スポーツの日

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天皇陛下万歳

 祝日「スポーツの日」である。自宅の軒先に国旗を掲げ、拝礼する。

 それにしてもしかし、依然時疫は猖獗(しょうけつ)を極め、とどまるところを知らぬ。

 もとは「体育の日」であったこの祝日を「スポーツの日」と改め、もとの10月の祝日から、オリンピック開催予定の今日にまで移動させて臨んだオリンピックだ。だが、そのオリンピックがこんなことになってしまうとは、7年前、平成25年(2013)の開催地選定時に誰が想像したろうか。

 何より、ぎりぎりまで鍛え抜いている選手たちは、一日一日の練習にすべてをつぎ込み、「あと残り1,500日と15時間30分!」というような、それこそ分刻み、秒刻みの鍛え方をしてきていたのであろうから、この延期は打撃であろう。お見舞いを申し上げたい。

時事遅見

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訃報

 「ノストラダムスの大予言」で大ヒットした文筆家、五島勉氏が死去したそうである。

 祈冥福(めいふくをいのる)

 私などは当時小学生であったが、「立ち読み」が庶民の公然の娯楽であった頃でもあり、ゾクゾクしながらタダでこの本を読み(ふけ)ったものだ。今にして思うに、当時の個人経営の街の書店というのは、随分と寛容だったものである。そのかわりに、当時の大人の慣例として、その書店で大部の全集ものを購入するなどしていたのだと思う。

 私が最近読み耽っている平凡社の世界教養全集は、父から貰い受けたものだが、これも、父が街の書店との持ちつ持たれつの付き合いで買い込んだものではなかったろうか。

馬鹿なことを

 欧米土人に納豆のような高度な食品が食えるわけはあるまい。ハナッから笑止千万である。

 納豆は日本人のように高度な味覚を持つ選民によって賞玩されるものであって、毛唐にその価値を評論されるなど、不愉快そのものである。

はやぶさ2任務続行

 驚くべきその耐久性。驚愕。

購読者を愚弄してんじゃないよ(笑)

 な~にバカにしたようなこと書いてんのさ。数万の票を投じた有権者の多くは、毎日新聞の上得意客、購読者様だろうがってのよ。よくこんな取り澄ましたようなこと書いてトボけておれるよ。ネトウヨ煽ってんじゃないよ糞新聞が。

結果から言えば

 結果から言えば、日本政府の生ぬるくていい加減な「緊急事態風な国民の皆様へのお願い」と、諸外国が行った強制的で武力をも実際に国民に向けた「ロックダウン」との間には、それこそ霄壤(しょうじょう)(ただ)ならぬ逕庭(けいてい)があったと言えよう。無論、霄は日本で壤が諸外国だ。諸外国のロックダウンにはまるで意味がなかった。日本と英国の死者と感染者の数を比べて見たまえ。

 だが油断してはならぬ。夏休みに開放感に浸り、いい気になってあちこち出掛けたりなんかすれば、たちどころに数万人の感染者を生じて死者を出し、「日本人はやはり劣等で愚かな未開有色人であった」などと米英仏独伊の欧米土人どもから嘲笑の的になるばかりでなく、厳しく病気を制御しつつあるアジア諸国からも「ハハッ、やっぱり日本人など『半欧米土人』に過ぎなかった(笑)」と憫笑(びんしょう)されるだろう。

 オリンピックは中止されたが、そのかわりに、新コロによって思わぬ国威レースがスタートされたと言ってよい。また、私に言わせれば、欧米土人は核開発とその実戦使用、すなわち広島、長崎の惨劇が咎となり、彼らが信じる神の罰を受けて死につつあるのだ。歓喜のうちに罰を受け止めるがいい。

 更に書けば、神罰を神によるものならしめるのは人間の精神に他ならぬ。「精」に「神」と書いて「精神」という言葉は成る。日本人の神仏は文字通り人間の精髄にあるが、欧米人の神は人間の精髄にはない。その結果をこそ見ざらめや、というほどの気概を持ちたい。

