- 体育会“ゲーム部”に沸くアメリカ(NHK News Web、平成29年(2017)12月08日(金)18時10分)
「eスポーツ」て、……(笑)。モノは言いようだなあ、ほんと。
オッサンは生きている。
ショートカットキーは手になじむから、ひょんなことでファイルが消えると確かに悲鳴だわなあ。
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha
さえずり季題【366】は、「湯豆腐」です。安くて飽きのこないおいしさ、食べるたび、よくぞ日本人に生まれけり、と感じます。
湯豆腐やほのと老母の恋がたり 久保千鶴子#saezuriha_odai #kigo #jhaiku #haiku #saezuriha
— 佐藤俊夫 (@SatoToshio) December 9, 2017
「さえずり季題」の出題当番が回ってきたので、「湯豆腐」で出してみた。
好物の一つだ。できるだけ具などは少ない方がいい。入れても根深葱の一切れ二切れ、白菜の一切れ二切れ、そんなもので十分だ。ぽん酢でも旨いが、生醤油のみでも旨い。酒の5合ほどもあったら、至福の上出来だ。銘柄なんてなんだっていい。
岩波の竹取物語、読み終わる。
全部読んでみて感じたのは、おとぎ話、童話というふうにとらえられがちなこの物語は、意外に男臭い、がっちりとした構成と文体を持ったれっきとした文学である、ということである。そう思って解説を読んだら、解説にもそんな風なことが書かれてあった。
補注の後には付録として今昔物語巻三十一の「竹取翁、見付けし女の
別の本を読み始める。同じく市立図書館で借りた岩波の「日本の酒」。多少古い本だから、酒に関わる現代の法制度などとは少し用語等は異なるのだろう、と予測して読み始める。
思いのほか面白く書かれている。
まことに人間臭い描写の多い竹取物語である。
……かぐや姫の心ゆきはてゝ、ありつる歌の返し、
まことかと聞きて見つれば言のはを飾れる玉の枝にぞありけると言ひて、玉の枝も返しつ。竹取の翁、さばかり語らひつるが、さすがに覺えて眠りをり。御子は、立つもはした、居るもはしたにて、ゐ給へり。日の暮ぬれば、すべり出給ひぬ。
本当に、嘘や確認不足がバレて具合が悪くなってしまった人たちの狼狽する様が、今も昔も変わらずこのとおりであろうなあ、と感じさせ、納得もさせるほどによく出ている。
腰痛で垂れ込める。
中年以降の持病で、これをカバーするべく
読み終わった「
つい、また、他の本を借り出す。以前、同郷の先輩Hさんと「矢切の
それから、岩波の「日本の酒」。その時、日本酒の銘柄に関する蘊蓄をHさんが披歴してくださったので、酒から2冊の本を連想したのだ。
更に別の本を思いつき、探してみた。
先日テレビで見た葛飾
図書館の端末で探したら在架と出たので、その書架に行って見たがなかった。まあ、拘泥しても仕方がない。今度来た時に、あれば借りてみよう。
こぐまのケーキ屋さん「せいちょう」 pic.twitter.com/ox4Spx92ET
— カメントツ@こぐまのケーキ屋さん (@Computerozi) December 2, 2017
一昨日、内田
巻末には、「
阿房列車全体も、ところどころ爆笑してしまうくらい面白かった。
しかも、さすがは明治生まれの文人で、
「
こちらの障子を開けると、しんとした静けさの中に、
杏子 の花が咲いている。花盛りの枝が、池の縁から乗り出して、音のしない雨の中に的皪 と光った。
……というふうに使われていた。基本的に面白い本なのに、こういうところの描写がさりげなく光る。百閒の本領だと思う。
「的」「皪」どちらの字も、「白い」「明るい」「鮮やか」という意味があり、「的皪」とは白く鮮やかに光る様子を言う。「的皪と光る」というふうに用いるわけだから、用言修飾ということで、副詞だ。
阿房列車を読み終わってしまったので、他に何か読むものを、と思い、図書館へ行った。
岩波の「竹取物語」が目についたので、それを借りた。文語体のものだ。その時、同じ書架で別の竹取物語も見つけた。川端康成による現代語訳で、河出書房から出ている。なんとなくそれも同時に借りた。
川端康成訳のほうから読み始め、先ほど読み終わった。この本は物語より川端康成自身による解説の方が長い。丁寧な解説で、しかも川端康成の国文学に対する通天の程が
岩波の文語体の方を読み始める。