今日の一杯

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 暑中である。もう梅雨も明けようかと言う頃おいだ。今日のように天気が良いと、まさしく「風薫る……」のみぎり、という気がする。

 自動車の定期点検の案内が来たので、新越谷駅近くのトヨタへ持っていく。

 2時間ばかりかかるとのことで、無聊なので車を預けて駅前をうろつくうち、そうだ、と思いついて行きつけの床屋「E.T.」へ行く。

 いつも1ミリのバリカンで極端に刈り上げてもらい、ふた月ぐらい保たせてから床屋へいくのだが、たまたま今日で4回続けて同じ理容師のお姉さんが担当になった。満6ヶ月、同じお姉さんだ。

 客あしらいの良い、若い明るいお姉さんで、「いつもの『1ミリ』ですね」と、ふた月に一遍しか来ない私のことをよく覚えてくれている。キリッとした美人さんで、少し雑談もする。こういう床屋さんは屈託が紛れて気分が良い。

 ダイエー・サンシティへ回ってみる。5階の「ヤマダ電機」、どうなったかなと見に行ってみると、経済ニュースで報じられていた本社経営方針の通り、ついこの前オープンしたばかりだというのに、「完全閉店のお知らせ」の貼り紙が出ている。目の回るような無常のさま、驚くばかりだ。企業はどこも経営スピードを追求していて、店を出すのも仕舞うのも、めまぐるしく忙しいことである。「兵は拙速を尊ぶべし」と孫子の兵法にあるが、雇用の観点からは、地域から応募したパートさんたちなど、あいた口がふさがるまい。

 ダイエーの6階は、以前はたしか空きフロアだったように思うが、越谷市南部図書館がどうやらこちらに移ったようだ。フロアも広くなり、カフェ風の造作になっている。無料で冷房もよくきいているせいか、多くの老若男女が静かにのんびりと過ごしていた。

 新越谷VARIEに行ってみる。こちらはさすが日に50万人が利用する駅のことだから、ダイエーと違って活気がある。

 無印良品へ行く。こちらもスピード経営で、棚の順番、品揃えなど、毎回すばやく変わっている。客としては「この前買ったアレ」がすぐになくなり、かつ、行く度に置いてある棚が変わるので商品が探しにくく、私のような融通のきかないオッサンにとってはまことに買い物がしにくい。だが、まあ、企業が生き残るには仕方のないことなのだろう。

 旭屋書店をうろついていると、池波正太郎の文庫本、「江戸の味を食べたくなって」が目に入ったので買う。野坂昭如の「火垂るの墓」の、昔の編集のほうの文庫本がある。「ラ・クンパルシータ」「プアボーイ」などの入った新潮社のもので、思わず買いそうになったが、まあ、無駄遣いだからと思ってやめておく。

 1階の「カルディ・コーヒーファーム」へ寄り、ワインを買う。シュロデール・エ・シレーの「ボルドー・ブラン シグナチュール」の白。

 帰ってさっそくコイツをよく冷やし、至福至福。安い酒ほど安心できて、飲んでて却って幸せだ。

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飲んだくれていて深夜になる

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 酒を飲み、ここ最近には珍しく夜更かしをしている。

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 4~5年前まで私は宵ッぱりであった。朝は今と同じ5時起き、5時半から6時までピアノの稽古をして通勤、7時半ごろ職場の席に着いて、カフェインを大量に摂っては仕事、午後に腕立て伏せ300回・腹筋300回・ランニング最低12km、更に仕事をして、その頃は17時半で定時だったので、家に帰って勉強して酒を飲み、寝るのはだいたい1時頃で、4時間ほど眠ってまた朝5時に起きる。それが10年以上の習慣だった。

 ところが、4~5年ほど前から、以前までの夜更かしがウソだったかのように早く寝るようになった。3年ほど前には、21時半には寝ていた。まるで小学生みたいだが、その頃は故あって1日20kmほどランニングしなければならず、筋トレは腕立て伏せ500回、腹筋500回にも達していたので、それぐらい早く寝なければ、なんとしても体がついていかなかった。そのために晩飯はうどん用のどんぶりに山盛りに食い、酒はウィスキーを生のままコップに指五本分注いで飲んでいた。

