もとよりキリスト教徒などではなく、むしろキリスト教など大嫌いな私であるが、上記書第18節、「イエス・キリストの
オッサンは生きている。
もとよりキリスト教徒などではなく、むしろキリスト教など大嫌いな私であるが、上記書第18節、「イエス・キリストの
なかなか梅雨が明けず、相変わらずよく降る。しかし、窓外の雨を時折眺めては、安らかに座って読書するのもなかなか楽しい。と言って、私の読書時間のほとんどは通勤電車内なのであるが……(苦笑)。
引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集、全38巻のうち、第9巻「基督教の起源/キリストの生涯/キリスト者の自由/信仰への苦悶/後世への最大遺物」を読んでいる。
第9巻最後の「後世への最大遺物」(内村鑑三著)を帰宅後の自宅で読み終わった。朝の通勤電車内でこのひとつ前の「信仰への苦悶」を読み終わった後そのまま続けて読み、帰りの通勤電車内でも読み、帰宅後読み終わった。この「後世への最大遺物」は短い著作であったから、「信仰への苦悶」と
著者内村鑑三は他に、「余は如何にして基督信徒となりし乎」など、キリスト者としての著書が有名である。私も、若い頃「余は如何にして基督信徒となりし乎」を読んだことがある。
一方、本著作は明治時代に著者内村鑑三が行った講演の講演録であるが、「余は如何にして基督信徒となりし乎」を読んだときにはわからなかった、著者の漢学・国学に対する深い理解がわかって少し驚いた。「余は如何にして基督信徒となりし乎」は著者が英文で著したもので、私の読んだものは岩波の翻訳であったから、そういうことがあまり現れていなかったのである。
そのことの表れであろう、この本の書き出しは、頼山陽の漢詩の引用から始まる。
もし私に金を溜める事が出来ず、又社会は私の事業をする事を許さなければ、私はまだ一つ遺すものを持つて居ます。何んであるかと云ふと、私の
思想 です。
文学といふものは我々の心に常に抱いて居るところの思想を後世に伝へる道具に相違ない。それが文学の実用だと思ひます。
我々の文学者になれないのは筆が執れないから成れないのでは無い、我々に漢文が書けないから文学者になれないのでも無い。我々の心に鬱勃たる思想が籠つて居つて、我々が心の儘をジヨン・バンヤンがやつた様に綴ることが出来るならば、それが第一等の立派な文学であります。
それならば最大遺物とは何であるか。私が考へて見ますに人間が後世にのこす事の出来る、さうして是は誰にも遺す事の出来るところの遺物で利益ばかりあつて害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思ひます。是が本当の遺物ではないかと思ふ。他の遺物は誰にものこす事の出来る遺物ではないと思ひます。而して高尚なる勇ましい生涯とは何であるかといふと、私がこゝで申す迄もなく、諸君も我々も前から承知して居る生涯であります。即ち此の世の中は是は決して悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であると云ふ事を信ずる事である。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずる事である。此の世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるといふ考を我々の生涯に実行して、其の生涯を世の中の遺物として此の世を去るといふことであります。其の遺物は誰にも遺すことの出来る遺物ではないかと思ふ。
訓読みは「天地に始終なく、人生に生死あり」である。
「天地無始終、人生有生死」であります。然し生死ある人生に無死の生命を得るの途が供へてあります。
これは本書冒頭の「改版に附する序」で述べられている言葉で、巻末の鈴木敏郎による解説にある通り、頼山陽が13歳の時に作った漢詩、
十有三春秋、逝く者はすでに水の如し、天地始終無し、人生生死有り、いずくんぞ古人に類して、千載青史に列するを得ん
述懐十有三春秋
逝者已如水
天地無始終
人生有生死
安得類古人
千載列青史
……からの引用である。
このエントリの最初の方で私が述べた、著者の漢学などへの深い理解がわかった、ということがこのあたりに表れている。
「
丁度埃及の昔の王様が己れの名が万世に伝はる様にと思うて
三角塔 を作つた、即ち世の中の人に彼は国の王であつたと云ふことを知らしむる為に万民の労力を使役して大きな三角塔を作つたと云ふやうなことは、実に基督信者としては持つべからざる考だと思はれます。
「
併し山陽はそんな馬鹿ではなかつた。彼は彼の在世中迚も此の事の出来ない事を知つて居たから、自身の志を日本外史に述べた。
「
それが為に欧羅巴中が動き出して、此の十九世紀の始に於てもジヨン・ロツクの著書で欧羅巴が動いた。それから合衆国が生れた。それから仏蘭西の共和国が生れて来た。それから匈牙利の改革があつた。それから伊太利の独立があつた。実にジヨン・ロツクが欧羅巴の改革に及ぼした影響は非常であります。
そのまま音読みで「けりょう」等とも読むが、ここでは「
仮令我々が文学者になりたい、学校の先生になりたいといふ望があつても、是れ必ずしも誰にも出来るものでは無いと思ひます。
第9巻はこれで最後、次は第10巻「釈尊の生涯/般若心経講義/歎異鈔講話/禅の第一義/生活と一枚の宗教」である。第9巻は一巻これすべてキリスト教であったが、第10巻は見た通り仏教がテーマである。
引き続き60年前の古書、平凡社の世界教養全集、全38巻のうち、第9巻「基督教の起源/キリストの生涯/キリスト者の自由/信仰への苦悶/後世への最大遺物」を読んでいる。
4つ目の「信仰への苦悶」(J・リヴィエール Jacques Rivière 、P・クローデル Paul Claudel 著、木村太郎訳)を行きの通勤電車の中で読み終わった。
この本は、あるファンレターが詩人ポール・クローデルのもとへ送られてきたことから始まる。
クローデルはフランスの外交官だが、詩人としての声名が高く、数々の名作を残している。だが、その姉が「分別盛り」などの彫刻作品で知られる天才彫刻家、かのロダンの愛人にして弟子、カミーユ・クローデルであると知ると、この方が知る人は多いかもしれない。
