トルコ行進曲(連弾用 田中雅明編曲) その2.0

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 今日はいよいよ本番、次女のピアノ発表会であった。連弾で出る私は、ワキ役とは言え、初めての舞台である。近所に住む義兄夫妻までが見に来てくれた。

 出演する人たちは、四十過ぎの私は別格として、上は高校2年生から、下は幼稚園の年中組の子まで、男女取り混ぜて幅広い。

 次女は小さいせいか、緊張というものを知らない。ソロのプログラムの3人目にショスタコービッチのワルツとケーラーの「バースディマーチ」という曲を続けてサラリと弾いた。バースディマーチは一箇所間違えてしまい、惜しかった。だが、我が子のことで身内びいきながら、ショスタコービッチのワルツはなかなかしみじみとした出来ばえで、上手に弾けていたと思う。

 休憩を挟んでプログラムは連弾に移る。いよいよ私たち父娘の出番だ。今日の出演者の中で、家族で連弾をするのは私たちだけだ。

 出だしで少々呼吸が合わなかったが、次女が合わせてくれた。弾き始めたとたん、細かなことは全部頭からすっ飛んでしまい、ただただ弾くのに夢中になってしまった。ミスタッチはするわ強弱はヒドいわ。はじめはそれほど緊張しなかったのに、なぜか途中から指が震えるような緊張を覚えた。

 それでもなんとかかんとか弾き終えた。ヘタでも、とてもうれしい満足感があった。次女もだいたい満足したようで、うれしい顔をしている。義兄夫妻から花を貰った。四十過ぎたオッサンに花があるとは思いがけないことで、うれしかった。

 何人かの人に誉められたりして、お世辞とわかっていてもうれしいものだ。ピアノを演奏することの醍醐味はこのへんのところにあるのだろう。

 状況さえ許せば、来年もまたやってみたいものだ。

トルコ行進曲(連弾用 田中雅明編曲) その1.7

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 いよいよ明日は次女のピアノ発表会である。主役は次女だが、連弾で登壇する私にとっては大げさに言えばステージデビューである。

 今日も土曜日で休みだから、直前の稽古ということで、次女のピアノの先生が見てくださることになっていた。あいにくと東京近辺は朝から嵐だったが、うきうきと教室にお邪魔する。

 今日は直前ということもあってか、たくさんのご指導はいただかなかった。だいぶ自信がついたように思う。

 しかし、より高度な演奏を目指すなら、という意味を込めてか、私にとってはかなり難しい「終盤のピアニッシモの弾き方」をご伝授くださった。その内容は多分に体感的なもので、文字で表すのは非常に難しい。グランドピアノのキーを押し下げていくと、ある点で手ごたえがあり、ピアノのハンマーが、トン、と弦を叩くところがある。デジタルピアノのカタログに見る「エスケープ」のところだが、そこのところで手首を一緒に下げて力をやさしくしながら、ハンマーに弦を叩かせるのである。これはなかなか加減が難しく、一朝一夕にできるものではないと思った。

 また、左手が伴奏的で、右手が「歌う」ような曲のとき、「左手は少し弱く、右手は強く」弾く、ということがあるが、これは初歩の段階で練習することで、またそれほど難しくない。ところが、先生によると、「左手右手のバランスだけではなく、和音を弾いている片手の中でも、『小指を強く、親指を弱く』というような差をつけて弾く」のだそうで、実際に右手のドミソの重音の和音を、ソが強い場合、ミが強い場合、ドが強い場合と弾き分けて聞かせてくださった。それは、音感のない私にも明確な違いの感じられる弾き分け方で、さすがはプロ、ほれぼれと聞き入るような美しい響きである。小指を強くしたものには澄んだ意志のようなものが、中指が強いものには複雑な味付けが、親指が強いものには揺るぎのない安心感が感じられた。

 これは私にとってはかなり難しく、思わず「エエッ、無理ッ」とつぶやくと、「ムリじゃない、ムリじゃない」と先生。ピアノをきちんと習っている人には基礎的な事柄のようである。

