テーマ詠「雨」

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立哨の雨に打たるゝ無月哉
雨止まず仔を舐めてゐる秋の駒
飯盒(はんごう)に馬鈴薯を込む雨(しき)
草雲雀(くさひばり)()めばふと雨降りはじむ
薄紅葉嵐過ごせば五体無事

佐藤俊夫

#kigo #jhaiku #haiku #jtbt

 「夏雲システム」で関谷氏が運営しておられる「じたばた句会」に投句したものです。

テーマ詠「故郷」

投稿日:
(みささぎ)に雨降りしぶく今朝(けさ)の秋
故郷(ふるさと)もさぞかし暗き無月かな
花野へと老母(つえ)(がわ)りの車
(いしぶみ)(わずか)()るよ終戦日
()けば実家は空家蚯蚓(みみず)鳴く

佐藤俊夫

#kigo #jhaiku #haiku #jtbt

 「夏雲システム」で関谷氏が運営しておられる「じたばた句会」に投句したものです。

直角

投稿日:
真つ黒に無月の軒は四角にて
鉄塔の直角(きよ)し秋の天
(かね)(じゃく)(しら)()自在に庭の秋
端正に畳の角や風炉(ふろ)()(ごり)
掛軸の(かど)()解夏(げげ)を端座にて

佐藤俊夫

#kigo #jhaiku #haiku #jtbt

 「夏雲システム」で関谷氏が運営しておられる「じたばた句会」に投句したものです。

無月(むげつ)

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 このところ涼しく、まことに秋らしくなった。ご近所の柿がうっすらと色づいている。ようやく秋も半ばというところか。昨日はお彼岸、秋分であった。

 今夜はお月様だが、私の住む埼玉県越谷市の天気予報はあいにくと曇りで、今夜はどうやら無月(むげつ)となりそうだ。

 妻に「今夜はお月さんだよ」と言うと、「15日頃なんじゃないの」と言う。ああ、旧暦のな……、と答えると、ふうん、と興味もなさそうである。

 天文学上の満月は明日の昼頃だが、暦法上は今日が旧暦八月十五日、夜は十五夜で、いわゆる「仲秋の名月」である。しかし、七夕同様、季節の変わり目で天候不順、また二百十日も過ぎたばかりで嵐が来ることもよくあり、月が隠れていることも多い。

 そこで、「雨月(うげつ)」「無月(むげつ)」というような言葉が生まれた。雨月は誰にでもすぐわかる言葉だが、無月というのはなかなか味わい深い言葉で、少し難しい。出ていない月がそこにある、ということで、「ないものが、ある」と言っているわけだ。

 富安風生に

いくたびか無月の庭に()でにけり

……という名句がある。単に「月」と言えば秋の季語だが、「無月」も秋の季語で、しかも月の傍題ではなく、れっきとした「見出し季語」である。

 無月のたびに、その昔理論物理学の泰斗(たいと)アインシュタインとインドの大哲人タゴールとの間で交わされたという対談のことを思い出す。

 目をつぶろうと人類が死に絶えようと、原子の集まりである月はそこにあることは科学が証明している、とするアインシュタインに対し、タゴールは、人間がそれを月であると認めなくなれば月はなくなる、人間の意識の中にしか月はない、と述べて譲らなかったという。

 私は科学者でも哲人でもないからどちらが正しいのかはわからない。それより、この対談をどちらが正しいとかどうとかいう評論の的にするのもあたるまい。しかし、名月の価値は人間が決めたものであろうし、反面、雲の裏に見えない月がある、というのも真実ではあろう。

 してみると、無月と言う言葉は、詩人タゴールの側にあるようにも、アインシュタインの側にあるようにも思える。ないものを認める、というのは、死者の霊魂をどう扱うか、ということにも似ている。