ファンレターの送り主は、後年評論家として名を成すジャック・リヴィエールであった。彼はこの時若干20歳、一方ファンレターを送り付けられたリヴィエールは38歳の不惑近い年である。そんな酸いも甘いも噛み分けたような、年上の有名詩人に、ずけずけと正直に、しかも取り留めなく、今のTwitterなどでの作者と読者のやり取りで言えば「何この粘着野郎」とでもいうような、グダグダしたファンレターをクローデルに送り付け、多分「勝手に」であろうけれどもクローデル作品の評論を雑誌に書いたり、随分失礼なファンである。
ところが、クローデルはこの変なファンに真摯に向き合い、敬虔なカトリック信者らしく寛容と落ち着きのある返信を
往復書簡の内容は主としてキリスト教、
Scepticism。懐疑主義・懐疑論のことである。「
私をルナンやグールモンの方へ追いやることが、どんなに間違っているか知っていただけたら! グールモン、あの憐れむべき生理学者の方へ! おそらく私は、セプティシスムの外見によって、そうした同一視の口実を与えたのでしょう。しかし私のセプティシスムは情熱的で、盲目で、緊張しています。
讃美歌中の一曲である。
涙と嗚咽がきた。そしてアデステのあの優しい歌声が私の感動をいやがうえにも深めた。
次は五つ目、第9巻最後の収載作「後世への最大遺物」(内村鑑三著)である。
だが、そうは言うものの、いかにも梅雨らしく豊かに降る、とでも言えば季節を愛でようという気にもなる。ふと気づくと近所の家々の庭の
盛夏の予感がする。
引き続き約60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。仕事帰りの通勤電車の中で、第9巻「基督教の起源/キリストの生涯/キリスト者の自由/信仰への苦悶/後世への最大遺物」のうち、三つ目の「キリスト者の自由」(M・ルター Martin Luther 著、田中
マルティン・ルターの名前は誰もが学校で習うので知っている。学校では「ルター、カルビン」などと、フランスのカルビンと一組で習う。しかし、そのルターが何を言ったのかは、学校では少ししか習わないから、その所説を知っている人は少ない。
もちろん私もそうであったが、この読書によってなるほどと膝を打つこと大であった。
本書はルターの代表的論説で、誤解を恐れずザックリと内容を要約すると、
「物質的な形から入るのは誤りである。まず初めに精神がなくてはならぬ。精神から形はおのずと現れる。だがしかし、精神が成ったのち、それが物質的形となって慈愛とともに溢れ出さなければ、精神もまた誤りであったということになる。」
……ということとなろうか。ルターはこれを、「免罪符を買う」とか「ひざまずいて祈る」とかいう「形」が、「キリスト教信仰」という精神なしに横行していることを憂えて言っているのである。
これはしかし、実に考え込まされることだ。キリスト教信仰だけでなく、例えば日本人の日常生活での「礼儀」などにも投げかけるものがあるからだ。つまり、内心では相手を蔑み、馬鹿にしているのに、態度は慇懃丁寧に相手を思いやり、いたわって見せる、というようなことに意味があるか、という問いに通じる。
その一方で、「形は心を作り、心は形を導く」という説もある。例えば、日本ではその昔、吉田兼好法師が
「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。
驥 を学ぶは驥の類ひ 、舜 を学ぶは舜の徒 なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。」
……と言っている。形から入って、それを無心になぞるうち、精神も自然に導かれ、導かれた精神は更に形を磨いていく、ということが日本では一般に肯定されていると思う。
ここで、しかし、ルターの所説を曲解してはならない。ルターは「形など永久に棄却されるべし」などとは少しも言っていないのである。
すなわち、本書は大きく分けて2部から構成されている。第1部では「まず精神あるべし」、つまり、信仰心のない外面だけの宗教ごっこを徹底的に攻撃する。ところが、第2部では「精神成ったのち、徹底的に物心両面、利他に徹すべし。利他の功による神の救いなど求むべからず」と、一見第一部の真逆に見える事を説いてやまないのである。
これは、単に、形と心のサイクルの、スタートをどこに持ってきているかという些細な点が違うだけで、やはり形も大事なのである、……ルターは言外にそう言っているように私には感じられる。
また他に、ルターは非キリスト教徒にはわかりにくい「旧約聖書」と「新約聖書」の違いを誠に明快に一刀両断している。すなわち、「人を絶望させる神の厳しい『掟』、つまり『罪に対する罰』を述べたものが旧約であり、その絶望からすべての人が救われる『
「罪と罰」による悲哀と絶望が極限に達して
そしてまた聖書全体は、おきて、すなわち神の戒めと、契約、すなわち約束と言う二つの言葉に分けられるということを知らなければなりません。おきては、私たちにさまざまの善行を教え、規定していますが、それによって善行は生じません。なるほど、おきては指示しますが、助けはしません。おきては人間のなすべきことを教えますが、それを実行するための何らの力をも与えません。したがって、おきてが定められているのは、ただそれによって人間が善をなすのに無力であることを悟り、自分自身に絶望することを学ぶためだけです。ですから、それは『旧約』と呼ばれ、すべてのおきては、『旧約』に属しております。
さて、人間がおきてによってその無力を学び、自覚するようになりますと、どうしておきてを満たすことができるかと不安になってきます。おきては満たされなければならず、さもなければ罪に定められるからです。そのとき、人間は、ほんとうに謙虚になり、自分の目に無となり、自分のうちに義とされる何ものも見出さなくなります。そのときはじめて、ほかの言葉、すなわち神の約束と契約がきたって、次のように語ります。
「おまえがおきての強要するとおりに、おまえの悪い欲望や罪から解放されたいと思うなら、キリストを信ぜよ、キリストにおいてわたしはおまえにすべての恵みと義と平和と自由を約束する。おまえが信ずるなら得られるが、信じないならえられない。おきてのあらゆる行い――それは当然多くあるが、しかも一つとして役にたたない――をもってしても、おまえにできないことが、信仰によって容易になり、簡単になる。なぜなら、わたしは信仰のうちにすべてを要約しておいたからである。したがって、信仰をもつ者は、すべてをもち、そして救われ、信仰をもたない者は、何ももつことはできない」
