背広やクリーニングや
会社員になったので、毎日背広を着るようになった。
会社員になる直前は、「背広を毎週クリーニングしてたらお金がかかってしょうがなくなるのではないか」などと要らぬ心配をしていたのだが、入社する前、イオンの背広売り場へ勤め用の背広を買いにいくと、「ウォッシャブル」の背広がたくさん売られており、それを買ったので、自宅で洗濯ネットに入れて洗えばよく、心配するほどのことはないことがわかった。
これまでいた自衛隊では “雑感日常” の続きを読む
オッサンは生きている。
会社員になったので、毎日背広を着るようになった。
会社員になる直前は、「背広を毎週クリーニングしてたらお金がかかってしょうがなくなるのではないか」などと要らぬ心配をしていたのだが、入社する前、イオンの背広売り場へ勤め用の背広を買いにいくと、「ウォッシャブル」の背広がたくさん売られており、それを買ったので、自宅で洗濯ネットに入れて洗えばよく、心配するほどのことはないことがわかった。
これまでいた自衛隊では “雑感日常” の続きを読む
子供の頃から鼻が弱い。
ダニがアレルゲンのアレルギー性鼻炎だ。鼻に弱点を持つから、風邪をひくにしてもまず鼻からだし、副鼻腔炎や鼻中隔側弯もある。私は割合に鼻が高い部類の面相なので、鼻中隔側弯だと言うと「ウソでしょう」と言われるのだが、片鼻は常時つまっている。激しい運動をすると、血管運動性の鼻炎になってますます鼻水とくしゃみが止まらない。私が勉強や球技が苦手なのは、この鼻のせいであると言い訳している。
秋の暮れ、冬の初め辺りには衣類の出し入れがあるが、これがダニを巻き出し、強烈に来る。電車に乗ると、
それゆえ、鼻洗浄は欠かせず、毎朝顔を洗うときは鼻からズズズーッ!と水を吸い込み、これをぶはぁーっ、と吐き出すことを繰り返す。
症状がひどいときには、衛生器具の「ゴムシリンジ」を使って鼻を洗う。ゴムシリンジというのはこういうもので……
……これは、一般には「エネマシリンジ」と呼ばれる。エネマ、というのは言わずと知れた「浣腸」のことである。
このゴムシリンジが古くなってしまい、ゴムが脆化してボロボロになり、使えなくなってしまった。大きな薬局に行くと売っているのだが、近くの薬局にはどうも置いていない。
それで、Amazonでポチッた。明日には届くだろう。
だが、Amazonで買うと、なんとも迷惑と言うか、購入データが「ビッグデータ」のカオスに混ぜ込まれ、分析にかけられてしまうのである。
このゴムシリンジは浣腸器具なので、SM関係のリコメンド広告、薔薇系漫画やマゾヒズム小説などが推進されてくるようになってしまうのであった。
まったく、ビッグデータはけっこうだが、俺はSMとちゃうッちゅーねんっ!!(笑)
昨日家内がはたいた家の埃を吸い込んでしまい、アレルギー性鼻炎に悩まされている。こう大量に吸い込むと、常用している抗ヒスタミン剤(アレグラ錠)の効きも焼け石に水で、どんよりと頭痛までしてくる。
「胃潰瘍の主原因はストレスである」、また「胃液は強酸であるゆえに、その中では微生物は生きられない」というのが100年以上にわたる医学界の常識であった。だが、これにとらわれない研究によってピロリ菌が発見され、胃潰瘍の主原因はむしろこのほうにあるということがわかってきた。
同じように、アレルギー性鼻炎にもそんなようなことが起こらないものかと妄想する。なにか、
このほどの「トラ場」は、標記のとおりであるという。
・・・夏が好きですか、か・・・。
本当に、夏ほど濃密な季節はあるまい。なにしろ、「夏は好きですか」と問うだけで、それが明確な詩情ですらある。数多の詩人と歌手が、どれほど夏について説明してきたことか。
子供の頃、無論、夏が好きだった。夏休みというそれだけで、夏を好きになれた。だがしかし、今振り返ると、夏は私にとって難行苦行の試練の季節でもあった。勉強がどうとか宿題がどうとか言うのではない。喘息と鼻炎、これであった。夏に喘息や鼻炎を病むのは知れきったことで、とどのつまり、不潔な家に住んでいたという、理由はただそれだけのことにとどまる。
どうしてあの苦しい夏を、それでも好きと言って憚らなかったのだろう。兄も姉も夏を好きといい、「もうすぐ夏休みやで」と期待を持たせる言い方で両親もそれを盛り上げ、「夏は好かねばならぬもの」と、少々頭の弱い私にそんな常識ををすり込んだものでもあろうか。
喘鳴の夏。呼吸という自然な行為がその一つ一つに努力を要する喘息病みの夏。鼻炎による嚔のため、勉強もできぬ夏、そしてそのため怒鳴りつけられ、今にして思うにそんなわけのわからない劣等感にさいなまれて夏を呪う夏。呪うているクセに、皆が夏を好きだから、とて、妙に引きつったような異常な表情で、「もちろん夏休み大好き!」などと大声で言ってみる、腹の底から夏が好きですと自分を信じ込ませようとする子供らしくもない努力を強いる、屈託と精神病的な馬鹿な夏。
ややあって、それから20年後の私は、「俺が最も嫌いな季節は、夏だ」と、公言して憚らぬようになっていた。真に自由な夏は、この時来た。俺は季節を他人の定義によらず、自分の魂によってようやく評価できるようになったのだ、そんな自由を思うさま吐き捨てることができた。
今、私は、夏が好きである。理由は簡単である。二人の娘が明るい表情で、額に汗を浮かべて、疲れも知らず遊びまわっているからだ。
結局こうして、私の夏が好きという感情は、自分以外の官能によって持ち運ばれていく、そういう、どうにもならない情けなさによって営まれていくものなのであろうか。