代休・免許・蕎麦・図書館・無月

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免許更新でどうも釣り銭200円貰ってないみたいで腹立つ

 代休をとり、越谷警察署へ運転免許の更新に行く。

 交通安全協会には5年分気前よく支払った。手数料等と合わせて4800円。

 5千円渡したのだが、お釣りがないようなので、「あのう、お釣り貰いましたかね?」と訊くと渡しましたよと言う。

 どうも貰ってない気がするのだが、窓口が混雜していてこちらもそれに気をとられ、はっきりしないし証拠も根拠もないので、釈然としないまま、後ろに他にも人がいたこともあり、そのまま窓口をはなれた。

 講習を受けている間、「やっぱりお釣り貰ってないよなァ」と思えてきて、腹が立ち、講習に集中できず、講習内容にまで腹が立った。しかし今更窓口に蒸し返しに行ったところでどうにもならないことも見え透いている。

 多分、朝の時間特有の窓口の混雑だったし、出納をしていた職員の手元を見るともなしに見ていると、収授の順序を混交してしまったり、札をかぞえる手が慌てたりしていたので、それで私の釣りを渡したことにしてしまったのだと思われる。

 折角交通安全協会費を気前よく5年分も払ったのに、そんな自分が馬鹿に思えてきて、余計腹が立った。

虎ノ門・大坂屋砂場へ行ってみる。

 そのような事などありつつも10時過ぎには免許の更新が終わる。仕事に行ったところで通勤時間を含めると中途半端で仕事になんかならないことはハナから分かっていたから、今日は無駄に丸一日代休を取ってある。だから午後はヒマ。

 気をとりなおし、出かけることにする。

img_4622 ひとつ、前から食ってみたかった蕎麦を食ってみよう、というわけで、エッチラオッチラ、平日の虎ノ門まで出てきた。もちろん目当ては「虎ノ門・大坂屋砂場」だ。

img_4625 混んでいたので私は2階へ通され、知らない人と相席になったが、広い座卓だったのでどうということもなく、私は背後に見返り美人図のかかったところへ座を占め、ゆっくりすることができた。店内には他にも古い額などがかかっており、清潔で、サービスもよかった。

img_4627 お安いところで「澤ノ井」の純米を1合と焼海苔を頼む。酒の通しものは藪などの蕎麦みそとは違い、昆布の佃煮が出る。いい感じの塩加減で、酒に合う。焼海苔は藪と同じように炭の熾った小さい炭櫃に入れてくる。

img_4628 ほどよく飲んだ頃に「もり」を1枚。旨い。酒と蕎麦はそんなに高くない。一品500円~600円がところである。今日も酒と肴と蕎麦で1500円と少しというところであった。

img_4630 「砂場」を出て、駅までの間に金刀比羅宮を見つけたので拝んでいく。

国会図書館へ寄る

 そういえば、と思いつき、国会図書館に行くことにする。この前三ノ輪の砂場総本家でゆっくり読めなかった「新撰 蕎麦事典」というのをもう一回確認してみようと思ったのである。それから、岩波の太平記も(めく)ってみたい。

 虎ノ門から国会図書館までは銀座線渋谷行きで溜池山王まで一駅、南北線に乗り換えて永田町まで一駅である。

 以前の国会図書館は「デジタル」の持ち込みに非常に厳しく、メモなんか取るためのノートパソコンもダメだったが、最近は大躍進しており、利用者登録がしてあれば自宅からコピーを頼むことも可能だし、館内のどの端末からも非接触IDカードで申し込んだ図書の到着状況などを確認可能で、インターネットも利用できるし、なにより自分のPCが持ち込み可能、しかも5GHz帯のWiFiが無料で使えるのである。

 早速、「新撰 蕎麦事典」を探し出す。この前三ノ輪の砂場総本家で見かけた本には確かにISBN-10で「ISBN 4879931011」と奥付に書かれていたのだが、帰宅してからネットで検索しても見つからなかった。

 国会図書館で探すとすぐに見つかり、本を開けば三ノ輪・砂場総本家で見たのと同じものであることが一目でわかったが、こちらにはISBNがついていなかった。こういうことというのは、あるものである。

 その中に、次のような項目があった。

(以下 「新撰 蕎麦事典」(新島繁 編、平成2年(1990年)11月28日初版発行、(株)食品出版社)から引用)

