お別れドライブ

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 来週はこの間買った新しいクルマが我が家にくる。古いデミオに家族みんなで乗り込んでどこかへ出かけるのは今日が最後だろう、と、「デミオお別れドライブ」をした。

 あいにくと雨降りだったが、朝おそく出発し、成田空港近くにある「航空科学博物館」へ行った。雨も本降りにはならず、小止みの間には博物館の外へ出て、成田空港を飛び立ったり降りたりする飛行機を眺めて楽しく過ごした。

 帰りに同じく成田にある「大和の湯」という温泉へ行き、ゆっくり体をほぐした。晩御飯は越谷の「ベッロカンパーニャ」というイタリアンレストランへ行き、おいしいコースを食べた。

 「ベッロカンパーニャ」はすばらしい人気店なのだが、なぜかウェブサイトなどがない。場所はここだ。

 200キロ弱のドライブ。さらば、デミオ。私は来週、月曜から木曜まで職場に泊り込みで仕事だ。だから家族みんなで乗ることはもう、ない。家族みんなでお前に乗るのは、来週の土曜あたりにトヨタのディーラーへ新車を取りに行くためにお前を乗り付ける時だけだ。事故も起こさず、11年間よく走ってくれた。

クルマを買い換えることにした

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 今私は、98年式の古いデミオ(マツダ)に乗っている。

 まだ十分走るし、どこも悪いところはないのだが、どうも妻が気分を変えたくなったようだ。10年乗れば、もうぼつぼつ乗り換えてもいい頃ではある。

 ゴールデンウィーク頃から近所のカーディーラーなどにちょくちょく出入りして手頃なのを物色していた。ETC割引騒動に巻き込まれるのなど真っ平御免だったので、ゴールデンウィークまでに買い換えようという気持ちは皆無だった。ゴールデンウィークはドライブ旅行にも出かけなかった。

 永いこと最新のクルマのことを知らずにカーディーラーに行くと、その進歩具合に驚くこと再度であった。私はあまり他人をうらやんだりしないたちなので、人の車を気にしたことがほとんどない。そのため、近頃の新しい車では、キーなどほとんどすべてワイヤレス方式の電子式キーになっているのなど、まったく知らなかった。なにも車の近くまで来て、30センチ手前で鍵が開けられようが、キーを突っ込まなければ開かなかろうが、ほとんど違いはないような気もするが、それは、「携帯電話なんかなくったって、少し歩けば公衆電話があるだろ?」と言うようなもので、あまり工業技術立国日本の進歩のためにはならないのだろう。

 少しばかり迷っていたが、昨日、トヨタの「ラクティス」の新車を近所のトヨタ店で注文してきた。あらかじめこれがいいかなと思ってはいたが、試乗してみてやはり気に入ったのだ。

 長女(小6)が生まれた直後、家族が増えたことだからと、当時の「ボーナス + α」程度で買える中古車を軽自動車中心に物色した。それまでは、幌付きの「スズキ・ジムニー」に乗っていた。これも軽自動車だった。ジムニーは20代の頃に新車で買い、結婚してからも乗っていた。10年乗ってボロボロになり、幌など傷んでどこかへ行ってしまい、オープンカーになってしまっていた。とてものことに赤ん坊を乗せるようなものではなくなってしまっていたのである。

 ところが、中古の軽でも、気に入ったやつは100万を超えたりしていた。考えあぐねていたら、中古の軽自動車の、新しいめのやつよりも安いくらいの値段で新車のデミオが買えることがわかり、デミオにした。たしか、車体が87万、税金からなにから全部入れて100万チョイで買えたのだったと思う。

 このデミオに、結局10年以上乗ったことになる。なにしろ、この6月の車検で満11年である。この10年、いろいろとあったから、思い入れも一入(ひとしお)である。

 長女などはこのデミオで子供時代の大半を過ごしたことになる。次女には生まれたときからずっと乗った慣れ親しんだ車であろう。二人ともおそらく大人になってから、車内のにおいなどとともに、家族で行った旅行などのことを懐かしく思い出すことだろう。

 こう考えていくと、すこしデミオと別れるのが惜しく思えるが、その割にはこの2~3年ばかり、洗車もなにもしていないことを妻に非難されている私なのだった。

専門家に聞くべきこと

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 私は別段、ピアノの独学にこだわっているわけではない。成り行きでたまたまそうなっただけだ。

 独学しているのには、たいした理由はない。せいぜい、

  •  レッスンに使うお金がない。
  •  他人に追い立てられ、せかされるのがイヤ。
  •  レッスンにいく時間が自由にならない。

 ・・・こんな程度である。できることなら、優れた先生に指導してもらいたいものだと思っている。

 しかし、だからと言って「アナタはピアノのレッスンに通うべきです」と指図されたいわけでもない。

 かの億万長者、投資家のウォーレン・バフェット氏は、何かの講演で、聴衆の一人が

「株式投資を私はやったことがないのですが、これからの時代、やはり投資をやるべきでしょうか?」

と質問したのに対し、

「そのご質問は、床屋さんに行って、床屋の大将に『私は散髪したほうがいいですか』と聞くようなものです」

と答えたという。

 私はこの話が大好きだ。さすがはバフェット、世界一の投資家にして世界経済を左右すらする人。「俺に聞けばヤレというに決まってんじゃん。聞く相手間違えてるヨ」と答えて見せるのは、大家の余裕の表れとも言えようか。加えて、この答えには「経済だのなんだの言ったって、所詮俺は株屋さ」といった謙虚すら隠されているふしがある。

