NTTドコモ携帯電話 Primeシリーズ「SH-03A」のこと

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 暮れに、訳あって大金を投じ、携帯電話をNTTドコモの最新シリーズ「Prime」の、「SH-03A」に換えた。快適であり、おおむね満足している。だが、2~3の不満足な点もある。良し悪しを綯い混ぜて、ここに書き留めておきたい。

  •  電子メールを書いている最中に、写真を撮って添付したくなることがままある。前の「D901is」だと、添付ファイルをつけるときに「新規に写真を撮って添付する」という選択肢が出て、手軽にこれができた。だが、今度のSH-03Aはそのへんは簡単ではない。マルチタスク機能を使ってやることになり、少々煩雑だ。×。(よく見るとできることがあとでわかったので訂正。2008年2月7日)今度のSH-03Aもそれはできるのだが、選択肢がサブメニューの後ろのほうにあるため、メニューを1ページ送らなければならない。ともすれば「その機能がないのではないか?」と勘違いしてしまう。サブメニューのよく使う機能は前のほうに送られてくるなどの工夫はなかったものか。
  •  ブルートゥースが組み込まれており、ワイヤレスヘッドフォンとの相性は抜群である。満員電車で通勤していると、不快を紛らわすのに音楽は卓効があるが、ヘッドフォンのコードがあっちこっちにひっかかったりしてややこしい。私はソニーのBRC-BT15というハンズフリー通話機能つきのブルートゥースレシーバーを秋葉原のヨドバシカメラで8900円ほどで買った。
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    これは実に快適なもので、この小さく軽いレシーバーのスイッチを入れると、携帯電話の音楽プレーヤーが連動して立ち上がり、前回スイッチを切ったところから続きの音楽再生が始まる。電話がかかってくれば、側面にある小さなボタンを押せば良い。内蔵マイクで快適な通話ができる。人ごみで突然、ポケットに手を突っ込んだままハンズフリー通話をすると、さすがに周りの人が引きますがね(笑)。

 普通、ヘッドフォンを携帯に接続するにはいわゆる「平形」のコネクタでつなぐものだが、平形コネクタは繊細なつくりで、強度はあまりない。ポケットなどに無造作に入れておくと、ともすれば折れてしまう。その点でも、このブルートゥースレシーバーは実にオススメで、ワイヤレスであるから、脆弱なコネクタ類が出っ張るということもなく、携帯を壊すことがない。

 また、どうしたわけか、FOMAの以前の「平形ヘッドフォンコネクタ」はなくなってしまっており、以前に買ったコネクタは使えなくなっている。このシリーズでは、ヘッドフォンをつなぐところは、充電のコネクタと一緒になってしまっているのだ。したがって、別売りの「充電スタンド」を使わないと、充電しながら音楽を聴くことはできない。だが、このブルートゥースレシーバーを使えば、充電しながら支障なく音楽が聴ける。充電スタンドにセットした状態でも、ブルートゥースは5メートルや6メートルはまったく問題なく飛ぶから、同じ部屋の中であれば大丈夫である。

  • Img_0668_3 この機種の音楽機能はピアノとベストマッチである。 前述のブルートゥースレシーバーを愛用のデジタルピアノ「Roland FP-7」のヘッドフォンステレオ用端子にステレオミニプラグで接続し、携帯でアシュケナージのショパンなどを再生して聞けば、FP-7とSH-03Aは実に文句なしのステレオ装置に早変わりする。色を黒で統一したのは意識したわけではなかったのだが、こうして組み合わせてみると実に良い。
  •  音楽機能はWindows Media Playerと非常によくリンクし、音楽データの転送も簡単である。
  •  音楽機能の不満点がひとつある。8GBのmicroSDを入れれば、我が家にある全てのCDを飲み込んでまだ余りあるほどの容量があるのだが、残念ながら曲の数は1000曲が上限である。説明書には1000曲とあるが、999曲でエラーが出る。1000曲というのは意外とすぐにいっぱいになってしまうものなのだが、上限が1000曲までという説明もわかりにくいところにある。しかも、1000曲を超えたときに表示されるエラーは「1000曲でいっぱいです」という意味のものではなく、ただ「失敗しました」とだけパソコン側に表示されるので、なぜ失敗したのかがわからない。少々改善の余地が感じられる。
  •  タダで地図アプリが最初からついており、ナビゲーション機能もある。徒歩や電車移動時の道案内は、「次の交差点を右へ曲がれ」等と音声で教えてくれ、実に快適だ。地図はネットの向こうから最新のものをそのつど持ってきて表示してくれる。だが、「パケホーダイ」等の契約をしないで、ナビゲーションしながら電車などに乗ってしまうと、大変な量の地図をスクロールしつつネットの向こうから持ってくるので、莫大なパケット代がかかる。要注意である。私はそんなことにならないよう、しっかりと「パケホーダイダブル」を契約しておいた。
  •  カメラは高機能だが、反応はデジカメほどには速くないので、それほど期待はしないほうがいいと思う。
  •  標準でついているフルブラウザは、一度使うとやめられませんというくらいのすばらしい出来である。だが、これでYouTubeなど見るとき、ブルートゥースに音が出力されないのはメーカーの千慮の一失といえ、残念である。 

