みどりの日

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天皇陛下万歳

 祝日「みどりの日」である。自宅の軒先に国旗を掲げ拝礼する。

 近年「みどりの日」は勿論、「海の日」「山の日」といった日本の山紫水明の自然を慈しむ祝日が増えたことは嬉しい。

 畏し、昭和聖帝は植樹祭などに御精励あそばされ、植物学御研究所名で多くの研究書を著された他、ウミヒドラなどの海洋生物にも優れた研究成果を残された。また、今上陛下におかせられては幼少若年のみぎりより登山に親しまれ、全国の山岳を踏破されたことは誰しも知るところである。みどりも海も山も日本そのものであり、これらを慈しんだ皇室の心がおそれ多く感じられる。 

憲法記念日

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天皇陛下万歳

 祝日「憲法記念日」である。自宅の軒先に国旗を掲げ拝礼する。

 いよいよ憲法墨守の思いを新たにする私である。

 何?「佐藤が護憲だと!?」ですか?

 驚くにはあたらない。

 私は右翼であるが、今や、無為に国費を浪費して無理矢理憲法を改正しようなどと言うのは愚かなことだと考えるようになった。今の私は、憲法を改正するのは、まず千~千五百年ほど現行憲法に従って精神力を錬磨してからでよいのではないか、とすら思っている。

 内容と現実の一致について言うべき余地など最早なく、議論は虚しい。聖書に沿って生きるキリスト教徒がほとんどいないのと同じく、仏典や大蔵経によって生きる仏教徒などほとんどいないのと同じく、またイスラム聖典(コーラン)に完全一致して生きるイスラム教徒など現実にはごく少数派に過ぎないのと同じく、実は憲法も不可侵の(まじない)真言(マントラ)大全、不磨不滅の経典なのである。両院議員は全員これに(はい)()する僧侶、日夜(ごん)(ぎょう)と教学論に余念がないのだ。これに気付けば、改憲派転じて純粋保守たる護憲派となるのは理の当然、ここに護憲精神沸々(ふつふつ)と煮え(たぎ)るとしても自然の流路と言って二致はあるまい。一言で言えば、「憲法のためならば、死ねる。」そうではないか。

 さておき、記紀にその由来をさかのぼる祝日が多い中――元旦、建国記念の日、天皇誕生日、また昭和帝の誕生日としての昭和の日やみどりの日、春分の日、こどもの日、秋分の日、明治帝の天長節としての文化の日、もとは「新嘗祭(にいなめさい)」であった勤労感謝の日など、これすべて記紀にまつわる故実に由来する。検索してみればお分かりになろう――この憲法記念日は古の由来などに関係なく、スポーツの日などと同様、人工的に設けられた数少ない祝日の一つである。

 ところが、その制定の経緯を紐解いてみると、これも古来の祭日に由来する端午の節句すなわちこどもの日、明治節すなわち文化の日などに影響されて曲折の末、現在の日にちが落ち着きどころとなったことが判る。いわく、入江文書によれば、5月1日に施行しようと考えたが「メーデー」とぶつかり、しからば5月5日にしようとしたがこれは「端午の節句」つまり「武の(まつり)」であってGHQの目が(はばか)られる、では5月3日が施行記念日、正確に半年差で11月3日を公布記念日にしてはどうかということになったという。ところが、11月3日は明治節であるため、これもGHQから難が付きかけたのだそうな。また、当時の中国政府(国民党政権)からもケチを付けられかけたという。

 なんにせよ、この祝日は連休、所謂(いわゆる)ゴールデン・ウィークの中核となるべき祝日で、日本人を休ませる機能の一つとしてなくてはならないものとなっていることは事実である。

昭和の日

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天皇陛下万歳

 祝日「昭和の日」である。生憎(あいにく)の雨模様であるが、自宅の軒先に国旗を掲げ拝礼する。

 今日が昭和聖帝の天長節、即ち天皇誕生日であったことは誰しも知る。

 その昔、俳人中村草田男は

降る雪や明治は遠くなりにけり

()んだものだ。この句から連想するのは、既に平成は三十余歳を(けみ)し、令和は今3年というありのままの事実である。

 春の雨がさめざめと静かに降る今日、つまりは「昭和は遠くなりにけり」と感じられるという、このことだ。

 余談、前掲中村草田男の句は、「や」「けり」の「切れ字」が二重に使われている。これを「二段切れ」、詳しい向きは「二字切れ」といい、俳句では一般的に失敗作とされてしまうが、この句に限っては一段目の余情余韻、無駄を排した巧みな終句切れによって名作の誉れ高く、また、名人中村草田男の吟にしてはじめて成り立つ作品であるとも言え、大変愛されている句である。

春分の日

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天皇陛下万歳

 祝日「春分の日」である。自宅の軒先に国旗を掲げ拝礼する。

 秋分の日と同じく、祝日のなかでは「人間が決めることのできない日にち」によって決まる、面白い特徴を持った祝日だ。

 すなわち、昼と夜との長さが同じになる日、つまり春分・秋分は、地球の自転軸が傾いているために年に2回必ず訪れるのであるが、他方、地球が太陽を一周するのには約365日を要する。この365という数字は余りなしには2等分・4等分はできず、かつ0.26日ほどの端数があるため、4年に1回「閏年」を設けて蓄積したズレを仕切り直す。これに応じて春分の日も1~2日ほど浮動するのである。