 私は昨日・一昨日、車を新車に替えたいなあと思い、カーディーラーを2~3軒回った。もし自分の古びた98年式のデミオを指して「どうしたもんでしょうかな?買い換えたもんしょうか?」と営業員に問えば、そりゃ、「今が買い替え時です。ぜひ買い換えるべきです。古い車は危険ですし、しかも今は50年に一度の税制優遇チャンスです」と答えるに決まっている。実際、トヨタもマツダもホンダもニッサンも、どのカーディーラーの営業員も全員そう答えた。

 ピアノの先生に「ピアノのレッスンに通うべきでしょうか?」と問えば、勿論「絶対にレッスンに通うべきです。一人で学ぶと変なクセがつきますし、進歩が止まりやすいです。そうなる前にきちんと教わり、体系的な技術・知識・精神を身につけるべきです。なにより、よりよい刺激があるでしょう。」と答えるだろう。先生ならずとも、ピアノを教わって身につけた人もそれに近いことを言うに違いない。

 専門家には「どのようにそれをすべきか」を聞くのがよく、「私はなにをしたいのでしょうか」なんてことを聞くものではない。

 私は計算機方面の技術者なのであるが、そんなわけで、最近は

「ウチのWebサーバはapacheで、3層クラサバで運用しています。phpで動的にアイコンを作りたいのですが」

というような質問には

「GDを入れるといいでしょう。大抵のLinuxディストリビューションにはデフォルトで入ってますよ。Redhat系でしたら、php-gdで探せばRPMがどこかに転がってるはずです。」

などと答えるのだが、

「コンピュータを買ったほうがいいでしょうか?人生にプラスになるような気がするのですが」

「私はエクセルを身につけたほうがいいでしょうか。仕事に有利になる気がするのですが」

などという質問には、

「買ってはいけません。今は買うべきではないし、アナタのためにもなりません。人生にはマイナスになってしまうでしょう」

と冗談めかして答えることにしている。できれば私は、あまり繁盛していなくても、腕は確かな床屋の大将でありたいから。

 そういえば、一度こんなことがあった。私は視力が良い。両眼1.5である。そのために老眼が早く来た。42歳の現在、自分の腕時計の文字を読むにも老眼鏡なしでは読めぬほどになってしまっている。

 最初に老眼の症状を覚えたのは37歳くらいの時だったので、いくらなんでも老眼には早過ぎると感じた。「ひょっとして脳や神経などの、何か重大な病気なのでは・・・?」と心配になり、近所の眼科で診てもらった。

 眼圧を測ったりだの、最新機器で視力を測ったりだの、実にいろんな検査をしてもらった。最後に先生の前に引き据えられ、戦々恐々診断を待った。私の「緑内障とかなんとか言われるのでは?」という心配をよそに、判決は

「老眼です」

と一言に尽くされてしまった。そもそも、「老眼」の『老』という漢字がよくない。そりゃあ、老眼なんて誰でもなる、病気とすら言えないようなもので、反面病気としては緑内障は恐ろしく、そんなものにはならないほうがいいわけだが、まるで「お前は老人である」と判定されてしまったような気がしたのである。心配するよりむしろ、ホノカに重大な病名を期待する、若者ぶりたい自分がそこにあったのは笑うべきことであった。

 さて、その先生は忙しくカルテになにやら書き込みながら、「で、・・・どうしましょう」と言った。

私  「・・・は。何がでしょう」

先生 「いえね、老眼鏡の処方箋なんですがね・・・。私のほうで処方しますと、そりゃあ、まあ、精度はいいですし、アナタの場合、ごく軽い乱視があるようですから、それも一緒に補正する眼鏡は作れるんですがね・・・」

私  「はあ、ではゼヒお願いしたいと思いますが?」

先生 「いや、そのう、アナタの老眼はこれからどんどん進むんですよね。はっきり言って、毎年、眼鏡を換えることになります。で、私の処方だと、2万とか4万とか、そういうお値段でしょう?でも、アナタの乱視はごく軽いし、老眼も病的なもんじゃない。医者の私が自分で言うのもアレなんですけど、100円ショップの老眼鏡をどんどん買い換えると安く済みますよ。いやほんと、不熱心な医者ですみませんが」

 私はこの先生が好きになった。人間こういう簡単なことが言えるようで、なかなか言えないものだ。日々の小さな成績に一喜一憂するガツガツした暮らしを送っていると、どうしてもこういう場面で自分の儲けを追及してしまうものなのだ。

 チナミにその眼科は患者が大勢つめかけて大変はやっている。床屋も本当にウデが良ければ、一人二人の客を断ったとしても、繁盛する可能性がなくもない。