時事漫考

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いや、これは既に2千年もの昔に

 ああ、これ、ねえ。別に「最近」ってことはないんじゃないかな。「『産んでやった』『育ててやった』とか、恩を売るようなことを言うなら、なんで生んだんだ!お前らが勝手にしたことだろ!?」なんてことは、親に反抗する子の常套句で、取り立てて言うほどのことではない。

 それはさておき、出生の否定は人生の否定、ひいては世界の否定でもある。私はキリスト教の回し者ではないし、キリスト教なんか嫌いだが、このことに関する解決の無視すべからざる有力な一方策は、既に2千年の昔、ナザレの大工の息子、ガラリヤの説教師、イエスによって提示されている。

 そのいわく、「世界は悲痛や苦悩でできてはいない。喜びによって満たされている」すなわちこれである。ただ、その根拠について、キリスト教は強引なる(ちから)(わざ)()()せて有無(うむ)を言わせない。つまり「なんとなれば苦悩の根源たる人類のあらゆる罪はイエスが磔刑(たっけい)によって全部負ったから、あとは神の恵みによる歓喜のみが世界に満ち(あふ)れている」()って知るべし、知らば()(こん)より(のち)神の(おん)(ちょう)と光栄に包まれて(しろ)無垢(むく)の幸福そのものとなって()るべし、という破天荒かつ思考停止の論で片付けてしまっているのだ。

 実は仏教も似たり寄ったりのことを別の経路で発見・定義・教示しており、各宗派によってそれは様々なのであるが、悲しいことに我々日本人には中途半端なキリスト教気触(かぶ)れが多いから、当て(こす)ろうと思ってこういうふうに書いてみた。

 ところが、哲学者が(ヨダレ)()らして(くら)い付くこの問題の検討については、欧州では結局キリスト教が上のような一解決を提示して、それが大衆ウケしたものだから停止してしまい、プラトンだのアリストテレスだのの時代からプッツリ断絶、概ね1500年間がところ、ただの一歩も進歩しなかった。

 悪いことに、新教(プロテスタント)(かえ)って古いキリスト教の原理を再興してしまったから、ますますややこしいことになるのであるが、それはまた別の話である。

 結局、欧州で数百世紀にも及んだ図らざる集団的宗教実験はあまり成功していない、などとと吐き捨てるのは急ぎ過ぎだろうが、では他に納得のいく解決の選択肢が欧州の人々に与えられているかと言うとどうも怪しい。まして欧州以外においてをや。「選択肢が与えられているかというと」と書いたが、「与えられる」? 誰から? ……みたいな堂々巡りにもなるだろう。

 いずれにせよ、苦悩の解決に自ら到達する前に、圧倒的大多数の人間は長かろうと短かろうと命が尽きて死ぬわけだ。

 私ですか?

 私なんぞ、誰かに責任をおっかぶせて何かから逃れようなんてことは、とうに、してませんわ。いや、正確に言うなら、そんなことができる状況に、昔ッから、ない。だから幸福も歓喜もヘッタクレも、また苦悩も悲痛もクソも、そんなモン、アナタ(微苦笑)。そもそも誰かに責任をとらせよう、さて誰に責任を取らせよう、なんて選択肢の置かれた岐路自体が、私にはハナっから、ない。

 出生なんて所詮は親の恣意(しい)でどうにでもなる。ということは、この苦悩の始まりの出生や悲痛の連続の人生の責任者は誰だ! というふうに転嫁したい、責任者糾弾をしたい、例えばそれを親に向けたい。つまり人生の否定、出生の拒否なんてものは「ボクの、アタシの苦悩は親がスタートさせたんだ」と言うしょうもない屁理屈と同じこと。自分の悩みの責任を、パパ、ママ、あるいは坊主、和尚、神父、牧師、アッラー、エホバ、仏陀、阿弥陀、大日、観世音、ガースー内閣、アベ政治、麻原彰晃に幸福の科学、(イワシ)の頭、学校、教師、干しニンニクでも投げ上げ菖蒲(しょうぶ)でも心療内科クリニックでも精神病院でも市役所でも警察署でも、ドイツでもコイツでも何でもエエけど、とにかく手っ取り早く誰かにとってもらいたい、結局、ボクの、アタシの責任じゃないんだ! ……せいぜいその程度の、小学校の高学年あたりが顔を真っ赤にして言い立てそうなことだよ。

