七夕(たなばた)の昼飲み

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 月遅れ盆も昨日で終わりである。今日は旧暦七月七日で、つまり旧七夕(たなばた)だ。既に立秋も過ぎ、三夏九十日が終わったとはいうものの、ご近所の庭の百日紅はまだまだ赤い。

 どういう気象のからくりか、今日はこのところの炎暑とは打って変わって雲が高く、風が涼しい。

 一日(いちじつ)、友人たちと飲みかつ語った。

 横浜での約束だったので、暇でもあり、早く出かけた。

 約束までの時間、ブラブラしていたのだが、駅周辺にある日産自動車の大きなショウ・スペースが気になり、ふと入ってみた。これが思わぬ見応えで、面白かった。昔のダットサントラックやフェアレディZの完全復刻が展示されており、目を引いた。

 横浜駅相鉄線口、駅南西口近くの飲み屋さんで痛飲した。

 友人の一人F君と連れ立ち帰りかけたが、どうにせよF君の路線が渋谷乗り換えで半蔵門線なのと、二人とも蕎麦が大好きということで、赤坂見附で降りて、室町砂場の赤坂店へ行くことにした。

 途中、山王日枝神社の裏のお稲荷さんの鬱蒼としたところから入って、ちょっと参拝した。

 室町砂場へ入り、一本飲んで、天盛りを大盛りで1枚手繰った。熱い天抜きに更科の盛りの取り合わせだ。旨かった。

 帰り、涼しく、いい夜でもあるので、国会議事堂付近を散歩していくことにした。

 首相官邸付近を通りかかったら、盆踊りのような何かのフェスティバルのような、新しげに見えなくもないケッタイな楽しみに打ち興じている人たちがいて、それはそれで結構なことであったが、大音量で迷惑だった。

 自分たちはあれで楽しいのだろうと思うが、変な興奮は周辺環境にも迷惑だと思うので、静かにしてもらいたい。

 F君の案内で、弁慶堀を渡り、大久保利通受難の地、紀尾井坂の清水谷公園へ受難碑を見に行った。

 夜のライトアップされた碑は黒々と屹立し、なにやらうっそりとのしかかってくるようで、恐ろしげでもあった。

 晴れているので星空がよく、月が勿論七夜月、火星と木星と土星がそれぞれギラギラと明るく見える中、歩いて麹町まで出、エクセルシオール・カフェでコーヒー飲んで、市ヶ谷見附まで歩き、そこでF君と別れ、JRで帰った。

読書

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 懐石の名料理人、辻嘉一の「料理心得帳」を読み終わる。

 辻嘉一氏の父、辻留次郎氏が明治時代に開いた懐石料理店「辻留」は京都の店だ。二代目の辻嘉一氏が銀座や赤坂に出店し、赤坂には三代目の辻義一氏が引き継いだ「辻留」が今もあるそうだが、ホームページで見てみると昼は最低1万円、夜は最低2万5千円からだから、目玉が飛び出るほど高い。私如き素人がくぐる様な店ではあるまい。もし入ったとしても、飯の食い方を嘲笑されてしまうだろう。

 そんな店の二代目が諄々と家庭料理について説くのがこの本なのであるが、一貫した主題は、安い素材でも旬のものの持ち味を生かし、心を込めて料理すればおのずとそれは日本料理の精髄を体現し、美味そのものとなる、というようなことだ。

 それと、辻留の高級料理とのギャップ感に、素人はもはやどうしてよいかわからなくなってしまうのである。

迎賓館赤坂離宮~赤坂近辺

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 祝日「昭和の日」である。躑躅(つつじ)が満開だ。夏隣(なつどなり)と言ってよい。屋外に出ると家々の軒先すら眩しく、まさしく風光るの候、である。

 こういう日は外歩きが良い。妻を誘い、前々から気になっていたところへ見物に出かけることにした。

 東京・四ツ谷駅に近く、東宮御所のある「赤坂御用地」には、ひときわ目を引く重厚な古建築がある。申すまでもないが、これが「迎賓館赤坂離宮」である。

 もともとは東宮御所として造営され、皇太子時代の昭和天皇や、今上陛下も一時期御住居あそばされた。

 縷々(るる)沿革を経て、戦後は政府の管する所となり、国公賓の礼遇に使用されている。国宝だ。

 以前から一般公開されてはいたものの、その期間は夏の10日間のみにとどまり、見ることのできる人は多くはなく、知る人ぞ知る場所であることには変わりなかった。しかし、政府の観光立国方針により、去年(平成28年(2016))の春から、国公賓の礼遇に支障のない限りは随時公開する、ということになった。

 私は神宮周辺や、この赤坂御用地、皇居周辺はよく歩き回るし、またランニングの練成に使うことがある他、迎賓館は職場からよく見えるので、いつもこの壮大な建築物を外から眺めてはいた。かねがね「一度は入ってみたいなあ」と思っていたところだったのだ。そこへ、去年から誰でも見られるようになったわけである。

