劣者優中に入るの記

投稿日:

 梅雨明け宣言はまだ出ない。関東一円はどうも雨も少なく、(から)梅雨の(おもむき)で、ダムが干上がりかけて取水制限までされるというありさまである。

 一方で、中国地方以西・以南では水害で死人まで出た。奇禍に遭われた方々には心からお見舞いを申し上げたい。

 さておき、先週末の夜は街灯に近い木々の間で蝉が鳴き始め、昨日などは青空が広がり、今日は曇天模様とは言え雨ではなく、肌の感じではもはや梅雨明けと言って良い。

 家から出てみると、植栽の手入れの良い近所のお宅の庭では見事な芙蓉(ふよう)の花が咲き、百日紅(さるすべり)も咲いたところだ。

 美しい。あっという間に夏になった。

 今年は春から今日まで、あっという間だった。自分がすべきことを、何もできていない気がする。

 一昨年、悩みかつ悟るところが多く、「劣々優々」なんてことを書き留めた。

 ところがどうしたことだろう。あれほど懊悩していた私が、気が付けば、私がついて行けないような若く優れた人たちに囲まれている。

 私は、あのように書き留めたにも関わらず、私自身が優れた人になった覚えはない。実際、往年の切れ味は低落し、他人に頼るばかりである。何かにつけ若い人たちの力量に(すが)らなければ、技術的なことは勿論のこと、日々の簡易な雑事でさえ、ごく無難に回すことすら覚束(おぼつか)ない。

 この状況には覚えがある。若い頃の私は、今の私のような人を、内心で蔑んでいなかったか。

 こうなってみると、優れた若い人たちが本当にありがたい。

 敬愛する元の上司が、ふと「そう言えば、佐藤さんは、今までずっとプレイヤーばかりしてきたんですものね」と言った。

 そうなのである。永い永い間、私はプレイヤーでいた。しかも、何十年と言う間、私の職場では珍しい、Annex的な、小さな部署の担当ばかりしてきた。しかも、これが(ほぼ)、「代打」の担当だった。無論、代打ではなく、本業務専任だったことも多くあるが、それにしても代打が多かったのだ。その時その場に応じて、なんとかしなくちゃ、と、自分ではそこそこ、敵の隙間に球を落として走るような類のヒットは打ってきたつもりだ。だが、私自身が点数を稼いだところで、試合そのものは負け模様のものが多く、苦しかった。

 今の私は代打ではなくなった。

 私は、人に遅れて、今から勝ちの試合が作れるのかどうか。なかなか、オッサンもまだまだ、試される。

立待

投稿日:

 今日は旧暦五月の立待月(十七夜)である。立待月は狭義には旧暦八月の十七夜のことで、仲秋の名月の二夜後だが、広義には普通の十七夜のことをこう呼んでもよい。

 気象庁から「梅雨入りらしい」という発表があったのは先週のことだが、暦の上の「入梅」は今日で、名実ともに梅雨入りしたと言えるだろう。

 それにしても雨が降らない。今のところ空梅雨らしい。一昨夜も昨夜も晴れて、夕方には月が綺麗だった。昨夕など気圧が下がったか、水の匂いがして風向きが変わり、遠雷が聞こえ、頭上に積乱雲が成長する気配すらあったが、結局私の周囲には雨は降らなかった。その後晴れて、暑い夜になった。

 こんな夕方には明るいうちに風呂をつかうにかぎる。

 さっさと汗を流したら、冷蔵庫から氷の塊を出してカチワリをたくさん作り、ウィスキーを飲むのが良い。飲み慣れたバランタイン、ひと瓶千円しない。風呂上がりに飲むなら、(つまみ)も水もいらないや。

 あちこちの植栽の、花皐月(さつき)のよっぽど遅咲きのものもそろそろ(しお)れた。少しすれば盛夏、ある意味また別れと出会いの季節である。