(「さ」項の中に)

さらしな 更科 更科の総本家は東京・麻布十番にある永坂更科。寛政2年(1790)に初代太兵衛(8代目清右衛門)が「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」の看板をかかげた。これよりさき寛延(1748~51)ごろ、すでに横山町甲州屋が「さらしなそば」、浅草並木町斧屋の「更科そば」のほか、店名の上に「信濃」「戸隠」「木曽」「寝覚」などを冠するほど信州ソバの名声が高かった。永坂更科の看板商品は一番粉を使った白い御前そばで、本店のほか神田錦町・銀座・有楽町更科などが身近かな系列店として知られる。更科の屋号は、更科そばが喧伝されて生まれた俗称であろう。現在麻布十番には、永坂更科布屋太兵衛(小林正児社長)、麻布永坂更科本店(馬場進社長)、更科堀井(8代目・堀井良造社長)の3店がある。

(「す」項の中に)

すなばそば 砂場蕎麦 元祖の和泉屋の創業は定かではないが、絵師長谷川光信の享保15年(1730)版『絵本御伽品鏡』下巻に「いづみや」の暖簾をかけた店頭図がのせてあり、当時すでに営業していたことがわかる。江戸時代、大坂新町遊郭の旧西大門のあった新町二丁目と同三丁目の境にあたる南北筋の南側小浜町は、俗に砂場と呼ばれていた。土地のものは砂場にあるそば店というわけで「砂場そば」略して「砂場」といった。当初はうどんの方が有名だったようである。幕末には衰退しはじめ廃業の年代は未詳。

 一方、江戸では寛延(1748~51)のころ、薬研堀の大和屋が「大坂砂場蕎麦」の看板をかかげていた。砂場そばが江戸へ進出した経緯は明らかではないが、和泉屋の一族よりもそこで修業したゆかりの者が、砂場の盛名にあやかるための名目だったかも知れない。その後、浅草黒船町角・砂場重兵衛、糀町七丁目・砂場藤吉、茅場町・砂場大坂屋、久保町・砂場長吉などの名店があらわれた。

 文化(1804~18)のころ評判の高かった麹町七丁目砂場から慶応年間に室町砂場、明治5年に虎ノ門砂場がそれぞれ独立した。巴町砂場は前記久保町・砂場が立退き命令によって天保10年(1839)に巴町に移転した老舗。大坂に源を発した砂場そばは江戸に根をおろし、現在は砂場の暖簾会を運営するなど繁栄を続けている。

【挿絵】

大坂砂場のそば店和泉屋の図。広い店内とうしろの「かつお蔵」「そば蔵」「むぎ蔵」「醤油蔵」「臼部屋」が目を引く
竹春朝斎(信繁)画『摂津名所図会』より

(「や」項の中に)

やぶそば 藪蕎麦 雑司ヶ谷鬼子母神の東の方の藪のなかにあった百姓家の「爺が蕎麦」が藪そばの元祖。現在の雑司ヶ谷1丁目付近と思われる。当時「藪の内」とも呼ばれた。寛政10年(1798)版『若葉の梢』下巻によると「藪の内そば切はぞふしがやの名物にて、勘兵衛と云ける。参詣の人行がけに誂えて、戻りには出来して置けり。百姓家にて、商人にてはなかりしが、今は茶屋(てい)(なる)。諸所に其名を出すといえども、元来其家の徳なるべし」とある。寛政当時その盛名にあずかろうと、藪蕎麦を名乗る店が方々にあらわれた。その一つに深川藪の内(現江東区三好町4丁目に開店した藪蕎麦(薮中庵とも)は、文化12年版の番付「名物商人ひゃうばん」にあげられたばかりでなく、幕末の江戸切絵図にものるほどの有名店になった。