バイエル#104 その2

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 バイエル104番、月曜日の演奏では、楽譜を一箇所読み間違っていた。第10小節と第12小節の右手、付点八分音符を思いっきり普通の八分音符で弾いていた。とりあえず、その部分のみ引きなおしの意味で。ミスタッチだらけ。

 実は、記事を書いた直後に「Piano1001」さんの演奏データを聴きに行き、月曜中に間違っていることに気づいていたのだが、修正するのに今日までかかったのだ。

 弾きなおしに必死で、あまりおさらいできず。少ない曲をかなり真剣におさらいする。

バイエル#100 その3

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 曇りの日曜、朝から庭の手入れをして、玄関先の掃除、表札を改良するなど家のことをし、合間合間にピアノの練習に励む。

 バイエル100番、ぼちぼちケリをつけて、次に進もう。

 どうも、後半第41小節~第43小節あたりがあやしいが、マァいいや。今日を出来上がりと考えると、バイエル100番には23日間かかった計算である。

 新しい曲にチャレンジしつつ、いつもおさらいする曲は30曲ほどだが、一番最後にショパンのプレリュード7番を弾く。バイエル以外の曲で私が弾ける唯一の曲である。しかし、これがちっともうまくならない。今日の出来はこういう具合。

ピアノを注文してきた

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 先日、勤続25年の褒美に、JCBの商品券を4万円貰った私である。

 この4万円と、爪に灯を点して貯めた貯金箱の中の12万なにがしとを合わせれば、ローランドのスタイリッシュ型の上級品、「FP-7」に純正スタンドをつけて、なんとか手が届くか届かないかほどの額である。

 最初は一ランク初級品の「FP-4」を目標にしていて、そっちならもう今の手持ち金額で難なく手に入るのだが、JCBの商品券を貰える事がわかった時点で、目標を延伸したのだ。

 近所に「OPA」というファッションビルがあり、その中に島村楽器が入っている。そこに「ローランドフォレスタ」というローランドのピアノブースがあって、以前、そこのキレイなお姉さんが熱心にローランドのピアノを説明してくれたものだ。それからというもの半年、そこに行っては説明を聞くばかりでいっこうに購入しない私を、お姉さんはそれでも馴染み客のように扱って、行くたびに歓迎してくれるのであった。そこにはもう一人熱心なお兄さんがいて、よくセールスしてくれる。お姉さんとお兄さんが熱心だから、よっしゃ、ひとつここで買い物してやろうかい、という気にもなる。

 JCBの商品券と貯金箱を睨んでいてふと思い出したのであるが、確か、そこを何度めかに訪れた折、そのお兄さんがOPAのポイントカードのうまい使い方を教えてくれた。いわく、OPAのポイントカードにはサービスデーがあって、その日に買い物をするとポイントが5倍つく。一方、ピアノは高い買い物だ、かなりのポイントがつくから、そのポイントだけで純正スタンドぐらいは買える。そのポイントは即日は使えないが、翌日には使えるようになるから、それをうまく使えば、本体の代金くらいでスタンドも手に入りますよ、というのだ。

 それを思い出したから、よし、それなら、というわけで、今日は昼からその「南越谷OPA」へ行ってきた。ポイントカードを申し込んで、島村楽器の「ローランドフォレスタ」へ行く。島村楽器の店員さんの「手付金を8千円払ってくれれば、しかるべくお取り計らい致しましょう」との案内にしたがい、8千円払って念願のFP-7を注文してきた。再来週の11月14日に残額を払いに行く。

