時事数片

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インドと日立

 こ、これは……!

 日本企業が立派に業績を広げていて、よいことだ。

言いたい放題の皇室報道は不敬だからやめろ

 標記のように思うので、ブログに書いたりもしたくないのだが、下の記事などは、まだしも良心的な方であるので、貼ってみた。

 他の報道など不敬極まるものばかりだ。しかも、どこの誰が言ったのかもわからないような「なんちゃら関係者」などという無責任なニュースソースばかりで、「そんなことを部外者に漏らすなど、どこの糞役人だ」と怒りすら覚えるが、多分、そんな役人などいないのに違いない。週刊誌の記者の()ッち上げだろう。

 最近、皇嗣家に対して「悠仁親王殿下の事件で世間を騒がせ、他の生徒を不安にさせたのだから、謝れ」などとする、まるで頭の螺子(ねじ)でも外れているのではないかとしか思えないようなブログ記事や週刊誌記事を見た。

 どうしてそんな理屈になるのか、サッパリ理解いたしかねる。

 国民全体に謝らなければならないのは、どんな理屈があろうと、逮捕された犯人である。

 なぜ犯罪の被害者が謝らなければならないなどと考えるのか。よくもまあ、そんな屁理屈を公表できるものだ。こんな記事の書き手は、自分が不敬を働いた(かど)で国民全体に対して即刻謝罪すべきだ。土下座くらいで足りるものか。

 そうしたブログのURLや、その記事への参照をここに書いたりして、そんなおかしなサイトへアクセスを誘導することになどなると(しゃく)(さわ)るから、URLなんか貼らないし、参照も書かない。これまでこのブログに書かなかったのも、腹が立つから書かなかったのだ。だがこうなってくるともう、微論なりとも書かず言わずにはおれぬ。

デス・ゾーン

 エベレストは登山家で混雑し、そのせいもあってか今年も、はや遭難死者が出つつあるという。

 エベレスト山頂付近の「ヒラリー・ステップ」と呼ばれる場所の手前から撮った写真が上掲の記事にある。まるで、どこかの観光地の混雑のようだが、ここは間違いなく、たった1日ほど過ごすだけで酸素不足による死が待ち受ける「デス・ゾーン」である。

 デス・ゾーンでは遭難死した遺体の回収も困難を極めるため、通常遺体は放置され、山頂までの至る所に文字通り死屍累々と点在しており、その数たるや百数十体になんなんとするという。遺体は極彩色のクライミング服装や装備を着けたままだから、点在する様子は色とりどりに見えるそうで、一帯の現地名を「虹の谷」と称するのは、この遺体の極彩色と無関係ではないらしい。

 遺体は酷寒と乾燥のため腐敗することもなく固着し、ベテランのクライマーなどは、例えばその遺体が目立つ有名登山家の遺体で、緑のブーツを履いていたりするのを「例のグリーン・ブーツ」などと呼び慣らし、「グリーン・ブーツが見えてきたから、もうすぐ右だ」などとくらいに言うのか、「道標」がわりにすらしているという。

 エベレストで遭難した人の遺体は、吹きっ(さら)しで放置されているから、写真に撮られることも多いようだ。「エベレスト 遭難 遺体」あたりのキーワードで検索するといくらでもヒットするから、すぐにこれら遺体の状況を確認することができるだろう。

 「そこに山があるからだ」という名言を残し、100年近く前にエベレストで行方不明になったイギリスの著名な登山家、ジョージ・マロリーの遺体が発見されたのは今から20年ほど前のことで、遭難後70年以上が経過していた。その遺体は屍蝋(しろう)化して、写真で見るとさながら生きるがごとくである。

 左の動画は、そのマロリーの遺体が発見された時の記録フィルムである。

 去年の記事だが、こんな記事もある。

トムラウシ山のこと

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 前回の記事で、たまたまトムラウシ山のことを懐かしく思うことを書いたところ、今日の大量遭難である。

 お亡くなりになった方々に哀悼の意を表する。

 私自身は、トムラウシ山には7回か8回くらいも登ったろうか。そのうち4~5回はクヮウンナイ川からの登山だった。残念ながら、冬のトムラウシは知らない。

 トムラウシ山の山容は温和で、日本アルプスや日高山系のような痩せ尾根や岩場の山ではなく、標高もさして高くはない。

 だが、アプローチが異様に長く、新しい登山口の帯広側からは日帰りも可能ではあるものの、従来はどうしても片道1日以上を要し、野営が必要であった。歩行距離も長く、体力も消耗する。私がよく訪れたクヮウンナイ川などは落石・滑落でしばしば遭難者があり、登山禁止が長く続いた。

 70歳にもなろうという素人の老人が物見遊山がてらに気楽に登る山ではない。

 大雪山系は一般に火山性の山であるためなだらかで、標高もそう高くはないが、緯度が高いために、天候、特に気温は、本州の山と比べる時には1000メートルを足すのが適当とも言われる。

 昭和62、3年か、平成元年ごろだったろうか、私も大雪山随一の高峰旭岳で、8月半ば頃に吹雪に遭ったことがある。高峰とは言えど、ロープウェイで気楽に遊びに行ける山だ。だが、ロープウェイを頼みにして、薄着、手ぶらなど、油断をすると大変な目に遭う。

 その時は、みぞれのような横殴りの氷雪に叩かれ、用意のゴアテックス雨具の上にガラスのような薄氷が張った。私は、真夏の日帰り登山であったにもかかわらず、ウールのセーターをリュックサックの底に収め、ツェルトザックにレスキューシート、燃料、水、甘味品など、十分に用意をしていったから特に怖くはなかったが、周囲にいた観光客には恐怖体験だったかもしれない。十分に用意をするということは、そのまま重い荷物を担ぐということと同義であり、それには鍛えた肉体が必要になる。体力のない者は、物質面で油断のない用意をしておくことができないというその点で、既に山に登る資格がない。

 もしその日が夏日であれば、日帰りに似つかわしくない私の大荷物は、他の登山客には奇異に見えたことだろう。だが、普段奇異に見られることを営々と持続し、百回千回のうちのたった一度に役立たせることこそ、「備え」というものである。

 真冬に同じ旭岳で、偶然ガイドにはぐれた登山客を発見し、これを助けて下山したことがある。その人は防寒具、食糧など、すべてをパーティ頼りにしていたために、手ぶらに近かった。反面、その時の私は危険と言われる単独行であったが、逆にそのために周到に準備し、夏シーズンに目をつぶっていても歩けると言えるほどに同地に通い、それから決行した冬山行であった。単独行であるからこそ、重い荷物に耐えられる体を作り、十分な物資を携行して臨んでいた。一人で遭難すれば、何年も行方不明になってしまう。だから、気楽に構えず、覚悟して冬山行をした。

 老人には、自分と言うものの位置・地位をよく見極め、軽率な行動をしないように自戒してもらいたい。ガイドに頼りたい気持ちもわかるが、山で他人に頼れば、はぐれれば丸裸である。

 他人に頼る心は、何もなければ人と人との信頼や、美しい愛にも転化できようが、山はそんなことを考えてはくれない。非情なのだ。ガイドに頼らなければ行けない山になど、最初から行かないことを意見したい。