立夏

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 今年も「こどもの日」は同時に二十四節季上「立夏」である。年により多少変動するが、だいたい毎年5月5日頃である。

 旧暦四月朔日(ついたち)はこの後新暦5月15日で、そこから暦も実感も、夏となる。「名実ともに夏」ということだ。

 おだやかで涼しく、陽光の眩しいゴールデンウィークの終盤となった。これから梅雨に入るまでの季節は好日が多い。

こどもの日

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天皇陛下万歳

 祝日「こどもの日」である。

 かつては「子供の日」と書いたが、「子供という言葉は差別だ」などというわけのわからない差別団体の運動により、ゆかしい「子供」という言葉が廃せられようとしているのは、残念なことである。しかし、「悪法も法なり」ということもあるから、屈従してこれを受け入れよう。

 いつも書くことであるが、この「こどもの日」は、法定の「母の日」でもある。

 祝日法を以下に引いてみよう。

国民の祝日に関する法律(祝日法)より引用

第二条 「国民の祝日」を次のように定める。
(中略)
こどもの日 五月五日 こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。
(後略)

みどりの日

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天皇陛下万歳

 祝日「みどりの日」である。

 先帝陛下は生物学者であらせられた。そのため、植樹祭などにはことのほか御熱心であらせられた。

 そのことを思い出しては、熱いものが胸に迫るのである。

面倒臭いからもうこれでいいです(笑)

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 いい記事が出ているのだが、なんかちょっと違う。

上記記事より引用
組み込み用OSとは

 OSと聞くと、パソコン用OSのウィンドウズを思い浮かべる人が多いだろう。クラウドサービス(外部に保存したデータやアプリケーションなどをネット経由で呼び出して使うサービス)などに用いられる大型コンピューターでは「ポジックス」というOSが主に使われている。スマートフォンのアプリケーションを動かすアンドロイドOS(アンドロイド端末用OS)やiOS(iphone端末用OS)もポジックスのプログラムを部分的に使っている。こうしたコンピューター用のOSは「情報処理系OS」あるいは「汎用OS」と呼ばれている。

 これに対し、電子機器などに組み込まれている小さなコンピューターを制御するOSが、組み込み用OSだ。

 いや、「『ポジックス』というOS」て、う~ん、……微妙に違うと思うんだが、……半分くらい合ってるッちゃあ、合ってるので、……説明するの面倒臭いから、これでいいですわ、もう(笑)。


追って書き

 面倒臭いのでもうこれでいいですわ、……と言い捨てて放っておくのも技術者としてどうなのかという気がするので、あっさりとではあるが付記しておきたい。

 POSIXはOSではない。「OSが備えるべきAPIの層の規格」である。

 APIとは、コンピュータのプログラムがコンピュータの資源や機能を使おうとする際の「窓口」と思えばよい。この「窓口」の例えで言うなら、窓口を規格化するということは、建物に設けられた窓口の開く方向、位置、大きさ、縁の材質、開け閉めのための手順、……等々、といったことを取り決めておくようなものである。

 「層」と書いたが、これも建物で例えることができる。建物の規格にはいろいろな角度からの規格がある。木造か鉄筋コンクリートか、といった主な材質に関するものや、洋風か和風か、といった内外装に関すること、軸組かツーバイフォーか、といった構造に関することなどだ。これには「洋風・和風」といった抽象的な取り決めから、「木造・鉄筋コンクリート」といった具体的なものまで、「層」のように取り決める事柄が数多く重なっている。コンピュータも同じことで、取り決めておくべきことは非常に多くあり、建築物におけるがごとく、抽象から具象に至るさまざまな取り決めがあるのだ。これが「APIの『層』」と書いた所以(ゆえん)である。

 POSIXはそうした「取り決め」、すなわち「ある角度から見た場合の(つまり、『ある層』の)規格」のことである。

 記事にあるような「ポジックスという名の情報処理系OS」なんてものは、ない。あるのは「OSに関連するPOSIXという名の規格」である。その点でこの記事は誤りである。この誤りは、一般の人のために読みやすく簡単にした、というのと異なる。誤りであるとするのが書き過ぎであるなら、この記者の各種OSに関する理解がこうなのだ、ということになる。

 この記事全体は「いまやITRONが世界標準として確固たる地歩を築きつつある」ということが主旨であり、POSIXに関することは本題ではない。だが、たとえ些末なことであろうと、ここまで縷々述べたような技術的な点について正確さを欠いているということは、この記事が技術的な事柄について述べたものであるだけに、その主旨とすること全般に関する正確さについて疑いが持たれてしまうのも止むを得まい。調査研究本部主任研究員を肩書とする人の書くものであるのなら、技術的に正確な記述がなされなければならない。

