「ベルセルク」39巻

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 「ベルセルク」39巻が昨日出た。Amazonでポチ。

ベルセルク39巻

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 私が20代から読んでいて、まだ終わっていない漫画に「ベルセルク」があるが、今月末、39巻が出るようだ。

 驚いた。

 もう出ないのかな、と思っていた。作者も長年続け過ぎて、疲れたのかな、と。

読書

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 吉村昭の「光る壁画」読み終わる。

 戦後まもなく、世界に先駆けて胃カメラを開発したのは他でもない日本人技術者たちと日本人医師であったことは知られているところだが、この作品はその開発にまつわるドラマを描いたものだ。

 胃カメラは、実話では東大附属病院の医師宇治達郎、高千穂光学工業(現オリンパス株式会社)の杉浦睦夫と深海正治らの手によって昭和25年に完成している。その歴史はオリンパス(株)のサイトにも詳しい。

 作品では実在のオリンパス株式会社を「オリオンカメラ株式会社」という架空の会社に、また開発の主要メンバーであった深見正治を曾根菊男という架空の人物にそれぞれ置き換えてある。作者は実在の深海正治氏の承諾を得た上で彼の境遇などをまったくのフィクションに作り直し、その視点から胃カメラの開発を描き出した。このことは作者による「あとがき」に簡単に断り書きが記されている。

 こうして一部をフィクションにしたことにより、物語が解りやすくなっているように感じられる。歴史を補完すべき作家の想像力がフィクションの部分に遺憾なく発揮されたのであろう。その結果として、読みやすくなっているように思う。読者としてはありがたいことだ。

 吉村昭作品と言うと淡々と冷静な中にも緊張感の緩むことがない作風が思い浮かぶ。この作品はそれだけでなく、敗戦後の屈辱をバネに、なんとか世界的なデカいことをやってやろうという男たちの夢のようなものや希望が生き生きと描き出されていて、読んで面白い。

 また技術的な試行錯誤も克明に描写されていて、興味深い。人間の口から入るような小さなカメラなど、一体どのようにして作ったらいいのか、主人公たちは皆目わからぬまま議論と検討を重ねるうち、ふと「胃の中は真っ暗闇だ」ということに気付く。真っ暗闇だということは、暗室と同じだということで、カメラを複雑・大型にする原因の一つ、シャッター機構や絞りの機構がまったく必要ない、ということだ。こうして露出はランプの発光時間で、絞りはランプの明るさで調整できることに主人公たちが気づくシーンは、この小説の中の名場面の一つだ。

読書

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 先日「漂流」と入れ替えに借りた「島抜け」を読み終わる。

 3編からなる短編集だ。

 一つは、幕府を批判した講釈を読んだ(かど)で種子島へ遠島に処せられた大阪の講釈師瑞龍が、他の流人3名と丸木舟で島抜けをはかり、漂流の後中国に漂着、日本に帰国するものの結局は捕えられ、処刑されるまでを描く表題作「島抜け」。

 もう一つは飢饉の一風景を農民夫婦の様子を通し、枯れた味わいで描いた「欠けた椀」。

 最後が明治維新間もない頃の、梅毒施療院からの献体をはじめとする人体解剖の状況を追った「梅の刺青」。

 うち「島抜け」「梅の刺青」の2作は、吉村昭が得意とする、「日本の医学黎明期」「漂流(たん)」を緊張感をもって、かつ静かに淡々と描いた名作だ。もう1作の「欠けた椀」はフィクションだが、小説らしい味わいのある作品である。

 読み終わったので、入れ替えに、同じ吉村昭作品で、今度は比較的最近の医学の進歩に焦点を当てた「光る壁画」を借りてみる。

読書

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 吉村昭の名作「漂流」を読み終わる。

 「漂流」は、土佐の水主長平が難船し、小笠原のはずれ、鳥島に漂着して十有余年の苦闘の末、故郷の土佐に帰りつくまでを小説にしたものだ。当時の記録を丹念に取材したノンフィクションである。

 Google Mapを見ながら読むと、その苦闘がよくわかる。

 右の画像はGoogle Earthのキャプチャだ。長平が漂着した鳥島である。

 右手前のくぼみこそ、長平が十年以上住むことになった北側の浜である。現在の地名に「船見岬」と標記があり、さぞや……と思う。

 今Google Mapで計ると、長平の脱出経路の鳥島から青ヶ島までは200km(108海里)ほどもあり、並大抵のことではない。

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 「漂流」が図書館に在架でなかったので代わりに借りていた「磔」

 読み終わったので、返却に行った。

 「磔」は短編集だ。表題作「磔」の他に「三色旗」「コロリ」「動く牙」「洋船建造」の5作品が収められている。

 短編集ながら、ノンフィクションを題材に取った吉村文学の真骨頂と言っていい作品群だと思う。どの作品も息詰まる緊張感が(みなぎ)っていた。

漂流

 あらためて吉村昭の棚を見に行ったら今日は在架なので、さっそく借りた。

 「漂流」は、吉村昭の作品としては珍しく吉村自身の一人称視点で書き出される。ところが、いつの間にか吉村は消え、シームレスに物語が始まっていく、という変わった構成である。

読書

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 職場で時折読書の事を話題にする方があり、この方と私は偶々(たまたま)共通の本を読んでいることがある。読書の傾向が似ているか、その方の読書量が多く、私の読書範囲を包含しているかのどちらかで、多分後者だと思う。

 私が以前に書いたこのブログの記事で、吉村昭の作品に関するものがある。私の記事を見たその方が「漂流」という吉村昭作品を薦めて下さった。

 私は吉村昭の作品が好きだが、全部を読んでいるわけではなく、この「漂流」も未読である。

 先週借りた「酒場百選」という本を返しに市立図書館へ来たのだが、そのことを思い出し、さっそく吉村昭の棚へ行ってみた。だが、残念ながら文庫本・単行本ともに在架でなかった。

 代わりに、同じく吉村昭の「(はりつけ)」を借りてみた。文春文庫のものだ。

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 読了。とはいうものの、所蔵している平野雅章編の「魯山人味道」や、直前に読んだ「魯山人の美食手帖」所載の評論と重複するものが多く、半分以上は既読の文章だった。

 さて次は、まったく別の一冊。図書館で何となく手に取っただけなので、どんな本だかまったくの謎である。

読書

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 凝りもせず稀代の美食家・北大路魯山人の著作集で、まだ読んでいないものの入った文庫本を一冊読了。

 但し、収載の文章のうち、ざっと1/3くらいは著作権切れのため既に青空文庫で公開されており、以前に読んだことのある文章である。

 巻の一番最後に、当時在世の評論家や茶人を名指しでボロカスにこき下ろしている論評があって、魯山人伝説に残る通り、これでは嫌われたであろうなあ、と思う。

 次いで、先の本と一緒に図書館で借りたもの。これも、既読の評論も収載されているが、未読のものもあるので、ともかく一読。

読書

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 神道に関する本など。先々週市立図書館で借りたもの。手際よくまとめられていて手っ取り早い。

 国会図書館へ来て、前から読みそびれていた漫画を。父が死に、柳生烈堂を倒したあとの大五郎と、その大五郎を拾った武芸者、薩摩示現流の創始者東郷重位とを描く。

 最後に、この前読みそびれた「東京タラレバ娘」の最新刊。

 帰りに市立図書館南部分館へ寄って、食べ物がらみの文庫本3冊。凝りもせず北大路魯山人2冊、それと「酒場百選」という本をなんとなく手に取り、借り出す。