 餓鬼みたいなこと言ってンじゃねえよ。……あ、文字通りガキか。

 まあ、あくまで私にとっては、ではありますけどね。だからこんな暴論めいた自分流の解決を、自分の妻や子供も含め、誰かに押し付ける気もないですわ。「反出生主義」なるほど、ええ、ええ、結構なことじゃないですかね、おお、ヨシヨシ、オジサンが聴いてあげるよネンネちゃん、ってなモンですわ。

 あんまりにも無残で(すさ)んだ文章の成り行きになってきたから、皆さんがだ~い好きな、イエス・キリストの言と伝わる一句を書きつけて締めておきましょう。

マタイ傳福音書第6章第25節・第26節より引用。ルビは佐藤俊夫による。

 この(ゆえ)(われ)なんぢらに告ぐ、何を(くら)ひ、何を飮まんと生命(いのち)のことを(おも)(わずら)ひ、何を()んと(からだ)のことを思ひ煩ふな。生命は(かて)にまさり、體は(ころも)(まさ)るならずや。

 空の鳥を見よ、()かず、刈らず、(くら)(おさ)めず、(しか)るに(なんじ)らの天の父は、これを(やしな)ひたまふ。汝らは(これ)よりも(はるか)(すぐ)るる者ならずや。

新年御祝儀相場でこんなに下げなら……キッシッシ

 大発会でこれなら、明日以降なかなか期待が持てるな。

「『期待』だと?」

……ええ、そうです。ほぼ全力売り中ですゴメンナサイ。

こんだけデジタルがいろいろあっても

 まあ、そりゃ、そうなんだろうねえ……。

 理由もヘッタクレも、下世話で恐縮だが、若い人には性欲ってモンも、そりゃ、あるからねえ。会わなきゃそれこそ「始まらない……」わけではある。単純(シンプル)そのものの話ですわ。天下の大新聞がンなこと書けやしないだろうけれども。

マタイ傳福音書

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 クリスマス(聖誕節)であるから、愛蔵の文語体聖書の、「マタイ傳福音書」を読む。テンポの良い格調高い文語体が、()()るように詩的である。

 もとよりキリスト教徒などではなく、むしろキリスト教など大嫌いな私であるが、上記書第18節、「イエス・キリストの誕生(たんじゃう)()のごとし。その(はは)マリヤ、……」から始まるイエス聖誕譚は読み物、昔話としても面白く、ダイナミックであり、好きである。

読書

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 昨夜はクリスマス・イブということで、目下読書中の「菜の花の沖」第2巻は脇へ置き、キリスト教の理解に努めんものと、手元の文語体「舊新約聖書」のうち新約から「マタイ傳福音書」「マルコ傳福音書」「ルカ傳福音書」「ヨハネ傳福音書」を交々(こもごも)読み、「使徒行傳」に少し入ったかな、というあたりで深更1時となり、力尽きた。

 私の持っている聖書はこの文語訳版1冊のみだ。文語訳の方が口語訳のものよりも格調が高く、読んでいて楽しい。

 なにしろ、クリスマス・イブの晩に聖誕譚、聖跡譚なぞ読み耽ろうというのだから、我ながら、キリスト教徒よりもキリスト教徒らしいのではなかろうか、などと思わぬでもない。

 しかし、信仰心で読んでいるわけではなく、冷静な理解の一助としようとして読んでいるのであり、また他面、聖書は物語として読むと結構人間臭くて面白いと思うから楽しんで読んでいるのであって、キリスト教徒から言わせれば恐らく不埒という他なく、その点私は我知らずというような無意識をも含めて、キリスト教徒ではない。

 むしろキリスト教なぞ嫌いですらある。

休日のいろいろ

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 司馬遼太郎の「菜の花の沖」、第2巻をのんびりと読み進めつつあるところ。

 オランダ船を初めて見た主人公嘉兵衛が、自ら操る弁財船と比較し、舵の違いについて考えるシーンがある。その中で、「和船は舵を綱で吊り下げる構造をしている」という意味の記述があるのだが、それがどうもわかりづらい。

 それで、そういえばもう10年も前になろうか、お台場の「船の科学館」というところに行った時、和船に関する展示が充実していたことを思い出した。

 休みなので、ちょっと行ってみようかという気になった。

 新橋まで出て、ゆりかもめに乗る。

 着いてみて知ったのだが、船の科学館の本館は、もうかれこれ5年もの間、「リニューアルのため」として展示を中止しているのだった。脇にある小さな別館と、南極観測船「宗谷」だけが公開されている。

