メモ;忖度(そんたく)

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 例えば、何度も聞き直すわけにもいかない上司の指示をよく吟味理解するような場面や、あるいは、上司の立場でははっきりと口に出すわけにもいかないことを部下のほうで深く理解してよしなに処理する、言外の意図を汲み取る、という、そういう場面でこの「忖度」ということばが使われることがある。

() 意味するところ
(おしはか)る・(はか) 精神的な「はかる」(「りっしんべん」がついているところから)
(はか) 物質的な「はかる」(「度量衡」などという言葉もあるところから)

 つまり、あらゆる面から「はかり、はかる」のが「忖度(そんたく)」という言葉の意味である。

レンチ

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 腹切場(はらきりば)の温情がわからない、恥を知らん奴が増えたな、と思う。

 私の前任者もそうだったし、後任者もそうだ。

 先月の舛添何某にしても、自民党が「辞任までは求めない」と伝えた時点で意図を明察して自斉すべきであった。結局手足を押さえつけられて他人に十字腹を切られたようなものだ。

 甘やかされ、チヤホヤされてきたエリートにはそこのところがわからない。恥を知らぬことが責任を取ることだと(うそぶ)いて、他人に切られるまで地位にしがみつくのだ。

 今、この文章に「廉恥(れんち)」という表題をつけようと思って入力しようとすると、「レンチ」だのと出てきて、まったく変換候補が出てこない。このこと一事からも、もはや「恥を知る」ということは前時代的な感覚で、古臭く、それを信じることは許されないことなのだという何者かの意志が伝わってくる。

 恥を知ることを捨てよというわけだ。こんな受け入れがたいことでも受け入れなければならない、恥を知る弱者の悲哀というのは、なんなのだろう。

 恥を知らぬ輩を認めて称揚しないと、もはや普通に暮らしていくことも許されないのだ。恥を知らぬ者を受け入れよ、許せよとは。

 昔の人は恥というものを知っていた。

 恥を知らない。醜いことだと思う。小奇麗に身辺をとりつくろい、洒落たようなことだけ言って、とりすまして行動し、薄汚れた現実と向き合おうとしない。

 ああ、嫌だ。嫌な世の中になった。

舌を巻くほどの見事な大嘘

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 大嘘のセンスが素晴らし過ぎて、感心してしまった。

 このベストアンサーの答え書いた人、素人とは思えない。

「足らず」と「余り」

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 人事異動のシーズンである。先週、先々週にかけて送別会が多くあり、人々の色々な去辞を聞いた。

 話し言葉ではついつい色々な言い方をしてしまうものだが、送別会の挨拶を聞くうちふと思ったことがある。「足らず」と「余り」に混乱がどうもあるようなのである。

 具体的には「2年あまりお世話になりました。」「2年足らずの間でしたがお世話になりました。」という言い方だ。

 1年10ヶ月は2年たらずだが、2年3ケ月は2年たらずではあるまい。同様に1年10ヶ月は2年あまりではないが、2年3か月は2年あまりである。酔席の挨拶のことだからと言って、どうせ誰も聞いちゃいないよ適当に言っとけ、というものでもなかろう。使い分けた方がいいと思う。

 さりとて、うまくぼかそうと「約2年」という言い方をするのもなんだか理屈っぽい。ビジネス報告会ではないのだから。

 「2年ほどの間」は当たり障りのない言い方だが、「ほど」という所にやや軽みがある。もし重く辛い2年間であったのならそれを表すのには馴染まない。

 「2年3ヶ月11日間お世話になりました」

 これも使い方によっては人柄が表れて笑いが取れるかもしれないが、科学技術の発表じゃあるまいし、これもなかろう。

 「概ね2年の間お世話になりました」

 「概ね」、て……。旧軍隊の検閲標語じゃあるまいし。

 まあ、目立たずスルーして貰うには、「2年間お世話になりました」って言っとくんでしょうね。

空漠、索漠

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 祝日の夜にもかかわらず、空漠たる不安、索漠たる思いにとらわれ、沈鬱な気持ちで入浴し、牛乳飲んで、戸棚を見るとジンジャエールの缶があったから、それでハイボールを作って飲む。

