時事遅見

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訃報

 「ノストラダムスの大予言」で大ヒットした文筆家、五島勉氏が死去したそうである。

 祈冥福(めいふくをいのる)

 私などは当時小学生であったが、「立ち読み」が庶民の公然の娯楽であった頃でもあり、ゾクゾクしながらタダでこの本を読み(ふけ)ったものだ。今にして思うに、当時の個人経営の街の書店というのは、随分と寛容だったものである。そのかわりに、当時の大人の慣例として、その書店で大部の全集ものを購入するなどしていたのだと思う。

 私が最近読み耽っている平凡社の世界教養全集は、父から貰い受けたものだが、これも、父が街の書店との持ちつ持たれつの付き合いで買い込んだものではなかったろうか。

馬鹿なことを

 欧米土人に納豆のような高度な食品が食えるわけはあるまい。ハナッから笑止千万である。

 納豆は日本人のように高度な味覚を持つ選民によって賞玩されるものであって、毛唐にその価値を評論されるなど、不愉快そのものである。

はやぶさ2任務続行

 驚くべきその耐久性。驚愕。

購読者を愚弄してんじゃないよ(笑)

 な~にバカにしたようなこと書いてんのさ。数万の票を投じた有権者の多くは、毎日新聞の上得意客、購読者様だろうがってのよ。よくこんな取り澄ましたようなこと書いてトボけておれるよ。ネトウヨ煽ってんじゃないよ糞新聞が。

結果から言えば

 結果から言えば、日本政府の生ぬるくていい加減な「緊急事態風な国民の皆様へのお願い」と、諸外国が行った強制的で武力をも実際に国民に向けた「ロックダウン」との間には、それこそ霄壤(しょうじょう)(ただ)ならぬ逕庭(けいてい)があったと言えよう。無論、霄は日本で壤が諸外国だ。諸外国のロックダウンにはまるで意味がなかった。日本と英国の死者と感染者の数を比べて見たまえ。

 だが油断してはならぬ。夏休みに開放感に浸り、いい気になってあちこち出掛けたりなんかすれば、たちどころに数万人の感染者を生じて死者を出し、「日本人はやはり劣等で愚かな未開有色人であった」などと米英仏独伊の欧米土人どもから嘲笑の的になるばかりでなく、厳しく病気を制御しつつあるアジア諸国からも「ハハッ、やっぱり日本人など『半欧米土人』に過ぎなかった(笑)」と憫笑(びんしょう)されるだろう。

 オリンピックは中止されたが、そのかわりに、新コロによって思わぬ国威レースがスタートされたと言ってよい。また、私に言わせれば、欧米土人は核開発とその実戦使用、すなわち広島、長崎の惨劇が咎となり、彼らが信じる神の罰を受けて死につつあるのだ。歓喜のうちに罰を受け止めるがいい。

 更に書けば、神罰を神によるものならしめるのは人間の精神に他ならぬ。「精」に「神」と書いて「精神」という言葉は成る。日本人の神仏は文字通り人間の精髄にあるが、欧米人の神は人間の精髄にはない。その結果をこそ見ざらめや、というほどの気概を持ちたい。

時事放言

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必ずしも(ジジ)(ババ)キラーというわけでもないようだ

 高齢で治癒したということはめでたいことである。この方の今後の幸福を祈りたい。

思ったよりもマシ

 今日は東京都200人超えの報を聞くかな、と思っていたから、まだしもだった。

なぜ米国人はこのような目にあわなければならないのか

 亡くなった無辜(むこ)の米国人の冥福を祈り、盟邦(めいほう)の国民の一人として、悲しみをともにするより他はない。

 しかし、()えて言えば、世界最強最先端を誇示する米国人が、なぜ電子顕微鏡をもって拡大しなければ見ることも(あた)わぬようなちっぽけなウイルスに襲い掛かられ、かくもバタバタと死ななければならないのだろうか。

 これを当の米国人たちは、その因果に思いを巡らして反省すべきなのではないか。

 つけつけと言い(つの)ろう。所謂(いわゆる)「9.11」に報復するに、一部の過激思想家とは何の関係もなかったアフガンの多くの一般人、保有していない核兵器への言いがかりでどれほどのイラクの一般人、そしてシリアで、いや、もっと言うならベトナムで、長崎で、広島で、大阪で、東京で、どれほど多くの「なんの罪もない人」を「自分たちの手で」殺したか、米国人はよくよく反省するがいい。それらは天然現象などではなく、米国人の意思と手によってなされたことだ。

 新型コロナウイルスは違う。厳しく言って、米国人の白人エリート、すなわち筋金入りの清教徒由来の人々らが信じている「神」が、いまやウイルスの姿となって顕現(けんげん)垂迹(すいじゃく)したのだと知るがいい。

 こんなことを言い捨てたところで、それこそゴミのような一言に過ぎず、世界が変わることはない。米国も何も変わるまい。このウイルス禍が過ぎ去った後、経済を復興させるため、米国は()りもせずまた戦争をするだろう。あるいは中東では(あきた)らず、再びアジアに魔手を伸ばすかもしれない。恐ろしいことだ。野望、(いな)、非望である。

 米国の野望は断固としてこれを(くじ)くべきではあるが、日本にはそうするだけの力は、残念ながら、ない。したがって、巧妙・機微に立ち回り、詐術などの手段を用いて、「日本だけが無関係かつ安全に閉じこもっておれる」ようにするのが次善だろう。更にそれが駄目なら、今度は逆に米国が行う殺戮(さつりく)に加担し、戦勝国の側に並ぶことが次々善だ。それだけの覚悟が、日本人にはあるだろうか。

ESRI、なかなかいい仕事してる

 しかし、なんというか、チトゴチャゴチャしてるよな。

いや、私はいいと思う。

 安倍総理のツイートが批判されているという。それが右のツイートである。

 シンガー・ソング・ライター星野源氏の音楽に合わせて、自宅で静かに過ごしてもらいたい、という趣旨のことを訴えているわけである。

 私はこの映像に対する批判は当たらないと思う。内閣総理大臣自らなんとかしようと訴える至情にあふれているのではなかろうか。それに、当意即妙、なかなか品があり、よく出来ているではないか。

 一国の内閣総理大臣ともあろう人が、タレントや俳優の真似事までして、そこまでして何とか無用の外出を控えてもらおうとあの手この手を尽くしている、そういう誠意が伝わってもくる。少なくとも、私には伝わった。

 そのようなわけであるから、私はこの首相のメッセージを批判する立場の人と、残念ながら、永久に分かり合えそうもない。多分、向こうから見れば私は宇宙人とか汚物同然なのであろうし、私から見ると彼らは異物、鉱物とか液体、昆虫などに見える。

 だから、お互い無関係に、分かり合うことなく幸せに別々の道を行きたいものである。