戦争ルール雑想

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 欧米白人はかつて戦争を「馬鹿ばかりでも構わないから()(かく)人手さえ()き集めて並べればどうにかできる技術体系」にまで練り上げ、それで世界を席巻した。第1次欧州戦争頃までがそうであったと言っていい。それ以前は、如何に戦争マニアの欧米白人と(いえど)も、ノーブレス・オブリージュの高い精神性に裏打ちされた貴族と騎士の高度な技術がなくては戦争はできなかった。だが、彼らはそれを「馬鹿と馬鹿を効率よく殺し合わせる技術」にまで引き下げた。

 アジアはそうではなかった。極端な例として明治維新前までの日本を見ればわかる。百姓町人にとってみれば、「(いくさ)なんどというのはお(さむらい)様がなさることで、()(まえ)(ども)には鋤鍬(すきくわ)算盤(そろばん)のことは分かりましても、弓鉄砲(ゆみてっぽう)のこととなりますと、とんと……」というところである。それまでの日本人にとって、戦争は誰にでもできるものではなく、刀槍弓鉄砲のいずれもが長い期間の熟練と精神性を要する特殊技能であった。

 馬鹿でもなんとかなる殺し合いの技術というのは、言い換えれば「誰でも使える銃」すなわち狙って引き金を引きさえすれば女子供でもなんとかなる技術ということである。仮に、射撃が下手糞で2発に1発しか当てられぬ馬鹿兵士揃いでも、これは確率の算段で、10人がところ頭数を掻き集めて一斉に撃たせれば 1-(\cfrac{1}{2})^{10}=0.9990234375 という計算、つまり、99.9%の確率で、少なくとも1発は当てられる。銃の威力は強い。たとえ相手を殺せなくても、手の先であろうと足の先であろうと、体のどこにでもいいから当てさえすれば、それでもう相手は戦う力を失う。欧米白人が考え出したのはこういうこと、つまり「愚か者の殺し合い」である。

 だが、「遅れてきたアジア人ども」が、漸々(ようよう)白人流の「馬鹿でもできる戦争の()(かた)」を身につけて、よちよちと戦争をはじめるや、欧米白人は再びルールを変えてしまった。「特殊で高度な兵器を、しかも大量に駆使しなければ勝てない戦争」にしてしまったのだ。いまや、核兵器はもとより、宇宙船、航空機、艦船、各種地上用兵器はおろか、かつて「馬鹿でも使える兵器」の代表であった小銃(ライフル)ですら、相当な訓練を積まなければ素人には扱えない複雑なものになってしまっている。地域によって歴史は相前後するとは思うが、これが大日本帝国敗戦前後までのことと思ってよいだろう。

 殺す者だけではない。戦争の一方の参加者、殺される者の範囲に関するルールも、欧米白人は変えた。都市無差別爆撃を最初にやらかしたのは誰だと問うと、欧米白人はむきになって大日本帝国による渡洋爆撃、上海への強行空襲、南京だと言いたがるのだろうが、ゲルニカやロンドン、ベルリンのそれに比べれば、否、広島、長崎に比べれば、これなど実に行儀のよいものであった。

 自分が作ったルールで自分が苦しむ。愚かなことである。しかし、今の欧米白人は、自分が苦しんではいない。苦しんでいるのは他の人種である。欧米白人は戦争の世紀から涼しい顔で脱し、悠揚迫らざる物腰で楽をしている。悔しいと思うが、そういう成り行きなのであるから悔しがっても仕様(しょう)がない。

時事漫撰

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おうおう、いよいよ差し迫ってきたなァこりゃ

 去る夏以前の日本は、諸外国、特にアメリカと比べて新型コロナウイルス感染症による死者の増加率が少なかったが、そう悠長な見方もできなくなってきた。

 死者は7日移動平均の前日差で49人、率では49(本日人)/3341(累計人)=1.5%増加している。米国ではこれが1805(本日人)/347542(累計人)=0.5%だ。無論、そもそも分母が違うから率での比較には意味があるとは言えず、そこからしても依然日本は「コロナ対策の優良国」であることに違いはないが、死者が激増しつつあることは確かだ。感染者数はもはや飽和状態と思われる検査可能数にも影響を受けるからそれで一喜一憂するのは愚にもつかないが、死者は医療のキャパシティに関わらず出るわけだから、死者数の推移は最も見るべき指標と言える。それがこの状況なのであるから、憂慮すべきだ。