 5年の展示中止は長い。1年か2年、工事のために一時展示を中止したというのならまだしも、5年も閉じたままというのはハッキリ言って「閉館しました」「廃館しました」というのと同じである。どうやらなにか、相当、経営に難があったようだ。ゆりかもめの最寄り駅は依然「船の科学館駅」のままであり、奇異の感を免れぬ。

 さはさりながら、目的の、弁財船の模型は見ることができた。綱でゆるく縛ることで可動を確保し、かつ、船上に引き上げることができるようになっている様子がよく解った。

 平成13年の北朝鮮不審船事件の記録映像が放映されていて、それなどをゆっくり見る。13分ほどなのだが、北朝鮮船がガンガン発砲し、こちらの船体が破片を飛び散らせながらブスブスと穴だらけになっていく様子などが生々しく記録されており、よくこんな映像を撮影出来たな、と思った。

 だいぶ前に一度見たことはあるのだが、ついでに「宗谷」の内部ものんびりと見学した。


 大した用事があるわけでもなかったので、さてお昼はどうしようか、と考え、麻布十番の更科堀井へ行った。酒を少し、肴は焼海苔。それから、名代の更科蕎麦を手繰る。

 帰り、今日はクリスマス・イブだったな、と思い出す。家で家族と飲むのに、新越谷駅ナカの「カルディ・コーヒーファーム」へ寄り、カヴァを買う。ロゼとビアンコの一本ずつ。

 帰宅して、キリスト教の理解に努めようとする。新約聖書の「マタイ傳福音書」の、イエス・キリスト生誕のところなど拡げる。

子母澤(しもざわ)(かん)→蕎麦屋→聖書→カポーティ

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子母澤寛

 子母澤寛の「ふところ手帖」を読みに国会図書館へ行った。

 なんで今更、子母澤寛の「ふところ手帖」なのか。

 実は30年くらい前から読みたい読みたいと思っていたのだが、いつか読もう、今度読もうと思っては忘れてしまう。忘れるたびに先延ばしになっているうち、30年も経ってしまったのだ。

 そうこうするうち、Amazonなどが出来て、古い本でも気楽に手に入るようにはなったが、値段が高いのでどうしても買うのを躊躇する。そんなことで、読んでいなかった。それがずっと気になっていたのである。

 この本を読みたかった理由は、勝新太郎の「座頭市シリーズ」が大好きだからだ。実は30年前の頃でも、座頭市は既に古い作品群であったが、私はこれをビデオレンタルで借りては見ていたのである。

 で、その「座頭市」の原作が、子母澤寛の「ふところ手帖」なのである。

 30年ほど前、既に旧作となっていた座頭市を勝新太郎が久しぶりにリメイクし、新作として撮ったら、撮影中に勝新太郎の息子の奥村雄大(たけひろ)が過失致死事件を起こし、それが騒ぎになってしまい、そのせいもあってか興業があまり上手くいかなかったというような、そんなこともあった。

 ところが、あれほど長大な映画シリーズになり、後年にはビートたけしも取り組み、また別作に綾瀬はるか主演の「ICHI」も制作されるなどするほどなのに、子母澤寛の原作は、この「ふところ手帖」の中に、「座頭市物語」という題で、たった6ページしかないのである。

 そのことは以前から映画評論などで読んで知っていたが、実際に読んだことがなかったのだ。

 それをはじめて、やっと読めたというわけである。

 実に面白かった。

 勝新太郎があのたった6ページの短編から、どうしてあれほど構想を膨らまたせかもよくわかった。ふところ手帖の「座頭市物語」では、居合抜きの名人、(めくら)の座頭市は自分の親分の不任侠に怒り、女房を連れて出奔し、行方不明になってしまうのだ。だから、勝新太郎の座頭市シリーズは、そうやって旅に出た座頭市が、行く先々で巻き込まれる事件を描いているのである。

 ただ、原作では座頭市には女房がおり、その女房と出奔するのであるが、勝新太郎の座頭市シリーズには女房は出てこない。そのかわりに、行く先々で色々ロマンスめく、というふうになっている。