 で、筆のすさびに書いてしまってから「はて、『空漠』『索漠』って、どういう意味だっけ」と、検索する。

くう‐ばく【空漠】

[ト・タル][文][形動タリ]
1 果てしなく広いさま。茫漠(ぼうばく)。「空漠とした大洋」
2 漠然としてとらえどころがないさま。「空漠とした不安」
[名・形動]
1 1に同じ。
2 2に同じ。
「此―の荒野(あらぬ)には、音信(おとずれ)も無し、影も無し」〈上田敏訳・海潮音〉
「如何に―なる主人でも」〈漱石・吾輩は猫である〉

さく‐ばく【索漠/索×莫/索×寞】

[ト・タル][文][形動タリ]心を満たすものがなく、もの寂しく感じるさま。荒涼として気のめいるさま。「冬枯れの―とした風景」「―たる思いにとらわれる」

 まあ、もうすぐ正月休みだから、気の休まる間もあろう。

歳時漫筆

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 三夏(さんか)九十日、という。今年の立夏は5月6日だったが、8月8日の「立秋」までの約90日を三夏というのである。三夏とは初夏・仲夏・晩夏の三つをいい、その一つ一つを約30日1ヶ月とするのだ。今日はそろそろ初夏も終わり、6月に入ればもう仲夏にかかろうかな、という頃おいだ。これを「四季」という。普段我々は「四季」という言葉を春夏秋冬の意味で慣用するが、詳しく述べれば上のように12の「四季」がある。

 この「四季」は、それぞれ更に三つに分けられる。例えば夏なら初夏・仲夏・晩夏の三つに分けられ、4×3=12で、12に分けられる。更にこれらそれぞれを上下ふたつに分け、名前をつけたものを「二十四節気」という。これは少し語彙豊富な人なら「立春」「啓蟄」「春分」といった言葉で馴染みがある。今日は5月31日、一番近い二十四節気は5月21日の「小満(しょうまん)」である。

 更に、二十四節気を初候・二候・三候の三つに分けて名前をつけたものを「七十二候」という。ここまで来るともう、一般の人にはあまり馴染みがない。中国と日本で少し付け方が異なる。

 今日は、七十二候ではだいたい「麦秋至(ばくしゅういたる)」にあたる。

 麦は暑くなるにしたがって色づき収穫期を迎えるので、夏は麦にとっては秋である、ということで、俳句では今頃の季語として「麦の秋」「麦秋(ばくしゅう)」という言葉がよく使われる。

麦の秋さもなき雨にぬれにけり  久保田万太郎

 
 俳句の季語には、秋を春と言い、春を秋と言いかえるような、洒落た言葉が他にもある。例えば「竹の春」「竹の秋」という言葉がある。竹は春に黄色く枯れ、秋に青く葉が茂るので、他の植物とは逆に言うのである。春と言っても秋の季語、秋と言っても春の季語、というわけだ。

祗王寺は訪はで暮れけり竹の秋  鈴木真砂女

 竹の秋・麦の秋、どちらも、万物いきいきと緑に萌える初夏にあって、一抹の寂寥感が感じられる言葉で、なかなか渋い。

 これらとは真逆のものを同じ夏の季語から挙げるとすると、やはり「万緑(ばんりょく)」であろうか。

万緑の中や吾子の歯生え初むる  中村草田男

なんと言ってもこの句に尽きる。初夏の生命感、人生の歓喜に満ち溢れている。

 ただ、この「万緑」という言葉、中村草田男がこの句によって取り上げるまでは、春の季語であった。出典は漢籍で、1000年ほど前の中国の詩人、王安石の「石榴の詩」の中にこの言葉がある。

(ばん)(りょく)(そう)(ちゅう)(こう)一点(いってん) 動人(ひとをうごかすに)春色(しゅんしょくは)不須多(おおきをもちいず)

 この詩の一節自体、緑と赤のコントラストがいきいきと立ち上がって見えるような素晴らしいものだが、書いてある通りこれは春の一景なのだ。それを初夏の語として取り上げ、かつ認められたことは、まさしく「季語は名句によって生まれる」の例である。

 王安石の石榴詠は、むしろ「万緑」という言葉の出典というよりも、現代ではダイバーシティやジェンダーフリーの立場からあまり使われなくなってしまった、「紅一点」というゆかしい言葉の出典としてのほうが知られていることも忘れずに付け加えておきたい。この詩のままに捉えれば、「紅一点」は、むしろ労せず周囲をコントロールできる、たのもしい能力ということになり、良いことのように思えるが、さも差別語であるかのようになってしまったのは残念なことだ。