このように神の約束は、おきてが要求するものを与え、おきてが命ずるものを成就します。このようにして、おきても、その成就も、すべてが神のものとなるためです。
神のみが命じ、神のみが成就されます。したがって神の約束は、『新約』の言葉であり、『新約』に属しています。
次は四つ目、「信仰への苦悶」(J・リヴィエール Jacques Rivière 、P・クローデル Paul Claudel 著、木村太郎訳)である。
ぐずつく天気、なかなかスッキリとはしない日々である。今日も一日降ったり止んだりしたが、なに、季節らしいと思えば逆に美しくもある。
引き続き通勤電車の中で、約60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。仕事帰りの通勤電車を降りる直前に、第9巻「基督教の起源/キリストの生涯/キリスト者の自由/信仰への苦悶/後世への最大遺物」のうち、二つ目の「キリストの生涯」(J・M・マリー John Middleton Murry 著、中橋一夫訳)を読み終わった。
文字通りキリストことナザレのイエスの出生、ヨハネによる洗礼、修行、病者治療の奇跡、因習ユダヤ教への抵抗、布教、マグダラのマリアとのこと、最後の晩餐、磔刑、復活、そしてその後に至るまでを、年月を追って丹念に記述したものだ。共観福音書、すなわちマタイ
大正15年(1926)にイギリスで出版され、日本では昭和16年(1941)に翻訳出版されている。よい翻訳で、読みやすく平易簡潔な文体となっている。
正義の神の奉仕者たるパリサイ人は、愛する神の子たるイエスをどうしても理解できなかったし、愛する神の子は正義の神の奉仕者をどうしても理解できなかった。しかし神の名において一方は人を殺し、一方は人を赦した。そこに相違がある。
イエスの如き人物にとって重要なことは、想像力の序列と性質だけであって、想像力の扱う事柄ではない。彼は高等批評家がしばしば考えるような高等批評家ではなかった。彼は最高の人間――詩人、予言者、英雄であった。実際、最高の人間性を示す言葉で彼にあてはまらない言葉はないとおもう。これはイスラエルのことを語っているのか、メシヤの事を語っているのかという質問のような地上的な下らない疑惑が、イエスのような人の心にはいってくるはずはなかった。イエスはみずから予言者ではなかったのか、いな、予言者以上のものであった。予言者の言葉の意味は文字にあるのではなく、そこに輝いている神への認識にあったことをイエスが知らないはずがあろうか。「なんじゃもんじゃ教授」が読むようにイエスがイザヤ書第五三章を読んだのだろうか、そんなことはあるまい。神の計画の深奥な秘義として徹底的な敗北からの勝利、イザヤ書第五三章はイエスにはそういう意味なのであった。
われらが
宣 るところを信ぜしものは誰 ぞや ヱホバの手はたれにあらはれしや かれは主 のまへに芽 えのごとく燥 きたる土よりいづる樹株 のごとくそだちたり われらが見るべきうるはしき容 なく うつくしき貌 はなく われらがしたふべき艶色 なし かれは侮られて人にすてられ悲哀 の人にして病患 をしれり また面 をおほひて避 ることをせらるる者のごとく侮られたり われらも彼をたふとまざりきまことに彼はわれらの病患をおひ
我儕 のかなしみを擔 へり然 るにわれら思へらく彼はせめられ神にうたれ苦しめらるるなりと 彼はわれらの愆 のために傷 けられ われらの不義のために碎 かれ みづから懲罰 をうけてわれらに平安 をあたふ そのうたれし痍 によりてわれらは癒 されたり われらはみな羊のごとく迷ひておのおの己が道にむかひゆけり 然るにヱホバはわれら凡 てのものの不義をかれのうへに置 たまへり彼はくるしめらるれどもみづから
謙 だりて口をひらかず屠場 にひかるる羔羊 の如く毛をきる者のまへにもだす羊の如くしてその口をひらかざりき かれは虐待 と審判 とによりて取去 れたり その代 の人のうち誰 か彼が活 るものの地より絶 れしことを思ひたりしや 彼はわが民のとがの爲にうたれしなり その墓はあしき者とともに設けられたれど死 るときは富 るものとともになれり かれは暴 をおこなはずその口には虚僞 なかりきされどヱホバはかれを碎くことをよろこびて
之 をなやましたまへり斯 てかれの靈魂 とがの献物 をなすにいたらば彼その末をみるを得その日は永からん かつヱホバの悦 び給 ふことは彼の手によりて榮 ゆべし かれは己がたましひの煩勞 をみて心 たらはん わが義 しき僕 はその知識によりておほく の人を義とし又かれらの不義をおはん このゆゑに我かれをして大 なるものとともに物をわかち取 しめん かれは強きものとともに掠物 をわかちとるべし 彼はおのが靈魂をかたぶけて死にいたらしめ愆 あるものとともに數 へられたればなり 彼はおほくの人の罪をおひ愆あるものの爲にとりなしをなせり
イエスの教えの多くのかつ重大な誤解は、イエスが心と魂の変化をもとめたのにたいして、「悔い改め」をもとめたと考えることから起った。「悔い改め」ということは、要するに極端な罪の意識に主として基礎をおいている観念である。この「悔い改め」という言葉や特にこの言葉の背後にある意識は、イエスの思想や教えのなかにはじつは存在しなかった。
愛というものはそれ自体、追及の対象となるものではない。事実、愛を追及などすれば、かならず虚偽がはいってくる。
「
「翹」には「もたげる」「挙げる」というような意味がある。
どういう危険を冒しても、もう一度、家を見て、できれば町の人の心に訴えようという翹望であった。
上の引用箇所は、生地ガリラヤ地方で民衆からそっぽを向かれてしまったイエスが、もう一度自分の生家付近を訪れようとしたところの描写である。
次は三つ目、「キリスト者の自由」(M・ルター Martin Luther 著、田中理夫訳)である。
梅雨も半ば、雨が盛んである。繰り返し強く降っており、梅雨明けはまだまだ先のようである。
引き続き約60年前の古書、平凡社の世界教養全集を読んでいる。仕事帰りの電車の中で、第9巻「基督教の起源/キリストの生涯/キリスト者の自由/信仰への苦悶/後世への最大遺物」のうち、ひとつ目の「基督教の起源」(波多野精一著)を読み終わった。
著者の波多野精一博士は戦前に活躍した宗教哲学者で、東大・京大で教鞭を執ってきた研究者である。本著作は戦前の東大・京大で行われた講義ノートを整理して出版したもので、いかにも戦前の実直誠実な研究者らしい硬質の文語体で全文が記されている。