 さておき。

 子母澤寛は古い作家だから、青空文庫あたりで読めないかな、とも思った。しかし、確かめてみると亡くなったのは昭和43年(1968)だ。著作権切れまでにはまだあと2年ほどある。

 もしそうでなければ、たった6ページほどの分量だから、図書館で本を見ながら全部入力して、ここに載せてしまうところだった。法律上そうはいかない。「引用」と明記して載せる手もあるが、それはやりすぎというものだろう。

室町砂場・赤坂店

 国会図書館にいくと、帰りはやっぱり蕎麦を手繰(たぐ)りたくなる。寒いし、歳の暮れなんだし、今日はひとつ、天婦羅蕎麦を食べてみよう、と最初から決めていた。

 まず、通しものの浅蜊の炊いたのを肴に、ぬる燗で一杯。

 一緒に天婦羅蕎麦を頼むと、店員さんがちゃーんと「ちょっと間をあけて……」奥へ注文を通してくれる。

 海老や貝柱がたくさん入ったかき揚げで、実にうまい。これに葱と山葵を少しづつ乗せながら啜る。

 少し手繰っては、交々(こもごも)酒を飲む。

 ああ、やめられない。

クリスマス・イブなので

 私はキリスト教徒ではないから、クリスマスの本義とするところには無関係である。いや、もっとはっきり言えば、キリスト教なんか嫌いだ。

 だが、そうはいうものの、八百万(やおよろず)の神を(おろが)む日本人として、ヨーロッパやアメリカの大多数の人々が大切にしているものを罵ってないがしろにしようというような気持ちは毛頭ない。アッチが大切にしているのであれば、ならば、もともと何でも拝む習慣のあるコッチなのだから、アッチのものも大切にしてやろう、というのが好ましい姿勢だと思うのだ。

 それにしてもしかし、日本社会一般のクリスマスの扱い方は、イエス・キリストの生誕をコケにしているとしか思えない。如何(いか)に日本中に歪められた形で広く流布した習慣であろうと、キリスト教圏のひとびとが大切にしている宗教的節目をないがしろに汚し、大の大人がセックス三昧に(ふけ)る日であるなどと曲解している近代日本の風俗は、断固不可であると言う他はない。そんな過ごし方をするくらいなら、家で阿呆(アホ)マスコミの手になるテレビか新聞でも見ている方がまだマシというものである。

 もし、こうした日本でのクリスマスの実情を、ありのままにわかりやすくヨーロッパやアメリカのキリスト教徒に説明すれば、彼らは多分、自分たちが大切にしているものを汚されたと思って、「黄禍を今こそ絶ってくれよう」なぞと、例のヴィルヘルム2世の漫画を押し立てて、核戦争の火蓋を切るかも知れない。ああ、おそろしや。

 そういうことがないようにするには、「理解をすること」、それができなければ「理解をしようと努力すること」、これだろうと思う。

 クリスマスには、私の家もこれまでは子供たちが小さかったこともこれあり、楽しませてやろうとて、飾りをしたり、私が腕をふるって洋菓子を拵えたり、キリスト教の話をしてやったりもしてきたのであるが、最近は子供たちも大きくなってきたから、もっぱら私自身が「キリスト教を理解する努力をする日」ということに、自分ではしている。

 今日も、愛蔵の古びた聖書を出してくる。私の持っているのは文語訳のこの一冊だけだ。

 イエス・キリスト生誕の節は、一説だけではなく、「マタイ(でん)福音(ふくいん)書」「ルカ傳福音書」の2書に分けて収められている。

 これらはとうに著作権も消滅していることだから、以下に書き写しておこうと思う。

イエス・キリスト降誕(「マタイ傳福音書」から)
(ルビのみ新かなづかい、佐藤俊夫による)

 イエス・キリストの誕生は()のごとし。その母マリヤ、ヨセフと許嫁(いいなづけ)したるのみにて、未だ(とも)にならざりしに、聖靈によりて(みごも)り、その孕りたること(あらわ)れたり。夫ヨセフは正しき人にして、之を公然にするを好まず、(ひそか)に離縁せんと思ふ。かくて、これらの事を思ひ(めぐ)らしをるとき、()よ、主の使、夢に現れて言ふ『ダビデの子ヨセフよ、妻マリヤを()るる事を恐るな。その(はら)に宿る者は聖靈によるなり。かれ子を生まん、汝その名をイエスと名づくべし。 (おの)が民をその罪より救ひ給ふ故なり』すべて此の事の起りしは、預言者によりて主の云ひ給ひし言の成就せん爲なり。 曰く、『視よ、處女(おとめ)みごもりて子を生まん。その名はインマヌエルと(とな)へられん』之を()けば、神われらと偕に(いま)すといふ意なり。ヨセフ(ねむり)より起き、主の使の命ぜし如くして妻を納れたり。されど子の生るるまでは、相知る事なかりき。 かくてその子をイエスと名づけたり。

