若鮎

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読書

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 越谷市立図書館南部分室へ仕事の帰りにひょいと入る。平土日祝問わず、21時まで開いているのはまことに有り難い。

 吉村昭の小説を借りる。「ポーツマスの旗」。

 日露戦争当時の外務大臣、小村寿太郎が主人公だ。

化粧品を靴に塗る

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 便所にぶら下げている100円ショップの週めくりカレンダーによれば、

「使い残して古くなった化粧品は、靴に塗ってしまえ!」

……ということだそうである。そうすると、靴は最高級の靴墨や靴クリームを塗るよりもなおピカピカのツヤツヤになるのだそうだ。

 さもあろう、化粧品といっぱ、もともとは人間様の、しかも女の顔の肌に塗ろうというものなのであるから、皮革にとってこれ以上のものはない。靴なんて、最上級のものでも(ケダモノ)の革で出来ているわけであるから、人間様の顔に塗るものが落ちてくれば、靴にとってはこれほどの僥倖もあるまい。

一杯

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 ショットグラスに金平糖を少し入れ、そこにウィスキーを()いで飲むとけっこう旨い。

 この次はこれを江戸切子の気の利いた硝子でやってみたいが、いかんせん金がない。そのうちにやってみよう。

うまいッ!(笑)

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 山田ク~ン、座布団2枚っ!

先生っ、おとうさん、おかあさんは差別だそうです。

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 ものすごいな。

 だったら、当のおとうさん・おかあさん側から言うと、逆もまた差別と言うことになるわなあ、「GLBT」とか「保護者の方」ってのが、さ。

 息子、娘もダメだな、この論法でいけば。「(せがれ)」なんて、もう、死刑ッ!……って勢いだな。

 (しゅうと)(しゅうとめ)もダメ、叔父(おじ)伯父(おじ)叔母(おば)伯母(おば)の使い分けも全部ダメ。

 だけど、「ぱぁとなあ」はオッケー。

 フザケんな、馬鹿野郎。

百日紅~Miss HOKUSAI~

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 「百日紅」を読み終わった。

 たしかこの作品はアニメ化もされていて、Amazon Prime Videoで視聴できたはず、と思って探したら、あるにはあったが、

「このタイトルは現在ご利用いただけません/現時点では、コンテンツプロバイダーとの契約により、このタイトルを購入できません。」

……なんぞと表示されていて、見ることができない。

 うーん、なんだかよくわからんが、見れないのなら店頭に並べておくべきではないわナ。

自分と季節の邂逅

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 同じ季節に同じ季語で()んだ自分の過去の俳句を見ていて、どうも私は変わり映えがしないなあ、と思う。

 なのに、その時の私は、やはりそこに写し取られている。

 季節は千古不易に何度も巡ってくるが、今日の汝は今日しかいない、汝をこそ見よ……と、誰かに耳元で(ささや)かれたような気がした。

 しかし、観念を直接詠むのは普通の俳句ではない。

 一方、季節はよほどの長寿の人でも、せいぜい100回程しか来ない。たった100回の春、たった100回の桜の開花なのである。

 それを惜しむ、ということなのだろう。惜しむ気持ちを直接文字にしては駄目で、自分の見たものを文字にしたら自然とその目線が写し取られているのがよい。

 悲しくても惜しくても、「悲しい」とか「惜しい」とかいう言葉を使って詠まないことだ。

読書

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 去年の秋にNHKで「(くらら)」というドラマを見た。葛飾北斎の娘、葛飾應為(おうい)がモデルだった。それで興味を覚え、朝井まかての原作を読んだり、緒形拳・田中裕子・西田敏行が出演した昔の映画「北斎漫画」などを見たりした。

 先週「眩」の原作を読んだので、もう一度ドラマのほうも見たくなった。

 昨夜帰宅してから、もしかして、とHDDレコーダの録画リストを見直したら、まだ消さずにそのままだった。もう一度見てみた。やはりよく出来たドラマだな、と思った。

 概ね原作の精神に忠実に作られているドラマだが、原作で悩みの種として描かれている北斎の孫の時太郎に関することは、このドラマではバッサリと切り捨てられている。


 国会図書館へ行き、故・杉浦日向子の有名な漫画「百日紅(さるすべり)」を読んだ。これも葛飾北斎・葛飾應為父娘と、渓斎英泉こと池田善次郎らを主人公にした漫画だ。

 應為と善次郎の、友情のような、仄かな恋情もあるのかないのか、……という微妙なところが描き出されていて面白い。

 昭和58年(1983)から昭和62年(1987)にかけて連載されていたというから、もう35年も前の漫画だ。この漫画のことを全く知らず、作者も死去した後とは、今まで本当に惜しい時間を過ごしてきてしまったように感じるが、反面、今になってこの作品に巡り合えたことは幸せでもある。

 白状すると、最近、本代をケチるために図書館へ通っている。漫画は県立図書館にはほとんどないので、読みたい本が必ず在架している国会図書館で読むことが多い。それで今日も国会図書館へ行った。ところがこの「百日紅」、味わって読んでいたら、今日半日では2冊全部読めなかった。

 結局、帰りに新越谷の旭屋で上下二冊を買った。

 私自身、馬鹿だなあ、と思う。国会図書館までの電車賃と本代を合わせたら、結局高くついてしまったわけである。

言葉
半鐘泥棒

 背の高い人をバカにするとき「半鐘泥棒」というそうな。半鐘は火事などの時に鳴らすもので、火の見櫓の高いところにぶらさげてあるわけだが、これが盗めるような奴ァあいつだけ、というような意味らしい。