憲法記念日

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天皇陛下万歳

 祝日「憲法記念日」である。自宅の軒先に国旗を掲げ拝礼する。

 いよいよ憲法墨守の思いを新たにする私である。

 何?「佐藤が護憲だと!?」ですか?

 驚くにはあたらない。

 私は右翼であるが、今や、無為に国費を浪費して無理矢理憲法を改正しようなどと言うのは愚かなことだと考えるようになった。今の私は、憲法を改正するのは、まず千~千五百年ほど現行憲法に従って精神力を錬磨してからでよいのではないか、とすら思っている。

 内容と現実の一致について言うべき余地など最早なく、議論は虚しい。聖書に沿って生きるキリスト教徒がほとんどいないのと同じく、仏典や大蔵経によって生きる仏教徒などほとんどいないのと同じく、またイスラム聖典(コーラン)に完全一致して生きるイスラム教徒など現実にはごく少数派に過ぎないのと同じく、実は憲法も不可侵の(まじない)真言(マントラ)大全、不磨不滅の経典なのである。両院議員は全員これに(はい)()する僧侶、日夜(ごん)(ぎょう)と教学論に余念がないのだ。これに気付けば、改憲派転じて純粋保守たる護憲派となるのは理の当然、ここに護憲精神沸々(ふつふつ)と煮え(たぎ)るとしても自然の流路と言って二致はあるまい。一言で言えば、「憲法のためならば、死ねる。」そうではないか。

 さておき、記紀にその由来をさかのぼる祝日が多い中――元旦、建国記念の日、天皇誕生日、また昭和帝の誕生日としての昭和の日やみどりの日、春分の日、こどもの日、秋分の日、明治帝の天長節としての文化の日、もとは「新嘗祭(にいなめさい)」であった勤労感謝の日など、これすべて記紀にまつわる故実に由来する。検索してみればお分かりになろう――この憲法記念日は古の由来などに関係なく、スポーツの日などと同様、人工的に設けられた数少ない祝日の一つである。

 ところが、その制定の経緯を紐解いてみると、これも古来の祭日に由来する端午の節句すなわちこどもの日、明治節すなわち文化の日などに影響されて曲折の末、現在の日にちが落ち着きどころとなったことが判る。いわく、入江文書によれば、5月1日に施行しようと考えたが「メーデー」とぶつかり、しからば5月5日にしようとしたがこれは「端午の節句」つまり「武の(まつり)」であってGHQの目が(はばか)られる、では5月3日が施行記念日、正確に半年差で11月3日を公布記念日にしてはどうかということになったという。ところが、11月3日は明治節であるため、これもGHQから難が付きかけたのだそうな。また、当時の中国政府(国民党政権)からもケチを付けられかけたという。

 なんにせよ、この祝日は連休、所謂(いわゆる)ゴールデン・ウィークの中核となるべき祝日で、日本人を休ませる機能の一つとしてなくてはならないものとなっていることは事実である。

テレビを見る

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 新コロ蔓延の折柄、外にも行けないので家でテレビなど見る。もとよりあまりテレビを見ない方なのだが、HDDレコーダーの便利さ、気に入ったものを選択的に見られるのは有難い。

 NHKの「BSプレミアム」で、名画や名作ドキュメンタリーがよくかかっていることを知った。

 これまで知らなかったのである。高い放送受信料を一銭漏らさず払い続けている私としたことが迂闊であった。見なければ勿体ない。

 さすがはNHK、お金を取るだけあってコマーシャルは一切入らず、没頭して見ることができ、気持ちが良い。こうでなくちゃいかん。

 昨日は先週放映された「グラディエイター」の録画を見た。その前はインド映画の傑作「ムトゥ 踊るマハラジャ」、ドキュメンタリー「映像の世紀・ヒトラーの野望」同じく「世界は地獄を見た」、それから「バック・トゥ・ザ・フューチャー」パート1、2を続けて見た。「ダーティ・ハリー」1~3も良かった。

薫風(くんぷう)

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薫風(くんぷう)(そう)()に受けて何の鳥   佐藤俊夫

