味をなさない。パソコンで絵を描くのか、著述をするのか、音楽を楽しむのか、ゲームを楽しむのか、他人とのコミュニケーションを楽しむのか、その内容による。また、パソコンが仕事です、と言って意味をなすのは、PCの設計や製造、CPUの開発に従事している、アプリケーション・ソフトのプログラミングをしている、というようなことであって、完成品のパソコンを買い漁ったり、出来合いの電源やマザーを組み合わせてパソコンを組み立てたりしても、もはやコレクションとしての意味はおろか、趣味として形をなすかどうかすら疑わしい。
自動車も似ている。かつては自動車の所有それ自体がステイタスの誇示であり、どこへいくという目的などなくとも、「ドライブ」ということそのものに意味があった。だが、今もし意味を持ったステイタスの誇示やドライブをしたいなら、1千万円を超える高級車でも所有して、外国のハイウェイでもブッ飛ばさない限りはなんの意味もない。これだけ普及すると、自動車は物を運ぶとか、人を乗せて仕事に行くとか、そういう実用的な「媒体」の一種でしかない。こうなってくると、大事なのは自動車を使って何をするかだ、ということになる。
こうして、人間はいろいろな手段に熟達した挙句、ふと我に返って「私はいったいこれで何をしたかったのだろう」と自問するのだろうと思う。目的のない手段、魂のない科学、中身が薄い媒体、目標のない技術、こういうものが地球上には溢れかえっている。
ここで道は二つに分かれる。次の二説だ。
実はこんなことは、古くから先人が論述済みである。
私は今、
林語堂は明治28年(1895)~昭和51年(1976)の激動の時代に生きた中国人著述家だ。現代の共産党中国に生きる人々とは違う、古い時代の中国人のものの考え方・見方をこの「生活の発見 The Importance of Living」で著述した。
彼が述べる中国人の考え方や姿勢は、雑に言うことが許されるなら、「手段や媒体そのものを楽しめ」である。花鳥風月を愛でることや茶や酒や書や詩や絵画や道具や居宅、日月山川、そういうものを生活として再発見し、生活そのものに人間の存在意義としての価値を認め、それによって幸福に生涯を送れ、としている。
しかし、西洋哲学はどうも違う。同じ全集シリーズの最初の方は、ソクラテスから始まって、ジョージ・サンタヤーナなどまでに至る西洋哲学体系であったが、これらは人間の目的、人間の精神の存在、魂や神など、形而上に意義と目標を求め続けるというような、そういうものであった。
実は林語堂は、これを
さんざんヨーロッパの形而上学を読まされた後だと、林語堂のこうした
もしここで、イスラムの古い哲学などを読むと、またいろいろと違うのだろうな、と思う。それには、ヨーロッパが十字軍遠征などを通じて持ち帰ったイスラムの膨大な書籍がどのようにヨーロッパの学問に取り込まれていったのか、ということに関する詳しい理解が下敷きとして必要だろう。
下手糞アンケート
Facebookの利用意識調査アンケートが表示された。全問答えた。
それにしても、新聞の世論調査にせよ、職場や社会の様々なチャンネルにせよ、なんでこうも「設問が下手」なのだろう。
選択肢の中には、まるで、「質問に対する私の答え」が含まれていないのである。
アンケートを作成する者には、想像力や情緒、人間に対する洞察と言うものが欠けているのだと思う。
うんこのようなアンケートに対する回答を拒絶し、放り投げてしまってもいい。実際、表現力を持たない多くの者や、時間のない者はそうする。だが、放り投げてしまうことは、無責任な態度だと思うのだ。なんとなら、私自身はアンケート全体の目的については理解しているからである。
そんな私は、アンケートに自由記述欄などがあると、ついついダラダラと文章を書いてしまう。書き殴った挙句、書くところがなくなったり、文字数の制限があったりして難渋する。
自由記述欄のあるアンケートならまだ私にとっては良心的というものである。この前かかってきた朝日新聞の電話世論調査なぞ、電話のプッシュトーンで番号選択するしかないのだから、こんなものはもう、人間を相手にしているとは到底思えない。2~3問答えたものの、選択肢にはまるで私の心を言い当てたものがなく、さすがにこれにはやむなく回答を拒絶し、途中で電話を切ってしまった。
