読書

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 引き続き約60年前の古書、平凡社世界教養全集第5巻に所載の評論「恋愛論」を読む。

 Googleでふと「スタンダール」を検索してみたら、キーワード・サジェスチョンに「症候群」と出る。「スタンダール症候群」というものがあるらしく、何か文学的な偏執症のようなことなのかな、と思いきや、その昔、スタンダールが有名な聖堂のフロアで丸天井の壮大な装飾を見上げて、眩暈(めまい)と動揺に襲われたそうで、そのような症状をスタンダール症候群というのだそうである。

気に入った箇所
平凡社世界教養全集第5巻「幸福論/友情論/恋愛論/現代人のための結婚論」より引用。以下の<blockquote>タグも同じ。
p.316から

 恋する技術とは結局そのときどきの陶酔の程度に応じて自分の気持ちを正確にいうことに尽きるようだ。つまり自分の魂に聞くことである。これがあまりたやすく出来ると思ってはならない。真に恋している男は、恋人から嬉しい言葉をかけられると、もう口をきく力がない。

p.340から

 ある有名な女がボナパルト将軍に突然いった。彼がまだ光栄に包まれた若い英雄で自由に対し罪悪を犯していなかったころの話である。「将軍様、女はあなたの妻となるか妹になるほかはありませんのね」英雄はこのお世辞を理解しなかった。相手は巧妙な悪口で仇を((ママ))った。こういう女は恋人に軽蔑されることを好む。恋人が残酷でなければ気に入らない。

p.355註〈1〉より

「スペイン人の目的は光栄ではなく独立です。もしスペイン人が名誉のためにのみ戦ったのだったら、戦闘は、トウデラの戦い(一八〇八年十一月)で終わっていたでしょう。名誉心は変わった性質をもっています。一度汚されると動けなくなってしまう。……スペインの前線部隊はやはり名誉の偏見に囚われていたので(つまりヨーロッパ風現代風になったのです)一度敗北すると、全ては名誉とともに失われたと考えて壊滅しました」

p.357註〈3〉より

 ああ、時代の哀れな芸術に当たるやいかに辛き。
 子らはいとけなくして、ただ人にもてはやされんことをのみ願う。

ティブルス、一、四。
言葉
丁年

 「定年」「停年」というと、老齢による退職の年齢だが、「丁年」は一人前の年齢、ということだそうである。

下線太字佐藤。以下の<blockquote>タグ同じ。
p.333より

ついにドンナ・ディアナの丁年が近づいた。彼女は父親に勝手にわが身の始末をする権利を行使するつもりだと告げた。

 まだこの評論、半分ほどである。引き続きこれを読む。

江戸時代の赤ちゃんポスト

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 先日より岩波の「(ほく)()(ぶん)(りゃく)」を読んでいる。通勤電車内の楽しみのための読書だから、ゆっくりゆっくりと読み進めている。

 「北槎聞略」は、江戸時代、伊勢・白子浦の千石船の船頭大黒屋光太夫(こうだゆう)が、太平洋周り航路で難船して漂流し、ついにアリューシャン列島に漂着、ロシア帝国領内で呻吟(しんぎん)すること10年、ついには首都ペテルブルグに達して女帝エカテリーナに拝謁、帰国の許可を得て日本に送還された後、その語る所を幕府の学者(かつら)(がわ)()(しゅう)が書き留め、整理したものだ。

 このロシア帝国での見聞録の中に、驚くべき内容が含まれていることを知った。著作権はとうに消滅しているので、以下に現代語訳とともに摘記してみる。

北槎聞略(岩波文庫、ISBN978-4003345610)p.188~189の「幼院」の現代語訳(訳者:佐藤俊夫)