序文には昭和16年(1941)出版とあり、日米開戦の年だ。読者としては、この頃でもきちんと欧米の文化を洞察・研究する努力が続けられていたのだな、と感じるところ大である。
前巻の「聖書物語」を読んだ後なので、理解もより深まるという感じがするのはさすが古書らしく、
さて新約全書に載つた福音書は四ある。そのうち第四の、通常ヨハネ福音書と呼ばるゝものは他の三と甚しく内容を異にする。
これで「
「霄壤」とは「霄」が空、「壤」が地面のことである。要するに「天と地」だ。「逕庭」とは「へだたり」のことをいう。つまり、「天と地ほどの差」ということを格調高く書けば「霄壤も啻ならぬ逕庭」ということになるのである。
本文中では下の引用例の通り、更に
これをかのいかなる者もその前には一様に罪人たる神の絶対的神聖と、しかも
義 しき人にあらず罪人をあはれみ救ふ神の絶対的の愛とを合せて有するパウロの福音と比較せば、誰か両者の精神に於て霄壤も啻ならぬ逕庭を否むことが出来よう。
訓みは普通に「
かくの如く超自然出生は比較的新しく発生した伝説でしかも古き伝説に於て保存せられた正確なる事実と氷炭相容れぬ。
音読みで「
イエスは苟合妥協をよき事と思ふ人でない。
「
専門宗教家より瀆神罪の譏を受くるをも顧みず、彼は悩める者に「汝の罪赦されたり」との宣告を与へた(マルコ二の五)。
「
尤も世の終が目の前に迫つたといふ考は勢ひ要求を極度に高め、時としては社会の具体的関係を顧みる遑なからしめた。
まことに難読であるが、「
彼等のうなだれた首をもたげ、彼等の失望落胆を何物をも恐れず凡てを献ぐる喜ばしき確信と雙少き勇気とに変じたものは何であるか、――イエスの復活の信仰である。
読みは「
彼は渾身の力を父祖の宗教に捧げ熱心に於て
遥 に儕輩を抜出 た。
「
彼自身
猶太 人であつたを思ひ、また律法のうちに風俗習慣の瓦石に蔽はれて美しきけだかき宗教及 道徳の玉のひそめるを思へば、彼のこの見解は別に恠しむに足らぬ。
「
この世界観は宗教の方面に於て種々の観念(例へば霊魂の死後の存続の如き)を産出したが其最大功績は幾多の深邃なる宗教家思想家を動かした神秘説の土台をなし準備をなした事である。
家屋の
本文中では次のように用いられている。
己が眼のうつばりを忘れて他人の目の塵に留意する専門宗教家もあれば、彼等よりは罪人よ愚民よと蔑まれつゝ神の国の義を
饑渇 ける如く慕ふ下層の民もある。
少し難しいのはこの用いられ方だ。これは聖書に通暁していないとわかりにくい。「目のうつばり」というのは聖書に出て来る有名な一節で、イエス得意の
文語訳聖書では、マタイ伝福音書に
とある。
この一節、「目のうつばりの喩え」は、日本のキリスト教徒でもとりわけ熱心な人にはよく知られるところだと思われる。しかし、クリスマスに酩酊して騒ぐくらいしか能のない、いい加減な「なんちゃってキリスト教徒」には、翻訳のやまとことば「うつばり」も、英語の「Beam」も、いわんやギリシャ語の「ドコス」も、何を言っているのかさっぱりわからないことだろう。
「塵」と「梁」は実は対句である。この対句は理解しにくい。理解するにはこの言葉が唱えられた背景に目を向ける必要がある。
その背景とは、キリストことナザレのイエスの生業が大工であったということだ。すなわち、和訳では「塵」となっているが、原語「カルフォス」には「おが屑」の意味があるのだ。これは大工特有の
つまり、2000年前の
そういう事情を理解して聖書のこの部分を読めば、
「お前は『アンタの目にはおが屑が入ってるよ』と同輩に注意しているが、笑わせンな、そう言うお前の目には角材が入ってるワイ」
……と言っている、本業が大工のイエスらしい、絶妙な喩え話がよくわかるというものである。
次は二つ目、「キリストの生涯」(J・M・マリー著 中橋一夫訳)である。
クリスマスだが、一昨日家族のために新調したハードディスクレコーダー(PanasocicのDIGA DMR-UCX4060)が昨日届き、その使い方などを試していたから、いつものように読書三昧というわけにはいかなかった。
今日は更に、日立の乾燥機が届いた。今日届く予定というから、外出もせず今か今かと待ち受けていたら夜の20時近くにもなって届く始末である。
乾燥機は大きいので、これをえっちらおっちら運ぶやら、開梱するやら、説明書を読むやら。本格的な据え付けは明日にするとして、結局今の時間になった。22時半。
さて、クリスマスである。
毎年毎年同じことをこのブログに書いているが、私はキリスト教徒ではないから、クリスマスに縁はない。むしろ、キリスト教など嫌いである。
伝説の宗教者、ナザレのイエスがいつ生まれたのであろうと、はたまたいつどこで死んだのであろうと、自分にはまったく関係ない。
だが、子供の頃から大人になるまで、クリスマスにはプレゼントを交換したり御馳走を食べたりケーキを切ったり、そういう楽しみ方はしていた。キリスト教が好きとか嫌いとか言うような観念がなかったし、何より自分も周囲もそうすることが楽しかったからである。
長じて結婚し、子供が生まれてからも、自分自身が子供の頃、父母が私にそうしたように、自分の子供たちも楽しませてやろうと思ったので、殊更クリスマスを否定することはなく、御馳走を作ったりケーキを焼いたりプレゼントを奮発したり、のみならずクリスマスツリーの飾り付けは年々大きくなり、しまいには2メートルにもなんなんとするポップアップ式のものに満艦飾にオーナメントをぶら下げたりもしてきた。
勿論、今も「否定」まではしていない。キリスト教徒が大切にしている祭日を、頭ごなしに唾棄するようなことは、人間らしくない。他人が大切にしているものは、やはり尊重すべきであろう。
だから、今の私は聖書などを紐解くことにしている。
私が若い頃から持っている聖書はこの文語訳の「
日が変わる前に、「マタイ
イエス・キリストの誕生は
左 のごとし。 その母マリヤ、ヨセフと許嫁 したるのみにて、未だ偕 にならざりしに、聖靈 によりて孕 り、その孕りたること顯 れたり。夫ヨセフは正しき人にして、之を公然にするを好まず、私 に離縁せんと思ふ。かくて、これらの事を思ひ囘 らしをるとき、視 よ、主の使、夢に現れて言ふ『ダビデの子ヨセフよ、妻マリヤを納 るる事を恐るな。 その胎 に宿る者は聖靈によるなり。かれ子を生まん、汝その名をイエスと名づくべし。 己が民をその罪より救ひ給ふ故なり』すべて此の事の起りしは、預言者によりて主の云ひ給ひし言の成就せん爲なり。 曰く、『視よ、處女 みごもりて子を生まん。その名はインマヌエルと稱 へられん』之 を釋 けば、神われらと偕 に在 すといふ意なり。ヨセフ寐 より起き、主の使の命ぜし如くして妻を納れたり。されど子の生るるまでは、相知る事なかりき。 かくてその子をイエスと名づけたり。