さておき、仮に自由記述欄のあるアンケートにダラダラネチネチと直木賞受賞級の切々たる文章をものしたとして、アンケートの集計部署では、私の書いたそんなダラダラ文章など、まったく読む気がないことも直ちに想像し得る。世の中の、9割とは言わない、6割くらいの人は、文字を読むのが苦痛であり、ましてや、誤字脱字に溢れ、汚い字で書き殴られた文章の中に
要するに私のしていることは、答えるにせよ答えないにせよ、全部無駄である。無駄な行動をとることほど馬鹿々々しいこともない。
そんなアンケートに比べると、適当に不定形データを漁って世間の傾向を導き出そうというAIは、まことに平和だ。だがしかし、教師付きのAIの開発のことなど考えると、不完全で不愉快な過去のアンケートの結果などがAIの教師となるのだろう。そこでもう、AIすら嫌になる。
蟋蟀
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha
今週のさえずり季題
さえずり季題【463】は「蟋蟀」(こおろぎ)です。
日本人は万葉の時代から虫の声を楽しんできました。このような美意識は欧米にはないそうです。こほろぎや眼を見はれども闇は闇 真砂女
雨の音どこかに残りちちろ虫 けん二#saezuriha_odai #saezuriha
— Blueberry7015 (@NHotozuka) October 18, 2019
蟋蟀、こおろぎ、
勉強と学歴
畏し
すめらみことの
国の慶事にあたり、
そのような有り難き
さまざまな主張はあろう。国家はこれを許すだろう。だがしかし、「恩赦なんぞより奨学金を無料に」という言説には賛同できない。
奨学金がなければ学べないような金満金欲主義の大学に大卒の学歴欲しさだけのために通わなくても、コンビニのレジにも土木作業の軍手の先にも汚物清掃のブラシの先にも、学ぶべきことは山のようにある。給料を貰って学べばよい。
「学ぶ」は立派なことであり、尊ぶべきことであるが、それを「大学に行って学士や修士や博士をもらうこと」と直結するのは、笑止千万なことである。
少子化のために入学者が減り、大学等は露骨な営業に走っている。大人の学歴欲をくすぐって学びましょう学びましょうなどと、あまりにも幼稚だ。
勿論、そうでもして学業の基盤を確保し続けなければ、日本の大学如き、世界の「知」の圧倒によって瞬時に粉砕されてしまうだろう。
だからと言って、有象無象がサラ金紛いの高利借金で学歴を買うこと、そして、その金で妙ちくりんに歪んだ学歴付与機関を養うことは、それは正しいのか?
であれば、一言にして断ずべし。権威付けや学歴授与などによりかかることなく、ただただ、自ら学べばよい。
暴力教師、セクハラ教諭、パワハラ教員、淫行教授なんぞによりかからずとも、世の中は読むべき万巻の書、学ぶべき神羅万象、乞うべき千言万語の教えに満ち満ちている。
「恩赦なんぞより奨学金をチャラに」という言説には賛同できない。
奨学金がなければ学べないような金満金欲主義の大学に大卒の学歴欲しさだけのために通わなくても、コンビニのレジにも土木作業の軍手の先にも汚物清掃のブラシの先にも、学ぶべきことは山のようにある。給料を貰って学べばよい。
— 天然佐藤俊夫 (@SatoToshio) October 16, 2019
「学ぶ」は立派なことであり、尊ぶべきことであるが、それを「大学に行って学士や修士や博士をもらうこと」と直結するのは、笑止千万なことである。
少子化のために入学者が減り、大学等は露骨な営業に走っている。大人の学歴欲をくすぐって学びましょう学びましょうなどと、あまりにも幼稚だ。
— 天然佐藤俊夫 (@SatoToshio) October 16, 2019
勿論、そうでもして学業の基盤を確保し続けなければ、日本の大学如き、世界の「知」の圧倒によって瞬時に粉砕されてしまうだろう。
だからと言って、有象無象がサラ金紛いの高利借金で学歴を買うこと、そして、その金で妙ちくりんに歪んだ学歴付与機関を養うことは、それは正しいのか?
— 天然佐藤俊夫 (@SatoToshio) October 16, 2019
であれば、一言にして断ずべし。権威付けや学歴授与などによりかかることなく、ただただ、自ら学べばよい。
暴力教師、セクハラ教諭、パワハラ教員、淫行教授なんぞによりかからずとも、世の中は読むべき万巻の書、学ぶべき神羅万象、乞うべき千言万語の教えに満ちている。
— 天然佐藤俊夫 (@SatoToshio) October 16, 2019