財布の修理

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 15年ほど前に財布を作った。

  •  財布を縫う(このブログ、平成15年(2003)7月13日(日)17時09分00秒 JST)

 自分の生活の仕方、お金の使い方、持ち歩き方にちょうどよい、持って楽で便利で長持ちする財布がなかったから自分で作ったのだ。右の写真は、15年前、作ったばかりの時に撮ったものだ。

 「システムやパソコンやソフトウェアなんてものは道具(ツール)だ!だからパソコンやソフトウェアは人間に拝跪(はいき)すべきだ」なんてことをのたまう向きはよくいるが、肝心の、「道具(どうぐ)道具(ツール)だ!」という当たり前のことを言う人は少ない。「道具の方で人間に合わせ、奉仕するべきだ」ということを言う人はほとんどおらず、たいていの人はツールに身の丈を合わせることに汲々とするばかりか、職人的な人ほどツールに奉仕することを喜んでいるふしがある。

 私はそういうのがガマンならない。自分の使うものは、物のほうで私に合わせるべきだと思っている。いきおい、既製品は自分に合わないことが多く、合うものを見つけるのに苦労するか、いっそのこと自分で作ってしまう、ということになる。だから、DIYで物を作ることが多い。

 余談ながら、私がコンピュータのプログラムなど作るようになったきっかけは、ソフトウェアがなかったから自分で作ったということだ。DIYの延長である。それが紆余曲折を経て、口を糊する術、今の身過ぎ世過ぎの発端になっているというのも、考えればおかしなものである。

 さて、そんな理由で自分で作ったその財布、安くて丈夫なオイルレザーで縫ったから、頑丈そのもので、まだ使っている。(ほころ)びが生じても縫い直せばよく、それで今まで使ってきたのだ。写真は同じ頃作った名刺入れやメモ帳入れ、キー・ケースである。一番上の写真と見比べると、特に財布は毎日持ち歩くせいもあって、相当くたびれている。だが、単に汚れているだけで、機能上何の問題もない。

 ところが、小銭入れの部分は金属である小銭がこすれ合うせいか、さすがに傷みが激しく、いつぞや雨に濡れた時に、ついに革が破れてしまった。

 これでは財布から小銭が漏れてしまう。

 もともと自分で縫った財布であるから、こういう場合は修理すればよいのである。

 「革細工」というとなんだか難しそうに聞こえるが、素人が財布を縫う程度の事であれば、大して難しくない。服などを縫う方がよっぽど難しい。道具類もそんなに高くはない。針や糸なんて数百円だし、穴を開けたりする道具なども500円だの250円だのと言った値段だから、出来合いの本革の財布を買うよりも、作った方が絶対に安いし、自分のお金の持ち歩き方に合った大きさのものができる。

 休みだったので、朝から三郷ピアラシティにあるクラフト専門店「VC’s(ヴィシーズ)」へ行って革を買ってきた。2mm厚のオイルレザーで、写真のような大きさのものが1300円ほどである。

 壊れた財布の糸をほどき、分解する。破れた小銭入れの部分の革を取り外してしまう。

 この革をよく伸ばして、買ってきた新しいオイルレザーに寸法を写し取る。この小銭入れの大きさも、自分が普段どれくらい小銭を持って歩いているかを測って作ったものなので、私の日常の行動にピッタリで、手放し難い理由の一つだ。


 寸法を写し取ったら切り取り、「菱目打ち」という道具で縫うための穴をあける。菱目打ちと言うのは皮革を縫うためには必ず必要な道具で、フォークのような形をしており、歯の一本一本は菱型になっていて、鋭い刃がつけてある。これで穴をあけると、等間隔に菱型の穴があくのだ。

 寸法取りをして切り取ったオイルレザーはこのようになる。(ふち)に点々とあいた穴に糸が通る。


 次に、小銭入れのふたを閉めるためのスナップ・ファスナーを取り付ける。専用のポンチでトントンとかしめるのだ。

 いよいよ縫いにかかる。麻糸に皮革用の蠟をひく。この麻糸の両端に皮革用の縫針を通し、交互に平縫いにするのである。布を縫うのと違う点は、一本の糸に2本の針をつけ、同時に平縫いをすることだ。返し縫い、あるいはミシン縫いに見えるがそうではない。手で平縫いにすると、ミシン縫いとは違って、一か所糸が綻びても縫いはほどけない。ミシン縫いだとそうはいかず、一か所の綻びで全部の縫いがほどけてしまう。


