今週

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月曜日

○ 竹田圭吾氏の死去がデビッド・ボウイのそれにかき消されてしまっているようであることに、そぞろ「もののあはれ」のようなものを感じてしまった。なんというか、不覚というか。

 いや、デビッド・ボウイも竹田圭吾も、ハッキリ言ってどっちも知らんのですよ、私。……あっ、デビッド・ボウイのほうは、若い頃に見た「戦場のメリー・クリスマス」に出てたから、ちょっとだけ知ってるっちゃあ知ってますがね。だが、そもそも、だいたいからがして、何の歌を歌ってたどういう人物かとか、全く知らんのですわ。だからと言って、竹田圭吾に至っては「……誰?」状態であって、何の興味も関心もない他所(よそ)の人である。すみません、バカなんです私。

 どうあれ、人が死んだことは悼むべきことなので冥福を祈るが、誰か知らない、自分に関係のない人が死んでも、今いち腹の底からの悲しみは湧きにくいと言うのが正直のところである。

○ 先週のお笑い国会は、もうあれはアレでああいうもの、ということで忘れていたのだが、夕刊ゲンダイの大見出しで「年金4兆円」って書かれていて、笑いが蘇ってしまった。

○ 「菊正宗」のCMって、れっきとした歌手のシングル・リリースの曲だということをある方のFB投稿から知って興味深かった。

火曜日

○ 月曜は祝日ではあったが、泊まり込みの仕事だった。それが引けて、火曜の夜は新年会だった。

 職場の新年会は忙しいこともあって人が集まりづらい。そこで幹事が脳漿を絞り、「持ち寄り会」で気楽に集まろう、ということに一決した。

 帰省していた人などが多いため、北海道から沖縄、はては海外からも山海の珍味酒肴が集まった。

 その中に石川県は能登名産の「河豚子(ふぐこ)」があった。河豚(ふぐ)のはらこを糠漬けにして熟成させたものだ。噂には聞いたことがあったが、実物を食べてみたのは初めてである。

 これは聞きしにまさるもので、誠にうまかった。

 言わずと知れたことだが、河豚の卵巣は有毒で食うことはできない。しかし、石川県名産の河豚子は古くから伝わる独特の製法によって毒が消え、逆に得も言われぬ旨味を生じるのである。河豚子の調理は法律で厳しく制限されているが、石川県の河豚子のみは特に製造を許されているのだという。

 塩辛く、酒に合う。同じく持ち寄りの山形県の名酒「出羽桜」、紙コップに注いだのが、さながら消えるが如くすすむのであった。

 河豚子はネット通販などでも買えるようだ。

○ 突然老眼鏡のフレームが壊れた。何もしていないのに「パチン」と蔓が切れ、レンズがはじけ飛んだのだ。うーん、不吉である。新しい老眼鏡買わなくっちゃ。

○ 「千一夜物語」1巻、読了。2、30年ぶりの再読。面白い。以前どこかで、「旅、食、エロ。この三つが含まれていると、漫画でも小説でも映画でも、おっさん連中は喜んで読む。鬼平犯科帳など、一連の池波正太郎作品なんか、そうでしょ?」という意見を読んだことがあるが、そこへいくと千一夜もそうである。なるほど。

 1巻から2巻へかけての話中話に出てくる鬱陶しい床屋なんか、抱腹絶倒間違いなしの面白さだ。

 引き続き第2巻にかかる。

水曜日

 SMAPのメンバーのうち4人までもが事務所を移籍する、残るのは木村拓哉だけという噂、要するにもうほとんど解散か!?……というような内容の芸能ニュースが流れていた。そうなったらカンニング竹山とかビビる大木などの「コンビ名つけたピン芸人」みたいに「SMAP木村」とかわざわざ名乗るようになンのかなあ、などと想像してワロタ。

 「ピンアイドル」「SMAP木村」て、アンタw。

木曜日

 今週は急に気温が下がった。

金曜日

○ ゴミ捨て当番だったので、ゴミを取りに行ったら前日の当番が仕事をしておらず、前々日もそうだったらしくてオッソロシイゴミの山。シュレッダー屑から食い滓から空き缶から瓶から、とても一人では運べない。さすがに前日と前々日の当番に文句を伝えたら手伝いに来て、なんとかなった。

○ FBのウォールにこういうのがシェアされてきた。

 うーん。私、ここに書いてあること、全部やってるんですけど、貧乏人なんですよねえ。ToDoリストはもちろん作ってるし、テレビなんてほとんど見ないし、読書なんてもう、それ以外の楽しみったら駄文書きくらいだし、有酸素運動なんざ言わずもがなだ。

