さえずり季題【260】鯛焼 この時期一際美味しく感じられ る伝統的な和菓子。発祥は明治時代ですって。 食べ方や焼型の形にこだわる人もいるようです。最近は野菜や肉の入った鯛焼も登場しています。 鯛焼の袋と渡る吾妻橋 (林朋子)#saezuriha_odai #saezuriha
— さとう みちこはん (@burukosan) November 28, 2015
月: 2015年11月
今週
五反野、梅島あたりでトイレに行きたくなるのであるが、少し我慢するのである。北千住でトイレに行くと、北千住は大きい駅なので、並んでいることが多い。ここをもう一駅ガマンして南千住までこらえるべきである。南千住はさびれた駅で、トイレは空いている。大抵、即入室可能だ。
それで、用を済ませてまた乗車しようとホームでボケッとしていたら、
「2番線に到着の列車は6時58分当駅始発北千住行きでございます。ホームの黄色い線の内側でお待ちください」
……とアナウンスが流れるではないの。
当駅始発、で、一駅、北千住へ行くだけ?なんだそりゃ。と思ったが、いろいろと列車の編成上、ヤリクリみたいなことがあるのだろう。そう思って南千住駅の時刻表を見てみると、これが、朝には結構多くの本数、一駅だけの始発列車が出ていることが分かった。「●(黒ポツ)」の5時台、6時台がソレだ。
もちろん、下りだし、乗る人なんて誰もいないようだ。
なぁ~るほどっ!「報告せんかい連絡せんかい相談せんかいッ!!」みたいなムリヤリの話でなくって、もうちょっと管理者経営者の自戒の話だったんですねと妙に納得感があった。
で、ちょっとこれ、恥ずかしながら私、知らなかったんだが、誰のこっちゃろ、と軽くググッてみたら、日経新聞にこういう記事があって……
・ 山崎富治氏が死去
……この山崎富治という方は、元山種証券(現SMBCフレンド証券)の社長で、下の「ほうれんそうが会社を強くする―報告・連絡・相談の経営学」という著作で知られていた人なんだそうである。
へぇ~、知らなかったなあ。
・ http://togetter.com/li/904991
あんまりにも強烈なので、一瞬気を失いそうになってしまった(笑)。
特に、
(引用)
わたしはよく、「ガサ入れの時に10人の刑事に取り囲まれても平気だったのはたいしたもんだ」とも感心されますが、いやいやそんなことはありません。そりゃ、見知らぬ強面のおじさんたちに取り囲まれたら、誰だって怖いでしょう。
それでも、そのおじさんたちが真剣になっているのが「まんこ」…。これほど間抜けなことはありません。
なので、わたしは逮捕拘留そのものがパロディや喜劇のようでおかしくて、今でも笑いがこみ上げてしまい、警察にひどくいじめられたという認識があまりないのです。
(引用終わり)
……というところが、地味~ぃにジワジワ来て、笑い転げてしまった。
新聞屋か印刷屋か何か知らんが、このデジタル時代に、皆さん、そんなものに何の期待をしてたんかね。ヤツらが正義の模範だとでも?馬鹿馬鹿しい。いわば哀れな乞食みたいなもんでしょう、地方のブン屋なんてものは。はなから期待も恐れもする対象じゃないはずですよあんなの。
というか、新聞読んで一喜一憂するの、もうやめようよ。馬鹿馬鹿しいもの。あれはね、うんこがこびりついた捨て紙みたいなもんだから、よっぽど汚いものが好きなスカトロジストみたいな物好きな人がお金を出して買うものなんです。理性はあんな、ションベン付きチリガミみたいな変なものを好みません。
それでまあ、ボージョレ・ヌーボーを
一件終わって
一件済んで早くアガる。
帰りに安いバルにでも寄って、さきやかにボージョレ・ヌーボーでも、とも思ったが、自宅近くのスーパーで買って家で飲んだほうが安いわい、と思い直してやめる。
ARuFa氏は偉いッ
国旗降下
勉強になりました
あなたに敬意を払わない人に、あなたが敬意を払う必要はない。あなたのことが嫌いな人を、あなたが好きになる必要はない。あなたを大切にしない人を、あなたが大切にする必要はない。しかし、そういう人たちのことを心の片隅にちょっとおいておく。自分と対する人にも、その人の大切な人生があるのだ。
— 小池一夫 (@koikekazuo) November 23, 2015
べ、勉強になりましたっ、小池先生。ガン無視しろ、ってんじゃなく、ちょっぴり覚えとけ、ってのが。
【新発明】祝日の楽しみ方【長女考案】
ワシ 「ぬぅ、そうだのう」
長女 「で、宿題とか勉強とか、イヤなことしてると、いつまでたっても時間がたたないじゃない?」
ワシ 「今さらだが、長女よ、すんごく普通のことを言っているぞお前」