 いよいよ、自分のピアノが手に入る。嬉しいぞ。ピアノを買えば、昼飯にもうちょっと栄養のあるものが食えるのもかなり嬉しい。

 だが、買い物を済ませてしまえば、ピアノブースのキレイなお姉さんには会えなくなるので、なんだか残念だ(笑)。

臨時収入が予定される

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 去年の秋から、自分のピアノが欲しくなり、昼飯代を節約して平日一日につき500円を貯金箱に入れている(https://satotoshio.net/oldblog/my_housing/2007/06/post_5306.html)。去年の10月25日から始めたから、ほぼ1年が経ったわけだ。

D1000027 上にリンクした記事を書いた6月ごろにはこの貯金箱の内容は5~6万ほどだった。その後、一度中身を取り出して金額を改め、新しい貯金箱に入れなおした。それからは「正」の文字をマジックでつけながら貯めている。たまに50円100円の小銭を余分に入れることもあり、既に12万2千813円を蔵している。

 なんとか目標のローランドFP-4の市場価格には届くところまで来た。毎日12キロのランニング、昼休みには25キロダンベルで筋肉トレーニング、当然のことながらちゃんと仕事をしつつ、味噌汁・ライスで210円という貧弱な昼食で空腹を抱えて毎日を耐え忍び、我ながらよくもまあ12万も貯めたものだと思う。

 さてそんな日々にも朗報はある。私は中学を出てからすぐ今の仕事を始め、今年で勤続25年になる。勤続25年の褒美に、JCBの商品券を4万円くれるというのだ。

 貯金箱の中身が12万円、この臨時収入を合わせれば16万円だ。16万円あれば、FP-4の1ランク上位機種、FP-7にあと少しで手が届くではないか!!これはうれしい。

 が、16万ちょうどでは、わずかに足りないのである。FP-7の市価は概ね17万、専用スタンドが1万円ほどするので、18万円ほどなければならぬ。さてさて、如何にせん如何にせん。

秋の情報処理技術者試験

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 今日は秋の情報処理技術者試験の試験日であった。前回合格したテクニカルエンジニアの試験から、半年空けて立て続けの受験である。

 今回は最難関、「システムアナリスト」にチャレンジした。実のところ、8月を過ぎる頃までは、かなり懸命に勉強した。が、9月に入ってから難しさに音をあげ、すっかり勉強を投げ出してしまっていた。

 だから、周りの者にも、予て「俺、落ちますから」と言いふらしていたし、試験場におもむくにも、「ま、どうせ今日は落ちるんだからさ、問題が手におえなければ、さっさと帰ればいいんだよな」というくらいの気持ちである。

 試験は、東京・芝の「共立薬科大学」というところで行われた。東京タワーの眺めがよいところである。It_exam_tokyotower 今日も秋晴れ、雲が少なく、紺色の空が広がっていた。私はそこの4階の大きな講堂で試験を受けた。

 結果は、マァ、落ちたと思う。落ちたと思うのだが、それはそれとして、試験を受け始めてみると、「あれ、これは解ける。あ、これもわかる」と、ひと月近くも勉強を投げ出してしまっていたわりには、けっこう、どんどん解けて、調子が良いのだ。

 試験は午前試験、午後I試験、午後II試験と日中まる一日あるのだが、結局、そんなわけで、途中でやめずに全部受けてしまった。そうなると、投げてしまっていたわりには、その投げ出したラスト一ヶ月間が急に惜しくなってしまう情けなさである。

 この試験の午前中の問題は、だいたい75%正答すれば、合格する。「だいたい」というのは、「IRT理論」とて、受験者の回答具合によって配点の比率が動的に変わるからで、70%の正答では、正答数が同じでも、落ちる者と合格する者が出てくるのである。つまり、70%は悲喜のボーダーラインなのである。

 試験にまったく歯が立たなければ、家に帰ってもそのまま問題などうっちゃらかしてしまっているところだった。だが、こうしたわけで未練の出てしまった私は、さっそく自己採点をした。今は、試験終了次第、ウェブサイトで解答が出るのである。そうすると、その「70%」という、実にビミョーな、期待して待てばよいのか、あきらめてさっさと寝ればよいのか、どうすればよいのかわからない「ピッタリ」ボーダーラインの正答数ではないか!!

