毎日身に応える暑さである。
だが、昨日の朝、出勤時には羊雲を空高くに見た。蒼空が日に日に高くなる実感がある。そして、日が短くなっていく実感もまた、ある。
昨日の夕刻、帰宅する頃、風にはどことなく秋隣が感じられた。無論、依然熱帯夜続きではあるのだが。
さもあろう、今日は既に「立秋」だ。月はちょうど上弦の半月。
オッサンは生きている。
毎日身に応える暑さである。
だが、昨日の朝、出勤時には羊雲を空高くに見た。蒼空が日に日に高くなる実感がある。そして、日が短くなっていく実感もまた、ある。
昨日の夕刻、帰宅する頃、風にはどことなく秋隣が感じられた。無論、依然熱帯夜続きではあるのだが。
さもあろう、今日は既に「立秋」だ。月はちょうど上弦の半月。
今日の暦は旧暦六月十五日、もはや明日は立秋だ。蛇足ながら、今夜は十五夜ではあるが望月は明後日である。
今日などは俳句の季語で言えば、夏の
実際のところ、先週初め頃など急に朝晩の気温が下がり、私の周囲でも風邪ひき患者が出た。昨日は暑さがぶり返したが、今日はまた少し涼しい。こうして秋へ秋へと傾斜する。
暑い。
しかし、来たる8月7日(月)が立秋であってみれば、実は今が「晩夏」であるということは即座に納得のいくところである。
時候で言えば、去る7月23日が「
これくらいの季節の夜のことを「夜の秋」という。「秋」とついているが秋ではない。夏の夜、それも、ちょうど今ぐらい、夜になるとふと涼しさを感じる一瞬、虫の声に秋を感じるひと時もある。こうした、そこはかとない秋を夜だけ感じる、そんな晩夏の夕べの秋の気配のことを「夜の秋」と言うのだ。歳時記でもこれは夏の季語に分類されている。「竹の秋」とか「竹の春」などというような、真逆の極端な季語とは違うが、言い得て妙の面白い季語だと思う。
暑い。
玄関先に半野良の老猫・ハートが寝そべっていて、出入りの邪魔だが、畜生をむげに扱うとバチがあたると思ってそのままにしている。
長女が何か辛い料理を拵えている。夏だからという。出かけていた家内が疲れて帰ってくる。
冷蔵庫から氷を取り出し、いつものとおりアイスピックを突き立てる。
「
夏既に去る、一昨日立秋。だからこそ「残暑」とも言う。
子供の頃は大人が交わす見舞状に「残暑御見舞」などという文字を見出しては、「夏真っ盛りなのに、なんで『残暑』??」などとも思ったものだ。
これからどんどん暮れやすくなる。この
台風はゆきすぎて雨もなし。好日。