時疫のこと、靖国神社でももちろん随分と気を使っており、足元に1~2m間隔の印をつけて、
何、苛烈なる戦場に護国の鬼となった英霊にあって、これしきのこと、問題になどなるまい。
一心に、「英霊安らかにあれ」とのみ念じて参拝した。
以前、「鎮霊社」の由来書きを撮影して書き取ったことがある。今日は「元宮」の由来書きが見えたので、撮影してテキストを書き取った。下の通りである。
元宮
文久三年福羽美静ら津和野藩士が中心となり、京都祇園社に
小祠を建て徳川斉昭卿等維新の志士四十六人の霊を祀る
後に幕府の嫌疑を恐れてこれを取り壊し、福羽邸内に
ひそかに建てた小祠に霊璽を移して祀った。
奠都に伴ひ更に東京に移されて祭祀が続けられたが、
招魂社のさきがけとも言ふべき由緒に鑑み、昭和六年
福羽亭より神社に遷座、元宮と称して今日に至る。
炎天、燃えるような暑さの一日であった。畏友F君と合流し、千鳥ヶ淵戦没者墓苑に立ち寄り、一華を
今年もこうして、終戦記念日が暮れてゆく。