海の日

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天皇陛下万歳

 祝日「海の日」である。自宅の軒先に国旗を掲揚し拝礼する。

 生憎(あいにく)と梅雨は(いま)だ明けず、雨が降り続く。新型コロナウイルスの世界的蔓延は心胆を寒からしめる。

 だが、逆に言うと、自然は、宇宙は、海は、人間などとは全く何の関係もなくその脈動をやめぬ。そしてまた、人間が海を海と認めて初めて海は海であり、宇宙は宇宙である。人間に観測されてその存在が十全となるものが、だがしかし、人間の願望などとはまったく関係なく存在し続けるのである。

 そのようなことを「海の日」にあたり考え続ける。

米国にデモや暴動がおこると

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 米国ではCOVID-19で14万に(なんな)んとする人命が失われている。暴動も起きており、その混乱の行方は全く予測できない。

 しかも、14万もの死者を出したCOVID-19対策への不満によって暴動が拡大しているのではない。不思議なことに、14万人ではなく、2人の死者を出した黒人差別への不平で暴動が起きているのである。

 サッパリわからないのはここで、米国の黒人差別は、制度や政治によって規定されているようなものとは違う。米国人の一人一人が勝手に黒人を差別しているだけだ。むしろ、政府や体制側は、最近流行の「ポリコレ」とて、差別には細心の注意を払っているのである。しかし、民衆は黒人差別を糾弾する。米国は完全民主主義を自称する国であるから、その理屈に従えば、自分自身、国民の一人一人が、その自分自身を集団で否定しているということになる。

 まったくもって開いた口がふさがらないが、まあ、それは置こう。それよりも気を付けなければならないことがある。

 米国になんとはない鬱屈が生じてデモがのたくる時、その背景では科学技術が進展する。

 インターネットの萌芽が見え隠れした頃、米国は自ら招き寄せたベトナム戦争の泥沼に悩み、国防総省前には数十万人に及ぶデモが押し寄せ、不平不満を叫び、叩きつけた。だが、その国防総省庁舎内では、ロバート・テイラー、ラリー・ロバーツら稀代の技術者によって着々とインターネットの開発が進んでいた。

 今、米国は混乱を極めている。その裏で、何かが着々と芽吹いていることだろう。それは間違いなく世界を席巻する何かである。

梅雨の半ば過ぎ

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 暑い。

 今日などさながら梅雨明けだとでもいうような晴れ空にむくむくと大きな入道雲が育って天を囲み、はて、このぶんだと午後は夕立ちになるのでは、と思わしめるものがあった。しかし、今年の梅雨明けはまだまだ、来週以降の予想だそうで、今日は夕立ちにはならなかった。

 庭の砂利敷き小径を手入れし、防草シートを敷き込む。猫の額ほどの庭にもかかわらず、ようやっと四半分ほど。家の東側の防草シートは先々週からとりかかってやっとこさ全部終わった。南の一番端に設置してあるエアコンの室外機の下に敷き込むのが一番の難渋で、あれこれと工夫して敷き込んだ。砂利の嵩が減ったので、ホームセンターで20kgばかり買い込んで足す。

 腰が痛くなった。

 時疫は収まらず、東京の感染者は未だ200人を超す。しかし新コロの死者は全国通算でも0人~2人程度で推移している。検査を受ける者が増えていると言うだけのことだから都内だけでも200人を超すのだ。東京では感染者に給付金を出すなどと言う区も現れたと仄聞するが、そういうカラクリであれば、我も我もと検査に手を挙げるのは自然の流路とも言える。有象無象のあさましさに憫笑すら漏れる始末だが、責めるわけにもいくまい。

