日本ITストラテジスト協会関東支部6月月例会 他

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昨夜の飲み料


 昨夜の飲み(しろ)は「EST! EST!! EST!!!」で、何度か飲んだことのあるやつ。

ベルセルク 38巻

 Amazonで注文しておいた「ベルセルク」38巻、昨日届いた。この漫画ときたら、連載開始が平成元年(1989)、今年50歳のおっさんである私がまだ20代前半であった27年前からずーっと続いており、しかもまだ物語が終わっておらず、いろいろとそのままになってる伏線などがテンコ盛りである。

 月刊誌連載なのでゆっくりした進み方なのであるが、最近は作者がなにか倦み飽いてきたのか、連載が捗っておらず、前巻の37巻は平成25年(2013)の3月発売だったからもう3年以上間が開いてしまっている。

 なんにせよ、ゆっくり読むつもり。

日本ITストラテジスト協会関東支部6月月例会

 今日は私も参加させていただいている資格保有者の集団「日本ITストラテジスト協会」の6月月例会があるのだが、今月もまた参加できない。

 前回は昨年の9月に参加できたきりだ。その前も何か月も行けなかった。昨年までは支部のスタッフもしていたのであるが、参加できなくてどうにも残念であった。

 仕事の事情により休みの日でも半ば待機のようにして自宅で垂れこめていなくてはいけない日が続いているのである。

 また参加できるようになったら、活動していこうと思う。

吉村昭いくつか再読

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 秋田で熊害(ゆうがい)があった。(たけのこ)取りの老人が何人も熊に襲われて亡くなったのだ。この筍は東北より南でいう普通の筍とは違い、根曲(ねまがり)竹という一種の笹竹の筍だ。()の地ではスズタケとかスズノコとも呼ばれ、今の時季を逃すと味わえない。珍味であり、儲けにもなるものだからその採集は争いになるほど盛んである。熊が旺盛な食欲を発揮する今の時季に、余人には内緒の穴場へ入り込むことが大収穫の秘訣でもあって、それで今回のような事件が起こってしまう。いずれ星霜を経た人生達者の老人たちであり、なんとも痛ましいことだ。冥福をお祈りする。

 この熊害のことに絡んで、なにやら大正時代の「北海道・三毛別(さんけべつ)羆事件」のことが話題になっているようだ。

 三毛別の事件は(ひぐま)によるもので、しかも居住集落でのことだ。秋田の一連の事件は月の輪熊によるものだし、山林でのことなので、三毛別羆事件とはやや内容を異にする。

 さておき、私も若い頃は登山が好きで、春夏秋冬問わず北海道の山林を跋渉(ばっしょう)した。北海道の山林では羆の害はつきもので、これを避けるのは一種のたしなみというか、義務であった。よくよく羆は避けなければならなかったから、生態などもよく研究して山に入った。


 当時、そのようにして羆のことを研究するうち、この三毛別羆事件に題材をとったノンフィクション作品があることを知った。それが、吉村昭の「羆嵐(くまあらし)」である。

 他に、吉村昭には「北海道三部作」とも呼べるものが二つあり、それが「破獄」と「赤い人」だ。


 これらを思い出したので、ちょっとまたパラパラッとめくってみたくなった。ところが、本棚を探したところ、「赤い人」はあるけれど、「破獄」と「羆嵐」が見当たらない。

 記憶をたどってみると、長女が生まれた頃、妻と二人で住んでいたアパートが手狭で、何千冊という本を手放してしまったのだが、どうもその時に捨てたらしいことを思い出した。


 今だったらスキャナで取り込んでしまう(所謂(いわゆる)「自炊」)のだが、当時はそういう手段もなく、泣く泣く捨てたのだった。

 で、つい、ついつい、もう一回買ってしまった。勿体ないけど、まあ、いいや(笑)。

千一夜物語(10)~(11)

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 通勤電車の楽しみ「千一夜物語」、10巻を読み終わり、次は11巻に進む。

 本当に読み飽きない物語集で、楽しめる。

 この古い物語の中のイスラム教徒は、酒を飲み、「釜掘り野郎」などと言って変態を軽蔑しつつも、なんとはなしにホモやらレズも友達で、「邪教徒は滅ぼされよかし」と口では言いながら、なんだかんだ言ってユダヤ人やキリスト教徒と仲良く暮らしており、つまりは非常に寛容だ。