ユダヤの王ヘロデの時、アビヤの組の祭司に、ザカリヤという人あり。その妻はアロンの
裔 にて、名をエリサベツといふ。二人ながら神の前に正しくして、主の誡命 と定規 とを、みな缺 なく行へり。エリサベツ石女 なれば、彼らに子なし、また二人とも年邁 みぬ。さてザカリヤその組の
順番 に當 りて、神の前に祭司の務 を行ふとき、祭司の慣例にしたがひて、籤 をひき主の聖所に入りて、香を燒 くこととなりぬ。香を燒くとき、民の群みな外にありて祈りゐたり。時に主の使あらはれて、香壇の右に立ちたれば、ザカリヤ之を見て、心さわぎ懼 を生ず。御使いふ『ザカリヤよ、懼るな、汝の願 は聽 かれたり。汝の妻エリサベツ男子を生まん、汝その名をヨハネと名づくべし。なんぢに喜悦 と歡樂 とあらん、又おほく の人もその生るるを喜ぶべし。この子、主の前に大 ならん、また葡萄酒と濃き酒とを飮まず、母の胎を出づるや聖靈にて滿されん。また多くのイスラエルの子らを、主なる彼らの神に歸らしめ、且エリヤの靈と能力 とをもて、主の前に往かん。これ父の心を子に、戻れる者を義人の聰明に歸 らせて、整へたる民を主のために備へんとてなり』ザカリヤ御使にいふ『何に據 りてか此の事あるを知らん。我は老人にて、妻もまた年邁 みたり』御使 こたへて言ふ『われは神の御前に立つガブリエルなり、汝に語りてこの嘉 き音信 を告げん爲 に遣 さる。視 よ、時いたらば必ず成就すべき我が言 を信ぜぬに因 り、なんぢ物言へずなりて、此 らの事の成る日までは語ること能 は じ』民はザカリヤを俟 ちゐて、其の聖所の内に久しく留まるを怪しむ。遂に出で來りたれど語ること能はねば、彼らその聖所の内にて異象を見たることを悟る。ザカリヤは、ただ首にて示すのみ、なほ唖 なりき。斯 て務 の日滿ちたれば、家に歸りぬ。此の後その妻エリサベツ孕りて、五月ほど隱れをりて言ふ、『主わが恥を人の中に
雪 がせんとて、我を顧み給ふときは、斯く爲し給ふなり』その六月めに、御使ガブリエル、ナザレといふガリラヤの町にをる
處女 のもとに、神より遣さる。この處女はダビデの家のヨセフといふ人と許嫁 せし者にて、其の名をマリヤと云ふ。御使、處女の許にきたりて言ふ『めでたし、惠まるる者よ、主なんぢと偕 に在 せり』マリヤこの言によりて心いたく騷ぎ、斯 る挨拶は如何なる事ぞと思ひ廻らしたるに、御使いふ『マリヤよ、懼るな、汝は神の御前 に惠 を得たり。視よ、なんぢ孕りて男子を生まん、其の名をイエスと名づくべし。彼は大ならん、至高者 の子と稱 へられん。また主たる神、これに其の父ダビデの座位 をあたへ給へば、ヤコブの家を永遠に治めん。その國は終ることなかるべし』マリヤ御使に言ふ『われ未だ人を知らぬに、如何にして此の事のあるべき』御使こたへて言ふ『聖靈なんぢに臨み、至高者の能力 なんぢを被 はん。此の故に汝が生むところの聖なる者は、神の子と稱へらるべし。視よ、なんぢの親族エリサベツも、年老いたれど、男子を孕めり。石女といはれたる者なるに、今は孕りてはや六月 になりぬ。それ神の言 には能 は ぬ所なし』マリヤ言ふ『視よ、われは主の婢女 なり。汝の言のごとく、我に成れかし』つひに御使はなれ去りぬ。その頃マリヤ立ちて山里に急ぎ往き、ユダの町にいたり、ザカリヤの家に入りてエリサベツに挨拶せしに、エリサベツその挨拶を聞くや、兒は胎内にて躍れり。エリサベツ聖靈にて滿され、
聲 高らかに呼 は りて言ふ『をんなの中にて汝は祝福せられ、その胎 の實 もまた祝福せられたり。わが主の母われに來る、われ何によりてか之 を得 し。視 よ、なんぢの挨拶の聲 、わが耳に入るや、我が兒 、胎内にて喜びをど れり。信ぜし者は幸福 なるかな、主の語り給ふことは必ず成就すべければなり』マリヤ言ふ、『わが心、主を崇 め、わが靈はわが救主 なる神を喜びまつる。その婢女の卑しきをも顧 み給へばなり。視よ、今よりのち萬世 の人、われを幸福とせん。全能者われに大なる事を爲したまへばなり。その御名 は聖 なり、その憐憫 は代々 、畏 み恐るる者に臨むなり。神は御腕 にて權力をあらはし、心の念 に高ぶる者を散らし、權勢ある者を座位 より下し、いやしき者を高うし、飢ゑたる者を善き物に飽かせ、富める者を空しく去らせ給ふ。また我らの先祖に告げ給ひし如く、アブラハムとその裔とに對 するあはれみを永遠に忘れじとて、僕 イスラエルを助け給 へり』かくてマリヤは、三月ばかりエリサベツと偕 に居りて、己が家に歸 れり。さてエリサベツ産む
期 みちて男子を生みたれば、その最寄のもの親族の者ども、主の大 なる憐憫 をエリサベツに垂れ給ひしことを聞きて、彼とともに喜ぶ。八日 めになりて、其の子に割禮 を行はんとて人々きたり、父の名に因 みてザカリヤと名づけんとせしに、母こたへて言ふ『否、ヨハネと名づくべし』かれら言ふ『なんぢの親族の中には此の名をつけたる者なし』而 して父に首 にて示し、いかに名づけんと思ふか、問ひたるに、ザカリヤ書板 を求めて『その名はヨハネなり』と書きしかば、みな怪しむ。ザカリヤの口たちどころに開け、舌ゆるみ、物いひて神を
讃 めたり。最寄に住む者みな懼 をいだき、又すべて此等のこと徧 くユダヤの山里に言ひ囃 されたれば、聞く者みな之を心にとめて言ふ『この子は如何なる者にか成らん』主の手かれと偕に在りしなり。かくて父ザカリヤ聖靈にて滿され預言して言ふ、『讃むべきかな、主イスラエルの神、その民をかへりみて贖罪 をなし、我らのために救 の角 を、その僕 ダビデの家に立て給へり。これぞ古へより聖預言者の口をもて言ひ給ひし如く、我らを仇より、凡 て我らを憎む者の手より、取り出したまふ救 なる。我らの先祖に憐憫 を垂れ、その聖なる契約を思 し、我らの先祖アブラハムに立て給ひし御誓 を忘れずして、我らを仇 の手より救ひ、生涯、主の御前 に、聖と義とをもて懼 なく事 へしめたまふなり。幼兒 よ、なんぢは至高者 の預言者と稱 へられん。これ主の御前に先だちゆきて、其の道を備へ、主の民に罪の赦 による救 を知らしむればなり。これ我らの神の深き憐憫 によるなり。この憐憫によりて朝のひかり、上より臨み、暗黒と死の蔭とに坐する者をてらし、我らの足を平和の路 にみちびかん』かくて幼兒は漸 に成長し、その靈強くなり、イスラエルに現るる日まで荒野にゐたり。その頃、天下の人を戸籍に