 風呂に入る。肌脱ぎになって冷凍庫の氷の塊を割ってたっぷりカチワリを作り、それでウィスキーを一杯。涼味が咽喉(のど)を転がり落ちていく。汗が引いていき、酩酊がやってくる。シャツの胸元に扇風機の風が入る。ウィスキーに少し垂らすライム・ジュースの味が鮮やかだ。

 たとえ沈滞していても、そんな生活の楽しみだって、ある。

読書

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 躑躅(つつじ)がすべて散り、(はな)皐月(さつき)が盛りである。時疫(じえき)最中(さなか)ではあるが、時間は静謐(せいひつ)に過ぎていく。

 引き続き約60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。

 第7巻「秋の日本/東の国から/日本その日その日/ニッポン/菊と刀」を先ほど読み終わった。

 この巻収載の最後の作品は「菊と刀――日本文化の型」(R.ベネディクト(Ruth Benedict)著)であった。

 戦時中に研究が始められ、終戦近くから戦後すぐにかけての時期に出版された本である。著者のベネディクト博士は対日戦のために日本研究を米国政府から委嘱され、見事な手腕で研究を完成させ、戦争に寄与加担した。

 この書は終始一貫して冷ややかな目線で論理が進められていく。日本人に対する素朴な尊敬などはそこに感じられず、あまり愉快な読書とは言えなかった。また、分析されている日本人像は、日本人からすれば既に今は存在しない日本人の姿であって現在からは到底想像もつかず、かつまた、記憶に残る古き良き日本人でもなく、あるいは記憶に残っていてもよほど極端な例ではないかと思われたり、色々と違和感があった。

 例えば日本人特有の「恩」「義理」「恥」について「それは欧米にない思考原理や感情である」と論じているところなど、確かに戦前戦後一貫した歴史をそのまま歩み続けている欧米諸国にとってはハナっから恩や義理や恥なんてものは存在していないのかもしれないが、今や恩知らずの不義理人ばかりが幅を利かせ、廉恥(れんち)の心など一掬(いっきく)だに持ち合わせなくなり、欧米人の悪質な劣化コピー人種に過ぎなくなってしまった現在の日本人にはまったく当てはまらず、逆に、この「菊と刀」を元に往時の日本人をリアルに想像することは難しい。

 また、部分によってあまりにも赤裸々に事実を指摘するのであるが、その指摘の仕方が冷笑的であり、不愉快でもあった。更に不愉快なことは、戦後すぐに書かれた巻末近く、まるで予言のように現在の日本の姿を言い当てていることだ。それがズバリと当たっているだけに、ウンザリとしてしまう。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第7巻「秋の日本/東の国から/日本その日その日/ニッポン/菊と刀」のうち、「菊と刀」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。
p.402より

また軍隊では家がらではなくて、本人の実力次第で誰でも一兵卒から士官の階級まで出世することができた。これほど徹底して実力主義が実現された分野はほかにはなかった。軍隊はこの点で日本人の間で非常な評判をえたが、明らかにそれだけのことはあったのである。それはたしかに、新しくできた軍隊のための一般民衆の支持をうる最良の手段であった。軍隊は多くの点において民主的地ならしの役目を果たした。また多くの点において真の国民軍であった。他の大多数の国々においては、軍隊というものは現状を守るための強い力として頼りにされるのであるが、日本では軍隊は小農階級に同情を寄せ、この同情が再三再四、軍隊をして大金融資本家や産業資本家たちに対する抗議に立たしめたのである。

