終戦記念日

投稿日:

 例年と同じく、今年も靖国神社を参拝した。

 時疫のこと、靖国神社でももちろん随分と気を使っており、足元に1~2m間隔の印をつけて、所謂(いわゆる)「ソーシャル・ディスタンス」を推奨し、参拝客はこれを整斉粛々と守って参拝しており、むしろ例年より参拝しやすかったのは皮肉であったかもしれない。大手水(ちょうず)()柄杓(ひしゃく)などが全部取り払われ、少量の水を滴らせる方式に改められていたのも、世相を反映していて、かえって珍しく、好もしいことではあった。

 何、苛烈なる戦場に護国の鬼となった英霊にあって、これしきのこと、問題になどなるまい。

 一心に、「英霊安らかにあれ」とのみ念じて参拝した。

 以前、「鎮霊社」の由来書きを撮影して書き取ったことがある。今日は「元宮」の由来書きが見えたので、撮影してテキストを書き取った。下の通りである。


元宮

文久三年福羽美静ら津和野藩士が中心となり、京都祇園社に
小祠を建て徳川斉昭卿等維新の志士四十六人の霊を祀る
後に幕府の嫌疑を恐れてこれを取り壊し、福羽邸内に
ひそかに建てた小祠に霊璽を移して祀った。
奠都に伴ひ更に東京に移されて祭祀が続けられたが、
招魂社のさきがけとも言ふべき由緒に鑑み、昭和六年
福羽亭より神社に遷座、元宮と称して今日に至る。

例祭日 四月一日

 炎天、燃えるような暑さの一日であった。畏友F君と合流し、千鳥ヶ淵戦没者墓苑に立ち寄り、一華を(ささ)げた。

 今年もこうして、終戦記念日が暮れてゆく。

靖国神社の元宮と鎮霊社

投稿日:

 昨年の終戦記念日、靖国参拝の折、いつもは立ち寄らない「鎮霊社」に立ち寄った。

 だが、その時は、数年前に爆破未遂事件を起こした韓国人テロリストのせいで立ち入りが制限され、参拝できないようになっていた。やむなく、できるだけ近くに行って、遥拝した。

 靖国神社の鎮霊社は、戦死した我が国の英霊には含まれない、世界各国のあらゆる戦没者を鎮め祀る社である。

 先週、年始に参拝したところ、通行止めがなくなって裏の日本庭園の方まで回れるようになっており、鎮霊社の傍まで行くことができた。

 依然、鎮霊社そのものは高い柵に囲まれ、社前まで行くことはできないが、ごく近くまで寄って遥拝することができた。

 写真には奥と手前と、二つの御社(おやしろ)が写っているが、奥が元々の靖国神社の前身であった「元宮」、手前が「鎮霊社」である。

 由来の札を撮影することができた。

 次のように書かれている。

 鎮霊社

 明治維新以来の戦争・事変に起因して死歿し靖国神社に合祀されぬ人々の霊を慰める爲昭和四十年七月に建立し萬邦諸国の戦歿者も共に鎮齊する。

 例祭日 七月十三日