 こういったところが、先生に習うことと、独習することとの違いなのであろうな、と感じ入った次第である。

 風邪気味であるが、ひどくならないように心がけ、今日は早く寝て明日に備えたい。

トルコ行進曲(連弾用 田中雅明編曲) その1.6

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 引き続き連弾用のトルコ行進曲の練習を進めつつある。

 今日の午前中は、特に連弾のレッスンということで、次女のピアノの先生にかねて約束があった。次女と二人、教室に伺って稽古をつけていただいた。

 やはり、専門の先生に稽古をつけていただくということは、独りで弾くのとは次元のまったく違う、刺激の多い、すばらしいことであった。

  •  「p」「pp」などは、この曲の場合、「小さい音」で弾くことではない。「遠くの音」で弾く。頭から?マークの出た私に、「『遠くの音』で弾くには、例えば、実際に遠くを見てみるといいです」と御教示くださった。実際に試してみると、本当に遠くで鳴っているような音になったので驚いた。
  •  「f」や「ff」は強いからといって強く弾いてもだめで、逆に手の力を抜く。教えられたとおり手の力を抜いたら、本当に非常に大きな音になった。また、「『バーン』ではだめです。いわば、『ドンッ』と弾いてみてください」と言われた箇所があり、いわれるままそうしてみたら、これも本当に「ドンッ」とした音が出た。
  •  終盤の弾き方について、「お父様のはレガートで、オーケストラのチェロが低音を滑らかに弾くように。そのときのコツは、手を動かさず、低く抑えるように弾くこと。智香ちゃんのスタッカートは、オーケストラのバイオリンがスタッカートを弾くように」とおっしゃった。うまいこと例えてくださるものだなと思った。

 レッスン後、先生に手の格好はどのように考えるべきかを尋ねてみた。私は手首がどうも下に下がる傾向があるようで、それが前から気になっていたからだ。そうしたら、意外なご教示を下さった。すなわち、「音中心」で考えよ、とおっしゃるのである。

 子供の場合は、基本を身につけさせるため、あくまで、例の「卵を握るように」という手の「型」を重視して教える。(『ちかちゃんにもそう教えています』と先生)だが、それはそれであり、大人の場合は必ずしもその限りではない。つまり、「ある演奏」や「ある音」を追求した結果、「その演奏」「その音」を出すための「ある手の型」になるのであり、逆に「手の型」に拘泥して「要求される音」が出ないのは主客転倒である。

・・・とのことである。なるほどなあ、と非常に納得のいくところ大であった。

 得たところが非常に大きかったので、この先生のピアノのレッスンに通えたらなあ、と思った。だが、仕事をしているとなかなかそうもいかない。ここ一番の緊要な段階で、単発で稽古をつけてもらえないかと考えた。そこで、帰り際に、

「きょうスグ、いまスグ、というわけではありませんが、『単発』で稽古をつけていただくというわけにはいきませんでしょうか。応分の謝礼をいたしますので。仕事をしていますと、なかなか、週1回とか通うのが難しいもので・・・」と言ってみたら、快く「そのつど言ってください、ご相談に応じます」と言ってくださった。

 来週も連弾の稽古をしてくださる。その次の日にはいよいよ発表会である。楽しみだ。

 レッスンに行く前にも帰ってからも、次女ともども、相当気合いを入れて稽古をした。弾いた回数を楽譜に「正」の字で記していたら、エラいことになっている(笑)。

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トルコ行進曲(連弾用 田中雅明編曲) その1.5

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 次女との連弾の練習を進めつつある。

 緊張下で練習するため、ビデオにとり、YouTubeにその動画を上げた。

トルコ行進曲(連弾用 田中雅明編曲) その0.9

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 あまり練習に身が入らないかに見えた次女だが、少し弾け出してくると面白くなってくるらしく、誘うとのってくるようになった。いつもほがらかでふざけている次女だが、二人で並んで弾くと、けっこう真剣な眼差しで取り組んでいる。わが子ながら他愛なくかわいいものだ。

 そうやって何度か次女と練習し、私のほうは自分のパートについてはだいたい弾けるようになった。だが次女のほうはまだまだだ。

 まだ発表会までには時間がある。それまでとにかく練習させるのみである。

トルコ行進曲(連弾用 田中雅明編曲) その0.8

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 トルコ行進曲、だいぶ弾けるようになりつつある。指定テンポの♩=112だと、間違えずに弾けるのは10回のうち1回ぐらいではあるが・・・。

 まだ発表会の2月までには時間がある。2月にはなんとかなりそうだ。

 だが、問題は次女のほうだ。この前までよりかは練習に身が入っているが、なかなか十分ではない。投げ出してしまわないかと心配である。