 ToDoは、私が勤勉・几帳面だから作ってるんではない。どうも私はバカなので、やることを紙に書いて、それに従ってやらないと、忘れたり、混乱したり、うまくできなかったりするんですよ。

 ある時、発達障害(ADHD)の人がなんとか他人に迷惑をかけずに社会生活を送るには、「やることリスト」を作ってそれに従って生活するとよい、みたいなことが書かれたものを読んだことがある。ははあ、俺もToDo作らないとモノを忘れる、ってことは、俺、かなり発達障害じみてンだなあ、などと、なにやら悲哀を覚えてしまった。

 そのことを考え合わせると、金持ちどころか、病気直前じゃねえか俺、……と思うのである。

○ やっとこさ休前日なので、酒はコッチ。

休前日のブラックニッカ・リッチブレンド
休前日のブラックニッカ・リッチブレンド

土曜日

 センター試験に行く長女。頑張るのじゃぞー!と、送り出す。

 今(19時ちょうど)、マフラー巻いて白い息吐いて、地域猫のハートと「ただいま~」と帰ってきた。

今日の酒

投稿日:

 中学校の同級生の訃報を聞いて、なにやら索漠たる気持ちになった日曜日だ。

 長いこと会ってもいなかったあいつだが、冥福のために一盞(いっせん)をせめて持ち上げる。

 七草粥も先週啜ってしまい、正月気分もすっかり消し飛んで、酒の銘柄もいつものやつに逆戻りである。バランタイン、997円(税込)。

今日の酒
今日の酒

善意の知性は、屡々(しばしば)(たく)まずして人を悪へと運ぶ

投稿日:

 知性は()むべき(かな)

 だが、知性を肯定する表明として私如き反知性主義者が最初にこう書いてみたところで、やっぱり知性は人をして度々(たびたび)罪人たらしめる。例えば原子爆弾の開発経緯を言えば、知性の残酷さを思って胸が千々に乱れざるを得ない。

 このところ、堀江貴文や酒鬼薔薇聖斗などと言った(まご)うかたなき犯罪人、しかもちょっとした条例違反だのの範疇ではない、よりにもよって物相飯(モッソウめし)を喰らい込んだ正真正明の刑務所(ムショ)上がりが大手を振って(もの)した出版が続出し、これがまかり通るばかりか人々が(こぞ)って買い込むという異様な騒ぎになっていることは、どうしても許容し難い。

 それをまた、誰がどう見ても知性、教養のあるはずであろう人たちが競って(もと)めている。

 私は、犯罪人の手記を出版してそれで金儲けをするような者に(くみ)する気持ちにはどうしてもなれないし、さらには犯罪人を許すことなどできないし、しない。

 良識と知性は同種のものではない。そこから、仮に悪人を理解するということが良識に属し、正しい行いとするならば、悪人とその被害者にまつわる一部始終を興味本位で覗き見るために投げ銭を施すことが、自分と異なる者、すなわち悪人を理解するための正しい行いと言えるだろうか。

 (いな)、これは野次馬根性と呼ぶべきもので、むしろ良識の立場からは遠い。これを知性の働きと言うならば、残念ながら、知性はむしろ悪人の側に属する犯罪的属性であって、これは良識の対極であると言わなければならない。良識と知性は相反するものではないと信じたいが、反面、知性は太古から人を殺してきたのだ。

 たとえ知性はなくとも良識はあると自負する人は、犯罪人の著書をうっかり買ってしまわないことだ。もし著書を買わなくても、少しばかり興味を持ってしまって、こっそりネットで検索しただけだとしても、それだけでも犯罪人どもには莫大な金が転がり込んでしまう。

 だから、一般人である我々は、そういう者に興味そのものを持たないように努めるべきだ。罪を犯して裁判でそれを認め、刑務所に放り込まれて、せいぜい10年がところ我慢してその一部始終を書き記せば、それで知性を称する野次馬どもがわんさか寄ってきて駄本が飛ぶように売れ、一生金持ち安泰などと、そのようなことが許されてよいはずはない。こんなことは被害者を愚弄しているとしか言いようがない。

 アメリカ人がこうしたことを禁ずる法律(Son of Sam law(サムの息子法))を作ったとかどうとかは、この際関係ないことだ。前例やアメリカがどうとかいう話ではない。前例などなくても、良識がこれを許すかどうかだ。アメリカが正義の基準であるかのように言い立てるのはやめてほしい。気分が悪い。

 堀江何某(なにがし)如き犯罪人への興味は、巧妙に新聞や雑誌によって紛れ込まされた文字や音声、写真、映像を読んだり見たりしてしまうことで呼び起こされる。
 
 私など、この種の記事や広告がSNS等でリコメンドやフィードされてきても、即、表示停止にしている。
 
 この種の出版は興味本位でついつい買ってしまうものだが、それは、一般大衆の行動を嘲笑うかの如くに見越した出版社の社長や営業が小(ずる)い商売をしているのだということに、いい加減気づかなければならない。こういう小狡い商人に「そんな商売をしても儲からない」ということを知らせるためには、個人個人が不買、不興味、不見聞の行動をとることだ。