水回り

 ああ、ウチのポストにも、よく「水道屋のマグネット広告」入ってるわ……。

 冷蔵庫なんかに貼っとけるマグネットシートの広告はなぜか水道屋のものばっかりだ。アレ、昔だったらフロッピーディスクとかMOを壊すから、嫌われたろうねえ。今は磁石で壊れるような露出した磁気媒体はほとんど見かけなくなったから、水道屋の広告で壊れるものもなかろうけれども。

 それにしてもしかし、やっぱり、詐欺紛いの悪徳業者には違いないというわけだ。そうだろうねえ。だいたい、人の弱みに付け込む商売って、儲かるんだよな。水道や下水に不具合があると、ほんっと、困るもんな。

 ……。あ、医者もか。病気になると困るからなあ。勤務医だって、いい給料貰ってるもンな。……ケッ。とは言うものの、まあ、今は時疫のために苦労していることは分かる。それをも()き下ろすつもりはない。

例のアイツも流れ弾にでも

 レバノンと言うとどうしても逃亡中のあ奴、カルロス・ゴーンのことが思い浮かぶ。わざわざこんな不安な国なんぞへ脱出するなんて、いろいろ満ち足りている分、()(ツム)の方にどこか足りてない部位でもあるのだろう。せいぜい祝砲の流れ弾にでも当たるがよい。大当たりの幸運を共に祝ってやるぜ、ふははは。

 うーむ、あれくらいの大金持ちとなると、呪っても良心の(とが)めを何も感じないな。自分と無関係の人物だしな。

いい加減「欧米白人主義」のことを民主主義と呼ぶのをやめろ

 民主主義と言う言葉の定義がまるっきり()(タラ)()だから(うべな)えない。

 だから試しに、記事の表題をこう読み替えてごらんなさい。「欧米白人主義の危機とはなにか?」って。ね?スッキリするでしょ、確かにのっぴきならない焦燥と危機を連中が感じているんだ、ってことが腑に落ちてさ。

 欧米白人キリスト教徒どもは、正直に「俺たちは政府から命令されてマスクなんか着けさせられているのが我慢ならないんだ、これは民主主義の危機だ!」とか、「黒ん坊やイスラム教、ジャップなんぞがよってたかって乗っ取って幅を利かせてる Twitter だの Facebook だの Instagram だのの投稿に右往左往させられるのは金輪際(こんりんざい)(イヤ)なんだよ俺らは。これは『民主主義』の危機だろ!?」って、しょうもない気分の問題をさも人類文明の終焉みたいに言い立てればいいわけだよ、馬鹿ッたらしい。

 日本?日本は違うよ、国から命令されてマスク着けてるわけじゃないもの。SNSだって、お前ら欧米白人が()ッち上げたものをこれ幸いと使ってるだけだもの。元々好きで着けてただけだし、あったから使ってるだけだ。何が悪いの。自由だろ? 悪いのはキサマらだ。

 ただ、上掲の文中には、

今回取り上げたほとんどの資料が民主主義の定義について言及していなかった。正確に言うと、EUの民主主義行動計画のみ具体的な記述があるだけだ。これは非常に奇妙で論理的に破綻している。なぜなら問題の認識と対策には「あるべき状態」あるいは「目標」が不可欠のはずで、それがなければ具体的になにがどう問題なのかわからないし、当然対策も立てられない。

……と冷静に述べられてもいて、それよ、定義によっては共産主義や社会主義だって理想的民主主義の一形態でしょうが、まずそこを定義しなくちゃ、とまあ、私なぞは思うのである。私ですか?私は私個人の利益がラクして最大になれば、ナニ主義でもカニ主義でも構いません、ええ、ええ。

訃報
これは知らなんだ

 亡くなったのは既に夏の頃、8月だという。

 「おたく」という言葉の出はじめに随分活躍した人物だった。祈冥福(めいふくをいのる)