 その後、駒込千駄木町の団子坂藪下にあった蔦屋も藪蕎麦とも呼ばれて大いに繁盛した。その蔦屋が神田連雀町(現神田淡路町2丁目)に支店を出していたが、明治13年に砂場系の浅草中砂4代目堀田七兵衛が譲り受けた。七兵衛は経営の才に恵まれ、団子坂の本店なきあと藪の暖簾をあずかり、名実ともに藪の本家として現在に至っている。この本店のほか浅草並木藪、上野池之端藪があり、いわゆる藪御三家となっている。藪そばは藪之内・藪下から名づけられた俗称。江戸っ子は正式な屋号より俗称で呼ぶことで親しみを感じていた。

【挿絵】

駒込団子坂(東京都文京区)にあった藪蕎麦「蔦屋」。離れ座敷もしつらえてあった。

(以上引用)

 この前三ノ輪の砂場総本家で見たこの本は、もうこれでもかというくらい一杯書き込みや付箋があり、傍線が引かれて表紙もボロボロになっていたのだが、上に引用した「砂場蕎麦」のページに付箋が打たれ、「糀町七丁目・砂場藤吉」のところに傍線が引かれて、「当店のことです」と鉛筆の書き込みがあったのである。

 それから、岩波の「太平記」を借りる。

 右のように全部で5巻ある。国会図書館では一度に借りられるのは3冊なので、分けて借り出す。この前まで確か5冊まで借りられたのだが、なんだか利用者が増えたのか、3冊までになってしまったようだ。

 もちろん、いかに不肖・私こと佐藤といえども、文語体のこんな分厚い本を四半日(しはんにち)で全部読めるわけはなく、確かめたかった楠正成に関するところの記述を拾い読みするだけである。

 私が(めく)ってみたいと思っていた「湊川の合戦」は、

  •  「太平記 第十六巻 尊氏(たかうじ)義貞(よしさだ)兵庫湊川(ひょうごみなとがわ)合戦(かっせん)の事 8」(岩波文庫で第3巻p.65~)、
  •  「同 正成討死(まさしげうちじに)の事 10」(同 p.77~)

……というあたりにあることがわかった。

 しかし、ゆっくり読んでいる暇はなく、また国会図書館はどんな本でもある代わりに、館内閲覧のみで、「借り出し退出」はできず、閲覧時間切れとなってしまったのだった。

 ただ、「新撰 蕎麦事典」とは違って、「太平記」は最近発売された岩波文庫のラインアップなので、借り出しのできる近所の図書館にもあるだろう。

 ただ、これ、手に入れて所蔵したいのもやまやまなんだよねえ。

無月

 更けてきて帰る。今日は旧八月十五日で「中秋の名月」だが、月は見えない。どうやらいわゆる「無月(むげつ)」というやつだ。

 月は見えなくても、雲の裏には月がある。ないけど、ある。むしろその方が月の存在感は増す。それで「名月」とか「十六夜」などという言葉とともに、この「無月」も秋の季語として「月」の傍題になっている。

いくたびか無月の庭に()でにけり 富安風生

月の季語、秋

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 歳時記を読んでいたら、秋季語の「名月」の周辺にたくさん月にからむ季語がある。

  •  待宵(まつよい)・小望月(こもちづき)

 十五夜前後の月で、明日の名月を待つ宵という心。

  •  無月(むげつ)・雨月(うげつ)

 曇って中秋の名月が見られぬのが無月、同じく雨なら雨月。

  •  三日月・新月

 秋季語の三日月・新月は、仲秋の月齢3。

  •  十六夜(いざよい)

 名月十五夜の翌日だから十六夜、日没からやや遅れて出るので、「いさよう(ためらうという意味)」月、という。

  •  立待月・十七夜(たちまちづき)

 十五夜から1日ごとに月の出るのが遅くなるが、「立って待つほどに上ってくる」と言う意味。

  •  居待月(ゐまちづき)

 十八日の月。前夜より30分ほど月の出が遅れるので、座って(居て)待つ、という意味。

  •  臥待月(ふしまちづき)

 十九日の月。月の出は更に遅れ、臥しながら待つ、という意味。

  •  更待月(ふけまちづき)

 二十日の月。夜もふけて待つ。

  •  宵闇

 いよいよ月の出が遅くなり、夜が暗い。