 アメリカのテロとの戦いの文脈で聞かされるイスラム教徒の頑迷さとは少し違う。

 物語と現実は違うということはわかっている。しかし、本来は多分、現代のムスリムーンも、物語の中の古いアラビアの人たちのように、もっと優しい感じなのではないかと思う。

 なぜ今のように変化したのか、それとも、変化なんかしておらず、イスラム教徒が変な風に感じられるのはアメリカの宣伝によるもので、今も寛容で優しいのか、研究するなりしてみないと本当のところはわからない。いつかよく調べてみようと思う。

極端に短い

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 そういえば、と、古い本の事ばかり思い出す。

 この本、インターネットの歴史を実に手短にまとめてある。話はヒロシマ・ナガサキから始まり、一気呵成にインターネットを語り、Webブラウザ「Netscape」登場のところで終わっている。

 この本は、実は20年も前に出た本だ。

 あれからですら、既にもう20年が過ぎてしまったのだ。なのに、Netscapeのことなども、ほんの少し前のことのようにも思われる。

 もしこの本に続きを追記するということになったら、一体どんなふうになるんだろう。Windows 95や、携帯、モバイル、スマホ、そんなことを書き繋ぐんだろうか。

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション(4)

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 「デデデデ」の4巻、長女に借りて読むなど。

無印良品の文庫本カバー

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 「無印良品」のこの文庫本カバーがなかなかいい。

無印良品文庫本カバー

 本屋で本を買えばカバーはかけてくれるが、読みたいものが店頭にないことも多く、最近はAmazonで本を購入することが増えた。いきおい、Amazonで本を買うとカバーがかかっていないので、こういうものが必要になる。電車の中で本を読むことが多いからだ。満員電車ではどうしても本がモミクチャになって傷んだり破れたりしてしまう。

 電車内での読書にはKindleアプリもなかなか便利で愛用しているが、今読んでいる「千夜一夜物語」のように、Kindleでの販売がないものも多いから、紙媒体とはどうしても縁は切れぬ。

千一夜物語(9)~(10)

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 通勤電車の楽しみ、「千一夜物語」、ひきつづきゆっくりゆっくり読み進め、第9巻を読み終わる。

 一千夜にわたって語られるこの長大なアラビアの奇譚、第9巻にはそのうち第622夜から第774夜までが収められているのだが、このうち第731夜から第774夜までは、何を隠そう、この物語集の中で最も知られた物語の一つ、「アラジンと魔法のランプの物語」なのである。

 「アラジンと魔法のランプ」はディズニーのアニメーションなどにもなっているので、知らぬ人のない物語であるが、原作はもう少し素朴で、かつ味わい深い物語になっている。

 他に「目を覚ました永眠の男の物語」「ザイン・アル・マワシフの恋」「不精な若者の物語」「若者ヌールと勇ましいフランク王女の物語」「寛仁大度とは何、世に処する道はいかにと論じ合うこと」「処女の鏡の驚くべき物語」が収載されている。

 この中では、私には「若者ヌールと勇ましいフランク王女の物語」が最も印象に残った。美しいヨーロッパ白人(フランク人)の王女は回教に改宗して主人公ヌールとの愛に生きるのであるが、なぜか美青年ヌールを守るため戦士となって父王が差し向けたフランク軍の一軍団を一人で壊滅させるという支離滅裂な物語である。おいおいヌール、お前が闘うのとは違うんかい!!というようなツッコミどころもさておき、その戦闘シーンの翻訳が「講談」みたいになっているのである。

以下引用・p.225~

 フランク王はこのように将軍(パトリキウス)バルブートが(たお)れてしまったのを見ると、苦しみに我と我が顔を打ち、衣服を引き裂き、同じく軍隊を率いる第二の将軍(バトリキウス)バルトゥスと呼ばれる男を召し出しました。これは一騎討にかけての勇猛果敢をもって、フランク人の間に聞こえた豪傑です。王はこれに言いました、「おお将軍(バトリキウス)バルトゥスよ、いざ、その方の(いくさ)の兄弟バルブートの死の(あだ)を討て。」すると将軍(バトリキウス)バルトゥスは、身を屈めて答えました、「お言葉承り、仰せに従いまする。」そして戦場に馬を走らせて王女に迫りました。