 上のあたりは、五・一五事件や二・二六事件などを抽象的に指している。

p.407より

 中国語にも日本語にも、英語の`obligation'(義務)を意味するさまざまな言葉がある。これらの言葉は完全な同意語ではなく、それぞれの語がもっている特殊の意味はとうてい文字通り英語に翻訳できない。なぜなら、それらの語の表現している観念はわれわれには未知のものであるからである。大から小にいたるまで、ある人の負っている債務のすべてをいい表わす`Obligation’にあたる言葉は「オン」(恩)である。日本の習慣ではこの言葉は`Obligation’`loyalty'(忠誠)から`kindness'(親切)や`love'(愛)にいたる、種々さまざまの言葉に英訳されるが、これらの言葉はいずれも、もとの言葉の意味をゆがめている。もし「恩」がほんとうに愛、あるいは義務を意味するものであるとするならば、日本人は「子どもに対する恩」ということもできるはずであるが、そういう語法は不可能である。またそれは忠誠を意味するものでもない。日本語では忠誠はいくつかの別な言葉で表現されるし、それらの忠誠を意味する言葉はけっして「恩」と同意語ではない。「恩」にはいろいろな用法があるが、それらの用法の全部に通じる意味は、人ができるだけの力を出して背負う負担、債務、重荷である。人は目上の者から恩を受ける。そして目上、あるいはすくなくとも自分と同等であることの明らかな人以外の人から恩を受ける行為は、不愉快な劣等感を与える。日本人が「私は某に恩をきる」というのは、「私は某に対する義務の負担を負っている」という意味である。そして彼らはこの債権者、この恩恵供与者を、彼らの「恩人」と呼ぶ。

 上の部分は、むしろ逆に、「欧米には『恩』という概念がないんだ」と私に教えてくれた。道理で、欧米化が進むほどに恩知らずが増えるわけである。また、上のベネディクト博士の指摘は正しいようにも感じられるが、「恩」というものが義務とか債務とか言った嫌なものとしてとらえられており、「恩」にはそういう嫌な側面もありつつ、「恩」というものが持つ、もっとあたたかい、しみじみとした安らぎや信頼が言い当てられていないところが片手落ちであり、欠点であると思われた。

p.515より

 日本が平和国家としてたちなおるにあたって利用することのできる日本の真の強みは、ある行動方針について、「あれは失敗に終わった」といい、それから後は、別な方向にその努力を傾けることのできる能力の中に存している。日本の倫理は、あれか、しからずんばこれの倫理である。彼らは戦争によって「ふさわしい位置」をかちえようとした。そうして敗れた。いまや彼らはその方針を捨て去ることができる。それはこれまでに受けてきたいっさいの訓練が、彼らを可能な方向転換に応じうる人間につくりあげているからである。もっと絶対主義な倫理をもつ国民ならば、われわれは主義のために戦っているのだ、という信念がなければならない。勝者に降伏したときには、彼らは、「われわれの敗北とともに正義は失われた」という。そして彼らの自尊心は、彼らがつぎの機会にこの「正義」に勝利をえさしめるように努力することを要求する。でなければ、胸を打って自分の罪を懺悔する。日本人はこのどちらをもする必要を感じない。対日戦勝日の五日後、まだアメリカ軍が一兵も日本に上陸していなかった当時に、東京の有力新聞である「毎日新聞」は、敗戦と、敗戦がもたらす政治的変化を論じつつ、「しかしながら、それはすべて、日本の窮極の救いのために役だった」ということができた。この論説は、日本が完全に敗れたということを、片時も忘れてはならない、と強調した。日本をまったく武力だけにもとづいてきずきあげようとした努力が、完全な失敗に帰したのであるからして、今後日本人は平和国家としての道を歩まねばならない、というのである。いま一つの有力な東京新聞である「朝日」もまた、同じ週間に、日本の近年の「軍事力の過信」を、日本の国内政策ならびに国際政策における「重大な誤謬」とし、「うるところあまりに少なく、失うところあまりにも大であった旧来の態度を捨て、国際協調と平和愛好とに根ざした新たな態度を採用せねばならない」と論じた。

p.519より

 ヨーロッパ、もしくはアジアのいかなる国でも、今後十年間軍備を整えない国は、軍備を整える国々を凌駕する可能性がある。というのはそういう国は国富を、健全な、かつ富み栄える経済をきずきあげるために用いることができるからである。日本は、もしも軍国化ということをその予算の中に含めないとすれば、そして、もしその気があるならば、遠からずみずからの繁栄のための準備をすることができるようになる。そして東洋の通商において、必要欠くべからざる国となることができるであろう。その経済を平和の利益のうえに立脚せしめ、国民の生活水準を高めることができるであろう。そのような平和な国となった日本は、世界の国々の間において、名誉ある地位を獲得することができるであろう。そしてアメリカは、今後もひきつづきその勢力を利用して、そのような計画を支持するならば、大きな助けを与えることができるであろう。

