読書

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 昨夜はクリスマス・イブということで、目下読書中の「菜の花の沖」第2巻は脇へ置き、キリスト教の理解に努めんものと、手元の文語体「舊新約聖書」のうち新約から「マタイ傳福音書」「マルコ傳福音書」「ルカ傳福音書」「ヨハネ傳福音書」を交々(こもごも)読み、「使徒行傳」に少し入ったかな、というあたりで深更1時となり、力尽きた。

 私の持っている聖書はこの文語訳版1冊のみだ。文語訳の方が口語訳のものよりも格調が高く、読んでいて楽しい。

 なにしろ、クリスマス・イブの晩に聖誕譚、聖跡譚なぞ読み耽ろうというのだから、我ながら、キリスト教徒よりもキリスト教徒らしいのではなかろうか、などと思わぬでもない。

 しかし、信仰心で読んでいるわけではなく、冷静な理解の一助としようとして読んでいるのであり、また他面、聖書は物語として読むと結構人間臭くて面白いと思うから楽しんで読んでいるのであって、キリスト教徒から言わせれば恐らく不埒という他なく、その点私は我知らずというような無意識をも含めて、キリスト教徒ではない。

 むしろキリスト教なぞ嫌いですらある。

休日のいろいろ

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 司馬遼太郎の「菜の花の沖」、第2巻をのんびりと読み進めつつあるところ。

 オランダ船を初めて見た主人公嘉兵衛が、自ら操る弁財船と比較し、舵の違いについて考えるシーンがある。その中で、「和船は舵を綱で吊り下げる構造をしている」という意味の記述があるのだが、それがどうもわかりづらい。

 それで、そういえばもう10年も前になろうか、お台場の「船の科学館」というところに行った時、和船に関する展示が充実していたことを思い出した。

 休みなので、ちょっと行ってみようかという気になった。

 新橋まで出て、ゆりかもめに乗る。

 着いてみて知ったのだが、船の科学館の本館は、もうかれこれ5年もの間、「リニューアルのため」として展示を中止しているのだった。脇にある小さな別館と、南極観測船「宗谷」だけが公開されている。

 5年の展示中止は長い。1年か2年、工事のために一時展示を中止したというのならまだしも、5年も閉じたままというのはハッキリ言って「閉館しました」「廃館しました」というのと同じである。どうやらなにか、相当、経営に難があったようだ。ゆりかもめの最寄り駅は依然「船の科学館駅」のままであり、奇異の感を免れぬ。

 さはさりながら、目的の、弁財船の模型は見ることができた。綱でゆるく縛ることで可動を確保し、かつ、船上に引き上げることができるようになっている様子がよく解った。

 平成13年の北朝鮮不審船事件の記録映像が放映されていて、それなどをゆっくり見る。13分ほどなのだが、北朝鮮船がガンガン発砲し、こちらの船体が破片を飛び散らせながらブスブスと穴だらけになっていく様子などが生々しく記録されており、よくこんな映像を撮影出来たな、と思った。

 だいぶ前に一度見たことはあるのだが、ついでに「宗谷」の内部ものんびりと見学した。


 大した用事があるわけでもなかったので、さてお昼はどうしようか、と考え、麻布十番の更科堀井へ行った。酒を少し、肴は焼海苔。それから、名代の更科蕎麦を手繰る。

 帰り、今日はクリスマス・イブだったな、と思い出す。家で家族と飲むのに、新越谷駅ナカの「カルディ・コーヒーファーム」へ寄り、カヴァを買う。ロゼとビアンコの一本ずつ。

 帰宅して、キリスト教の理解に努めようとする。新約聖書の「マタイ傳福音書」の、イエス・キリスト生誕のところなど拡げる。