猫のハートの纏聞(てんぶん)

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 朝、仕事に出る前、玄関のドアを開けると、半野良猫のハートがスルリとドアの隙間から家に入ってきて、ニャーオ、と餌をねだる。この数年、毎朝のことだ。冷えた体と首回りをさすってやると、尻尾をゆらゆら揺らせながら、体をすりつけてきてニコニコ笑う。猫は笑うのだ。妻がフレーク状の餌を飼ってやると、おとなしく食べる。

 ハートは、5年位前だったか、どこからか私の住む街の一画にやって来た。やってきたばかりの頃、水色のハートの飾りのついた首輪をしていたので、皆からハートと呼ばれるようになった。茶色の縞の、なかなか美しい雌猫だ。

 当時まだ小さかった私の娘たちや、近所の子供たちの話を総合すると、ハートは三、四百メートルほど離れた、築四十年にもなろうかと言う、いわゆる「六坪借家」の群がるあたりで飼われていたらしい。小さい子供は動物と口が利ける。だから、子供たちがハートから聞き出したというその話は、多分本当だろう。

 ハートが私の家の近所に来てしばらくした頃、その「六坪借家群」のあたりは取り壊されて更地になり、土地が売りに出されたりしていたから、概ね子供たちの話と符合する。ここからは完全に想像だが、ハートは多分、年寄りに飼われていたのだと思う。その年寄りは、ほとんどが空き家と化していた「六坪借家群」の、おそらくは最後の住人だったのではあるまいか。

 更地になった「六坪借家群」は私の通勤経路にある。ハートは朝五時三十分頃に家を出ていた私を見つけると、数百メートル離れたその「六坪借家群」のあたりまで、足もとをまとわりつきながらしょっちゅう付いてきていたので、私の想像は多分当たっているだろう。その年寄りは、病気にでもなってどこかへ移ったか、ことによると変事があったのかもしれない。ハートの、どうもおっとりとした、争いの苦手そうな、愛嬌のある物腰も、その想像を裏付けているように思う。

 私の住む街には、少子高齢化とはいったいどこの国の出来事かと思うくらい、高校生から幼稚園児まで、沢山の子供たちが暮らしている。ハートには、「子供たちをお守りしてやっている」という自意識があるようだった。ハートが悠揚せまらざる物腰で子供たちと遊ぶようになると、半分野良猫とは言え、大人たちも無残な扱いはできなくなった。時折、残飯などやったり、たまにはキャットフードの缶詰などを奢ってやるようにもなる。

 ハートはそのようにして私の家の近所に住み着き、今日はお隣、その次は向かい、ある日は私の家、というようにあちこちの軒先で眠り、餌を貰い歩くようになった。

 そんなある年の春頃、ハートはプイと姿を消してしまった。

 しばらく経ったその年の夏前のある日、ハートは妙にほっそりした姿で、何かを(くわ)えて、蹌踉(そうろう)と私の家の前に現れた。それを見つけた家内は、これがうわさに聞く、殺した鼠を御礼に持って来るというアレか、すわ!と身構えた。

 しかし、ハートが口に咥えてきたのは、鼠ほどの大きさもない、ふにゃふにゃの子猫だった。近所の子供たちと家内が、唖然と、しかしともかく、ハートが咥えてきた子猫にかまっているうち、ハートはまたスイと姿を消し、また、別の子猫を咥えてきた。

 そうやって、ハートは半日ほどもかけて、どこか遠くから、自分の子猫を一匹づつ、私の家の前に運んできた。子猫は全部で六匹いた。ハートは、一匹につき三、四十分はかけて子猫を運んだ。

 母猫は雄猫から子猫を守るため、隠れたところで子猫を産むという。時間のかけ方から推し量ると、ハートはずいぶん遠くで子猫を産んだものらしかった。

 ハートは、自分と子猫の食い扶持をどうすればよいか、本能で探り当てたのだと思う。無論、子供たちがかわるがわるハート親子を可愛がったのはいうまでもない。まあ、猫の餌ぐらい、どうにでもなる。

 世の中に野良猫を迷惑がる向きも多い。庭に糞をされるのも迷惑だし、野良猫に餌付けをするなどもってのほかだという。実は私もそうした気持ちの持ち主の一人だった。だが、猫の二、三匹が生きていかれる程度の冗長性が町内になくては、人間様も万物の霊長たるの鷹揚悠然に()くるの(そし)りを(まぬが)れまい。

 アラビアの詩人、オマル・ハイヤームの詠むところに、

 この壷もまた人恋ひし嘆きの姿
 黒髪に身をとらわれの我の如
 見よ壷に手もありこれぞいつの日か
 佳き人の肩にかかりし腕ならめ

というのがある。人は死んで土になる。何千年もたってその土は焼き物になって、壷に拵えられているかもしれない、壷と化した美女を無残に扱うな、と言うのだ。してみれば、庭を荒らす野良猫と言えども、前世は人であったかもしれない。命のあるものだ、大切にするにしくはない。

 子猫は子供たちにずいぶんかわいがられ、大切にされた。ハートは子猫と人間の子供たちを等分に眺めて、眼を細めていた。暑い夜などは袋小路になった私の家のある一画の舗装路にねそべって、子猫に乳を与えていた。

 ある日、ハートたちは近所の愛猫家の目にとまってしまった。

 その愛猫家の中年夫人は、「このままに推移すれば、結局は保健衛生上の決まりもこれあり、可哀想なことになってしまう。そうなる前になんとかしてあげることがこの道の慈悲と言うもの」というのだった。まず、もっともなことである。少し無残なようには感じられるかもしれないが、ハートには不妊手術を施し、予防接種もしてやり、子猫たちにはしかるべく飼い主を探してやるのが結局は一番猫の幸せだ云々。

 このように近所の愛猫家に見つけられてしまってはハートもひとたまりもない。

 それで、気楽な半野良猫のハートはついにとっつかまり、私の家を含む向こう三軒両隣、すなわちハートを可愛がっていた子供たちのいる親たちみんなが金を出し合い、近所の動物病院へ連れて行かれて不妊手術をされてしまったのであった。

 痛い目にあったハートが、しばらく近所の人間どもに寄り付かなくなっていたのは当然のことである。

 ハートの子猫たちは、その愛猫家と近所の子供たちが、新越谷駅前で声を張り上げて貰い手を捜し、6匹全部、無事に猫好きの人たちに貰われていった。

 黒白縞の子猫を貰ってくれたある年配夫婦の家へは、次女が時々、子猫の様子を見に行っていた。年配夫婦はいつも次女を歓迎してくださっていたようだが、最近はちょっと次女も足が遠のいているようだ。

 ハートは相変わらず私の家の前でにゃあと鳴いては、とことこと走り寄ってくる。幸せそうに乳を与えていた自分の子猫の顔を、覚えているのだかどうだか。子猫六匹が周りにいた頃のハートは、本当に貫禄のある、母猫らしい笑顔をしていた。そう、笑顔だ。三日月のように目を細めた笑顔をしていた。