 所詮こんな「売らんかな」の経営者なんてものは、数字しか見ていない。人情や愛、憐憫、涙、痛み苦しみ、そういう切れば赤い血の出る人間らしい心、数字では計ることができない魂の温かさなんて、こういう輩にはどうでもいいことなのだ。つまり、私などとは別の種、例えば宇宙人とか昆虫、電子頭脳のようなもので、数字しか見ていないような自称経営者なんてものと、心が通い合うことはありえない。犯罪人の手記を出す出版社の社長などこの類であって、私などにとっては犯罪人以上の敵である。

 こういう連中を理解しようと本を買ったり広告を見たりすることを、理性的な態度だと思っている善人は非常に多い。ところが、その一見理性に満ちた愛の態度が、奸智にたけた犯罪人や、それで金儲けを企む連中の思う壺なのである。知性のある人の理性的な善意を愚弄し、被害者を踏みにじって金に換えるのが奴らだ。言うなれば詐欺師である。

 「言論の自由」を言い立てるかもしれないが、今時、言論がしたければ莫大な金の動く出版に頼る必要はない。ほかにいくらも手段はある。それゆえ、金儲けありきの出版社が犯罪人の言論の自由を助けているという言い分は通らない。今や出版は「言論をネタに金儲けをするための老朽システム」でしかなくなって来つつある。

 つまるところ、善意を疑わぬ知性が悪を育てる。その知性に善意の自負が強ければ強いほど、それは屡々(しばしば)(たく)まずして人を悪へと運んでいく。

 私如きがたった一人で不買やアクセス拒否をしても、社会を変えることなどまったくできはしない、それはよくわかっている。だが、私はそれをやる。犯罪人や悪しき出版業者たちがそうであるように、私もまた、思ったことを許容され得る範囲で自由にしてよい、一個にして一乎(いっこ)たる、人格をもった社会人であるからだ。

初詣

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 初詣には毎年違うところへ出掛けている。今年はどこにしよう、と迷ううち、ああ、川崎大師は真言宗じゃないか、と思いつく。私は真言宗なのだ。川崎大師は智山派で、私は豊山(ぶざん)派だから、多少宗旨に違いはあるが、なに、仏の済度は廣大無邊(こうだいむへん)無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうのほう)にして、細部には(こだわ)らぬのである。

 朝10時に出れば京急川崎大師には丁度(ひる)時前につく。

 いやはや、大変な人出である。

いいお天気だわ
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1560689_693163677381155_1392527100_n なかなか本堂に行きつけない。しかし、いつぞやの成田山新勝寺に比べると、まだ少し混み方もましな感じである。

 右の写真は、2年前の初詣、成田山新勝寺の人出の様子である。

川崎大師の混雑はだいぶマシでござるIMG_3712

やっとこさ大山門前
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「止まれ」と命令が!(笑)
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 「川崎大師」は通称で、本当の寺の名前は「金剛山金乗(きんじょう)平間(へいけん)寺」といい、本尊は言わずと知れた弘法大師空海、翻って金胎両界大日如来である。他に諸尊が祀られている。今から888年前の創建で、平安時代にまで(さかのぼ)る古刹である。由緒縁起などの細部については、公式サイトを見れば瞭然(りょうぜん)()る如し、である。

○ 川崎大師公式サイト

 正月二日の昼から初詣、つまり私と同じような日時に初詣をした場合にどれくらいかかるかということは、この記事に載せている写真のタイムスタンプを順次見て頂くと(わか)ると思う。それほど常識外れではなく、列の一番後ろにかじりついてから、正味1.5時間くらいのものだ。

 さておき、本堂にやっとこさたどりつき、お布施をして「南無大師遍照金剛」と口の中で御宝号の三度ほどを唱える(いとま)もあらばこそ。人、人、人の波に押し出され、あっというまに参詣は終わってしまうのであった。

御籤(みくじ)引いたら末吉w
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 不動堂があったので、不動明王に参拝。のうまくさんまんだーばーさらだんせん、だーまーかろしゃーだー、そわたやうんたらたかんまん、と真言を唱える。

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八角の中興塔を拝む
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聖徳太子堂があったので拝む
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 帰りに参道沿いの甘酒屋で妻と一杯百円の甘酒を飲んで温まり、今年の初詣はおしまい。

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 表参道沿いの仏具店の店先で「高島暦」が売られているのを見かけ、一冊買う。これは、旧暦を確かめるのに便利なのである。税金分をオマケしてくれて、1000円で買えた。ラッキー。