〇 赤ちゃんセンター

 ロシア帝国には「赤ちゃんセンター」というものがあり、これは親から手放された赤ちゃんを育てるところです。ペテルブルグに1か所、モスクワに1か所あります。

 四方を取り囲むように3階建ての長い建物があり、部屋ごとに「第1」「第2」などの番号がついていて、看板が掛けられています。

 敷地の中央には学校や各種の技術を教える専門学校が置かれています。

 赤ちゃんを預けるところは高い窓になっており、その窓に大きな箱状の引き出しがついています。

 様々な事情で赤ちゃんを育てられず、手放したいという人がいる場合、その人は夜中の目立たない時間に窓のところへ行きます。赤ちゃんの誕生日を札に書いて首にかけてやります。それから壁をトントンと叩くと、内側から引き出しが押し出されて開きます。その引き出しに赤ちゃんを入れ、もう一度壁を叩くと、引き出しが向こう側に引き込まれます。

 赤ちゃんセンター側では引き出しの中から赤ちゃんを引き取り、今度はその引き出しに5万円のお金を入れて外へ押し出します。赤ちゃんの親はそのお金を貰って帰ります。これは、血のつながった赤ちゃんすら育てられない程の貧困を憐れみ、救済のため政府から支給されるお金です。

 あくる日の朝早く、赤ちゃんセンターの門に札がかかります。その札には「昨夜何時ごろ、確かに赤ちゃんを預かりました。その子の誕生日は何月何日で、こういう色の服を着ていて、お守りに何々を持っており、そのほか、これこれこういう特徴があります。その子は第何番の部屋で育てることになりました」と、それとわかるように大きな字で書かれ、また同じものがその部屋の入り口にも掛けられます。赤ちゃんを手放した親は、こっそりとそれを見に来て、わが子が無事引き取られ、育てて貰えるようになったことを確かめ、安心して帰ります。

 赤ちゃんセンターの門には番兵がいますが、通り抜けは禁止されていません。それは、赤ちゃんを手放した親が時々ひそかにやって来て、わが子が無事かどうか、それとなく様子を見ることができるようにしているのです。

 センターにはベテランの女性や保育士が多く勤務しており、彼女らによって赤ちゃんが育てられます。赤ちゃんが成長して子供になると、学校や専門学校に入れ、その子の希望や適性によりそれに応じた勉強をさせます。

 もし赤ちゃんの実親の事情が変わり、もう一度赤ちゃんを取り戻して育てたいと希望する場合、赤ちゃんを預けた年月日や誕生日、第何番の部屋の子ということを書類に書いて、赤ちゃんを預けた引き出しに入れれば、すぐに赤ちゃんがその引き出しに入れられて親の元へ帰されます。

 こうして育てられた子供が大人になれば、軍曹に取り立てられて官職に任じられ、社会に出たり、あるいは親元に帰ることができます。

 以下は上記現代語訳の原文である。

北槎聞略(岩波文庫、ISBN978-4003345610)p.188~189より引用

〇 幼院

 幼院は(これ)棄児(すてご)を養育する処なり。ペートルボルグに一処、ムスクワに一処あり。四方に三層(さんがい)連房(ながや)(たて)めぐらし、(へや)毎に第一、第二の字号(あいじるし)を書たる(ふだ)をかけおくなり。かまへの正中(まんなか)に学校及び百芸の院を設く。()を送り入る所は高き窓にて、内に大きなる箱を活套(ひきだし)のごとくに仕かけおく。児を送り入る者、夜陰(やいん)に及び小児(ように)誕辰(たんじょうび)(ふだ)(しる)して(えり)にかけさせ、彼窓(かのまど)の下につれ(ゆき)(かべ)をほとほとと(たた)けば、内より活套(ひきだし)の箱を押し出す。やがてその内に小児を(おき)、また墻をうてば活套を内に引いれ、小児を取出し、其箱に銭五百文入て又押出す。児の親その銭をうけて帰るなり。是は肉親の()を養育する事さへ(あた)はざる程の困窮を憐れみ、救ひの為に(こうぎ)より給はるなり。(それ)より翌朝未明に(あの)院の門に(ふだ)をかけ、昨夜何時(なんどき)に送り(いれ)たる児何月(いく)日の誕生、衣服は何色、(まもり)は何、その外(しるし)(なる)べき程の事を(つまびらか)に書しるし、其()は第幾号(なんばん)(へや)に養ひおくと大字にて書て(かけ)、その房にも左之ごとくに(しる)したる(ふだ)(かけ)おくなり。其親人しれず来りて彼牌を見合せ、其居所(いどころ)(とめ)て帰るなり。幼院の門には番卒(ばんにん)あれども通りぬけを禁ぜず。(すて)たる親のおりおりに来りてその児の安否をよそながら見る為にしたるなり。院中は老嫗(ろうにょう)乳母(うば)を多くおきて児を養育せしむ。漸々(だんだん)に成長すれば学校作院(さいくじょ)に入れその児の好む処を学ばしむ。其親また取戻し(やしなわ)んと(ほっす)れば、送り(いれ)たる年月日日時及び誕辰(たんじょうび)幾号(なんばん)(へや)()といふ事を(つまびらか)書記(かきしる)して(くだん)の箱に入るれば、即時に其児を箱に入て押出(おしいだ)すなり。其内にも(ぎょう)(なり)たる児をばセリザントに(ほう)じて帰さるゝとなり。