 イエスはヘロデ王の時、ユダヤのベツレヘムに生れ給ひしが、視よ、東の博士たちエルサレムに來りて言ふ、『ユダヤ人の王とて生れ給へる者は、何處(いずこ)に在すか。 我ら東にてその星を見たれば、拜せんために(きた)れり』ヘロデ王これを聞きて惱みまどふ、エルサレムも皆然り。王、民の祭司長・學者らを皆あつめて、キリストの何處に生るべきを問ひ(ただ)す。かれら言ふ『ユダヤのベツレヘムなり。それは預言者によりて、「ユダの地ベツレヘムよ、汝はユダの長たちの中にて(いと)(ちいさ)き者にあらず、汝の中より一人の君いでて、わが民イスラエルを(ぼく)せん」と(しる)されたるなり』

 ここにヘロデ(ひそか)に博士たちを招きて、星の現れし時を詳細にし、彼らをベツレヘムに遣さんとして言ふ『往きて幼兒(おさなご)のことを細にたづね、之にあはば我に告げよ。 我も往きて拜せん』彼ら王の言をききて往きしに、視よ、前に東にて見し星、先だちゆきて、幼兒の在すところの上に止る。かれら星を見て、歡喜に溢れつつ、家に入りて、幼兒のその母マリヤと偕に在すを見、平伏して拜し、かつ(たから)(はこ)をあけて、黄金・乳香・沒藥など禮物(れいもつ)を献げたり。かくて夢にてヘロデの許に返るなとの御告(みつげ)(こうむ)り、ほかの路より己が國に去りゆきぬ。

 その去り往きしのち、視よ、主の使、夢にてヨセフに現れていふ『起きて、幼兒とその母とを携へ、エジプトに逃れ、わが告ぐるまで彼處(かしこ)(とどま)れ。 ヘロデ幼兒を(もと)めて(ほろぼ)さんとするなり』ヨセフ起きて、夜の間に幼兒とその母とを携へて、エジプトに去りゆき、ヘロデの死ぬるまで彼處に留りぬ。 これ主が預言者によりて『我エジプトより我が子を呼び出せり』と云ひ給ひし言の成就せん爲なり。

 ここにヘロデ、博士たちに(すか)されたりと悟りて、甚だしく(いきど)ほり、人を遣し、博士たちに由りて詳細(つまびらか)にせし時を計り、ベツレヘム及び(すべ)てその(ほとり)の地方なる、二歳以下の男の兒をことごとく殺せり。ここに預言者エレミヤによりて云はれたる言は成就したり。 曰く、『(こえ)ラマにありて(きこ)ゆ、慟哭なり、いとどしき悲哀なり。ラケル己が子らを(なげ)き、子等のなき故に慰めらるるを(いと)ふ』

 ヘロデ死にてのち、視よ、主の使、夢にてエジプトなるヨセフに現れて言ふ、『起きて、幼兒とその母とを携へ、イスラエルの地にゆけ。 幼兒の生命を索めし者どもは死にたり』ヨセフ起きて、幼兒とその母とを携へ、イスラエルの地に到りしに、アケラオその父ヘロデに代りてユダヤを(おさ)むと聞き、彼處に往くことを恐る。 また夢にて御告を蒙り、ガリラヤの地方に退()き、ナザレといふ町に到りて住みたり。 これは預言者たちに由りて、『彼はナザレ人と呼ばれん』と云はれたる言の成就せん爲なり。

イエス・キリスト降誕(「ルカ傳福音書」から)
(ルビのみ新かなづかい、佐藤俊夫による)