 まったく、勉強を投げ出してしまったことが、これほど更に未練を引きずることにつながってこようとは・・・。

 発表は12月17日。それまで2ヶ月、あきらめていながらひょっとして・・・?という不安定な気持ちで過ごす。これも私らしいか。

ピアノの練習を始めて1年が経った

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 下の娘のために買ったYAMAHAのキーボード「PSR-E303」でピアノの練習を始めてから、1年が経った。

 キーボードを買ったのは去年の9月10日である。

 かがわりょうこ先生の「★弾いてみよう!はじめてキーボード!」を見て、そろりそろりと「きらきら星」なんぞを弾き始めたのが去年の9月17日だ。なにか進む方向はないか、そうだ、ピアノというものは確か、「バイエル」という教則本から始めるものだと聞いた事があるぞ、ネット上にあるんじゃないか・・・などと、バイエルの15番くらいまでをネット上のタダの楽譜で弾いてみたのが同じく9月30日から10月1日あたりからである。

 「必ずバイエル教則本を1冊弾き切ってやる、そしていつかはベテランピアニストに」などと思って練習し始めたわけではない。練習し始めてしばらくしてからはそう考えて来なかったわけではなく、今は無論、バイエルの教則本を1冊、なんとか弾いてやろうとは思っている。ショパンのノクターン2番や、パッヘルベルのカノンが弾けたら楽しいだろうなあ、是非弾いてみたいなァ、とも思っている。

 が、固い決意とか、目標とかに動かされているわけではない。今も、私には目標などなく、キーボードを弾くと綺麗な音が出て楽しいというだけに過ぎぬ。いつでもやめてしまって良いのだ。

 いつでもやめてしまってよい、という気楽さが、これほどいい音で弾きたいという気持ちをかなえてくれ、かつ、何をやっても飽きっぽく、長続きしない私を動かしてくれるものとは思わなかった。

 だいたい、私という人間は、生まれてこのかた、1年間何か一つのことを熱心に続けた、などということなど一つもないのだ。仕事は別だ。仕事は、これはのがれることのできない呪いとか罠の類であって、休むとか続ける続けないの問題ではない。責任と義務の話である。だから、今年の4月で永年勤続満25年を迎えている。

 さておき、飽きっぽくて頭の悪い私が、何の目標も持たず、いわんや義務もないのに、1年間毎日休まず──いや、もちろん、仕事で泊まりの時とか、旅行したときには無理だから練習などしていない、それを除けての話──ピアノの練習をしたというのは、驚くべきことだ。

 案外とうまくいくことというのは、無目標に歩んでいてふと目を上げてみたら、相当高い山に登ってきてしまったことに気づくようなものなのではあるまいか。理想と目標を高く掲げて走り出し、即破綻、なんていうのは、実際良くある話である。

 理想と目標を高く掲げることが良くないことだなどと言うのではない。ただ、理想と目標の高さに往々にしてそっぽを向いてしまう、それが人間の気持ちというものなのだろう。

 実は、幼稚園ごろだったか、ピアノを習ったことがある。「ピアノ弾きたいだろ?」と、弾きたいと答えよといわぬばかりの親の問いかけに、肯定で答える義務があると考えた屈折した私は、作り笑いを浮かべながら「うん、弾きたい」と答えたものだ。

 ほんの2~3度ほどもレッスンに通っただろうか、それだけでチック症にかかり、顔面といわず体といわず、また声すらも、ひくひくぐるぐるヒックヒックと妄動させずにおれなくなってしまったのだ。両親はピアノの練習をやめさせ、チック症の治療のために精神病院に私を連れて行った。

 幼稚園の小児である。精神病院への通院は、珍しく楽しい体験だった。「心理テスト」というものを受けるのだ。正面1メートル、奥行き60センチほどの砂箱があって、ジオラマ用であろうか、小さな家や木や人の、子供用のおもちゃとは異なった本格的なミニチュアがたくさんあり、「これで遊びなさい」というのである。突然そんなすばらしいものを見せられても息を呑むばかりで、また、どうしたらいいものやらわからず、手をつけずに何もしないでしばらくいると、白衣を来た人のよさそうな顔の医師は鋭い目つきで何か手元の書類に書き入れ、うってかわってさっと笑顔になって「好きなように並べてみるといいよ」と言って、一緒に遊んでくれた。