長女 「ちがうわよ、最後まで聞いてよ。今日みたいな連休だと、できるだけ休日が長く続いた方が、お得感があるでしょう?」
ワシ 「うむ」
長女 「そうするとさ、できるだけイヤなことをして過ごした方が、休日が長く楽しめるのよ、受験勉強とか宿題とかお父さんに説教されるとか」
ワシ 「おおおっ!!よ、よくぞそれを発見したな長女よ!お前はエラいッ!!」
次女 「……。何このふたり。嫌なことが一日中続くってだけじゃない。アタマおかしいんじゃないの」
停年が近い
今は「定年」と書くのが正しいわけだが、かつては標記のように「停年」と書いたもので、いつ頃からだったか、この字面ではあんまりにも寂寥感が漂っていていけない、というような批判があって、「停年」から「定年」に書き換わったのである。「子供」が「子ども」になったようなものか。
なんにせよ、悠々自適と言うわけにはいかないので、働き口を探さねばならぬ。
私はいくつかIT系の資格を持っているが、それはもともと、なんとか就職に有利になればという考えもあって取ったものだ。日本ITストラテジスト協会というところに加入しているのも、無論、自学研鑽、IT業界の人たちから刺激を得て自分の仕事の質を向上させたい、という純然たる動機が主ではあるが、それにあわせて、就職情報でも得られれば、という考えが少しあった。モロに誰かに雇ってもらうとか、そこまでは考えないにしても、なにか働き口を探すきっかけやヒントでも人々の話から得られれば、という気持ちである。
ところが、なんだか最近、迷いが出てきたのだ。IT業界の人々と付き合いを深め、話を聞いたりしているうち、「俺、ホントにITやりたかったのかしらん」と、自問するようになってしまったのである。
このところ、ArduinoやRaspberry Piをいじっているのも、「一つ、迷いを見極めるために原点に戻ってみよう」と思ったからである。私のコンピュータの原点はNECのTK-80など、ワンボード・マイコンにある。ワンボード・マイコンやハードウェアに回帰すれば、なにかつかめるかも知れないと思ったのである。
やってみると、やはり、ワンボードは面白い。
こうやって子供の遊びみたいなことをしながら、よくよく考えてみると、ITと言うより、なにか、「工場で働きたい」ような気がしてきた。
それで、妻に「なあ、おい、俺、定年になったら工場で働きたいんだが」と言ったら、妻は「ええーっ、ダメだわよ工場なんて」という。
「なんでだ?」
「だって、気の荒い、変な人がいて、イジメられちゃうわよ、『コラ爺ぃ』とか言って」
「……。ぬぅ、それもそうだのう」
「お父さん、銀行のフロア係とかやりなよ、いいよ、アレ」
妻は昔、銀行員だったので、フロア係はいい仕事だ、よく知っている、というのである。
「けどお前、銀行にだって、変な客がいて、エラそうに文句言われたりするのと違うか?」
「そりゃ、たまには来るけど、そんなには来ないのよ。適当に右から左へ案内しとけばいいんだから」
「ははあ、しかし、ワシには向かんなあ。フロア係って、人相手なんだもの。ワシは本来は
「人は見かけによらないって言うけど、それもそうねえ。社交的によく喋るように見えて、実はお父さん、社会不適合の変なオッサンだもんねえ」
「……自覚していても、あえてそう言われると、なんかムッと来るな……。工場は工場でも、食品工場なら、変な
「あー、ダメね、お父さん、鼻が悪くってくしゃみばっかりしてるから、食品に唾や痰が入って、クビになるわよ。どうすんのよ、娘ふたり、学校に行かせなくっちゃいけないし」
「うーむ。ワシ自身が中卒のオッサンだっちゅうのに、自分の子は大学出さにゃならんってのも、世の中不公平じゃのう」
「中卒中卒て、お父さん夜間大学行ってたんでしょ。ホンモノの純粋の中卒の人に失礼だわよ」
「……そ、それもそうだのう。とはいえ、夜間大学ってったって、4年通って中退しちまったがな」
あの頃は忙しかった。自分の成人式の日だって、仕事してたんだもんなあ、俺。(遠い目)
しかし、考えなければならないのはここだ。今の仕事だって、本当に腹の底から芯からやりたいと思って選んだのかと言うと、必ずしもそうではない。いや、やってみたい仕事ではあったが、それにも増して、当時家庭が裕福でなかったから選んだ、という理由も大きかった。
だが、これからは違うぞ。これからの俺には選ぶ自由がある。人に左右されず、やりたい仕事を自由に選んで働いてよいのだ。やったー!そう考えると嬉しいぞ。自由だー!フリーダム!
いずれにしても、言えることは、こーんな、休日に鼻栓つっこんでフザけているようでは、雇ってくれるところも雇うのをやめてしまうであろうということである。