ウイスキーが血液脳関門を通り抜け、頭の中央をじいんと痺れさせてくれる。
幸いなる哉。
既に正月は馬日・六日の暮れ、関東では松の内の終わり。
明日は人日・七日。さぞかし粥が旨いだろう。
オッサンは生きている。
酒につけ
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha
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さえずり季題【526】初空。傍題に初御空。元日は空気が澄んで、常より空が清らかに青く見えます。今年は特に人通りが少なく静かな町から、正月の空を仰ぎました。「初空の藍と茜と満たしあふ」山口青邨 #saezuriha_odai #saezuriha
— Seren (@Seren_kei) January 2, 2021
「働き方改革」へのアイデアを思い付いた。
正月や盆に一斉に休むのは、非合理である。
先祖の霊への礼拝や、人生の節目をそれに認めるといった意義は宗教的なものであり、人によって基準は違う。盆や法事に意味を認めなくとも、恋人と初めてセックスをした記念日としてクリスマスを
ならば、盆に休みたければ勝手に休めばよいし、クリスマスにラブホテルにシケこみたければそうすればよいし、イースターか
そのようにしないと、さまざまな習慣や信仰を持っている何十億と言う
仏教徒以外は盆の時期にノンベンダラリと休んでなどいず、一意徹底、勤労することにしてはどうか。盆など、これは宗教的意義のもの以外の何物でもないからだ。
宗教をもって休むのが差別で、こんなのはダメだとかなんとか言うなら、働く者の休暇を1年中に分散して社会的影響を低減すべきである。
休みたいときに勝手に休み、盆だろうと正月だろうと、はたまたゴールデンウィークだろうとシルバーウィークだろうと、
それで会社に睨まれたとか
そのように考えてきてみると、土曜・日曜というのも不自然である。人工的で、人間の自由を縛ろうとするものだ。何も人間のリズムが7日に強制される必要などない。10日でも30日でも働きたいバカもいれば、毎日休みっぱなしでないと身が持たないという者だっている。
1年365日には、無論冬や夏があり、それには人間がどうしたって調整することのできないリズムがある。会社の事務所だけが人間の働き場所ではなく、農業や土木の職業には春夏秋冬は変更できない規律である。だから、そういう仕事は、そういう仕事で独自にリズムを刻むがよろしい。
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha
今の時季に使わなきゃいつ使う、というのがこの「新年」の歳時記である。
言わずと知れたことだが、俳句の季語は春夏秋冬それぞれにあり、歳時記も春夏秋冬に分けられ、あるいは合本、あるいは分冊となっている。
知られているようで知られていないのがこの「新年」である。俳句の季語では、新年については春夏秋冬とは別扱いに切り出してあるのだ。
私は角川の歳時記を愛用している。写真は角川文庫版の「新年」巻だ。
「新年」「初春」などの言葉はもとより、「
さて、今週の「さえずり季題」は平坂さんの出題で、「初春」である。
新年決定版の季語と言えるが、これはなかなか詠むのが難しい(苦笑)。
さえずり季題【474】は新年の季語で(初春)です。今年の長崎ランタンフェスティバルは1月25日から2月8日までです。異国情緒の長崎へ、ちょいと遊びに来ませんか。僭越ながら例句「初春や中島川に眼鏡橋 平坂謙次」 #saezuriha_odai #saezuriha pic.twitter.com/nrPKeUUicC
— 平坂謙次 (@hedekupauda) January 3, 2020
正月もはや三日、古い言い方で「
さておき、私は酒呑みなので、正月の間中、ずぅ~っと重箱の中のものを食べているが、お節料理はどれもすべて大好物なので、まったく食べ飽きないのだ。
御重の中のものたるや、全部、酒に合う物ばっかりでできていないだろうか。ごまめ(田作り)や
煮物は日が経てば経つほど、なにやら味わいが増して旨くなり、こたえられない。
最近は呑まない若い人も増えた。呑む人でも「まずはビール」だと思うが、御重にはやっぱり日本酒が合う。