 その六月めに、御使(みつかい)ガブリエル、ナザレといふガリラヤの町にをる處女(おとめ)のもとに、神より(つかわ)さる。この處女はダビデの家のヨセフといふ人と許嫁(いいなづけ)せし者にて、其の名をマリヤと云ふ。御使、處女の(もと)にきたりて言ふ『めでたし、(めぐ)まるる者よ、主なんぢと(とも)(いま)せり』マリヤこの言によりて心いたく騷ぎ、(かか)る挨拶は如何なる事ぞと思ひ(めぐ)らしたるに、御使いふ『マリヤよ、(おそ)るな、汝は神の御前(みまえ)に惠を得たり。()よ、なんぢ(みごも)りて男子を生まん、其の名をイエスと名づくべし。彼は大ならん、至高者の子と(とな)へられん。また主たる神、これに其の父ダビデの座位をあたへ給へば、ヤコブの家を永遠に治めん。その國は終ることなかるべし』マリヤ御使に言ふ『われ未だ人を知らぬに、如何にして此の事のあるべき』御使こたへて言ふ『聖靈なんぢに臨み、至高者(いとたかきもの)能力(ちから)なんぢを(おお)はん。()(ゆえ)(なんじ)が生むところの聖なる者は、神の子と稱へらるべし。視よ、なんぢの親族エリサベツも、年老いたれど、男子を孕めり。石女(うまずめ)といはれたる者なるに、今は孕りてはや六月になりぬ。それ神の言には(あた)はぬ所なし』マリヤ言ふ『視よ、われは主の婢女(はしため)なり。汝の(ことば)のごとく、我に成れかし』つひに御使はなれ去りぬ。

 その頃、天下の人を戸籍に()かすべき詔令(みことのり)、カイザル・アウグストより出づ。この戸籍登録は、クレニオ、シリヤの總督たりし時に行はれし(はじめ)のものなり。さて人みな戸籍に著かんとて、各自その故郷に(かえ)る。ヨセフもダビデの家系また血統なれば、既に孕める許嫁の妻マリヤとともに、戸籍に著かんとて、ガリラヤの町ナザレを()でてユダヤに上り、ダビデの町ベツレヘムといふ(ところ)に到りぬ。此處に居るほどに、マリヤ月滿ちて、初子(ういご)をうみ、之を布に包みて馬槽(うまぶね)()させたり。旅舍(はたごや)にをる處なかりし故なり。

 この地に野宿して夜、群を守りをる牧者(ひつじかい)ありしが、主の使その傍らに立ち、主の榮光その周圍を照したれば、(いた)(おそ)る。御使かれらに言ふ『懼るな、視よ、この民一般に及ぶべき、大なる歡喜(よろこび)音信(おとづれ)を我なんぢらに告ぐ。今日ダビデの町にて汝らの爲に救主(すくいぬし)うまれ給へり、これ主キリストなり。なんぢら布にて包まれ、馬槽に臥しをる嬰兒(みどりご)を見ん、(これ)その(しるし)なり』(たちま)ちあまたの天の軍勢、御使に加はり、神を讃美して言ふ、『いと高き處には榮光、神にあれ。地には平和、主の悦び給ふ人にあれ』御使(たち)さりて天に往きしとき、牧者たがひに語る『いざ、ベツレヘムにいたり、主の示し給ひし起れる事を見ん』(すなわ)ち急ぎ往きて、マリヤとヨセフと、馬槽に臥したる嬰兒とに尋ねあふ。既に見て、この子につき御使の語りしことを告げたれば、聞く者はみな牧者の語りしことを怪しみたり。(しか)してマリヤは(すべ)て此等のことを心に留めて思ひ(まわ)せり。牧者は御使の語りしごとく凡ての事を見聞(みきき)せしによりて、神を崇めかつ讃美しつつ(かえ)れり。

