約60年前の古書、平凡社の世界教養全集全38巻のうち、第10巻を読み始めた。第10巻には「釈尊の生涯」(中村元)、「般若心経講義」(高神覚昇)、「歎異鈔講話」(暁烏敏)」、「禅の第一義」(鈴木大拙)、「生活と一枚の宗教」(倉田百三)の5著作が収められている。今度は前の第9巻とは違って、全編これ仏教一色である。
一つ目の「釈尊の生涯」を行きの通勤電車の中で読み終わった。
全編キリスト教一色であった前第9巻の中の「キリストの生涯」と似た趣きの著作で、宗教的な超能力や奇跡よりも、歴史上の人物としてのゴータマ・ブッダの生涯を、パーリ語の古典籍などから丹念になぞり、分析して述べたものである。一般的な仏教信者が依拠する「仏伝」をもとにすると、どうしても信仰上の超人譚や奇跡伝説が織り込まれてしまうが、本著作はそれを避け、できうる限り「スッタニパータ」等のインドの古典籍に取材している。
元々、
気になった箇所
他の<blockquote>タグ同じ。p.7より
だからこの書は仏伝でもなければ、仏伝の研究でもない。いわゆる仏伝のうちには神話的な要素が多いし、また釈尊が説いたとされている教えのうちにも、後世の付加仮託になるものが非常に多い。こういう後代の要素を能うかぎり排除して、歴史的人物としての釈尊の生涯を可能な範囲において事実に近いすがたで示そうと努めた。
修行者が木の下で木の陰に蔽われながら坐して修行するということは、印度では古くから行われていて、原始仏教聖典にもしばしば言及されている。とくにアシヴァッタ樹(イチジク)のもとで瞑想したということは、意味が深い。インドでは古来この木はとくに尊敬されていて、アタルヴァ・ヴェーダの古歌においても不死を観察する場所であるとされている。「不死」とは天の不死の甘露を意味するが、また精神的な究極の境地をも意味する語である。この木はウパニシャッドやバガヴァッド・ギーター、その他インドの諸文芸作品において、葉や根が広がるという点でふしぎな霊樹であると考えられた。だからゴータマ・ブッダが特にこの場所を選んだということは、仏教以前からあった民間信仰のこの伝承につながっているのである。そうして釈尊がこの木の下で悟りを開いたから、アシヴァッタ樹は俗に「ボダイジュ(菩提樹)」と呼ばれるようになった。
上の部分を読んで「アレ?はて……??」と思い、Wikipedia等を検索してみた。「菩提樹って、
私が怪訝に思うのもそのはずで、日本ではシナノキ科シナノキ属である菩提樹が寺などに植えられているが、同じ「菩提樹」という呼び名でも、インドの「インドボダイジュ」はクワ科イチジク属の木で、全くの別物だそうである。
- 菩提樹(Wikipedia)
このように悟りの内容に関して経典自体の伝えているところが非常に相違している。いったいどれがほんとうなのであろうか。経典作者によって誤り伝えられるほどに、ゴータマのえた悟りは、不安定、曖昧模糊たるものであろうか? 仏教の教えは確立していなかったのであろうか?
まさにそのとおりである。釈尊の悟りの内容、仏教の出発点が種々に異なって伝えられているという点に、われわれは重大な問題と特性を見出すのである。
まず第一に、仏教そのものは特定の教義というものがない。ゴータマ自身は自分の悟りの内容を定式化して説くことを欲せず、機縁に応じ、相手に応じて異なった説き方をした。だから彼の悟りの内容を推し量る人々が、いろいろ異なって伝えるにいたったのである。
第二に、特定の教義がないということは、けっして無思想ということではない。このように悟りの内容が種々異なって伝えられているにもかかわらず、帰するところは同一である。
第三に、人間の理法(ダルマ)なるものは固定したものではなくて、具体的な生きた人間に即して展開するものであるということを認める。実践哲学としてのこの立場は、思想的には無限の発展を可能ならしめる。後世になって仏教のうちに多種多様な思想の成立した理由を、われわれはここに見出すのである。過去の人類の思想史において、宗教はしばしば進歩を阻害するものとなった。しかし右の立場は進歩を阻害することがない。仏教諸国において宗教と合理主義、あるいは宗教と科学との対立衝突がほとんど見られなかったのは、最初期の右の立場に由来するのであると考えられる。
言葉
日暹寺
「暹」という漢字が難しい。「セン」と読むそうで、そうすると「にっせんじ」なのだが、「日暹寺」で検索すると「日泰寺」のホームページが出てくる。
あれっ……?と思うが、この日泰寺のホームページを見ると、理由がよくわかる。昔、シャム王国から真仏舎利をもらい受けた際にこれを記念して創建されたのがこの寺で、当時はシャムの漢字表記が「
しかし、その後シャム王国は太平洋戦争前に国号を「タイ王国」に改めたため、この寺も「
右の遺骨は仏教徒であるタイ国の王室に譲りわたされたが、その一部が日本の仏教徒に分与され、現在では、名古屋の覚王山日暹寺に納められ、諸宗交替で輪番する制度になっている。
龕
たしか「
「これはシャカ族の仏・世尊の遺骨の龕であって、名誉ある兄弟並びに姉妹・妻子どもの(奉祀せるもの)である。」
-
龕 (漢字ペディア)
上サイトでは一応、「ずし」との
次
次は二つ目の著作、「般若心経講義」(高神覚昇著)である。