 今は仕事が定時ではなくなってしまったのだが、家に帰って風呂に入って晩飯を食い、妻子と喋ったらすぐに寝てしまうようにしている。テレビは見ないので、まったく問題がない。節電・省エネにもなってよい。

 テレビを見ないようにすると、非常に電気代が安く済む。新聞も読まないようにすると、森林資源や二酸化炭素などに関してまことに筋道が通る……などとうそぶきつつ、ネットやPCをバリバリ使いまくっているのだからシャレにならないが。

昔に比べて

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 昔に比べて、本当にビールの品質がよくなった。昔は「ビール」と称していても、大抵コーンスターチなどが入っていて、今の発泡酒の品質だった。ごく僅かな銘柄(ヱビスなど)だけが麦芽とホップのみで作られていた。

 この状況は何年くらい前までだったろう。

 ビールの品質が向上するのと前後して、底質の「発泡酒」が出てきた。これは以前のビールとあまり変わらない品質だ。買い手ははっきりそれと知って買うことができるのだから、正直でよいことだと思う。

迷いと俺

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 い、いかん、日本酒を飲もうかウィスキーを飲もうか迷ってしまい、悩ましくてどちらも飲めないではないか。

 年来果断が私の長所であるのだが、これを失った私など、私ではないような気がする。

ひと風呂あびて一杯

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 昨日の雨も止み、もうそろそろ梅雨入りかな、と思わせて、今日は雲半分青空半分の、涼しい爽やかな一日だった。

 住宅密集地に住むのも悪くはなく、そこここの家の門口にさつきとあじさいが植えられて美しい。それらが雨に濡れているのもよい。

 早々と風呂に入ってしまい、昨日買っておいた「フォンテ・レジア フラスカーティ」というイタリアンワイン、ビアンコの冷えたやつを注いで暮らしの喜びを謳歌する。

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今日の一杯は

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 奴豆腐に、刻み生姜と、削り節どっさり乗っけて、よーく冷えたのを愛用の美濃ふうの片口に酌んで、これまた愛用の備前ふうの酒器で。

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ツッコんじゃダメ(笑)

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 今日無造作に撮影してブログに上げたこの写真であるが……

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 我ながらバカじゃないかと思うのだが……


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……。

拡大図
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「テメェ飲んだくれてンじゃねえよwww」

……とかいうツッコミはナシの方向でお願いします。

簡単だからといって

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 破産して貧乏人になるのなど簡単なことだ。すなわち、収入より支出を多くするのである。やがて貯えがなくなり、足りない分はどこかから持ってこなければならず、つまりは借金をするはめになり、ついには破産し、貧乏人になってしまう。

 逆に、金をためるには収入より支出を少なくすればよい。馬鹿でもわかる理屈だが、これが、できない人にはできないものなのである。

 ダイエットもまったく同じである。摂るカロリーより出ていくカロリーを多くすればよい。どんどん痩せる。一点の疑問もない。

 これもまた、馬鹿でもわかる簡単な理屈なのであるが、これが、普通の人にはできないのである。

 なので、「これこれのことができないから、あいつは馬鹿だ、劣っている」という断定方法は、必ずしもすべての事象に適しているとは言えない。

 同様に、「××すれば○○になる」とか「○○は悪い」とか「××は良い」とかという、極めて簡単なことは、世の中に一杯ある。

「勉強をすればテストで良い点が取れる」
「泥棒や人殺しをすると捕まって刑務所いきになる」
「運動しないと体力がなくなる」
「他人を愛すれば自分もまた愛されることにつながる」
「戦争は悪いことだ」
「煙草は体に悪い」
「酒の飲み過ぎは良くない」
「スピード違反をしてはいけない」
「信号を守らないのはよくない」

 どれもこれも、あまりにも当然であり、簡単すぎるほど簡単であって、読んでいてバカバカしくなるほどだ。だが、この、バカバカしく簡単で当然のことが、できない人がたくさんいるのが、現実というものなのである。

 だから、自分が痩せているからといって、自分が勉強ができるからと言って、自分が酒を飲まないから、煙草をすわないから、おまわりさんに捕まったことがないから、人を愛しているから、戦争をしないから、という理由で、直ちにそれらをできない人を否定すること、あるいはそういう人の存在を否定することは、やめたほうがよい。できない人には、できないのである。