 さておき、中村草田男は生命の喜びをこのいきいきとした一句で謳歌したが、同じ万緑という言葉を使っても、まったく違うものもある。

万緑や死は一弾を以て足る  上田五千石

もう、こうなってしまうと、あまりの不安、自己凝視、メランコリックのために、こっちまでどうにかなってしまいそうである。私も上田五千石を勝手にリスペクトして、

万緑や我が死は何を以て足る   佐藤俊夫

……と詠んでみたことがある。

 いずれにしても、明日は月曜、新たに6月に入れば四季は「仲夏」となり、二十四節気は6月6日の「芒種(ぼうしゅ)」、七十二候は「蟷螂生(とうろうしょうず)」(かまきりが生まれること)となる。

 月曜は憂鬱で、私などとても生命力どころではないが、万緑の初夏、歓喜の盛り上がる季節はもう、こっちのメランコリーなどお構いなしに、好き勝手に流れていくのである。

やさぐれ寸聞

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 俗に、ヤサグレ、という言葉がある。これは本来は「家出」のことで、昔の不良若者の隠語だ。この本来の意味でなら、オダサクとか野坂昭如描くところのむしろ戦後の闇市あたりの情景に、ヒンブルだのバラケツだのテンプラだのルンペンだのという死語と共に散りばめられているのが似つかわしい。

 昭和21年4月、上野駅裏あたり。

「おい、そこのセイガク。お前何してる。どこへ行く」

「……。いや、別に」

「何だ、ヤサグレかい。近頃めずらしくもねえ」

 先に声をかけたバラケツは声を落とすと次郎の胸ぐらをぐいと掴み、「デケエ面すんじゃねえぞ兄ちゃんよ」と凄みのヒンブルである。

 ……などという昭和近代小説の一場面の会話によく嵌合(かんごう)する。

 だが、最近は「やさ」とか「ぐれ」という語感からか、気分が悪くムシャクシャしたりフクれたり、正確に言えば「デカダンス」に似たような状況や、時には「アンニュイ」のような気分、なげやりでやる気のないようなことを言うのにもつかわれることが多くなったようだ。

 今本来の「家出」の意味で「お前なんだ、やさぐれたのか?」などと言ってもまず通じないことは疑いない。

 ちなみに、なぜ家出をヤサグレというのかというと、「やさ」とは家のこと、「ぐれ」とは不良化することを「ぐれる」というが、それを名詞的に用いたものだ。

 グレかたにもいろいろあって、この「ヤサグレ」の他に、女の家に寄生する「ヒモグレ」「スケグレ」、最近では昔でいうところのバラケツや愚連隊のことをさして「半グレ」なぞというようになったようだ。

 家の事を「やさ」ということには諸説あり、「家作」をつづめたもの、とか、「鞘に収まる」という場合の「鞘」を隠語的に逆にしてヤサと言ったもの、などと言われているようだ。

 昔の家出は今とは違って、「公民権を放棄して棄民になる」ぐらいの捨て鉢な覚悟が必要であった。なぜかというと、家長制度がきつく、相続でも結婚で住み処を借りるにも、何をするにも戸主の許可がなければならなかったからである。家長、すなわち多くの場合は父であるが、そのそばを離れて行方不明になれば、もう、家に住むことすらできなかったわけだ。だから不良仲間の家に転がり込んだり、橋の下で寝泊まりするようなことになり、まっしぐらに転落していく。

 家長に見つけ出されて連れ戻されても、もはやその怒りを解くすべとてなく、勘当を申し渡される。この勘当というのは、「お前など出ていけ!」と叱りつけるというような単純なものではなく、れっきとした法律行為で、権利の多くを制限されて通常の暮らしができなくなるような処分であった。

 その点、こうした背景にあって、家出のために作る気持ちのやけっぱちさ、どうとでもなれという捨て鉢な態度が一連の行動に含まれているとすると、最近の「やさぐれ」の使い方も、あながち離れすぎてはいない。

「支える」異考

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 昔の言葉や文章にはあまり出てこないが最近はよく見かける、というような、「流行の言い回し・書きっぷり」というのは、たしかに、ある。どこにも取りざたはされていないが、静かに流行する言い方、書き方だ。間違った言い方とまでは必ずしも言えず、だが、なんだか、古い向きはそこで一見無意味にひっかかり、考えてしまう、というものだ。

