応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.77

投稿日:

 帰って御飯食べるなり、メリモリバリボリと音が出るほどピアノの稽古。

 それなりに調子は良かったのだが、大していい録音はできず。

 間違えるところもだいたい決まってきた。主題部のオクターブ、第1中間部の左手、第2中間部のオクターブ。最近はそこばかり練習。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.76

投稿日:

 朝からせっせと練習に励むものの、気に入った演奏は結局一度もできず。

 昨日より後退したくらいだが、とにかく、練習記録だけは残しておこうと、朝から弾いて5度目くらいのやつが一番マシだったので。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.75

投稿日:

 拙いが練習記録のため録音を残す。

 薄紙を積み重ねていくような徐々・徐々の練習。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.74

投稿日:

 なんか今日は、ちょっと指が軽い感じで、第2中間部のオクターブのところなどが上手く弾けた。

 低迷する日も、パッとはじける日もある。

長女が

投稿日:

 長女(小6)は、池袋一直線系のマンガ・アニメ・お笑い大好き少女である。

「ねぇねぇ、お父さん、クリスマスプレゼントにね、パソコンのさ、YouTubeとかでいろんなアニメとか手作りしてるじゃない?あれをさ、作るソフトを買って?」

 と言う。ありゃ、去年までサンタクロースが持ってくることにしておいたのに、突然さりげなく親にねだろうってかい。

 コッチも得たりと、

「おいおい、そんな大きな声でクリスマスプレゼントに買ってくれなんて言うなよ。智香(次女)は、まだサンタクロースが持ってくるってことになってんだからよ」

 私が声を抑えて秘密めかしてそう言うと、なんだか、「初めて大人と内緒話を共有できた感」が長女の顔にパッと拡がり、

「あっ、そうだったわね!うん、内緒、内緒」 と、なかなか分別がいい。

 成長しちゃって、ケッケッケ。

 それにしても、長女がねだったのは「Adobe Flash」一式なのだが、あんな高いモン、小学校6年生へのクリスマスプレゼントになんか買ってやれるもんかい。

「アレはお前、フラッシュっつってな。マトモに買うとスンゲェ高いんだよ。ちょっと考えろよ。ドローイングソフトとかフォトレタッチとか、マンガ用ツールセットとかなら、買ってやらんでもないぞ」

と言うと残念そうに「う~ん、う~ん・・・」と悩んでいる。ハテサテ、どうしたモンかねぇ。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.73

投稿日:

 「エリーゼ」、何度か練習するものの、夜は酔っ払ってしまってサッパリ駄目。

ええぃっ!!違うだろう!!

投稿日:

 選択肢の設定が間違っておるッ!!何故、「硬め」じゃなくて、「硬い」ッ!!が好きだッ!という選択肢がないのか!?喝~ッ!!これでは答えられないだろうが!!

 まったく、この前の民主党がどうとかいう質問のときも、「なんで『悪くなる』がないのだあああッ」と書いてしまったがブツブツ・・・。

まったくだ!!

投稿日:

 まったくだ!!私が言いたいのも、まさにこれだ!!よくぞ言ってくれた。

「子ども」「障がい者」 漢字が悪いわけじゃない
http://dailynews.yahoo.co.jp/photograph/pickup/?1255339529

10月12日11時5分配信 産経新聞

 政権交代して、新聞にやたら「子ども」の表記が目立つようになった。民主党が掲げる「子ども手当」による。筆者に言わせれば「子供」と「子ども」とは別の概念だ。小児または小児らを指すのが「子供」で、「子ども」は「子+複数を表す接尾語ども」を表す書き方だ。

 なるほど「子ども」と書いても、この「ども」に複数を表すという意識はもうほとんど薄れている。だからといって、この接尾語「ども」が完全に滅んだかといえばそうではない。野郎ども、アホども、子供どもといえば複数概念がちゃんと生きていることが分かろう。この「ども」には、相手を見下すニュアンスがある。だから、「子供」よりもよほど子供を侮った書き方なのである。

 「子ども」表記にこだわる人に、「供」はお供の供で、子供を供え物のように扱う人権無視の書き方だという人がいるが、事実は右のように「子ども」の方がよほど子供の人権をないがしろにした書き方なのだ。

 子供の「供」は当て字だから「子ども」と書くのだという人には、こう言おう。「あなたは仕事を『し事』、乙女を『おと女』と書きますか」と。

 国語表記の基本は漢字仮名交じりだ。青空、恋人、場合、芝生のような純粋和語をもあたかも漢語のように漢字2字で表す工夫をしたのは、それが最も読みやすく理解しやすいからだ。それは長い時間をかけて出来上がった先人の知恵の集積であって、おかげで現代人はその恩恵に浴しているのである。妙な理屈をこねて、国語表記を毀損(きそん)する交ぜ書きを広めることに強烈な異議を申し立てたい。

 同じような理屈で、民主党の障害者の書き方は「障がい者」である。「障害者」ではまるで“人に害を与える人”みたいではないかと、これも多分“人権派”の、ある人が思いついたものであろう。それを自治体の幾つかが使用しだし、それが徐々に広がりつつある。

 「障害」は昭和31年の国語審議会報告「同音の漢字による書きかえ」に例示された「障碍(しょうがい)」の書き換えで、その後急速に広まった表記だ。だから、筆者はこれを「障碍者」に戻すことに異議は差し挟まない。しかし、「障がい者」と交ぜ書きにすることには反対である。

 なぜなら「がい」は音声を表すだけで意味を持たない書き方だからだ。「障害者」の「害」は“そこなう”という意味を持つ。「障碍者」の「碍」は“さまたげる”という意味を持つ。漢字ならそれがありありと見える。そういう人は心身が正常に機能するのにさわりや、そこない、さまたげを持つ人と理解するのが常識というものだ。“人に害を与える人”などというのは為(ため)にする議論である。

 「障がい者」は、障害者のハンディに目隠しをする書き方であり、非障害者が障害者を見て見ぬふりをするのに都合のいい書き方とさえいえる。

 文字はもとより、人の世を映して、それを表す手立てにすぎない。人の世には善があれば悪もある。美があれば醜もある。光があれば闇もある。「供」であれ「害」であれ、決して漢字が悪いわけでない。「子ども」「障がい者」と漢字隠しをしても、問題は一つも解決しない。けしからんのは漢字ではなく人間の方なのだから。新政権はそこをよくよく考え、国語表記の襟を正すべきだ。(塩原経央)

アレルギー性鼻炎に悩む

投稿日:

 昨日家内がはたいた家の埃を吸い込んでしまい、アレルギー性鼻炎に悩まされている。こう大量に吸い込むと、常用している抗ヒスタミン剤(アレグラ錠)の効きも焼け石に水で、どんよりと頭痛までしてくる。

 「胃潰瘍の主原因はストレスである」、また「胃液は強酸であるゆえに、その中では微生物は生きられない」というのが100年以上にわたる医学界の常識であった。だが、これにとらわれない研究によってピロリ菌が発見され、胃潰瘍の主原因はむしろこのほうにあるということがわかってきた。

 同じように、アレルギー性鼻炎にもそんなようなことが起こらないものかと妄想する。なにか、(ばい)菌が発見されて、それを除菌したら一生ピタリと治ってしまう、というようなことが。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.72

投稿日:

 朝から懲りもなくせっせと弾く「エリーゼ」である。

 なんとかかんとか、次女のピアノの先生に直してもらった指使いについては、直されたとおりにできた。ミスタッチが一つ二つ、あるが・・・。

 更に引き続き、練習だ!!。