(おぼろ)月の下

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 夕刻。十四夜の大きな(おぼろ)月が上がった。旧暦三月、晩春の夕霞(ゆうがすみ)の向こう、相応にあたたかな月が上がるのかと思いきや、ぼんやりした輪郭であるのにもかかわらず、意外にや、月は青く冷えた色をしている。

 退勤帰路、都会の喧騒。意外にスッとする月の青光に照らされて、花の散った桜の木々が緑ゆたかに葉を張り始めている。反対側の舗道には企業や官庁が立ち並び、その植栽の躑躅(つつじ)が赤白あざやかに咲き始めている。

 1時間半程の通勤電車の手慰みは読書だ。先月からウィル・デューラントの「哲学物語」を読んでいる。ようやく半分ほど読んだ。ソクラテス、プラトン、アリストテレス、時代は飛んでベーコン、スピノザ、ヴォルテール、カント、ヘーゲル。今夕、やっとショーペンハウエルまで来た。

 50年以上、60年近く前の古書だ。赤い布表紙のそれを手に持ったまま電車を降りる。はや春月は中天にある。周囲の匂いも色も明度も、ベッドタウンらしいものとなってゆく。

 春燈ゆらめく住宅密集地の温気(うんき)の中、住み慣れた家に帰る。百花繚乱と書いてみて、文字通りの惜春である。

朧月夜(おぼろづきよ)朧月(おぼろづき)(おぼろ)

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 「朧月夜(おぼろづきよ)」・「朧月(おぼろづき)」・「(おぼろ)」という季語がある。

 三つとも似たような言葉であるが、あらためて歳時記を引いてみると、それぞれ別のものとして記載されている。

 以下それぞれ、「角川俳句大歳時記『春』」(ISBN978-4046210319)から引用した。

(p.50から)

朧月夜(おぼろづきよ)三春 (傍題 朧夜(おぼろよ))

■ 解説  ぼんやりとかすんだ春の月の夜。空気中の水蒸気によって月がほのかにぼやけて見えるさまは、春ならではの濃密な情緒を感じさせる。肌にさわる空気もなまぬるく、幻想的、官能的な雰囲気に満ちた季語であるだけに、()き過ぎにならないように作句上の工夫が必要となる。(藤原龍一郎)

(p.75から)

朧月(おぼろづき)三春 (傍題 月朧(つきおぼろ)淡月(たんげつ))

■ 解説  春月のなかでも特に朧にかすむ月をいう。あるいは地上の朧の濃くないときでも、この季節に多いヴェールのような薄雲の広がる夜には、雲を通して月は朧に見え、(かさ)がかかることも多い。いずれにしても、秋の澄み渡った空に皎々(こうこう)と照る月とは対照的に、滲んだ輪郭を以て重たげに昇るのが朧月である。湿り気を帯びた温かい夜気が辺りを包み、折しも咲く様々な花の芳香もあいまって、朧月には仰ぐ者の春愁を誘う趣がある。(正木ゆう子)

(p.76から)

(おぼろ)三春 (傍題 草朧(くさおぼろ)岩朧(いわおぼろ)谷朧(たにおぼろ)灯朧(ひおぼろ)鐘朧(かねおぼろ)朧影(おぼろかげ)庭朧(にわおぼろ)家朧(いえおぼろ)海朧(うみおぼろ)(おぼろ)めく)

■ 解説 春になって気温が上がると、上昇気流が活発になり、微細な水滴や埃が上昇して大気の見通しが悪くなる、というと身も蓋もないが、それを昼は霞といい、夜は朧とよべば、とたんに情緒を生む。ぼんやりとかすんだ夜気のなかでは、ものの輪郭も色も音もどこか奥床しく優しげで、そのために多分に気分を伴って使われることが多く、草朧、庭朧、鐘朧、海朧、谷朧などと美しくいう。語感も柔らかく、曖昧さをよしとする日本人の美意識にかなった言葉である。(正木ゆう子)