 私が夢中になりだすと、いつか知らぬ間に後ろに引き下がり、ふと見ると鋭い目つきで私を見ては書類に何か書き入れているのだった。

 何度かそんなテストを受け、また何度かは脳波の測定もされた。なぜか、二人の兄弟、姉と兄もが脳波の測定を受けていた記憶がある。

 チック症はまったく良くなっていないのに、いつの間にか精神病院には通わなくなった。経済的なこともあったのだろう。

 爾来、私のチック症は治ることはなく、今も顔をゆがめたりおかしな具合に息をついたりすることが収まらない。

 度量の狭い父は、そんな私が疎ましくてならなかったのだろう、今思えばとるに足らぬ些細な理由で私を殴りつけ、湯飲みをぶつけ、ヒモで私をひっぱたいてケガをさせた。母は私を家の外に放り出し、殴って水を浴びせ、物置に放置した。今なら、警察に通報されるだろう。

 逃れられない狂人小屋のような家が耐えられず、親戚が来ている時に両親、兄弟から無惨に責められた私は、外に走り出て大きな声で叫び、喉が枯れてもなお叫びつづけた。近所から人が出てきて指をさしたものだ。その親戚も、さぞかし私の家族と私を病的だと思ったことだろう。

 そんな父と母は、結局子育てには失敗した。姉は精神質に育った。しかし、ごく普通に嫁に行き、平穏に暮らしている。良かったと思う。

 一方、兄は中途半端なヤンキーもどきになり、頭も悪く、地元で最も学力が低い高校にすら合格できなかった。仕方なく屑屋で働いたのを皮切りに、10以上もの職を転々とした。シンナーを吸い、働き口でのくだらない揉め事で小指を詰め、再度三度にわたって警察の厄介になった挙句、19歳のときに馬鹿仲間と改造車で海中に突っ込んで溺死した。ひと月ほども行方不明のまま、腐乱死体になって発見された。

 私も失敗作だ。親というものは孝行しなければならないものだ、それが人として当然だ、という、自分の心の底からではない、教科書にでも書かれていそうな観念で自分を支えて長いあいだ親に奉仕してきたのだったが、あることで──このブログの主題でもある、自宅の建築で──昔からの憎悪に耐えられなくなり、親を捨てた。

 狂人に拝跪すれば自分の妻と子を殺すことになる。狂った親には、もう私は十分奉仕した。私は自分の妻と子を守り、自分の人生を作るのだ。狂親は私の人生の邪魔であり、憎むべき障害物である。

 そのように考えるようになった折も折、鍵盤楽器が再び私の前に現れたのだった。

 何をやっても長続きせず飽きっぽい私が、どうしてこれまで到底できなかった1年という期間、バイエルの練習を持続できたのか、この一文は説明しえているであろうか。

寄り道・ショパン プレリュード Op.28-No.7 苦心その5

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 ショパンのプレリュード7番、だいぶ弾けるようになった。嬉しい。

 素人の中年のオッサンが独習の初歩で弾くぶんには、まあ、これくらいの練度で及第点なんじゃなかろうかと一人合点する次第である。

 この曲の楽譜を買い込んだ6月2日から、ひと月と20日が経った。我ながら、ずいぶん根気強く練習したものだ。

 それにしても、たった1分ほどの曲なのに、この遅い進歩具合はどうだ。これが子供か学生であれば、自分の才能のなさに絶望して練習をやめてしまうのであろう。

 が、あいにくと私はオッサンで、誰かと技量を比べたり、ピアノを弾いてメシを食っていこうとか音楽大学に入ろうとか思っているワケではないので、まったく絶望する必要はないのである。

 自分に才能など皆無であることはわかりきったハナシだ。才能のない者がどうすればよいかを私は知っている。何度も何度も繰り返し練習することだ。別に苦しんでなどいない。キーボードからよい音が出て、楽しいと思う。

年頭の目標

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 最近の私は、年頭にあたって目標を新たにするということは、あまり、ない。