 世界史的にはこの頃はフランス革命前後の時代だ。しかし、これほど帝政ロシアという国が爛熟・成熟した文化を持っていたとは、驚くほかはない。多分、イギリスや、文明の先頭を突っ走っていたフランスだって、こんな制度は持っていなかったのではないだろうか。

読書

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 一昨日、内田百閒(ひゃっけん)の「阿房列車」を読み終わった。

 巻末には、「雑俎(ざっそ)」と題して、本編に「ヒマラヤ山系君」として登場する百閒の門人、平山三郎氏本人の解説がついていて、それがまた面白かった。

 阿房列車全体も、ところどころ爆笑してしまうくらい面白かった。

 しかも、さすがは明治生まれの文人で、語彙(ボキャブラリ)が豊富だ。そのため、こちらの語彙も増えたように思う。

言葉「的皪(てきれき)と」

 「的皪(てきれき)と光る」という言葉が出てきた。

「阿房列車」(内田百閒集成1、筑摩書房、平成14年(2002)10月9日)p.365より

 こちらの障子を開けると、しんとした静けさの中に、杏子(あんず)の花が咲いている。花盛りの枝が、池の縁から乗り出して、音のしない雨の中に的皪(てきれき)と光った。

……というふうに使われていた。基本的に面白い本なのに、こういうところの描写がさりげなく光る。百閒の本領だと思う。

 「的」「皪」どちらの字も、「白い」「明るい」「鮮やか」という意味があり、「的皪」とは白く鮮やかに光る様子を言う。「的皪と光る」というふうに用いるわけだから、用言修飾ということで、副詞だ。

竹取物語

 阿房列車を読み終わってしまったので、他に何か読むものを、と思い、図書館へ行った。

 岩波の「竹取物語」が目についたので、それを借りた。文語体のものだ。その時、同じ書架で別の竹取物語も見つけた。川端康成による現代語訳で、河出書房から出ている。なんとなくそれも同時に借りた。

 川端康成訳のほうから読み始め、先ほど読み終わった。この本は物語より川端康成自身による解説の方が長い。丁寧な解説で、しかも川端康成の国文学に対する通天の程が(うかが)われる、相当に学問的なものだ。この本の目的はどちらかと言うとそっちのほうにあるのだろう。

 岩波の文語体の方を読み始める。

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 今読み終わった「新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝」を図書館へ返しに行き、入れ替えに別のを借りる。

 同じ岩波の、先に読んだ「新訂 魏志倭人伝……」の続きの一冊、「新訂 旧唐書倭国日本伝・ 宋史日本伝・元史日本伝」。

 それから、なんとなく手に取った「知っておきたい日本の神様」。

 もう一冊は「そばと私」という題だ。これは、私が蕎麦屋に行くと季節ごとに貰って帰ってくる「季刊・新そば」という蕎麦業界のPR誌があるのだが、その中のエッセイの集成らしい。いつもこの「季刊・新そば」のエッセイは、各界の有名人が良い文章を載せているので好きなのだ。それをまとめた本があるとは知らなかったが、図書館の書架にこれを認めて、すぐ借り出した次第である。刊行も去年(平成27年(20016))の9月と新しく、本は文庫本ながら初版である。