(みぞれ)(ぼう)

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 昨夕の退勤路では(みぞれ)が降った。まだまだ冬はこれから、というのが正直なところだが、気づけば来週ははや立春である。

 通勤経路上にある道路の植栽に紅白の沈丁花があるが、その芽が既に大きく膨らみ、赤や白に色づいている。去年の秋に植えた我が家の庭の沈丁花も、よく見ると芽が膨らんでいる。

 新越谷駅駅ナカの「VARIE」に出店している「澤光青果」の店先には、早いうちから菜の花が並び、昨日(きのう)一昨日(おととい)にはもう(たけのこ)の若いのが出た。

 疲れて帰宅する間の霙にすら、そんな(はる)(どなり)の感が深い。

 今日の退勤路は昨日とは打って変わった澄んだ冬夜で、東から大きな大きな月が昇ってきた。今日の暦は旧暦十二月十七日、月は十七夜なのであるが、天文学上の(ぼう)は今日の早朝、午前4時16分で、したがって望は今日と言うことになるようだ。

 月を眺めながら、明日は庭に植えた草花にそろそろ「(かん)()」を施してやろうかな、と思う。

Today’s drinking and snacks 今日の酒肴・木の芽和え

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 青果店に大きな(たけのこ)が所狭しと並ぶようになった。先々週店先にあった筍は、赤ん坊の握り拳ほどであった。はや、今日店先に並んでいるものは、女の太腿ほどの大きさになっている。

 季節である。

 近所に住む姑の家の庭に山椒があり、毎年今の時季になると「木の芽」を分けてくれる。

 今年も分け前にあずかった。筍の水煮も作り置いてある。そこで、木の芽和えにして一杯やった。旨かった。

 例によって動画に撮り、YouTubeに上げた。

 飲んでいる酒はいつも通り「会津ほまれ」である。

 読んでいる本は、先日来ひきつづき、「世界教養全集 第1巻 哲学物語」(ウィリアム・デュラント著)である。

Today’s drinking and snacks 今日の酒肴・筍の土佐煮

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 筍が店頭に並ぶようになった。春も盛りというところだ。

 買って帰り、「土佐煮」を作って一杯やった。

 例によって動画に撮り、YouTubeに上げた。

 動画の中で呑んでいる酒は、いつもと同じ、「会津ほまれ」紙パック入りの純米である。

 動画の中で読んでいる本は、「平凡社 世界教養全集 第1巻 哲学物語」である。

(そぞ)ろ歩きと飲み食い

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 今日は旧暦二月(ついたち)、散りかける梅も多く、東京では桜が開いたという。

 日本橋の室町砂場へ行こうとして、神田の駅のほうがよっぽど近いことに気づく。神田駅南口からなら徒歩たったの3分。

 スマホのコンパスの調子が悪く、しばらく方向を失い、新常盤橋のあたりまで(そぞ)ろ歩いていて、ほぼ散った桃も見た。

 春である。

 明日は彼岸の入り。

今日食べたもの

 室町砂場で菊正宗1合、湯葉、筍の土佐煮、盛蕎麦。

 駿河屋嘉兵衛で純米大吟醸三千盛(みちさかり)5勺、蛸と梅肉の塩辛。

 北千住駅ナカの「てんや」で月桂冠1合、天婦羅(たらの芽、穴子、海老、烏賊(いか)、蓮根、いんげん)

食べられなかったもの

 新越谷駅近く、サンシティ屋上の牡蠣小屋の牡蠣。東北復興支援だそうな。

吉村昭いくつか再読

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 秋田で熊害(ゆうがい)があった。(たけのこ)取りの老人が何人も熊に襲われて亡くなったのだ。この筍は東北より南でいう普通の筍とは違い、根曲(ねまがり)竹という一種の笹竹の筍だ。()の地ではスズタケとかスズノコとも呼ばれ、今の時季を逃すと味わえない。珍味であり、儲けにもなるものだからその採集は争いになるほど盛んである。熊が旺盛な食欲を発揮する今の時季に、余人には内緒の穴場へ入り込むことが大収穫の秘訣でもあって、それで今回のような事件が起こってしまう。いずれ星霜を経た人生達者の老人たちであり、なんとも痛ましいことだ。冥福をお祈りする。

 この熊害のことに絡んで、なにやら大正時代の「北海道・三毛別(さんけべつ)羆事件」のことが話題になっているようだ。

 三毛別の事件は(ひぐま)によるもので、しかも居住集落でのことだ。秋田の一連の事件は月の輪熊によるものだし、山林でのことなので、三毛別羆事件とはやや内容を異にする。

 さておき、私も若い頃は登山が好きで、春夏秋冬問わず北海道の山林を跋渉(ばっしょう)した。北海道の山林では羆の害はつきもので、これを避けるのは一種のたしなみというか、義務であった。よくよく羆は避けなければならなかったから、生態などもよく研究して山に入った。


 当時、そのようにして羆のことを研究するうち、この三毛別羆事件に題材をとったノンフィクション作品があることを知った。それが、吉村昭の「羆嵐(くまあらし)」である。

 他に、吉村昭には「北海道三部作」とも呼べるものが二つあり、それが「破獄」と「赤い人」だ。


 これらを思い出したので、ちょっとまたパラパラッとめくってみたくなった。ところが、本棚を探したところ、「赤い人」はあるけれど、「破獄」と「羆嵐」が見当たらない。

 記憶をたどってみると、長女が生まれた頃、妻と二人で住んでいたアパートが手狭で、何千冊という本を手放してしまったのだが、どうもその時に捨てたらしいことを思い出した。


 今だったらスキャナで取り込んでしまう(所謂(いわゆる)「自炊」)のだが、当時はそういう手段もなく、泣く泣く捨てたのだった。

 で、つい、ついつい、もう一回買ってしまった。勿体ないけど、まあ、いいや(笑)。