 というか、この記事への本来のツッコミどころはPOSIXの話ではなく、「記事はITRONとBTRONを一応区別して書いてはおり、それは正しいけれど、一般の読者にはそんなことなんかわからない。また、ITRONのシェアについて、定量的な根拠を何も書いていない。例えば、『自動車の制御に広く使われている』としているが、ではITRONの市場占有率は何パーセントなのか、という問いには、この記事はまったく答えていない」……というところだろうか。

憲法記念日

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天皇陛下万歳

 祝日「憲法記念日」である。

 生憎(あいにく)天気は良くないが、国旗を掲揚する。

 私はふざけて「日本国憲法は大日本帝国憲法に定められた改正手続きを正しく()んでいないから憲法それ自体が『違憲』であり、即時破棄が憲法上正しい」というキチガイのような冗談を書くことがあるが、これは無論冗談であることは言うまでもない。

 憲法記念日にあたり、そのような冗談は脇へ置き、よく護憲精神を称揚し、銘肝したいと思う。

で、在韓米軍どうするのかという

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 ……って、いやーっ、(ぶん)はん、そ、それは無理筋やろー……(笑)。

 北朝鮮にとって在韓米軍、ひいては在日米軍がどれほど怖い存在か。それを退かせてくれなきゃあ、とてものことに講和条約どころの騒ぎではなかろうよ。

 でも、ありえないことだが、「わかりました。じゃあ、在韓米軍全撤退です。それでは僕はこれで」なんていって在韓米軍引き上げてみ?北鮮軍、即、南進ですよ。

 「そんなワケねぇ」って?……朝鮮戦争の勃発経緯、紐解いてみなさいって。そもそも、米軍撤退の誤情報が南進を誘発したんだぜ?

 んなこと、南北会談なんかする前から分かり切ったメカニズムだった(ワケ)なんだけどさ、……。

読書

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 図書館に行った。

 いつぞやの芥川賞受賞作、「(ちち)(らん)」がたまたま通りかかった棚にあったので、ふと手に取った。パラッと(めく)ってみたら、

「乳と卵」(川上未映子、文芸春秋)p.1から引用

〇 卵子というのは卵細胞って名前で呼ぶのがほんとうで、ならばなぜ子、という字がつくのか、っていうのは、精子、という言葉にあわせて子、をつけてるだけなのです。

……と書き出された1行目から、なんだか()き付けられてしまった。

 借り出して読んだ。

 持て余す、かなぐり捨てたい、というような極端なところまではいかないものの、だがしかしけっこう面倒くさい女という自分自身の入れ物と、しかし、ある意味いとおしく、どうにか付き合っていく、自分と入れ物を切り離すことなんて、いわんやどれかを捨てることなんて、どうせできやしないんだから、……というような諦念すら漂う、かと言って真っ向から(あきら)めているわけでもない、そういう小説だな、と思った。

 入れ物が女でなくたって、オッサンでもちんこでも、なんだって、人間の入れ物は面倒くさい、とも思った。変な共感の仕方だろうか。

 併載の「あなたたちの恋愛は瀕死」は、ピリッと変な、それでいてどこかしら哀愁と痛みとが漂うのに、ギャグ漫画のようなおかしみも同居しているという短編佳作だった。多分、最後のシーンをギャグ漫画だと言ったら、その痛み悲しみ苦しみにかかって、ギャグ漫画だなどとはなんだ、と叱られるのかもしれない。その意味からも、本当に恋愛は既に瀕死である。

年年歳歳花相似(ねんねんさいさいはなあいにたり)歳歳年年人不同(さいさいねんねんひとおなじからず)

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 「年年歳歳花相似(ねんねんさいさいはなあいにたり)歳歳年年人不同(さいさいねんねんひとおなじからず)」という漢詩の一節がある。

 ふと知ったことだが、これは唐の詩人(りゅう)希夷(きい)の、「代悲白頭翁」という七言古詩の中の一節だそうである。

(傍線強調は佐藤俊夫)
代悲白頭翁

洛陽城東桃李花
飛來飛去落誰家
洛陽女児惜顏色
行逢落花長歎息
今年花落顏色改
明年花開復誰在
已見松柏摧爲薪
更聞桑田變成海
古人無復洛城東
今人還對落花風
年年歳歳花相似
歳歳年年人不同