 新しく作り直した小銭入れの部分は写真のような箱状になる。


 箱状になった小銭入れを財布本体に縫い付けていく。

 こうして、小銭入れの部分だけ、すっかり新しくなった財布に生まれ変わる。

悪い材料が腕前を鍛える

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 承前、図書館へ来て蕎麦本を読んでいる。

 戦前に名人と言われた蕎麦職人、「やぶ忠」こと村瀬忠太郎が口述し、昭和5年(1930)に「通叢書」シリーズの中の一冊として四六書院から発行されたのが「蕎麦通」という本である。最近になってこれを評論家の坪内祐三が、別本の「天婦羅通」と合わせて監修・解説し、廣済堂出版から発行したのが「蕎麦通・天婦羅通」だ。

 この中に、面白い記述があった。次のようなことだ。

「蕎麦通・天婦羅通」(廣済堂出版 平成23年(2011)12月1日 ISBN 978-4-331-65482-2) p.42~43から引用

 昔の蕎麦粉の製法は、蕎麦の実を殻そのまま石臼で()きつぶし、目の(あら)(ふるい)で手篩にしたのであるから、外皮や甘皮の壊れたのが交じっていて粉の色が黒くなり、したがって足(粘着力)がない。こんな粉を打って作った蕎麦はぼきぼきと折れやすいところから、自然つなぎというものをいれなければならなくなる。今でも田舎では商陸(やまごぼう)の葉や海草の一種をつなぎに用いているが、時間が経ると打った蕎麦が硬くなる憂いがある。薯蕷(やまのいも)や鶏卵でつなぐのは蕎麦の風味に影響するけれども、つなぎの方法として往々(おうおう)秘伝としていた地方さえあったのである。

 江戸では早くから饂飩粉をつなぎにしてその風味を向上することに研究を積んだ、二八(にはち)三七(さんしち)などの称呼が起こったのも、その調合の歩合をいったもので、実際蕎麦には他のつなぎよりも饂飩粉のつなぎが最も適当なのである。

 それに江戸向きの蕎麦は、殻を全然排除して外皮のついた実を臼に入れ、最初に出るアラ粉を除き、一番粉二番粉三番粉四番粉と取り分け、終わりのものは末粉として用い、最後に残るものはサナゴと称する。

 更科(さらしな)は一番粉で製する蕎麦で、色は白いが香気は乏しい。それは米の精白米のようなもので、香気を持つ甘皮を入れないからである。

 生蕎麦(きそば)、二八蕎麦には二番粉から用いる。ヌキから一番粉を取り、二番粉になると甘皮の香気を含み、蕎麦としては最も風味のあるものが出来る。

 三番粉、四番粉は()いところを抜いて次位のものであるから、値段も安くなる。これが第二流以下の蕎麦屋に廻り、安直な駄蕎麦に作られる。

 末粉に至っては馬方(うまかた)蕎麦に用いられる。馬方蕎麦は風味よりも盛りの多いのに重きをおいて、それで安直なものだから、原料の下るのは是非がない。この末粉にサナゴを加える蕎麦屋さえあって、打ち方には非常に骨が折れるのだが、板前の腕を磨くには、この馬方蕎麦の職人となったものほど達者であったのだ。

 私が注目したいのはこの末尾のほうにある、「板前の腕を磨くには、この馬方蕎麦の職人となったものほど達者であったのだ」というところである。

 兎角(とかく)ものごとの腕前を磨くのに高価なものを(もと)めては、大してものにもならず放り出すなどということは世間によくある。高価なジョギングシューズ、ダイエット器具、などと言われてズキリと痛みを覚える向きも多かろう。

 だが、この著者は「駄蕎麦粉が職人を鍛える」というのである。

 このこと、まことに示唆に富む。「弘法筆を不択(えらばず)」とはよく言われすぎて看過してしまいそうだが、まったくそのとおりと二肯三肯する。