 例えば、いわゆる「商業丁寧語」というものにそれらを多く見つけることができる。

「食器をお戻し『いただけますよう』お願い申し上げます」
「こちらが設計書に『なります』」

というのがよく気になる。「台風が上陸する『可能性』があります」とアナウンサーが言うのも、私にとってはそのひとつだ。

 そんな中に、スピーチなどでよく気になってしまう言い方がある。

「私はその時、ほんとうに上司、また部下に支えられていると思い、元気を貰って…云々」

 この言い方のどこが気になるかというと、「上司に『支えられ』ている」というところである。「…を貰う」というのも、少し気になるが、まあこれは単純な流行と思いたい。

 言葉というのは世と人により、生き、生かされているものであり、変化していくものであってみれば、そこをさながら老人めかして「最近の若者は」などと言わぬばかりにあげつらうことはすまい。

 ただ、「上司に『支え』られる」とはいかがなものか、と思うのだ。

 事実上は本当に支えてもらったのかも知れない。また、実際の上司の気持ちのあり方と姿勢というものもあるだろう。しかしここでは、それは別にしたい。

 上司というものは「上」にある。したがって、引き上げ、あるいは鞭撻するものであって、部下の体の下側に回って「支える」というものではないのではなかろうか。上司の側から「支えてやった」というのはまだいいとして、部下の側から「上司が私を支えた」と当然のように言い放つのはやっぱり違うと思う。

 言葉の上のことでなく、実際の行動で言えば、まあ、あんまりにも上のほうに君臨してばかりいて、指図だけしてまったく手など動かさず、部下の上にどっかりと打ち跨り、それこそ「支えさせて」ばかりいる上司というのは、それは感心しない。だが、日本語は人の上下関係が入る言葉なのである。

 私のこのムズムズした感じは、病院で「センセイがくれた薬を赤ちゃんに上げたら、…」と話している奥さんの言葉に違和感を覚えた時のものと似ている。そりゃあ、お医者さんだからと言って患者より無条件に目上だということはなかろうし、赤ん坊にもれっきとした人格はあるだろうけれども、ここはやはり、先生が「下さった」薬を赤ん坊に「与えた」「やった」「飲ませた」のではなかろうか、と思うのである。

万緑

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万緑の中や吾子の歯生え初むる  中村草田男

万緑や死は一弾を以て足る  上田五千石

 これらの句の季語は「万緑」である。二つの対照的な句だが、いずれも生命力にあふれる緑を背景として、またその緑を自分の精神として、あるいは精神の前提として見据えている。

 この「万緑」という言葉は、宋代の詩人、王安石の「石榴の詩」の中に出てくる一節だと言われている。

万緑叢中紅一点、動人春色不須多。
(ばんりょくそうちゅうこういってん 人を動かす 春色 多きを須(もち)いず)

 春というものが人の心を動かし掴むのに、なにほどゴタゴタとした夾雑物を必要としようか、緑また緑の中に花の一輪ほどもあれば足りよう。…そんな意味だと思う。

 言葉としては、この「万緑」よりもむしろ、「紅一点」のほうがかつてはよく使われた。男職場の中にいる庶務係の女性など、「紅一点」と言われたものである。「ゴレンジャー」に登場する「モモレンジャー」も「紅一点」だ。ゆかしい言葉だが、今は男女共同参画とかダイバーシティなどの方面から熾烈な反発を喰らうのを恐れてか、どうも使われなくなったようだ。

 万緑という季語は、出典の漢詩を見てもわかるとおり、本当は春に属するものであった。しかし、掲出の、中村草田男の名句により夏の季語として認められ、定着した。「季語は名句によって生まれる」のである。このことの記念であろう、中村草田男の創始した俳句結社は「萬緑」で、今も存続して同名の俳句誌を発行している。

 中村草田男の生命感にあふれるばかりの「万緑」に比べると、上田五千石の掲句は重く、沈鬱だ。戦時中の作と見れば、緑なす南方戦線を思い浮かべることもできるし、昭和20年の虚脱の夏を思い浮かべることもできる。万緑の中の自己の矮小さが悩ましい。しかし、句の主人公は、決してその矮小を卑下などしていない。不動の自己がそこに固着し、きっぱりと決断している。

 本歌取りが許されるものならば…。

万緑や我が死は何を以て足る  佐藤俊夫
(「俺用句帖β」所載)