 最初に書いた「現在の日本をズバリと言い当てている箇所」というのが上の部分と、それに引き続く、ここには引用しなかった一連の部分である。引用しなかった部分には、東西冷戦とそれへの日本のかかわり方への危惧が予言されている。ウンザリとしながらも、同時に、東西冷戦など始まる前に出された論文なのに多くは正しく将来の日本を言い当てており、その超能力者めいた的中っぷりにゾクッとする。

 否、むしろ、ベネディクト博士の提言に合わせてアメリカが対日政策を形作ったから、当然そうなったのだろうか。

言葉
夙夜

 これで「夙夜(しゅくや)」と()む。「朝から晩まで」、ひいては「常々(つねづね)」というような文脈で使う言葉である。

下線太字は佐藤俊夫による。p.378より

大義ヲ八紘ニ宣揚シ坤輿ヲ一宇タラシムルハ実ニ皇祖皇宗ノ大訓ニシテ朕カ夙夜眷々措カサル所ナリ

警め

 「(いまし)め」と訓む。「戒め」と通用には書かれるようであるが、厳密には「戒」の用字だと「処罰する」意味合いが強く、「前もって注意しておく」意味に薄い。他方、「警め」は「警告」というような単語もあるところからも分かる通り、前もって注意しておく意味合いが強い。

p.460より、ルビは佐藤俊夫による。

「例(すくな)からぬものを深く(いまし)めでやはあるべき」

 次の読書は、引き続き同じ平凡社世界教養全集から、第8巻「論語物語/聖書物語」である。

時事沈々(ちんちん)

投稿日:

 梅雨までのわずかな期間、初夏の風が薫る心地のする候となった。爽やかだ。

 しかし世相は依然猖獗(しょうけつ)を極めるコロナウイルスに(おのの)いている。

欧米人の入国禁止、旅行移動禁止というのは、今どうなっているのか

 これを見れば、いまや欧米諸国人が疫病蔓延の元凶であることは明らかである。ところが、数か月前、「中国人を入国させるな」などと(わめ)き立てたほどの強さでは、「アメリカ人を拒否しろ」とか「イギリス人を拒否しろ」なんてことは、誰も言っていない。

 おかしい。

 これは、テレビや新聞が悪い。検察官の定年なんぞで扇動なんかしていやがって、木っ端役人の1年や2年の分限(ぶんげん)(ごと)き、どうだっていいんだよそんなことは。

 仕事をしろよ仕事を>ブン屋どもめ

これ、被害者ぶってるけど、おかしいよ

 違うな。

 中国を責める前に、「米国大統領は力及ばず、国内で新型コロナウイルスを培養・蔓延させ、数多くの自国民を病死させてしまったばかりか、これを欧州その他世界へ再びばら()く愚をも犯してしまった」……っていう、まず第一にそこなんじゃねぇの?