寄言全盛紅顏子
應憐半死白頭翁

此翁白頭真可憐
伊昔紅顏美少年
公子王孫芳樹下
清歌妙舞落花前
光禄池臺開錦繍
將軍樓閣畫神仙
一朝臥病無相識
三春行樂在誰邉
宛轉蛾眉能幾時
須臾鶴髪亂如絲
但看古來歌舞地
惟有黄昏鳥雀悲

 訓み下しは次の通り。

白頭を悲しむ翁に代って

洛陽城東(らくようじょうとう) 桃李(とうり)の花、
飛び来たり飛び去って()が家にか落つ。
洛陽の女児(にょじ) 顏色(がんしょく)を惜しみ、
行〃(ゆくゆく)落花(らっか)()って長く歎息(たんそく)す。
今年(こんねん) 花落ちて顏色(がんしょく)改まり、
明年(みょうねん) 花開いて()(だれ)()る。
(すで)に見る 松柏(しょうはく)(くだ)かれて(たきぎ)()るを、
更に聞く 桑田(そうでん)(へん)じて海と()るを。
古人(こじん) 洛城(らくじょう)の東に(かえ)る無く、
今人(こんじん) ()た落花の風に対す。
年年歳歳(ねんねんさいさい) (はな)(あい)()たり、
歳歳年年(さいさいねんねん) (ひと)(おな)じからず。

(げん)を寄す 全盛の紅顔(こうがん)()
(まさ)に憐れむべし 半死の白頭翁。

此の(おう) 白頭(はくとう) (しん)(あわ)れむべし、
()れ昔は紅顔の美少年。
公子王孫(こうしおうそん) 芳樹(ほうじゅ)(もと)
清歌妙舞(せいかみょうぶ)す 落花(らっか)(まえ)
光禄(こうろく)池臺(ちだい) 錦繍(きんしゅう)を開き、
將軍の樓閣(ろうかく) 神仙を(えが)く。
一朝(いっちょう) (やまい)()して相識(そうしき)無く、
三春(さんしゅん)行樂(こうらく) ()(あたり)にか在る。
宛轉(えんてん)たる蛾眉(がび) ()幾時(いくとき)ぞ、
須臾(しゅゆ)にして鶴髪(かくはつ) (みだ)れて(いと)の如し。
()()る 古來歌舞の地、
()黄昏(こうこん) 鳥雀(ちょうじゃく)の悲しむ有るのみ。
以下は中国名詩選〈中〉(岩波文庫)p.226より引用

劉希夷(651―679?)。字は庭芝。一説に名は庭芝、字は希夷。頴川(えいせん)(今の河南省許昌市)の人。琵琶の名手で美男の誉れ高かったが、素行が悪く、終生官位につけなかった。
詩は青春のうつろいやすさを嘆いたもの。母方の叔父宋之問(そうしもん)が「年年歳歳……」の句を譲ってほしいと求めたが、これを拒絶したため、宋の奴僕に殺されたという。

読書

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 吉村昭の「闇を裂く道」、読み終わる。本の厚さから言って中編かな、と思いの外、ポイントの小さい活字の文庫で、字詰まりが意外に多く、大作だった。そのせいも多少あってか、2週間くらいかかって読んだ。

 戦前の丹那トンネルの難工事を題材にした小説である。脆弱な地質や想像を超える量の湧水と格闘する人間像、また、湧水の排出によってトンネル頭上の丹那盆地に引き起こされた多大な環境破壊などが冷徹に描き出される。

 加えて、小説は丹那トンネルの開通では終わらず、戦後の新幹線開通に至る一続きの技術史をも描き出している。

 「戦前、日本の工業技術は悪劣で、それは敗戦の一要因ともなった。戦後、心機一転した日本は、アメリカの助力を得て、技術立国として立ち直った。新幹線や東京タワーはその表れであり、戦後平和国家として改めて建設したものだ」……などという馬鹿げたことを信じ込んでいる向きなど、もはや今時おりはすまいけれども、そこを敢えて述べれば、こんなことは妄想にすぎぬ。

 この小説には、丹那トンネルの開通と、開通後すぐに始められた新丹那トンネルの建設に絡めて、その理由であった新たな幹線鉄道「弾丸列車」の構想や着手の状況が描かれている。そう、新幹線は戦前から既に設計と建設が進められていたのである。鉄輪の幅が広い「広軌」での設計も、戦前から既定のものであった。路線も戦前から計画され、用地の買収や建設も進められていたものなのである。

 そうしたことを描き出すことにより、期せずして「戦前全否定」の愚かしさをもこの小説は示唆して()まないように思える。