 「春分の日」は、戦前は「春季皇霊祭」という皇室祭祀のための祝日であった。現在も祭祀としての春季皇霊祭は皇室で執り行われてはいるものの、戦前のような国家全体の行事ではなく、あくまで皇室内の行事ということになっており、「春分の日」とは切り離されている建前である。

天皇誕生日

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天皇陛下万歳

 祝日「天皇誕生日」である。自宅の軒先に国旗を掲げ拝礼する。

 (かしこ)し、天皇陛下におかせられては(おん)(よわい)61におなり遊ばされる。

 「ナショナル・デイ National day」である。諸外国からも最も尊重される日が今日であることを、あらためて噛んで含むのがよい。

 普通、多くの国々は独立記念日や建国記念日をナショナル・デイとしている。しかし、わが日本国は世界にも類例(まれ)な古い国柄で、建国の日も神話にまでさかのぼってしまい、実際のところはっきりとはしないことも否めないため、建国記念日と天皇誕生日の両方をナショナル・デイとしているものと私は理解している。

 この日を寿(ことほ)ぐことは、(かしこ)くも日本のシンボル(象徴)たる天皇陛下を寿ぐこととイコールであり、シンボルを寿ぐことはそのまま日本の善良な老若男女、国土や歴史全体、先祖、かけがえのない子孫たち、諸外国との関係をも寿ぎ、尊重することに通じているのである。

 ()(たつと)()からざらん()

建国記念の日

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天皇陛下万歳

 祝日「建国記念の日」である。自宅の軒先に国旗を掲げ拝礼する。

 建国記念の日はその由来を遠く記紀神話に(さかのぼ)る。神武天皇即位の元日、皇紀元年(前660)旧暦一月(ついたち)が建国日なのであるが、この日は新暦上では2月11日であったため、(すなわ)ち本日、2月11日が「建国記念の日」として祝日に定められているものである。

 今年の旧正月は明日、2月12日なのであるが、このように旧暦は新暦上では数日移動するため、建国記念の日と旧元日は(ほとん)どの年で一致はしない。

平成(さんじゅう)三年

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 Twitter で「平成33年」がトレンド入りしているという。

 令和3年と平成33年がイコールとなっていることで、両者は誠に換算しやすく、生活や仕事の上でも実に便利である。

 (かしこ)し、国民の生活に深く思慮を垂れ(たま)い、元号の換算にまで心をお配りあそばされた上皇陛下の仁慈に、ただただ(ひれ)()すのみである。

 しかし、この際同時に、令和3年は昭和96年であり、大正110年であり、明治154年であって、そして、(はる)けくも神武天皇以来(このかた)悠久、皇紀2681年であることも知っておかなければなるまい。

 その昔、大人たちが「明治100年祭」ということを懐かしそうに話していたのを、ふと思い出した。

成人の日

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天皇陛下万歳

 祝日「成人の日」である。自宅の軒先に国旗を掲げ拝礼する。

 生憎と新型コロナウイルス感染拡大中であり、緊急事態が宣言されている。各地では例年の要領での成人式は行われていないが、しかし、成人式を迎えた若い人には将来に希望を持ち、学業に仕事に、しっかり励んでほしいと思う。

 不安かもしれない。だがしかし、なぁに、何とかなるし、どうにかなるサ。

元日

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天皇陛下万歳

 祝日「元日」である。軒先に国旗を掲げ拝礼する。

 「数え年」には0歳がなく、母の胎内での1年を0歳とし、生まれた日を1歳と数え、そして元日に一つ年を取る。極端な例で言うと、大晦日に生まれた子は、翌日に2歳となる。よって、例えば私なら、9月生まれで、今満年齢54歳だが、数えだと今日で56歳ということになる。

 ともあれ、そうしたことから、昔、元日は国民全部の誕生日であり、日本建国の記念日でもあった。今の建国記念日は概ね旧暦の一月(ついたち)であるが、これは明治維新以前は「正月すなわち建国記念日すなわち民衆皆の誕生日」だった、ということである。

勤労感謝の日

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天皇陛下万歳

 祝日「勤労感謝の日」である。

 祝日法の定めによれば、「勤労をたつと()び、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう。」とあり、労働や生産を祝うものであるが、もともとは新嘗祭(にいなめさい)と呼ばれ、戦前は皇室・国家を挙げて行われていた祝祭日であった。戦後、現在の形に改められた。

 その起源は歴史的で、遠く記紀万葉、飛鳥時代に(さかのぼ)る祝日である。皇極天皇の頃には既に行われていたことが日本書紀に見える。私の蔵書の、右の岩波の日本書紀ではp.198に、旧暦十一月十六日(十一月(しもつき)(ひのとの)(うのひ))に行われた、とある。

 皇室祭祀であり、収穫を天神(てんしん)地祇(ちぎ)(こと)()ぎ、ひいては記紀に言う「国民(おほみたから)」の働きを(よみ)せられたまうものであって、その趣旨とするところは現在の祝日法の定めと何ら矛盾しない。

 (ちな)みに、(かしこ)きあたりにおかせられては、昨年ご即位あそばされたため、昨年の新嘗祭は特に「(だい)(じょう)(さい)」と呼ばれ、格別(おごそ)かに(まつ)りあそばされたことも記憶に新しい。

 よく晴れた朝となった。自宅の軒先に国旗を掲げて拝礼する。