 なぜかというと、言ってはなんだが、最近の私にはいつも目標があるからだ。

 9月でも11月でも3月でも、その他1月以外のどのような月であろうと、二度とない今年最後の日である。毎日が愛惜すべき一生に一度の日だ。言うなれば、毎日が私の1月1日なのである。

 したがって私は、8月21日(水)、とかいう何の日だかわかんないようなヒラ日に、「よっしゃ、今から3ヶ月以内に3000メートル11分30秒を切るぞ!!」などと決心したりそれを実行したりして、年中目標に向かって突進しているのである。

 したがって、年頭にあたってやりたいことがハッキリしている今年の私はめずらしい。

  1.  バイエルを100番弾くこと、できることならショパンのノクターン2番も。
  2.  テクニカルエンジニア(システム管理)の試験に、今年こそ合格すること。

 ・・・これである。

上の原 山の家@宝台樹スキー場@水上高原

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 およそ15年ぶりにスキーをした。

 水上高原に宝台樹ほうだいぎスキー場というところがある。

宝台樹スキー場ホームページ

 12月27日から29日までの2泊3日、家族で出かけたのだが、その折に使った「上の原 山の家」という宿が大変良心的だったので、ここに書き留めたい。

【楽天トラベル】上の原 山の家

 出かける前、折から暖冬で、雪があまりなかった。宝台樹スキー場は広大なゲレンデなのだが、ネット情報では開いているコースは1コースのみであるという。しかも27日は雨になるというではないか。どうしようかなぁ、などと迷っていたら、その「上の原 山の家」から電話がかかってきた。「どうなさいますか、キャンセルなさいますか?」というのである。

 まず、これが良心的の第一弾である。たしかにスキー宿だから、スキーについて参考になる情報を提供するのはあたりまえといえばあたりまえではあるが、しかし、スキー場とは何の関係もない周辺の宿たるにすぎないのだから、黙っていれば客は泊まりに来て、カネは払っていくのである。それを、「キャンセルなさいますか?」とわざわざ電話をかけてきてくれるというのは、正直のあらわれというものだ。

 もともと、家族で旅行をする、というのも私たちの目的で、別に雪が少なくったっていいやァ、と思ってもいたからキャンセルせず、関越道を突っ走って宝台樹に着いた。

 「上の原 山の家」は、着いてみると古い宿であることがわかった。だが、掃除が隅々まで行き届き、玄関の引き戸の桟一本に至るまで、拭き清められてあって、ホコリが溜まっているということがまったくなかった。この宿は年配のご夫婦が経営しておられ、お二人が昔かたぎで真面目な人物である、ということがそれだけでわかった。

 ネット上の前評判では、「食事の量が少ない」などというものもあったのだが、とんでもない間違いである。量は十分であり、かつ、決して贅沢ではないにせよ、一品一品、工夫を凝らした真心の献立であった。食卓に着くと、手作りの箸紙のひとつひとつに手書きで客の名が墨書してあるなどというのも、実にすばらしかった。

 27日は午後に到着し、その日は結局一日中雨に降り込められてスキーは出来ずじまいだったのだが、それを、「明日はどうなさいます?キャンセルされますか?」とわざわざ聞いてくるのである。たとえ明日雪が降らなかろうと、黙ってほうっておけば私たちは金を払って泊まるであろうのに、である。

 風呂に入ると、風呂も隅々まで清潔に掃除が行き届いており、本当に気分がよかった。

 さて、その翌日、28日。雪が少ないせいで、宿には私たちのほかには一家族いるのみである。ところが、この日から、日本列島には寒波が到来した。28日から29日にかけて、どんどんザクザクと雪が降ったのである。宝台樹では一晩で40センチ。さあ、キャンセルした人も多くて、客の少ない宝台樹には、私たちのほかにはほんの40~50人しかいない。コースはまだ1コースしか開かないが、いいのだ、こっちは幼稚園児と小学校3年生の4人家族づれである。初心者コースでマッタリ滑れれば何も文句はない。

 久しぶりのスキーは本当に楽しかった。宿に帰ると、「お客さんが少ないですから、お風呂は女湯男湯をひと家族で片側づつ、貸切り家族風呂にして使ってくださいね」と、なんともうれしいサービスである。これも効率や経済をガマンした、良心的なサービスであると思った。

 良心的な宿と、のんびり滑れるスキー場で、本当によかった。