ショパン ノクターンOp.9-No.2 その0.23

投稿日:

 今日も9小節目までをしつこく稽古している。

 このところ、Kenzi NOIKE氏の「smf2mp3」が復活している。ありがたく使わせていただいている。

 今日の出来は、6~9小節が8割くらいと見て、

(5 ÷ 35) + (4 ÷ 35 × 0.8) ≒ 0.23

 ということで、「その0.23」とした。

ショパン ノクターンOp.9-No.2 その0.22

投稿日:

 引き続き、ゆっくりと練習中のノクターンである。

 今日もまだ、Kenzi NOIKE氏の「smf2mp3」が使えないので、珍しくMIDIだ。

 6小節目から9小節目までは7割くらいだと思う。

 (5 ÷ 35) + (4 ÷ 35 × 0.7) ≒ 0.22

…ということで、その0.22とした。

ショパン ノクターンOp.9-No.2 その0.20

投稿日:

 ゆっくりと練習中である。

 1小節目から5小節目まで、なんとかかんとか弾けるようになったから、今度は6小節目から9小節目までを弾いている。

 今日はどうしたわけか、Kenzi NOIKE氏の「smf2mp3」が使えないので、珍しくMIDIだ。

 だいたい、6~9小節目までは、半分、というところだろう。したがって、

(5 ÷ 35) + (4 ÷ 35 × 0.5) = 0.2

…ということで、今日は「その0.20」とした。

ショパン ノクターンOp.9-No.2 その0.14

投稿日:

 だいたい5小節目までは弾けるようになった。

 全体の7分の1だから、1 ÷ 7 ≒ 0.14、というわけで、今回は「その0.14」だ。

ショパン ノクターンOp.9-No.2 その0.09

投稿日:

 ゴールデンウィークなので、のんびりと練習している。

 最初の5小節を引き続き繰り返し弾いている。

 100パーセントが「間違えず、つっかえずに鍵盤をたどることが出来る」とすると、65パーセントぐらいできたかな?という感じだ。

 前回と同じく、

1 ÷ 7 × 0.65 ≒ 0.09

…というわけで、「その0.09」とした。

ショパン ノクターンOp.9-No.2 その0.07

投稿日:

 さて、遅々遅々、また遅々と進めているノクターンの稽古である。

 はじめの5小節ばっかり、何度も何度も弾いている。いっこうに弾けるような気がしないが、別にそれでいいのである。

 今日の状況は次のとおりである。

 「その0.07」というのはどういうことかというと、この曲は全部で35個小節あるが、そのうち5個小節弾いたので7分の1だ。だが、出来具合はまだ半分だから、

 1 ÷ 7 × 0.5 ≒ 0.07

…というワケだ。

 この曲を弾いて見ようと思い立って、楽譜を見はじめたのが、ブログによると去る3月22日だから、かれこれ約1ヶ月経っている。

 そうすると、1 ÷ 0.07 ≒ 14.3、であるから、つまり、このまま練習を続ければ、とりあえず弾けるようになるまでに必ず14ヶ月以上はかかると言うことだが、

…まあ、いいや(爆)、がっはっは。

 

ショパン ノクターンOp.9-No.2 その0.01

投稿日:

 …出た、0.01刻み、という感じである。

 ただ、「エリーゼ」の時のように、何が何でも0.01づつ、100回以上ブログを書こう、というほどの気持ちまではない。

 のんびりと楽しく、和音を拾っていきたい。

 さて、少しづつ少しづつ、5小節目ぐらいまできた。最初の、主題が完結するところである。

 左手が大変覚えにくい。

ショパン ノクターンOp.9-No.2 やってみるか

投稿日:

 ちょっとやってみようかという気になった。

 楽譜は、いつか弾きたいものだと思っていたから、全音のピースのやつをもう買ってある。

 朝出勤前と、夜帰ってきてから、最初の3小節だけを弾いた。

 最後から二つ目のフラットがミの所にあるから、ホ長調、それがフラットだから、「変ホ長調」だ。

年末にあたり

投稿日:

 年末にあたり、今年1年を総括する。

 年頭には・・・

https://satotoshio.net/oldblog/my_housing/2007/01/post_ce72.html

  1.  バイエルを100番弾くこと、できることならショパンのノクターン2番も。
  2.  テクニカルエンジニア(システム管理)の試験に、今年こそ合格すること。

 こういう二つを目標に掲げていたのであった。

 このうち、「2.」の、「テクニカルエンジニア」については、天も照覧あれ、見事なしとげることができた。ただ、その後、目標になかった「システムアナリスト」を受けて落ちたため、なんだか今年前半のテクニカルエンジニア合格までが汚れてしまったような気がして残念だ。

 で、「1.」の、「バイエルを100番弾くこと、できることならショパンのノクターン2番も。」というのは・・・今となってみては無謀といわざるを得ぬ。いや、マジでムリですって、コレ(笑)。

 そんなワケで、ま、総評50点ですな、私の平成19年は。 

ピアノの練習を始めて1年が経った

投稿日:

 下の娘のために買ったYAMAHAのキーボード「PSR-E303」でピアノの練習を始めてから、1年が経った。

 キーボードを買ったのは去年の9月10日である。

 かがわりょうこ先生の「★弾いてみよう!はじめてキーボード!」を見て、そろりそろりと「きらきら星」なんぞを弾き始めたのが去年の9月17日だ。なにか進む方向はないか、そうだ、ピアノというものは確か、「バイエル」という教則本から始めるものだと聞いた事があるぞ、ネット上にあるんじゃないか・・・などと、バイエルの15番くらいまでをネット上のタダの楽譜で弾いてみたのが同じく9月30日から10月1日あたりからである。

 「必ずバイエル教則本を1冊弾き切ってやる、そしていつかはベテランピアニストに」などと思って練習し始めたわけではない。練習し始めてしばらくしてからはそう考えて来なかったわけではなく、今は無論、バイエルの教則本を1冊、なんとか弾いてやろうとは思っている。ショパンのノクターン2番や、パッヘルベルのカノンが弾けたら楽しいだろうなあ、是非弾いてみたいなァ、とも思っている。

 が、固い決意とか、目標とかに動かされているわけではない。今も、私には目標などなく、キーボードを弾くと綺麗な音が出て楽しいというだけに過ぎぬ。いつでもやめてしまって良いのだ。

 いつでもやめてしまってよい、という気楽さが、これほどいい音で弾きたいという気持ちをかなえてくれ、かつ、何をやっても飽きっぽく、長続きしない私を動かしてくれるものとは思わなかった。

 だいたい、私という人間は、生まれてこのかた、1年間何か一つのことを熱心に続けた、などということなど一つもないのだ。仕事は別だ。仕事は、これはのがれることのできない呪いとか罠の類であって、休むとか続ける続けないの問題ではない。責任と義務の話である。だから、今年の4月で永年勤続満25年を迎えている。

 さておき、飽きっぽくて頭の悪い私が、何の目標も持たず、いわんや義務もないのに、1年間毎日休まず──いや、もちろん、仕事で泊まりの時とか、旅行したときには無理だから練習などしていない、それを除けての話──ピアノの練習をしたというのは、驚くべきことだ。

 案外とうまくいくことというのは、無目標に歩んでいてふと目を上げてみたら、相当高い山に登ってきてしまったことに気づくようなものなのではあるまいか。理想と目標を高く掲げて走り出し、即破綻、なんていうのは、実際良くある話である。

 理想と目標を高く掲げることが良くないことだなどと言うのではない。ただ、理想と目標の高さに往々にしてそっぽを向いてしまう、それが人間の気持ちというものなのだろう。

 実は、幼稚園ごろだったか、ピアノを習ったことがある。「ピアノ弾きたいだろ?」と、弾きたいと答えよといわぬばかりの親の問いかけに、肯定で答える義務があると考えた屈折した私は、作り笑いを浮かべながら「うん、弾きたい」と答えたものだ。