著 かすべき詔令、カイザル・アウグストより出づ。この戸籍登録は、クレニオ、シリヤの總督 たりし時に行はれし初のものなり。さて人みな戸籍に著かんとて、各自その故郷 に歸る。ヨセフもダビデの家系また血統 なれば、既に孕 める許嫁の妻マリヤとともに、戸籍に著かんとて、ガリラヤの町ナザレを出でてユダヤに上り、ダビデの町ベツレヘムといふ處に到りぬ。此處 に居るほどに、マリヤ月滿ちて、初子 をうみ、之を布に包みて馬槽 に臥 させたり。旅舍 にをる處 なかりし故 なり。この地に野宿して夜、群を守りをる
牧者 ありしが、主の使その傍 らに立ち、主の榮光 その周圍 を照したれば、甚 く懼 る。御使 かれらに言ふ『懼るな、視よ、この民一般に及ぶべき、大なる歡喜 の音信 を我なんぢらに告ぐ。今日ダビデの町にて汝らの爲に救主 うまれ給へり、これ主キリストなり。なんぢら布にて包まれ、馬槽に臥しをる嬰兒 を見ん、是 その徴 なり』忽 ちあまたの天の軍勢、御使に加はり、神を讃美して言ふ、『いと高き處には榮光、神にあれ。地には平和、主の悦び給ふ人にあれ』御使 等 さりて天に往きしとき、牧者 たがひに語る『いざ、ベツレヘムにいたり、主の示し給ひし起れる事を見ん』乃 ち急ぎ往 きて、マリヤとヨセフと、馬槽に臥したる嬰兒とに尋ねあふ。既に見て、この子につき御使の語りしことを告げたれば、聞く者はみな牧者の語りしことを怪しみたり。而してマリヤは凡 て此等のことを心に留めて思ひ囘 せり。牧者は御使の語りしごとく凡ての事を見聞せしによりて、神を崇めかつ讃美しつつ歸れり。八日みちて幼兒に割禮を施すべき日となりたれば、未だ胎内に宿らぬ先に御使の名づけし如く、その名をイエスと名づけたり。
今日はクリスマス・イブである。
私はキリスト教徒ではないし、むしろキリスト教は嫌いだ。
だが、老若男女がクリスマス・パーティで楽しく過ごすことを否定はしない。けっこうなことであると思っているし、私の家でも肉を食ったりケーキを食ったりして遊ぶ。それはそれ、これはこれ、なのである。
しかし、キリスト教を理解することは重要であると思っているので、私は例年クリスマスの機会に聖書を拾い読みする。
今日はちょっと趣向をと思い、文語訳聖書を朗読して動画に撮り、YouTubeに上げてみた。
ついでに、トルーマン・カポーティの「クリスマスの思い出」の日本語訳も朗読してみた。
それにしても、最近入れ歯になったもので、滑舌の悪いこと(苦笑)。
司馬遼太郎の「菜の花の沖」、第2巻をのんびりと読み進めつつあるところ。
オランダ船を初めて見た主人公嘉兵衛が、自ら操る弁財船と比較し、舵の違いについて考えるシーンがある。その中で、「和船は舵を綱で吊り下げる構造をしている」という意味の記述があるのだが、それがどうもわかりづらい。
それで、そういえばもう10年も前になろうか、お台場の「船の科学館」というところに行った時、和船に関する展示が充実していたことを思い出した。
休みなので、ちょっと行ってみようかという気になった。
新橋まで出て、ゆりかもめに乗る。
着いてみて知ったのだが、船の科学館の本館は、もうかれこれ5年もの間、「リニューアルのため」として展示を中止しているのだった。脇にある小さな別館と、南極観測船「宗谷」だけが公開されている。
5年の展示中止は長い。1年か2年、工事のために一時展示を中止したというのならまだしも、5年も閉じたままというのはハッキリ言って「閉館しました」「廃館しました」というのと同じである。どうやらなにか、相当、経営に難があったようだ。ゆりかもめの最寄り駅は依然「船の科学館駅」のままであり、奇異の感を免れぬ。
さはさりながら、目的の、弁財船の模型は見ることができた。綱でゆるく縛ることで可動を確保し、かつ、船上に引き上げることができるようになっている様子がよく解った。
平成13年の北朝鮮不審船事件の記録映像が放映されていて、それなどをゆっくり見る。13分ほどなのだが、北朝鮮船がガンガン発砲し、こちらの船体が破片を飛び散らせながらブスブスと穴だらけになっていく様子などが生々しく記録されており、よくこんな映像を撮影出来たな、と思った。
だいぶ前に一度見たことはあるのだが、ついでに「宗谷」の内部ものんびりと見学した。
大した用事があるわけでもなかったので、さてお昼はどうしようか、と考え、麻布十番の更科堀井へ行った。酒を少し、肴は焼海苔。それから、名代の更科蕎麦を手繰る。
帰り、今日はクリスマス・イブだったな、と思い出す。家で家族と飲むのに、新越谷駅ナカの「カルディ・コーヒーファーム」へ寄り、カヴァを買う。ロゼとビアンコの一本ずつ。
帰宅して、キリスト教の理解に努めようとする。新約聖書の「マタイ傳福音書」の、イエス・キリスト生誕のところなど拡げる。
子母澤寛の「ふところ手帖」を読みに国会図書館へ行った。
なんで今更、子母澤寛の「ふところ手帖」なのか。
実は30年くらい前から読みたい読みたいと思っていたのだが、いつか読もう、今度読もうと思っては忘れてしまう。忘れるたびに先延ばしになっているうち、30年も経ってしまったのだ。
そうこうするうち、Amazonなどが出来て、古い本でも気楽に手に入るようにはなったが、値段が高いのでどうしても買うのを躊躇する。そんなことで、読んでいなかった。それがずっと気になっていたのである。
この本を読みたかった理由は、勝新太郎の「座頭市シリーズ」が大好きだからだ。実は30年前の頃でも、座頭市は既に古い作品群であったが、私はこれをビデオレンタルで借りては見ていたのである。
で、その「座頭市」の原作が、子母澤寛の「ふところ手帖」なのである。
30年ほど前、既に旧作となっていた座頭市を勝新太郎が久しぶりにリメイクし、新作として撮ったら、撮影中に勝新太郎の息子の奥村
ところが、あれほど長大な映画シリーズになり、後年にはビートたけしも取り組み、また別作に綾瀬はるか主演の「ICHI」も制作されるなどするほどなのに、子母澤寛の原作は、この「ふところ手帖」の中に、「座頭市物語」という題で、たった6ページしかないのである。
そのことは以前から映画評論などで読んで知っていたが、実際に読んだことがなかったのだ。
それをはじめて、やっと読めたというわけである。
実に面白かった。
勝新太郎があのたった6ページの短編から、どうしてあれほど構想を膨らまたせかもよくわかった。ふところ手帖の「座頭市物語」では、居合抜きの名人、