 けれども女丈夫は、同じ姿勢のまま、動きません。駿馬は橋のように、足の上にしっかと身を支えています。見るまに、将軍(バトリキウス)は馬の手綱をゆるめ、姫をめがけて殺到し、穂先は(さそり)の針にも似た槍を擬して駆け寄った。相打つ干戈(かんか)の音は戞々(かつかつ)と鳴る。

 その時、全部の戦士は、彼らの眼がいまだかつてこのようなものを目睹(もくと)したことのないこの戦いの、恐ろしい驚異をよりよく見ようとして、一歩前に進み出ました。そして感嘆の戦慄が、すべての軍列に走りました。

 けれどもすでに、濛々(もうもう)たる砂塵に埋まっていた二人の敵手は、荒々しく相衝突し、空を鳴らす打ち合いを交わしています。かくて両人は永い間、魂荒立ち、凄まじい罵倒を投げ合いながら、戦っていました。そのうち将軍(バトリキウス)は相手の(まさ)るを認めずにはいられず、心中に思った、「救世主(メシア)にかけて、もう我が全力を発揮すべき時だ。」そこで死の使者たる槍をつかんで、振りまわし、敵を狙って、「これを喰らえ!」と叫びながら、投げつけた。

 けれども、マリアム姫といえば、東洋西洋きっての無双の女傑、地と砂漠の騎手、野と山の女武者であることを、彼は知らなかったのです。

 姫は早くも将軍(バトリキウス)の身ごなしを見てとって、その意中を看破してしまいました。されば、敵の槍がこちらに向かって放たれると、それが来たって我が胸もとを(かす)めるのを待って、いきなり宙で受けとめ、肝を潰した将軍(バトリキウス)のほうに向き直って、そのままその槍で腹のただ中を突くと、槍は一閃背骨を貫きました。そして相手は崩れ落ちる塔のように倒れ、その武器の響きは音高く木魂(こだま)しました。彼の魂は永久に戦友の魂の後を追って、至高の審判者の御怒りによって点火(ひとも)された、消し得ざる焔の中に赴いたのでございます……

✦ ……ここまで話した時、シャハラザードは朝の光が射してくるのを見て、慎ましく、口をつぐんだ。

以上引用

「見るまに、将軍(バトリキウス)は馬の手綱をゆるめ、姫をめがけて殺到し、穂先は(さそり)の針にも似た槍を擬して駆け寄った。相打つ干戈(かんか)の音は戞々(かつかつ)と鳴る。」

……て、アンタ(笑)、という感じである。

 驚くべきシャハラザード妃の物語は更に次の巻へと引き継がれる。

なんと、例の38巻

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 な、なななんと。


 例の38巻が刊行の予定、と。

 コレ、私が20代の頃からずっと出てるンだよなあ。もうこのまま中断して終わり、と思ってたけど、38巻、出るとは思わなんだ。

千一夜物語(8)~(9)

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 日々殺伐としているが、待ち時間、通勤電車中など、少しの閑暇あらば文庫本を読み耽る。

 イスラムの人々に少しでも心を寄せようとて読み始めた岩波の「千一夜物語」全13巻、実にゆっくりとしたペースで読み進め、第8巻を読み終わる。

 物語の脚色であることは当然だが、それにしても、いやもう、登場人物は何かと言うと情に駆られて気絶するのである。嬉しいと言っちゃあ気絶、悲しいと言っちゃあ気絶である。男も女も年がら年中気絶だ。

 はじめはイスラムの人々は果たしてこんなにも情感豊かなのかと思いもした、しかし、さすがに昔の物語だし、現代のムスリムーンはこんなにも大袈裟ではあるまい。

 この巻も「『柘榴の花』と『月の微笑』の物語」「カリーフと教王(カリーファ)の物語」「ハサン・アル・バスリの冒険」を主軸に、胸躍る話が沢山出てくる。

 引き続き第9巻に入る。

千一夜物語(7)~(8)

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 通勤電車の楽しみ、「千一夜物語」、7巻をゆっくりゆっくり読み終わる。


 こんなに巻数が多いと、単調な話に飽きてきそうなものだが、さにあらず、この巻は今までの巻をますます上回って面白かった。

 「漁師ジゥデルの物語又は魔法の袋」という物語が入っている。いつものめでたしめでたし話で終わるのかと思ったら、もんのっすっごっく、救いのない悲惨なエンディングになっていて、うわっ、なにすんだよ(笑)と、不意打ちをくらったような感じである。

 引き続き第8巻。