 迷惑だよ。

 だいたい、今日現在、8万5千にも及ぶ死人を出してるんだぜ米国は。よろしいか、感染者じゃないぞ。死人だぞ、死人。もはや亡くなった人々を哀しみ(いた)み、沈々粛々としておれるような情緒的レベルなど、とうに逸脱している。犯罪行為だよこんな米国みたいな国のすることなすことは。

 中国なんぞに因縁つける前に、もっとしっかり、国民が政治をせい。

本来の危険な核武装国家はどこか

 ……。

 こんなニュースを見るにつけ、いつも感じるのだが、そもそも、北朝鮮なんかより、米、露、中、仏、英なんかのほうが、よっぽど怖くねえか?核とかICBMとか核原潜とかそういう危険なアレやコレやが常態化しちゃってるってだけであって。

どうしても中国を敵とみなしたいんだろうなあ

 中国に対する米国の態度は、そのままでは首肯できかねるものも多いが、これはなんとなく、「ああ、そういうサイバー攻撃なんかは、ありそうだな」と思わせる。

 しかし、読売の書きっぷりも「中国『系』ハッカー集団」などと記していて、「系」ってなんだよ「系」って、はっきり書けよオラ、……という感じもする。多分、そこいらあたりがどうもうまく調べられないのだろう。

 さておき、戦争マニア国家米国は、「敵」「我」という、戦争を想定した対立軸でしか国のアイデンティティを保てない。もはや哀れである。

超軍事国家

 マァ、さすが、あの狭い国土にいまだに70万人もの地上兵力を擁し、徴兵制を()いて旧日本陸軍もかくやという地獄のシゴキ兵営を保ち続ける超軍事国家・韓国、ではあるわな。

 国民を監視カメラで追い掛け回して感染源を徹底追及しようってんだから、北朝鮮も真っ青だな。

 で?何?「韓国が優れたコロナウイルス対策をして称賛されているから日本政府も見習え糞アベガー」……ですか?

 ……嫌です、そんなの。私は日本流がいい。今のところ日本のコロナ対策は世界に冠たるレベルにあると自信を持って言える。

米国人が下品だなんてことは、昔から全世界的な共通認識である。

 これ、さあ。トランプ氏の下品さが際立つように思うでしょ?

 私が思うに、それは違うな。トランプが下品なんじゃない。アメリカ人なんて、どいつもこいつも、もともとこれくらい下品なんだよ。このトランプ氏の言動って、普通~ぅの米国人の、(ごく)ごぉ~く普通の感情を代弁してんのさ。アイツら、腹の中では、9割とは言わない、そこまでひどくはなくても、まず6割5分くらいの人間が、「チャンコロ、シナの黄人のクセに幅効かせてやがって、いつか皆殺しにしてやるからな」くらいにしか思ってないのさ。

 ましてや、日本なんぞ。米国人なんてものは、日本人なんか、鼻糞くらいか、それ以下の塵埃(ゴミ)とか恥垢(チンカス)くらいに思ってますよ。「もう一発原爆見舞って殺してやろうかい」ぐらいの、それぐらいの尊大倨傲(きょごう)ですよ、こんな奴ら。

 キリスト教徒のクセして、愛なんてゼロだよ。

時事疑義

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何かおかしくないか

 米国の死人の増加っぷりは、何かおかしくないだろうか。本日(令和2年(2020)5月8日(金))現在、7万5千5百43人という常軌を逸した人命が失われているというのだが……。

 自由な国である代償か、もともとよくわからない死人が多い国柄なのだが、そういう死人を新型コロナウイルスのせいにして誤魔化しているのではないか?

なりふり構ってないよな、もはや。

 いや、敵を求めたいのはわかるが、真珠湾ってのは違うだろ。アレはむしろ、米国のほうが馬鹿だったから招き寄せた結果だぜ?