二人の娘は、夏が好きなのであろうか。
私の家には畳がない。理由は、私が昔からダニによるアレルギー性鼻炎だからである。
これまで住んできた家には、最低でも一部屋は畳敷きの部屋があった。これはしかし、なかなかつらいものがあった。畳はダニの養殖場のようなものだからである。薬品などでこまめに駆除していたが、それも限界がある。
自分が建てた家は、思い切って畳を全部なくした。ひょっとしたら不便な場面もあるんじゃないかとも思ったが、まったくそんなことはない。
「ゴロリと横になるとき困るじゃないか」と思う向きもあろうが、板敷きでもゴロリと横になることはできる。「痛い」?・・・薄物か座布団かソファーにでも横になればよろしい。
「日本人たるもの、威儀をただして畳に座する時ってものを大切にすべきじゃないの」と思う向きもあろうが、心配いらない。日本人の圧倒的大多数が畳に座ることができるようになったのは、せいぜい江戸末期から明治ごろのことで、それまでは日本人の多くは板敷きや土間に住んでいたのである。百人一首の挿し絵のお公家さんは畳に座っているが、それは彼らがごく一部分の特権階級だったからである。昔、畳は手間ヒマかけて作られた超高級マットであった。シモジモの者がおいそれと座れるようなものではなかったのである。つまり、コンセサスとしての「和」は畳ではあるものの、現実の「和」は、板敷きなのだ。したがって、日本人ならば、「畳に座して威儀を正し瞑目する時」よりも「板敷きに座して威儀を正し瞑目する時」を大切にしたほうがよろしい。
「年寄りがいたら、畳を懐かしがるんじゃないの」って?実は最近の年寄りは正座をし慣れてない。畳に座りたい云々と一応口にする年寄りはいるが、ではというので畳と座布団を用意して座ってもらうと、そういうことを言う年寄りに限ってやれ膝が痛いの腰が痛むの、10分とはもたない。現実は、年寄りのほうが実は椅子を恋しがるのである。「正座が一番ラク」なんてのは、実はあれは、そう言っているだけの場合が多いのだ。
そんなわけで畳レスの我が家であるが、アレルギー性鼻炎の調子はすこぶる良い。本当に畳ナシにしてよかった。
それともうひとつ。アレルギー性鼻炎に関しては、ここ最近、少々うれしいことがある。近年花粉症の人が増えたことだ。
私が子供の頃、周囲にアレルギー性鼻炎の子というのはあまりいなかった。当時の子供たちに多かった鼻の疾患は「蓄膿症」であった。アレルギー疾患の本を読んでもらうとわかるが、化膿というのは人の免疫に関するリソースを消耗するため、時としてアレルギー症状を緩和することがあるそうだ。最近「青洟」をたらしている子が少なくなり、それに反してアレルギー性鼻炎の子が増えているように見える。これは、そうしたアレルギー症状と化膿の反向性のようなものが作用しているらしい。
さておき、当時くしゃみばかりしているのはクラスでは私だけで、故にか、「ハクション大魔王」などというありがちなあだ名をつけられたものだ。四六時中鼻水とくしゃみに悩まされるため、勉強していてもちっとも集中することが出来ないし、スポーツなども、たとえば球技なんか、タマが飛んできてもくしゃみばかりしているから、ちっともうまくならない。子供ゆえ、強い薬も服用できない。この苦痛はアレルギー性鼻炎にかかった者しかわからないものだが、当時は大人や先生でもアレルギー疾患に関する知見は少なく、「精神的なものじゃないか?」などと言い捨てられ、それが、「佐藤君は精神が脆弱だからくしゃみばかりするんだ」などというわけのわからない方向へ論理が進み、実に不愉快であった。あのな、精神でどうやってくしゃみなんか出すんじゃ!!できるか、そんなもん。
しかも、当時、今思えばそれこそダニだらけの家に住んでいたのだが、親も不勉強で、どうも「しっかり環境に慣らしていくことでアレルギーが『鍛えられ』、抵抗力がついて治る」みたいな考えだったらしい。あのな、ほかの疾患ではそういうものも多いが、アレルギーは違うんじゃ!!親のこうした非科学的な思い込みのため、当時私のアレルゲンは医師の検査により「ダニ」であることが明らかであったにもかかわらず、私の親はダニに関する対処をまったくしなかったのであった。アレルギー疾患はアレルゲンを除去しなければ、体がますます抗体をつくるから、ますますひどく重くなっていく。私のアレルギー性鼻炎はどんどんひどくなり、なのに当の親までが「精神的なものだ」などと言い捨ててすましている始末であった。どころか、くしゃみの飛沫をいやがり、文句ばかり言うので、子供の私もなんとかしようと一生懸命くしゃみをこらえて止めるようになった。そうしたらしたで、今度は「見ていて気分が悪い。全部出せ」などとムチャを言う。子供なりになんとかしようと、ダニを少なくするため自分で掃除をしてみたら、「ナニよ、あてこすりみたいに!!」と怒り出す。ああ、本当にイヤな子供時代だった。よく、「子供に帰りたい」などと言う人を見かけるが、私はまったく逆である。どんな代償を払っても、子供にだけは帰りたくない。ああ、本当に良かった、今は大人で。
そんな私ゆえ、身の回りで今までなんともなかった人が花粉の季節に急に花粉症になり、くしゃみと鼻水で苦しそうにしているのを見ることほど気分の良いものはない。テキトーに「大変ですねぇ、お大事に」なんて励ましておき、その人がすっかり参っているころあいを見て、「なかなかよくなりませんねぇ。・・・ひょっとして