このところ忙しいのには閉口するが、身過ぎのためには仕方がない。それでも、ようやく一息つける雰囲気もあって、まず、ヤレヤレ、というところである。
立夏を過ぎたとて、歳時記のカバーを春巻から夏巻にかけ替える。愛用の角川の文庫版。通勤用鞄に放り込んでおくには、これがよい。
明日は旧四月
オッサンは生きている。
このところ忙しいのには閉口するが、身過ぎのためには仕方がない。それでも、ようやく一息つける雰囲気もあって、まず、ヤレヤレ、というところである。
立夏を過ぎたとて、歳時記のカバーを春巻から夏巻にかけ替える。愛用の角川の文庫版。通勤用鞄に放り込んでおくには、これがよい。
明日は旧四月
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha (季語は「暮れかぬる」)
降りつのっていた雨がからりと晴れ上がると、うたた高気圧性の風に吹かれて既に桜は散りはじめている。
市ヶ谷見附の交差点で外濠の水面をながめていると、つい足が靖国通りへ向く。
靖国通りの桜が散る下、金曜の夜を夜桜で楽しもうというつとめ人の男女が、罪のない笑顔を浮かべて和やかにそぞろ歩いていく。
私もふと千鳥ヶ淵の夜の花筏に心惹かれぬでもなかったのだが、去年の大鳥居から手前の喧騒が思いやられ、増辰海苔店で好物の海苔を需めて引き返す。
五日の月がするどい筈の尖りをおぼろに鈍らせてひょいと浮かんでいる。春夜は花の匂いの底に麝香のような淫靡な香りをしのばせている。
私の愛用の歳時記は角川のものだ。他に平凡社のものも30年近く使っていたが、落丁があり、買ったときに気づかず惜しかった。
角川の方はスタンダードで編集にも癖がなく、この歳時記から選んだ季語であれば、俳人の先生方やマニアなどから文句が出るというような面倒臭いこともほとんどないから、選んでおいて間違いがない。
角川の歳時記は、各季合本になったものと、角川ソフィア文庫から出ている分冊のものがあり、内容的にはどちらも同じものだ。文庫の方は持ち歩きに便利なのと、多少、合本にない「おまけ」がついていて楽しいということがある。私は随時鞄に入れておいて持ち歩く分には、文庫の方を利用している。
さておき、春の季語も味わい深い。上記角川歳時記にはモノに関する変わった季語が少し載せられている。面白いから、いくつか抜き書きしてみたい。ほとんどが玩具や遊びに関するものだ。
私などが子供の頃は、凧揚げは正月明けの遊びだったので、「へえ、これが春の季語なの?」とも思える。
別の本で読んだのだが、現代の凧はもともとは「いかのぼり」と言っていたらしい。ところが、江戸時代に、江戸っ子たちが「へっ、上方者はこれだからシャラクセェ、江戸ではなんでも逆にいくんでぇ、イカのことはタコって言うんでえ、てやんでぇ、べらぼうめ」…と言ったかどうかは定かではないが、洒落のめしていかのぼりを「タコ」と呼ぶようになったのだと言う。
● 風船
以前、クリスマス時期に子供たちをつれてディズニーランドに遊びに行った折、冬麗らかな青空にミッキーマウスの風船が持ち主の手を離れてふらふらと飛んでいくのを詠んだことがあるが、これは冬麗を季語に据えたのに風船をも詠み込んでしまい、後で春の季語だと気づいて、季節違いの二季語が残念だった。
● 風車
● 石鹸玉(しゃぼんだま)
● 鞦韆
これは「しゅうせん」で、ぶらんこのことなのである。 鞦韆と書いて「ぶらんこ」と
傍題には他に秋千、ぶらんこ、ふららこ、ふらんど、ゆさはり、半仙戯、とも載っている。
「なんで、春?」とこれも不思議だが、どうも中国の習慣や行事がもとになっているらしい。
万緑の中や吾子の歯生え初むる 中村草田男
万緑や死は一弾を以て足る 上田五千石
これらの句の季語は「万緑」である。二つの対照的な句だが、いずれも生命力にあふれる緑を背景として、またその緑を自分の精神として、あるいは精神の前提として見据えている。
この「万緑」という言葉は、宋代の詩人、王安石の「石榴の詩」の中に出てくる一節だと言われている。
万緑叢中紅一点、動人春色不須多。
(ばんりょくそうちゅうこういってん 人を動かす 春色 多きを須(もち)いず)
春というものが人の心を動かし掴むのに、なにほどゴタゴタとした夾雑物を必要としようか、緑また緑の中に花の一輪ほどもあれば足りよう。…そんな意味だと思う。
言葉としては、この「万緑」よりもむしろ、「紅一点」のほうがかつてはよく使われた。男職場の中にいる庶務係の女性など、「紅一点」と言われたものである。「ゴレンジャー」に登場する「モモレンジャー」も「紅一点」だ。ゆかしい言葉だが、今は男女共同参画とかダイバーシティなどの方面から熾烈な反発を喰らうのを恐れてか、どうも使われなくなったようだ。
万緑という季語は、出典の漢詩を見てもわかるとおり、本当は春に属するものであった。しかし、掲出の、中村草田男の名句により夏の季語として認められ、定着した。「季語は名句によって生まれる」のである。このことの記念であろう、中村草田男の創始した俳句結社は「萬緑」で、今も存続して同名の俳句誌を発行している。
中村草田男の生命感にあふれるばかりの「万緑」に比べると、上田五千石の掲句は重く、沈鬱だ。戦時中の作と見れば、緑なす南方戦線を思い浮かべることもできるし、昭和20年の虚脱の夏を思い浮かべることもできる。万緑の中の自己の矮小さが悩ましい。しかし、句の主人公は、決してその矮小を卑下などしていない。不動の自己がそこに固着し、きっぱりと決断している。
本歌取りが許されるものならば…。
万緑や我が死は何を以て足る 佐藤俊夫
(「俺用句帖β」所載)
職場の隅の、ごく日当たりの良い場所の桜が早咲きしている。
下の娘の小学校入学準備を少しづつ進め、雛祭りもささやかに済ませた。日が長くなり、空気のそこここに春の匂いをかぎとることの多い日々である。
この日々に「春の予感」というブレスラゥアーの曲を練習することになるとは、まことに不思議なことだ。まったく、人生の奇遇というよりほかはない。
春を迎える気持ちを込めて、今日もピアノのおさらいをした。
あらゆる日々は新しい日々で、あらゆる春は一度きりしかないかけがえのない春である。この春も、また。