 もしも日本か、その他の誰かから「広島・長崎へ原爆を投下したことの報いが微生物禍となって米国を襲っているのだ」(など)と言われたとして、お前ら米国は気分がいいか?よくないだろ。

 だったら真珠湾なんか引き合いに出すような言い方をやめろ。戦争野郎め。

腹が(よじ)れるよ

 いやもう、馬鹿馬鹿しくって阿呆らしくって。

 こんなことにゼニカネ注ぎ込んで、愚かなことだなあ、と思う。まあ、馬鹿は他にも大勢いるから、この人たちばかり責めるわけにもいくまい。

 パチ玉がそのまま煮るか焼くかでもして食えるようになるとかすれば、生活必需ということになる気もするが、あんなもの、煮たって焼いたって食えるものではない。結局は、やくざ者や北朝鮮~韓国への送金にしかならんのだからなあ……。

だいぶ前の記事だが

 良い記事だ。多分、山林でも河川でも農地でも、似たような環境維持が行われているのであろう。

時事寸片

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立夏

 今日は祝日「こどもの日」であると同時に、二十四節季は「立夏」でもある。なるほど、私の住まい、越谷市あたりでは昼12時の気温が27℃と、夏(はじ)めらしい汗ばむ日となった。

疫禍(えきか)にあたり読んでおくべき

 新型コロナウイルスの治療にも有力とされ、使用されつつあるインフルエンザ治療薬「アビガン」の開発者、白木博士自身による論文である。

 素人でもなんとか読むことができるように書かれていて、新型コロナウイルスがどのように飛沫やエアロゾルに乗って感染するのか、湿度とエアロゾル、マスクとの関係、アビガンの仕組み、どのように効果を発揮するのか、他にはどのような治療薬候補があるのか、アビガンと他の抗ウイルス薬との違いは何か、等々と言ったことを論理を尽くして端的かつ冷静・正確・精密、つまり科学的に述べてあり、万人これを読むべきものと思う。

 この論文の中で興味を持った点は、「ウイルス感染症は、細菌感染症と違って、特効薬の投与後、見かけの症状が増悪する場合がある」ということだ。素人が抗ウイルス薬の投与を受けたとき、苦しさがあまり軽減せず、「なんだ全然効きゃあしねえ!」なんぞと文句を言いそうな点である。しかし、こうした論文を読んでおくと、万一感染した場合、服薬後症状がなかなか消失しなくても、「なるほど、ここが聞き及ぶところの踏ん張りどころだ」と納得し、闘病に気合も入ろうかというものである。

本当にアホのようだ

 そう。アホというのが、人間というものなのだよ。

 素晴らしい学者とアホなマスク売り。この対比。世の中、多様性というのはこのことかのう。

アホらしい、根性でヤリ続けりゃ逆にあっぱれかも知れなかった

 初めの勢いなどどこへやら。

 だったら最初から営業すんなって。

時事芬々(ふんぷん)

投稿日:
仕事で新型コロナウイルス感染症に(かか)ると労災になるのか!?

 明らかに仕事で罹ったなら、労災になるようだ。「明らかに仕事」というと、つまり、お医者さんとか看護師さんとかタクシーの運転手とか?

 公務員等の公務災害認定も多分これに準ずることとなろう。

「エッセンシャル・ワーカー」なんぞという上から見下ろした調子の気取った言い方に腹を立てる

 つまり、じゃあ何かい、アンタやアンタやアンタの仕事はなくったって構わない仕事、必要不可欠でない仕事、早く言えば不要な仕事だってことかい、え?

 不要な仕事でゼニカネ貰ってて、他方で一生懸命額に汗水たらして働いている人のことを「エッセンシャル・ワーカー」なんぞと言ってスティグマ化していやがって、腹立つなあ。

胡散臭いな

 特定の個人を寄ってたかって叩く状況が生起している。

 あらゆる事実やすべての真実、事情のなにもかもが一般のニュースウォッチャーに明らかになっているわけではない以上、こんなふうに特定の個人を追い詰めるのはよくない。新聞・テレビもこの件に関する報道はやめるべきだ。

 当事者に多少の反省すべき点があったとしても、新聞やテレビや、ましてやTwitterユーザなぞ、法を執行する機関では断じてない。しかるに、これではまるで私刑(リンチ)である。私刑を行う権利は日本では何者にも与えられていない。

 当事者も反省していることと思う。情をもって寛容してやってはどうか。