一口坂(いもあらいざか)

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 昨日、九段・一口坂のあられ舗「さかぐち」で買ったあられと茶で朝食がわり。

 ここのあられはとても旨い。辛口の醤油の味がよく染みていて、緑茶に合う。

 このあられ舗のある「一口坂」を、「いもあらいざか」とも()む、ということを先日初めて知った。お茶の水の聖橋のたもとに、古い古い稲荷社の跡があり、そこに社の縁起が書かれてあったのだが、その縁起の中で、京都に一口(いもあらい)稲荷という稲荷社があって、その効験は化膿性の病にあらたかであるという。「ゐも」という古語があり、これは「うみ」と同じ意味であるそうで、「ゐも洗ひ」と「うみ洗ひ」は同じ意味だそうである。

 その縁起書によれば、往古は天然痘のことを「ゐもがさ」と呼んだそうで、上の意味からすると、病気の見たまま、そのままである。

 一口稲荷の霊験は、この天然痘によく効いたという。

 「一口坂」という地名は各地にあり、どれも大概は「いもあらいざか」と訓み、その由来もだいたい同じで、疱瘡などへの神仏の霊験に由来するようである。九段の一口坂に限っては、かつては「いもあらいざか」と呼んだが、今は「ひとくちざか」が一般化しているようだ。

 天然痘と一口稲荷の伝説も全国に残っており、「いもあらい」という古語の由来もだいたい同じようだ。

 ただし、なぜ「いもあらい」の和語に「一口(ひとくち)」の漢字を当てるのかは、諸説があるようではっきりしない。

 京都の一口稲荷に関しては、膿を洗って効験あらたかな社傍の池への入り口が一つしかなく、ために「一口」となったという説、あるいは、唱え(ごと)をたった一口(ひとくち)奉るだけで効験が現れたから、などの説があるようだ。

 九段の一口坂に関しては、「一口(いちぐち)氏」という山城国の豪族がここに住していたのが由来である、という説がある。

登戸稲荷社

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47597487 近所の稲荷社「登戸神社」の縁起や、地域の旧家、関根家、浜野家の来歴なども簡単に知るなど。

 祭神を「倉稲魂命」といい、こう書いて「うかのみたまのみこと」と訓むそうな。

 日本書紀を紐解くと、岩波の「日本書紀(1)」では、40ページあたりに、

(日本書紀〈1〉(岩波文庫)、40ページより、下線太字筆者)

 一書曰、伊弉諾尊與伊弉冉尊、共生大八洲國。然後、伊弉諾尊曰「我所生之國、唯有朝霧而薫滿之哉。」乃吹撥之氣、化爲神、號曰級長戸邊命、亦曰級長津彥命、是風神也。又飢時生兒、號倉稻魂命

 一書(あるふみ)に曰く、イザナギノミコトとイザナミノミコトと、共に大八洲國(おおやしまのくに)を生みたまふ。しかりしてのちに、イザナギノミコトののたまはく、「我が生める国、ただ朝霧のみありて、薫り満てるかな」とのたまひて、すなはち吹きはらふ氣(いき)、神となる。號(みな)をシナトベノミコトとまうす。またはシナツヒコノミコトとまうす。これ風神なり。また飢(やは)しかりし時に生めりし兒(みこ)を、ウカノミタマノミコトとまうす。
()み下し筆者

……と見える。

 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)は「稲荷」の神である。稲荷は「稲」「荷」の字にも表れている通り、稲がたくさん集積されたところの神で、豊穣の穀物神である。

 この神が使役するところの手下がすなわち「キツネ」で、そこからオイナリさまと言えばキツネということになったのであった。