 ほんの2~3度ほどもレッスンに通っただろうか、それだけでチック症にかかり、顔面といわず体といわず、また声すらも、ひくひくぐるぐるヒックヒックと妄動させずにおれなくなってしまったのだ。両親はピアノの練習をやめさせ、チック症の治療のために精神病院に私を連れて行った。

 幼稚園の小児である。精神病院への通院は、珍しく楽しい体験だった。「心理テスト」というものを受けるのだ。正面1メートル、奥行き60センチほどの砂箱があって、ジオラマ用であろうか、小さな家や木や人の、子供用のおもちゃとは異なった本格的なミニチュアがたくさんあり、「これで遊びなさい」というのである。突然そんなすばらしいものを見せられても息を呑むばかりで、また、どうしたらいいものやらわからず、手をつけずに何もしないでしばらくいると、白衣を来た人のよさそうな顔の医師は鋭い目つきで何か手元の書類に書き入れ、うってかわってさっと笑顔になって「好きなように並べてみるといいよ」と言って、一緒に遊んでくれた。

 私が夢中になりだすと、いつか知らぬ間に後ろに引き下がり、ふと見ると鋭い目つきで私を見ては書類に何か書き入れているのだった。

 何度かそんなテストを受け、また何度かは脳波の測定もされた。なぜか、二人の兄弟、姉と兄もが脳波の測定を受けていた記憶がある。

 チック症はまったく良くなっていないのに、いつの間にか精神病院には通わなくなった。経済的なこともあったのだろう。

 爾来、私のチック症は治ることはなく、今も顔をゆがめたりおかしな具合に息をついたりすることが収まらない。

 度量の狭い父は、そんな私が疎ましくてならなかったのだろう、今思えばとるに足らぬ些細な理由で私を殴りつけ、湯飲みをぶつけ、ヒモで私をひっぱたいてケガをさせた。母は私を家の外に放り出し、殴って水を浴びせ、物置に放置した。今なら、警察に通報されるだろう。

 逃れられない狂人小屋のような家が耐えられず、親戚が来ている時に両親、兄弟から無惨に責められた私は、外に走り出て大きな声で叫び、喉が枯れてもなお叫びつづけた。近所から人が出てきて指をさしたものだ。その親戚も、さぞかし私の家族と私を病的だと思ったことだろう。

 そんな父と母は、結局子育てには失敗した。姉は精神質に育った。しかし、ごく普通に嫁に行き、平穏に暮らしている。良かったと思う。

 一方、兄は中途半端なヤンキーもどきになり、頭も悪く、地元で最も学力が低い高校にすら合格できなかった。仕方なく屑屋で働いたのを皮切りに、10以上もの職を転々とした。シンナーを吸い、働き口でのくだらない揉め事で小指を詰め、再度三度にわたって警察の厄介になった挙句、19歳のときに馬鹿仲間と改造車で海中に突っ込んで溺死した。ひと月ほども行方不明のまま、腐乱死体になって発見された。

 私も失敗作だ。親というものは孝行しなければならないものだ、それが人として当然だ、という、自分の心の底からではない、教科書にでも書かれていそうな観念で自分を支えて長いあいだ親に奉仕してきたのだったが、あることで──このブログの主題でもある、自宅の建築で──昔からの憎悪に耐えられなくなり、親を捨てた。

 狂人に拝跪すれば自分の妻と子を殺すことになる。狂った親には、もう私は十分奉仕した。私は自分の妻と子を守り、自分の人生を作るのだ。狂親は私の人生の邪魔であり、憎むべき障害物である。

 そのように考えるようになった折も折、鍵盤楽器が再び私の前に現れたのだった。

 何をやっても長続きせず飽きっぽい私が、どうしてこれまで到底できなかった1年という期間、バイエルの練習を持続できたのか、この一文は説明しえているであろうか。