ただ、原作では座頭市には女房がおり、その女房と出奔するのであるが、勝新太郎の座頭市シリーズには女房は出てこない。そのかわりに、行く先々で色々ロマンスめく、というふうになっている。
さておき。
子母澤寛は古い作家だから、青空文庫あたりで読めないかな、とも思った。しかし、確かめてみると亡くなったのは昭和43年(1968)だ。著作権切れまでにはまだあと2年ほどある。
もしそうでなければ、たった6ページほどの分量だから、図書館で本を見ながら全部入力して、ここに載せてしまうところだった。法律上そうはいかない。「引用」と明記して載せる手もあるが、それはやりすぎというものだろう。
国会図書館にいくと、帰りはやっぱり蕎麦を
一緒に天婦羅蕎麦を頼むと、店員さんがちゃーんと「ちょっと間をあけて……」奥へ注文を通してくれる。
海老や貝柱がたくさん入ったかき揚げで、実にうまい。これに葱と山葵を少しづつ乗せながら啜る。
少し手繰っては、
ああ、やめられない。
私はキリスト教徒ではないから、クリスマスの本義とするところには無関係である。いや、もっとはっきり言えば、キリスト教なんか嫌いだ。
だが、そうはいうものの、
それにしてもしかし、日本社会一般のクリスマスの扱い方は、イエス・キリストの生誕をコケにしているとしか思えない。
もし、こうした日本でのクリスマスの実情を、ありのままにわかりやすくヨーロッパやアメリカのキリスト教徒に説明すれば、彼らは多分、自分たちが大切にしているものを汚されたと思って、「黄禍を今こそ絶ってくれよう」なぞと、例のヴィルヘルム2世の漫画を押し立てて、核戦争の火蓋を切るかも知れない。ああ、おそろしや。
そういうことがないようにするには、「理解をすること」、それができなければ「理解をしようと努力すること」、これだろうと思う。
クリスマスには、私の家もこれまでは子供たちが小さかったこともこれあり、楽しませてやろうとて、飾りをしたり、私が腕をふるって洋菓子を拵えたり、キリスト教の話をしてやったりもしてきたのであるが、最近は子供たちも大きくなってきたから、もっぱら私自身が「キリスト教を理解する努力をする日」ということに、自分ではしている。
今日も、愛蔵の古びた聖書を出してくる。私の持っているのは文語訳のこの一冊だけだ。
イエス・キリスト生誕の節は、一説だけではなく、「マタイ
これらはとうに著作権も消滅していることだから、以下に書き写しておこうと思う。
イエス・キリストの誕生は
左 のごとし。その母マリヤ、ヨセフと許嫁 したるのみにて、未だ偕 にならざりしに、聖靈によりて孕 り、その孕りたること顯 れたり。夫ヨセフは正しき人にして、之を公然にするを好まず、私 に離縁せんと思ふ。かくて、これらの事を思ひ囘 らしをるとき、視 よ、主の使、夢に現れて言ふ『ダビデの子ヨセフよ、妻マリヤを納 るる事を恐るな。その胎 に宿る者は聖靈によるなり。かれ子を生まん、汝その名をイエスと名づくべし。己 が民をその罪より救ひ給ふ故なり』すべて此の事の起りしは、預言者によりて主の云ひ給ひし言の成就せん爲なり。 曰く、『視よ、處女 みごもりて子を生まん。その名はインマヌエルと稱 へられん』之を釋 けば、神われらと偕に在 すといふ意なり。ヨセフ寐 より起き、主の使の命ぜし如くして妻を納れたり。されど子の生るるまでは、相知る事なかりき。 かくてその子をイエスと名づけたり。イエスはヘロデ王の時、ユダヤのベツレヘムに生れ給ひしが、視よ、東の博士たちエルサレムに來りて言ふ、『ユダヤ人の王とて生れ給へる者は、
何處 に在すか。 我ら東にてその星を見たれば、拜せんために來 れり』ヘロデ王これを聞きて惱みまどふ、エルサレムも皆然り。王、民の祭司長・學者らを皆あつめて、キリストの何處に生るべきを問ひ質 す。かれら言ふ『ユダヤのベツレヘムなり。それは預言者によりて、「ユダの地ベツレヘムよ、汝はユダの長たちの中にて最 小 き者にあらず、汝の中より一人の君いでて、わが民イスラエルを牧 せん」と録 されたるなり』ここにヘロデ
密 に博士たちを招きて、星の現れし時を詳細にし、彼らをベツレヘムに遣さんとして言ふ『往きて幼兒 のことを細にたづね、之にあはば我に告げよ。 我も往きて拜せん』彼ら王の言をききて往きしに、視よ、前に東にて見し星、先だちゆきて、幼兒の在すところの上に止る。かれら星を見て、歡喜に溢れつつ、家に入りて、幼兒のその母マリヤと偕に在すを見、平伏して拜し、かつ寶 の匣 をあけて、黄金・乳香・沒藥など禮物 を献げたり。かくて夢にてヘロデの許に返るなとの御告 を蒙 り、ほかの路より己が國に去りゆきぬ。その去り往きしのち、視よ、主の使、夢にてヨセフに現れていふ『起きて、幼兒とその母とを携へ、エジプトに逃れ、わが告ぐるまで
彼處 に留 れ。 ヘロデ幼兒を索 めて亡 さんとするなり』ヨセフ起きて、夜の間に幼兒とその母とを携へて、エジプトに去りゆき、ヘロデの死ぬるまで彼處に留りぬ。 これ主が預言者によりて『我エジプトより我が子を呼び出せり』と云ひ給ひし言の成就せん爲なり。ここにヘロデ、博士たちに
賺 されたりと悟りて、甚だしく憤 ほり、人を遣し、博士たちに由りて詳細 にせし時を計り、ベツレヘム及び凡 てその邊 の地方なる、二歳以下の男の兒をことごとく殺せり。ここに預言者エレミヤによりて云はれたる言は成就したり。 曰く、『聲 ラマにありて聞 ゆ、慟哭なり、いとどしき悲哀なり。ラケル己が子らを歎 き、子等のなき故に慰めらるるを厭 ふ』ヘロデ死にてのち、視よ、主の使、夢にてエジプトなるヨセフに現れて言ふ、『起きて、幼兒とその母とを携へ、イスラエルの地にゆけ。 幼兒の生命を索めし者どもは死にたり』ヨセフ起きて、幼兒とその母とを携へ、イスラエルの地に到りしに、アケラオその父ヘロデに代りてユダヤを
治 むと聞き、彼處に往くことを恐る。 また夢にて御告を蒙り、ガリラヤの地方に退 き、ナザレといふ町に到りて住みたり。 これは預言者たちに由りて、『彼はナザレ人と呼ばれん』と云はれたる言の成就せん爲なり。
その六月めに、
