平成29年1日・(ついたち)対応表

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 この数年、高島暦を買っている。旧暦や朔望がすぐわかるからだ。

 しかし、新暦の1日と旧暦、逆に旧暦の(ついたち)や晦日と新暦との対応、またせいぜい月の朔望(さくぼう)以外、それほど毎日必携というわけでもない。

 そこで試しに、新暦の1日と旧暦、旧暦の朔と新暦の対応だけを抜粋した早見表を作ってみようと思い立った。

 他に、旧暦の十五日ないし望と新暦、新暦の月末と旧暦、旧暦の晦日と新暦なども対応させてみようかとも思ったが、晦日は朔の前日だし、望は必ずしも十五夜とは限らず、2日程度のズレがあって、旧十五日と望を併せ記すのも面倒だから、これらは省いた。

 以下がその早見対応表である。

平成29年
新暦 旧暦
1月1日 (平成廿八年)十二月四日
1月28日 一月朔
2月1日 一月五日
2月26日 二月朔
3月1日 二月四日
3月28日 三月朔
4月1日 三月五日
4月26日 四月朔
5月1日 四月六日
5月26日 五月朔
6月1日 五月七日
6月24日 (うるう)五月朔
7月1日 (うるう)五月八日
7月23日 六月朔
8月1日 六月十日
8月22日 七月朔
9月1日 七月十一日
9月20日 八月朔
10月1日 八月十二日
10月20日 九月朔
11月1日 九月十三日
11月18日 十月朔
12月1日 十月十四日
12月18日 十一月朔
(平成30年)1月1日 十一月十五日
1月17日 十二月朔
2月1日 十二月十六日
2月16日 (平成卅年)一月朔

月は忌むべきものではない

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PHM24_0270 さて、毎年毎年、知ったかぶりの同じネタで恐縮だが……。 ‪

 秋の名物と言えば月である。しかし、「中秋の名月」が終わった途端、誰も月を見なくなってしまうのは残念なことだ。人々が三々五々祭りの喧騒から帰ってしまうような感じは、なんとしても惜しい。

 最近は欧米白人の言説に惑わされてか、「月の光を浴びると狂気が生じ、犯罪が多発する」なぞと言いふらす輩が増えているが、古来日本人は四季のはっきりとした日本の風土とともに独自の文化をはぐくみ、月を美しいものとして鑑賞してきたのであって、月を見たからと言っていちいち欲情したり犯罪に走っておっては身が持たぬ。

 一般ピープルは中秋の名月を見終わってサアヤレヤレ、ほなサイナラ、と月から去ってしまうが、私のような玄人(マテ(笑))は、ここからが違う。万事、「人のゆく裏に道あり花の山…」なのである。

 中秋の名月にしても、私なぞ、十五夜で大騒ぎはせぬ。まず、その前日、「十四夜」で騒ぎ始める。十四夜は「待宵(まつよい)」といい、また「小望月(こもちづき)」とも言う。翌日が十五夜であるから、これを明日に控えて待つ夜である。また「望月(もちづき)」に少し欠けているから小望月というわけだ。成長途上の若い果実がことさら愛しいように、少し満たない月の美しさもまた、愛でるべきものである。

便々(もやもや)もあらざる身過(みすぎ)小望月

佐藤俊夫

 さて、そうして十五夜を迎え、人々の喧騒が去った翌夜、また私の出番(笑)となる。

 十五夜の翌夜は、そのまんま「十六夜」と言う。これは()んで「いざよい」である。また、既に満月が終わったところから、「既望(きぼう)」とも言う。これを音読するには、「希望」とは違って、最初の「き」にアクセントを置くことが正しい。いざよいの語源は、満月よりも出が少し遅れるので、ためらうという意味の古語「いざよふ」から付いたものという。

いざよひを母は病むらむ夜は来ぬ

佐藤俊夫

 この次もまだある。中秋の名月の二日後の月を「立待月(たちまちづき)」という。名月を過ぎると月の出がだんだん遅くなってくる。月の姿も痩せ始めるが、これを惜しんで「立って月を待つ…」ことから、立待月と言う。

立待や二人隠るゝやうにして

佐藤俊夫

 これくらいかというと、まだまだ月は終わらない。その翌晩の月を「居待月(ゐまちづき)」と言う。前日の立待月よりもまだ月の出が遅く、今度は座って待つところから居待月と呼ぶそうな。

名も知らぬ(こずえ)より()て居待月

佐藤俊夫

 まだありますよ(笑)。十九夜、つまり四夜後の月、もうこうなってくるとだんだん下弦に近づいてくるのであるが、この月を「寝待月(ねまちづき)」という。立って待ち、座って待って、遂には「寝転んで」待つ、ということで寝待月となるわけだ。同じ意味で「臥待月(ふしまちづき)」、あるいは「ふせまちづき」とも言う。夜の長い感じが段々に強くなる。

寝待月一盞(いっせん)さらに加へけり

佐藤俊夫

 これで終わりかと思ったら、まだまだ引っ張りますとも、ええ。二十夜の月を「更待月(ふけまちづき)」と言う。寝て待って、まだ月が出ず、夜更けまで待って、だが、もうこの頃はかなり月が欠けているから、「ああ、お月さん、終わっちゃう(涙)」という、そういう感懐もあろうか。寂莫たる秋の夜である。単に「二十日(はつか)月」と言ってもよい。

嬰児泣く声よ更待(ふけまち)出はじむる

佐藤俊夫

 で、二十夜も過ぎると、見えるところに月が上がってくるのは、午後九時ほどにもなってしまう。こうなると、月のことを言っているにもかかわらず、月を指して言わずに「宵闇(よいやみ)」なぞと言ってみたりする。

寸鉄を()宵闇(よいやみ)幕営地(ばくえいち)

佐藤俊夫

 さて、中秋の名月に続く夜々はこんな具合だが、まだ秋の月は終わらない。なかなかシツコイ(笑)。そのひと月後、つまり旧暦九月十五日(今年は10月19日(土)にあたる)も、当然満月である。これを「(のち)の月」と言うのだが、正確な満月の十五日ではなく、その二日前、十三日の夜を後の月と呼ぶ。つまり今年は10月17日(木)がその日だ。

 豆や栗を供え、「中秋の名月」のように月見をする。中秋の名月にだけ月見をして、この十三夜に月見をしないと、「片月見」と言って縁起がよくないものだそうな。

ひかり濃くベッドタウンの十三夜

佐藤俊夫

 なんにせよ、月は美しい。カレンダーというもののない昔の、文字の読めない人たちでも、「空にカレンダーがかかっているように」、月の満ち欠けで日にちを知ることができるという実用上の意味も月には大いにあった。妖怪や犯罪、性欲なぞ言う無粋なことはこの際置いて、かぐや姫のおとぎの居所を眺めてしみじみしたいものである。