#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha

 暦はまだギリギリ春で、薫風は夏の季語だから当季ではないのですが、まあ、細かいことはいいではないですか。

 昨日レイクタウンで見た(かいつぶり)を詠みました。「鳰」と詠むと、これは冬の季語なので、どうもいけません。じゃあ「水鳥」でごまかすと言うと、実はこれも冬の季語。ところが、実は、昨日レイクタウンで鳰を見たその時には、私は鳥の名前がわからず、帰宅してからネットの図鑑を見て鳰だとわかったのです。

今週のさえずり季題

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戦争ルール雑想

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 欧米白人はかつて戦争を「馬鹿ばかりでも構わないから()(かく)人手さえ()き集めて並べればどうにかできる技術体系」にまで練り上げ、それで世界を席巻した。第1次欧州戦争頃までがそうであったと言っていい。それ以前は、如何に戦争マニアの欧米白人と(いえど)も、ノーブレス・オブリージュの高い精神性に裏打ちされた貴族と騎士の高度な技術がなくては戦争はできなかった。だが、彼らはそれを「馬鹿と馬鹿を効率よく殺し合わせる技術」にまで引き下げた。

 アジアはそうではなかった。極端な例として明治維新前までの日本を見ればわかる。百姓町人にとってみれば、「(いくさ)なんどというのはお(さむらい)様がなさることで、()(まえ)(ども)には鋤鍬(すきくわ)算盤(そろばん)のことは分かりましても、弓鉄砲(ゆみてっぽう)のこととなりますと、とんと……」というところである。それまでの日本人にとって、戦争は誰にでもできるものではなく、刀槍弓鉄砲のいずれもが長い期間の熟練と精神性を要する特殊技能であった。

 馬鹿でもなんとかなる殺し合いの技術というのは、言い換えれば「誰でも使える銃」すなわち狙って引き金を引きさえすれば女子供でもなんとかなる技術ということである。仮に、射撃が下手糞で2発に1発しか当てられぬ馬鹿兵士揃いでも、これは確率の算段で、10人がところ頭数を掻き集めて一斉に撃たせれば 1-(\cfrac{1}{2})^{10}=0.9990234375 という計算、つまり、99.9%の確率で、少なくとも1発は当てられる。銃の威力は強い。たとえ相手を殺せなくても、手の先であろうと足の先であろうと、体のどこにでもいいから当てさえすれば、それでもう相手は戦う力を失う。欧米白人が考え出したのはこういうこと、つまり「愚か者の殺し合い」である。

 だが、「遅れてきたアジア人ども」が、漸々(ようよう)白人流の「馬鹿でもできる戦争の()(かた)」を身につけて、よちよちと戦争をはじめるや、欧米白人は再びルールを変えてしまった。「特殊で高度な兵器を、しかも大量に駆使しなければ勝てない戦争」にしてしまったのだ。いまや、核兵器はもとより、宇宙船、航空機、艦船、各種地上用兵器はおろか、かつて「馬鹿でも使える兵器」の代表であった小銃(ライフル)ですら、相当な訓練を積まなければ素人には扱えない複雑なものになってしまっている。地域によって歴史は相前後するとは思うが、これが大日本帝国敗戦前後までのことと思ってよいだろう。

 殺す者だけではない。戦争の一方の参加者、殺される者の範囲に関するルールも、欧米白人は変えた。都市無差別爆撃を最初にやらかしたのは誰だと問うと、欧米白人はむきになって大日本帝国による渡洋爆撃、上海への強行空襲、南京だと言いたがるのだろうが、ゲルニカやロンドン、ベルリンのそれに比べれば、否、広島、長崎に比べれば、これなど実に行儀のよいものであった。

 自分が作ったルールで自分が苦しむ。愚かなことである。しかし、今の欧米白人は、自分が苦しんではいない。苦しんでいるのは他の人種である。欧米白人は戦争の世紀から涼しい顔で脱し、悠揚迫らざる物腰で楽をしている。悔しいと思うが、そういう成り行きなのであるから悔しがっても仕様(しょう)がない。