素直に取り組む

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 今日、7月1日は、私にとっては、感慨深い日です。

 徹底的に頑張り抜くとか、死ぬまでやります、どんなことがあろうと負けずに完遂します、私が死にさえすれば皆のためになるからそうします、五体尽きるともなお撃ちてし止まん……というような、そんなことは、すみませんが今の私にはできません。それが私に期待されていることだというのなら、申し訳ないですがご期待には沿えません。

 これまで知らずにしでかしてしまった数々の失敗を全て糊塗できるならそうしたいですが、それは無理というものですから、糊塗もしません。口先でお詫びしたって、それは詮無いことです。責は甘んじて受けますから、責めてください。

 それよりも、素直な気持ちで、人の気持ちや努力に報いたい、どうにかして、なんとか上手に整えたいのです。下手糞のくせに上手に整えたいなどとは、言う人に言わせれば笑止千万でしょうが、でも、それが今の私の正直な気持ちです。

 なれるものなら、空っぽの湖のような、完全に澄んだ素直な気持ちになりたいのですが、五十歳過ぎの、色々と引きずっているオッサンには、そうした完璧な気持ちになり切ると言うのは困難です。でも、そういう中にも、追求できる素直さはあると思いますから、なんとか素直にします。

 バカにされようと、頑是ない子供のように教えを請いたいと思うのです。なんでも聞きまくる子供の素直さを真似たいのですが、本当にそうしたら、私は笑われてしまうでしょうし、面倒くさいおっさんだと思われるでしょう。それでも、本当に子供の真似をしましょう。

 これまで私は、大人のふりをして、知ったかぶりをしてきました。何かを始めることは難しいですが、何かをやめるということは、わりあいに簡単にできます。それなら、私の悪い癖である、知ったかぶりをやめたいと思います。

Facebookのボタン、1種類に戻らないかな

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 一昨年からFacebookには「いいね」「超いいね!」「うけるね」「すごいね」「悲しいね」「ひどいね」の6種類の気持ちをワン・クリックで表明可能なボタンが設けられた。

 その前は長い間「いいね(Like!)」のみであった。それが、ユーザの要望によって6種類に増やされたのである。私も最初はこれを歓迎した。

 だがしかし、これでは足りない。中途半端な拡張だと言わざるを得ない。

 Facebookでは意外に病気や怪我の報告をする人が多いが、これには「お大事に」という気持ちを送信したい。だが、アメリカ人には「お大事に」という心は理解不能らしい。

 また、訃報を表明する人もある。これに対して「悲しいね」の一択というのも、いかにもアメリカ人らしい。「ご愁傷さまでした」という気持ちと「悲しい」という気持ちは違う。また、満中陰の忌明けの人に贈るべき気持ちは「悲しいね」ということのみではない。

 災害などの困難をようやく切り抜けた人へ「大変でしたね」と見舞いの心を贈るのも、日本人にしかわからないらしい。こういう人に「すごいね」はないし、ようやく生活を再建しはじめた、という局面に「悲しいね」もない。だが、アメリカ人は「すごいね」で済むのだ。It’s Great、というところだろう。

 「ひどいね」などというボタンも、いかにもアメリカ人らしい。このボタンでは瞋恚(しんに)の気持ち以外、何も表明できない。日本人は、最近はそういう人も増えているとはいえ、瞋恚や憤怒のみを単純に噴出させにくい国民性を持つ。

 どだい、コミュニケーションに必要な「気持ちの表明」を世界通用標準に類型化しようなんてことは、ムリなのである。アメリカ人には「悲しい」という気持ちはあっても「ご愁傷さま」なんていう気持ちは、理解不能なのだ。逆に、戦地から帰った軍人に凱旋おめでとう、何人殺した!?……などと問いかけて祝い、「超いいね!」ボタンをクリックする気持ちなど、我々日本人には到底理解不能で、悪魔民族としか思えまい。

 だから、FBのボタンは一つに戻したらいい。そして、そのボタンはもとの「いいね Like」ではなくて、「心が動いた」という選択だけにしたらいい。他の「超いいね」とか「うけるね」なんて、不要だ。

FBの「いいね!」ボタン拡張

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 もう一息。FBに病中の記事を書く人も多い。「お大事に」ボタンがほしい。「お大事に」は、今般拡張された「いいね」「超いいね」「うけるね」「すごいね」「悲しいね」「ひどいね」の、どれにもあたらない。

 そうは言うものの、なんでもかんでもボタンを増やしゃあいいってもんじゃない。こういうのは、ほんと、コメントで「お大事に」って書くものなんでしょうな。うん。