千一夜物語(11)~(12)

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 毎日の通勤電車内の楽しみ、「千一夜物語」、第11巻を読み終わる。

 このアラビアの古譚集には、よく知られている物語としてこれまでに「船乗りシンドバードの物語」「アラジンと魔法のランプの物語」がそれぞれ5巻と9巻に収められていた。

 つい先ごろ知ったのだが、この中で「アラジンと魔法のランプの物語」は偽書なのだという。研究の結果明らかになった純正の千一夜物語にはこの話は入っておらず、複雑な経緯で後に紛れ込んだ物語なのだそうな。

 だがしかし、その紛れ込んだ時期というのは数百年も前のことらしく、それくらい昔なら、まあ、紛れ込んだいきさつも含めて、「広義の千一夜物語」とみなしても差し支えないのではあるまいか。


 この11巻には、これも童話や絵本でよく知られる「アリ・ババと四十人の盗賊の物語」が収められている。多くの人の記憶にある話とだいたい同じだと思う。このマルドリュス版の千一夜物語では、隠忍自重な善人アリ・ババの射幸と、その女中(女奴隷)マルジャーナの賢く果断な大活躍の、2部構成とでも言うべきものになっている。

 マルジャーナは38人の盗賊を殺すのみならず、盗賊の頭目をも刺殺し、主人一家を守る。私など、むしろその健気さにいとおしさを覚えるのだが、これが理解できず、不愉快だと言う人には何の物語であるかすらもわからないだろう。

 今もしこの物語を絵本にでもすれば、「盗賊はびっくりして逃げて行ってしまいました」とか、「盗賊の頭目はアリ・ババとマルジャーナに(あやま)って、その後みんなで仲良く暮らしました」などというふうに改変されるだろう、「かちかち山」や「桃太郎」がぬるい仲直り譚に改変されているように。

 だが、婆さんを惨殺した狸は責め苛まれた挙句溺死させられなければならないし、鬼ヶ島の鬼はやはり全て滅ぼされなければならなかった。アリ・ババの身の危険は、賢く可愛いマルジャーナの機転と手によって、38人の盗賊どもを煮えたぎった油で()き殺し、盗賊の頭目を彼女の策略で刺殺してこそ、救い得もしようし、完結もするのである。

 引き続き12巻を読む。

 ふと思い出したことに、自分が持っているCDの中に、「これがフィリップスCDだ」という、おおかた30年ほども前のCDがある。CDというメディアができたばかりの頃の、CDそのもののプロモーションのために作られたもので、確か、ソニーの初代のポータブルCDプレイヤーを買った時、無料でついてきたものだったはずだ。

 その中に、ラリー・コリエルというギタリストが演奏する「シェエラザード」(つまり千一夜物語のシャハラザードのこと)という曲の一楽章が入っている。

 不思議な感じのする味わい深い演奏だ。これを聞きながら岩波文庫特有の細かい字を追うのは、まことに楽しいことである。

千一夜物語(10)~(11)

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 通勤電車の楽しみ「千一夜物語」、10巻を読み終わり、次は11巻に進む。

 本当に読み飽きない物語集で、楽しめる。

 この古い物語の中のイスラム教徒は、酒を飲み、「釜掘り野郎」などと言って変態を軽蔑しつつも、なんとはなしにホモやらレズも友達で、「邪教徒は滅ぼされよかし」と口では言いながら、なんだかんだ言ってユダヤ人やキリスト教徒と仲良く暮らしており、つまりは非常に寛容だ。

 アメリカのテロとの戦いの文脈で聞かされるイスラム教徒の頑迷さとは少し違う。

 物語と現実は違うということはわかっている。しかし、本来は多分、現代のムスリムーンも、物語の中の古いアラビアの人たちのように、もっと優しい感じなのではないかと思う。

 なぜ今のように変化したのか、それとも、変化なんかしておらず、イスラム教徒が変な風に感じられるのはアメリカの宣伝によるもので、今も寛容で優しいのか、研究するなりしてみないと本当のところはわからない。いつかよく調べてみようと思う。