正月用の酒ども

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 レイクタウンのイオンリカーショップへ行って、正月用の酒を買ってきた。

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 今回は、休みも控えめなので、いつもみたいには沢山は買い込まない。妻と姑用に、カヴァはロゼ。

 それにしても、イオンの酒売り場、広くなったなあ。しかも、古い言葉で言う「居酒」ができるように、ちょっとしたつまみ物カウンターがあって、イタリア風な小皿などを肴に、サーバーのグラスワインを選んで楽しめるという、なかなかすばらしいスペースになっている。しかし、あそこへ行く時って、大抵クルマで行くから、飲めねェンだよなあ……。

()かれそうになる

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 年賀状を全部書き、やっとこさ投函。いやもう、プリンタのトラブルはイタかった。

 その前、昼めしを食いにいくのに次女と自転車で出掛けた時、「お父さんの自転車、バタコンガチャコン、うるさいよねえw」と次女に指摘され、ぬぅ、最近手入れがなってないなァ、と思った。それで、年賀状を投函した帰り、100円ショップに寄って自転車用のグリスをひと缶(もと)めていこうと力を入れてペダルを漕いだ刹那、横丁から老人の運転する乗用車が飛び出してくる。すわ!

 力任せにブレーキを握ると、自慢じゃないが今も100キロの握力、慌てると容赦がない。バチンと音を立ててブレーキワイヤが弾け飛ぶ。わーっ、とっとっとっとっ!!と、止まらねぇっ……!

 かたや()かれそうになりかたや轢きそうになって、私も老人も玉響(たまゆら)ひきつった顔の、お互いに面白いこと。危ないのに吹き出しそうだ。老人のブレーキは空走距離が長いが、だが私を轢かずにすんだ。

 はあ、危なかった。

 いまや、ドライバーも高齢化している。高齢者は免許証を返納せよ、などと無茶な意見を持つ私では、無論ない。それより、Googleやトヨタ、米国テスラあたりにゃ精々(せいぜい)頑張ってもらって、老人がぼんやり運転していても逆走したり人を轢いたりしないような製品が間もなく出来るであろうことに期待したい。

 だが、裂断したブレーキワイヤはどうしようもない。100円ショップにはちょうど良い長さのブレーキワイヤもちゃんと置かれていて、グリスと一緒にそれも買い、216円(税込)。帰宅して自転車を修理し、一丁上がり。IMG_3687

 次女と妻に新しいプリンタの取り扱い操作講習を施し、今日は終わり。ウィスキー飲み始める。

仕事あけ

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 仕事あけ。旧十一月十五日の望、月が大きく照る中を早めに帰る。

 昨日の残りのワイン、全部飲んでしまって、さらにはウィスキーで深酒、風呂も入らずにバタンキュー。

クリスマス

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 普段国粋主義者ぶったりことさらに仏教徒ぶったりしているので、おおっぴらにメリークリスマスと料理や酒の写真をシェアするのもなにやら含羞の気味を覚え、クリスマスのことはネットに書かなかった。

 だが、いつもより早く仕事を切り上げ、帰途、とうにサンタクロースが来なくなってしまっている娘姉妹と妻にやるためのささやかなプレゼントを買い、フランス産「ボルドー・ブラン・シグナチュール」の白と赤を一本ずつ、忘れずに買って帰宅。これは朝のうち、「晩ごはんはクリスマスだから、チーズ・フォンデュやろうね」と妻が言っていたから。
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 プレゼントを渡し、一同がわーいと喜んでいるのを見ると私の相好も崩れるというもの。生ハムのサラダに鶏の腿の揚げたのが出た。チーズ・フォンデュは馬鈴薯の茹でたやつ、バゲット、ソーセージなど。専用の陶製器具を使ってチーズを煮溶かす。料理をたくさん食べて、妻が駅の「FTO」で買ってきたケーキを切り、メリークリスマスと言い合った。

 子供が小さい頃は私がしょっちゅうケーキを焼いたもので、クリスマスにはココア入りのスポンジを焼いて、薪のかたちをした「ブッシュ・ド・ノエル」などをよくこしらえたものだ。薪の胴のところは、ココア入りのスポンジを薄く切り、チョコレートクリームを塗って、寿司の「巻簀」を使ってロールケーキにするのである。細く巻いたものを別に作って、これを枝のように二、三本植え込み、溶かしたチョコレートを木の肌のようにパティシエ・ナイフで塗りつける。

 これはしかし、ココア入りのスポンジを上手にふくらませるのが意外に難しい。卵白はココアの油分に触れると、泡が弱くなるのである。結局、最後までふんわりと焼けなかったものだ。