 八日みちて幼兒(おさなご)割禮(かつれい)を施すべき日となりたれば、未だ胎内に宿らぬ先に御使の名づけし如く、その名をイエスと名づけたり。

 モーセの律法(おきて)に定めたる(きよめ)の日滿()ちたれば、彼ら幼兒を携へてエルサレムに上る。これは主の律法に『すべて初子に生るる男子は、主につける聖なる者と(とな)へらるべし』と(しる)されたる如く、幼兒を主に献げ、また主の律法に『山鳩 一對(ひとつがい)あるひは家鴿(いえばと)の雛二羽』と云ひたるに(したが)ひて、犧牲(いけにえ)(そな)へん爲なり。()よ、エルサレムにシメオンといふ人あり。この人は()かつ敬虔にして、イスラエルの慰められんことを待ち望む。聖靈その上に(いま)す。また聖靈に、主のキリストを見ぬうちは死を見ずと示されたれしが、()のとき御靈(みたま)に感じて宮に入る。兩親その子イエスを携へ、この子のために律法の慣例に遵ひて行はんとて來りたれば、シメオン、イエスを取りいだき、神を()めて言ふ、『主よ、今こそ御言(みことば)(したが)ひて、(しもべ)を安らかに()かしめ給ふなれ。わが目は、はや主の救を見たり。是もろもろの民の前に備へ給ひし者、異邦人をてらす光、御民(みたみ)イスラエルの榮光なり』かく幼兒に就きて語ることを、其の父母あやしみ居たれば、シメオン彼らを祝して母マリヤに言ふ『視よ、この幼兒は、イスラエルの多くの人の(あるい)は倒れ、或は起たん爲に、また言ひ(さから)ひを受くる(しるし)のために置かる。――(つるぎ)なんぢの心をも刺し(つらぬ)くべし――これは多くの人の心の念の(あらわ)れん爲なり』

 ここにアセルの(やから)パヌエルの娘に、アンナといふ預言者あり、年いたく老ゆ。處女(おとめ)のとき、夫に()きて七年ともに居り、八十四年寡婦(やもめ)たり。宮を離れず、夜も(ひる)も斷食と祈祷とを爲して神に(つか)ふ。この時すすみ寄りて神に感謝し、また(すべ)てエルサレムの拯贖(あがない)を待ちのぞむ人に、幼兒のことを語れり。

 さて主の律法(おきて)(したが)ひて、凡ての事を果したれば、ガリラヤに歸り、己が町ナザレに到れり。

 幼兒は(やや)に成長して健かになり、智慧(ちえ)みち、かつ神の(めぐみ)その上にありき。

 いつもこのように聖書を書き写すなどしていて思うのだが、言ってみればおとぎ話みたいな荒唐無稽な話、例えばマリアが処女にもかかわらず神の威力で妊娠する、といった話の合間合間に、突然、夫のヨセフが「世間体から言って具合がわるいので、離婚しようと思った」とか、原文のままに書けば「ヨセフ(ねむり)より起き、主の使の命ぜし如くして妻を()れたり。されど子の(うま)るるまでは、相知(あいし)る事なかりき。」とかいったような、ミョーに人間臭い現実の反応がくっついていたりするところが大好きである。

カポーティ

 そんなことを小難しく考え込んだり書いたりしつつ、しかし夜に鶏肉を食ったりワインを飲んだりケーキを食ったりする。

 キリスト教嫌いだとか言っておいて支離滅裂やなアンタ、と言われそうだが、そんなこと別にどうだっていいのである。

 妻と話していて、どうしてだったか、ふとトルーマン・カポーティのことが話題にのぼる。それで、「おお、そういえば……」と、カポーティの「クリスマスの思い出」という作品の事を思い出す。

 私の家にある本はわりと新しいめの本で、友達に薦められて買った村上春樹の訳のものだ。「クリスマスの思い出」は、「ティファニーで朝食を」の文庫に一緒に収められているのだ。

 で、読んだ当時、「ティファニーで朝食を」よりも、この「クリスマスの思い出」のほうが深く心に染み入り、気に入ったものだ。カポーティが子供の頃に一緒に暮らした、スックという年の離れたいとこの女性の思い出だ。

 妻はこれを読んだことがないという。そこで、二人でテーブルに並んで座り、一緒にページを繰った。何度読んでもいい話である。村上春樹の翻訳がいいというのも、効果があるのだろう。

 この作品は、アメリカでは教科書に取り上げられたり、クリスマス時期にテレビやラジオで朗読されたり、あるいは朗読会が開かれたりする定番であるそうな。そういう理由もあってか、英文だと、アメリカのサイトなどにけっこう沢山貼り付けられたりしている。

 ただ、米国法では著作権保護没後70年だったはずで、カポーティが亡くなったのは昭和59年(1984)だからまだ30年余りしか経っておらず、それをこんなにばんばん貼り付けるのは、多分、無断でやってるっぽい。

 このスックという女性の写真は、「capote sook」あたりでググると、彼らが並んで写ったものを簡単に見つけることができる。ネットで多くヒットするこの写真こそ、実は作品の中に取り上げられている、通りすがりの若夫婦が撮ってくれたというカポーティとスックの唯一の写真である。