御使 ガブリエル、ナザレといふガリラヤの町にをる處女 のもとに、神より遣 さる。この處女はダビデの家のヨセフといふ人と許嫁 せし者にて、其の名をマリヤと云ふ。御使、處女の許 にきたりて言ふ『めでたし、惠 まるる者よ、主なんぢと偕 に在 せり』マリヤこの言によりて心いたく騷ぎ、斯 る挨拶は如何なる事ぞと思ひ廻 らしたるに、御使いふ『マリヤよ、懼 るな、汝は神の御前 に惠を得たり。視 よ、なんぢ孕 りて男子を生まん、其の名をイエスと名づくべし。彼は大ならん、至高者の子と稱 へられん。また主たる神、これに其の父ダビデの座位をあたへ給へば、ヤコブの家を永遠に治めん。その國は終ることなかるべし』マリヤ御使に言ふ『われ未だ人を知らぬに、如何にして此の事のあるべき』御使こたへて言ふ『聖靈なんぢに臨み、至高者 の能力 なんぢを被 はん。此 の故 に汝 が生むところの聖なる者は、神の子と稱へらるべし。視よ、なんぢの親族エリサベツも、年老いたれど、男子を孕めり。石女 といはれたる者なるに、今は孕りてはや六月になりぬ。それ神の言には能 はぬ所なし』マリヤ言ふ『視よ、われは主の婢女 なり。汝の言 のごとく、我に成れかし』つひに御使はなれ去りぬ。
その頃、天下の人を戸籍に
著 かすべき詔令 、カイザル・アウグストより出づ。この戸籍登録は、クレニオ、シリヤの總督たりし時に行はれし初 のものなり。さて人みな戸籍に著かんとて、各自その故郷に歸 る。ヨセフもダビデの家系また血統なれば、既に孕める許嫁の妻マリヤとともに、戸籍に著かんとて、ガリラヤの町ナザレを出 でてユダヤに上り、ダビデの町ベツレヘムといふ處 に到りぬ。此處に居るほどに、マリヤ月滿ちて、初子 をうみ、之を布に包みて馬槽 に臥 させたり。旅舍 にをる處なかりし故なり。この地に野宿して夜、群を守りをる
牧者 ありしが、主の使その傍らに立ち、主の榮光その周圍を照したれば、甚 く懼 る。御使かれらに言ふ『懼るな、視よ、この民一般に及ぶべき、大なる歡喜 の音信 を我なんぢらに告ぐ。今日ダビデの町にて汝らの爲に救主 うまれ給へり、これ主キリストなり。なんぢら布にて包まれ、馬槽に臥しをる嬰兒 を見ん、是 その徴 なり』忽 ちあまたの天の軍勢、御使に加はり、神を讃美して言ふ、『いと高き處には榮光、神にあれ。地には平和、主の悦び給ふ人にあれ』御使等 さりて天に往きしとき、牧者たがひに語る『いざ、ベツレヘムにいたり、主の示し給ひし起れる事を見ん』乃 ち急ぎ往きて、マリヤとヨセフと、馬槽に臥したる嬰兒とに尋ねあふ。既に見て、この子につき御使の語りしことを告げたれば、聞く者はみな牧者の語りしことを怪しみたり。而 してマリヤは凡 て此等のことを心に留めて思ひ囘 せり。牧者は御使の語りしごとく凡ての事を見聞 せしによりて、神を崇めかつ讃美しつつ歸 れり。八日みちて
幼兒 に割禮 を施すべき日となりたれば、未だ胎内に宿らぬ先に御使の名づけし如く、その名をイエスと名づけたり。モーセの
律法 に定めたる潔 の日滿 ちたれば、彼ら幼兒を携へてエルサレムに上る。これは主の律法に『すべて初子に生るる男子は、主につける聖なる者と稱 へらるべし』と録 されたる如く、幼兒を主に献げ、また主の律法に『山鳩一對 あるひは家鴿 の雛二羽』と云ひたるに遵 ひて、犧牲 を供 へん爲なり。視 よ、エルサレムにシメオンといふ人あり。この人は義 かつ敬虔にして、イスラエルの慰められんことを待ち望む。聖靈その上に在 す。また聖靈に、主のキリストを見ぬうちは死を見ずと示されたれしが、此 のとき御靈 に感じて宮に入る。兩親その子イエスを携へ、この子のために律法の慣例に遵ひて行はんとて來りたれば、シメオン、イエスを取りいだき、神を讃 めて言ふ、『主よ、今こそ御言 に循 ひて、僕 を安らかに逝 かしめ給ふなれ。わが目は、はや主の救を見たり。是もろもろの民の前に備へ給ひし者、異邦人をてらす光、御民 イスラエルの榮光なり』かく幼兒に就きて語ることを、其の父母あやしみ居たれば、シメオン彼らを祝して母マリヤに言ふ『視よ、この幼兒は、イスラエルの多くの人の或 は倒れ、或は起たん爲に、また言ひ逆 ひを受くる徴 のために置かる。――劍 なんぢの心をも刺し貫 くべし――これは多くの人の心の念の顯 れん爲なり』ここにアセルの
族 パヌエルの娘に、アンナといふ預言者あり、年いたく老ゆ。處女 のとき、夫に適 きて七年ともに居り、八十四年寡婦 たり。宮を離れず、夜も晝 も斷食と祈祷とを爲して神に事 ふ。この時すすみ寄りて神に感謝し、また凡 てエルサレムの拯贖 を待ちのぞむ人に、幼兒のことを語れり。さて主の
律法 に遵 ひて、凡ての事を果したれば、ガリラヤに歸り、己が町ナザレに到れり。幼兒は
漸 に成長して健かになり、智慧 みち、かつ神の惠 その上にありき。
いつもこのように聖書を書き写すなどしていて思うのだが、言ってみればおとぎ話みたいな荒唐無稽な話、例えばマリアが処女にもかかわらず神の威力で妊娠する、といった話の合間合間に、突然、夫のヨセフが「世間体から言って具合がわるいので、離婚しようと思った」とか、原文のままに書けば「ヨセフ
そんなことを小難しく考え込んだり書いたりしつつ、しかし夜に鶏肉を食ったりワインを飲んだりケーキを食ったりする。
キリスト教嫌いだとか言っておいて支離滅裂やなアンタ、と言われそうだが、そんなこと別にどうだっていいのである。
妻と話していて、どうしてだったか、ふとトルーマン・カポーティのことが話題にのぼる。それで、「おお、そういえば……」と、カポーティの「クリスマスの思い出」という作品の事を思い出す。
私の家にある本はわりと新しいめの本で、友達に薦められて買った村上春樹の訳のものだ。「クリスマスの思い出」は、「ティファニーで朝食を」の文庫に一緒に収められているのだ。
で、読んだ当時、「ティファニーで朝食を」よりも、この「クリスマスの思い出」のほうが深く心に染み入り、気に入ったものだ。カポーティが子供の頃に一緒に暮らした、スックという年の離れたいとこの女性の思い出だ。
妻はこれを読んだことがないという。そこで、二人でテーブルに並んで座り、一緒にページを繰った。何度読んでもいい話である。村上春樹の翻訳がいいというのも、効果があるのだろう。
この作品は、アメリカでは教科書に取り上げられたり、クリスマス時期にテレビやラジオで朗読されたり、あるいは朗読会が開かれたりする定番であるそうな。そういう理由もあってか、英文だと、アメリカのサイトなどにけっこう沢山貼り付けられたりしている。
ただ、米国法では著作権保護没後70年だったはずで、カポーティが亡くなったのは昭和59年(1984)だからまだ30年余りしか経っておらず、それをこんなにばんばん貼り付けるのは、多分、無断でやってるっぽい。
このスックという女性の写真は、「capote sook」あたりでググると、彼らが並んで写ったものを簡単に見つけることができる。ネットで多くヒットするこの写真こそ、実は作品の中に取り上げられている、通りすがりの若夫婦が撮ってくれたというカポーティとスックの唯一の写真である。