古谷(ふるや)経衡(つねひら)氏の中曽根康弘論は正しいと思う。

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 古谷(ふるや)経衡(つねひら)氏。

 私はこの人のチャラチャラした人相風体、茶髪、女の腐ったような喋り方が嫌いであった。言うこと書くことがどうこうではなく、生理が嫌いという、そんな程度のことだ。つまりは好悪のことであって別段取るにも足らぬ。

 しかし、氏が中曽根大勲位逝去にあたってものした次の一文は、正しく中曽根大勲位を論じており、二肯、(いな)三肯もなしうるところと感じられる。

 なによりも、古谷氏の論からは、限りない哀悼の心がそこはかとなく漂っている。死者に鞭打つ如き態度が横行する世の中であるが、古谷氏は「功罪」と題しながらも中曽根大勲位を惜しみ惜しみ、その死を悲しみ悲しんでいることが十分伝わってくるではないか。

中曽根大勲位逝去

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 従六位(じゅろくい)大勲位(だいくんい)菊花(きっか)大綬章(だいじゅしょう)、元内閣総理大臣、中曽根康弘氏が逝去(せいきょ)された。

 死因は老衰という。101歳。

 帝国海軍主計少佐でもあり、大尉の頃ガダルカナル上陸作戦の揚陸作業現場指揮官として戦闘に参加し、敵の空襲の中、鉄と血の修羅場をくぐった歴戦の男でもあった。

 私自身などにとっては、十代後半から、成人し社会人として落ち着くまでの間、ずっと内閣総理大臣であった人であって、自分自身が若かったこともあり、今の安倍首相よりこの人の方が首相在任期間が長かったような印象すらある。実際には小泉元首相に次ぐ長さで、勿論安倍首相には及ばず、歴代7位であるという。

 宮澤喜一氏と中曽根氏は、「比例代表72歳定年」と小泉首相(当時)に言い渡され、当時確か、「プンプン怒りながら」引退した、との報道もあったように思う。私などはむしろこうしたことを微笑(ほほえ)ましく受け取ったものだが……。

 祈冥福(めいふくをいのる)

 昭和の残照がまた一つ消えた。寂寥。