 一般公開日は前掲の内閣府サイト内に掲示される。同サイトから予約ができるので、念を入れて予約しておくのが安心ではあるが、当日飛び込みでも見学は可能だ。

 公開日の9時50分頃に四ツ谷駅に着く電車に乗れば申し分ない。私は予約なしで行って見た。

 正門前に行くと、腕章を付けた案内の人が沢山いる。予約をしてあれば予約票を、していなければ案内の人に言えば当日整理券の配布窓口を案内してくれる。配布は正門前の小机で行っている。満員で断られる、ということもあるのかもしれないが、今日の私に限っては特段支障はなく、当日整理券を貰って入ることができた。

 列の尻について並ぶが、セキュリティチェックなどが厳しいため、30~40分くらいかかる。金属探知など、空港のセキュリティチェックと似たようなものだ。他に、持ち込みのペットボトルの飲料を、係員の目の前で「一口飲んで見せる」という面白いチェックがある。

 チェックが終わると、いよいよ本館に入る。

 本館内は撮影禁止で、残念ながら写真は撮れなかった。

 内部の様子を垣間見るには、政府インターネットテレビの紹介に映像があるので、事前に見ていくのも良い。政府インターネットテレビには他にも紹介動画がいくつかあって、それらの中では、先の動画も良いが、「徳光・木佐の知りたいニッポン!~迎賓館 赤坂離宮 一般公開の見どころ」という番組が親しみやすく分かりやすい。

 見物人は壮麗な館内を見て、ただただ驚くばかりである。天井や壁の隅まで、一分の隙もなく磨き抜かれ、チリ一つない。あちこちに大きな壁面鏡があるが、曇り一つない。寄木(よせぎ)の床は見たところ全部柾目(まさめ)の板で張られ、その完成度の高さに息を呑む。内外装は西欧の「ネオ・バロック」の様式を存分に取り入れて作られており、天井や壁は様々な意匠を凝らした画や模様で荘厳(しょうごん)されている。いずれも国宝級の、数々の装飾品や工芸品が惜しげもなく配置されて室内を飾り、只管(ひたすら)圧倒されるばかりである。

 この信じがたいほどの建物には、明治時代の金額で510万円あまりが投じられたという。直接現代の物価に換算すると950億円ほどになるらしいが、戦後だいぶ経った昭和49年当時でさえ、新たにこのような建築を試みれば、もはや入手が極めて困難な材料などが用いられていることもあって、2000億円でも無理なのではないか、と言われているらしい。

 建物の来歴を読んでいて驚くことがいくつかある。

 江戸時代からせいぜい40年程度しか経っていない頃にこういう壮大なものを建築した、ということ。また、それが単なる猿真似や張りぼての虚仮(こけ)脅しなどでない証拠には、関東大震災、東日本大震災の2度の揺れにもヒビ一つ入ることがなかったという事実。また、戦災で失われなかったことも稀有(けう)の事と思われる。これほど壮大なものが米軍の爆撃目標になって餌食にされなかったのは不思議である。

 館内は順路に従って見ていくようになっている。かなりのんびり見ても1時間か2時間ぐらいでたっぷり見ることができる。様々な国際会議、条約の調印などで実際に使われている場面の写真パネルなどが随所にあり、「ああ、ここであれが行われたのか!」と懐かしいものもある。故・大平正芳首相の頃の「東京サミット」(昭和54年(1979))の写真など、私も子供ながらよく覚えている場面があり、写っている故・マーガレット・サッチャー女史などまだまだ若く、当時のテレビニュースなどが思い出された。

 館内を見終わると、順路は広大な庭園に移る。庭園は撮影自由で、特に順路と言うものはなく、自由に散策できる。

 しかし、それにしても、嘆息すら漏れないほど、寸分の隙もない、国家の威厳と政府の威信を注入した、壮大な建築だ。

 更に前もって予約をし、抽籤で当たれば、「和風別館」という新しい建物が見学できるのだが、今回は見なかった。今度来るときには是非予約をして、そっちのほうも見てみたいと思う。

 ゴールデンウィーク特有の良い天気だ。建物が青空に映える。古色蒼然とした外壁、それこそ「度を外れた」としか言いようのない荘厳さがますます胸に迫る。

 普段、迎賓館の近くを通りかかるときに目にする広大な黒松の庭園が「前庭」なのだが、その反対側に外から見ることのできない「主庭」があって、これは迎賓館本館の裏側にあたる。国宝の噴水があり、様々な花と樹木が植えられている。ちょうど躑躅が見頃だった。

 広大な庭園はいつまで見ていても飽きない。

 前庭に出る。公開日にはちょっと洒落た屋台が出ていて、各種の美味しいワインとつまみ物などが楽しめる。私もよく冷えたグラスワインの白を、北海道産の「桜」という白(かび)タイプのチーズで一杯やってみた。チーズには小さなパンと、オリーブと胡瓜のピクルスがつき、どれもワインによく合う。

 のんびりと散策し、壮麗な建築を堪能すると、ちょうど昼過ぎになる。妻と相談し、赤坂の繁華街で昼食をとることにした。

 いつも国会図書館の帰りに赤坂へ行き、名代の蕎麦舗「室町砂場・赤坂店」に行くのだが、蕎麦舗へ直行ばかりしていて、赤坂のその他の事はよく知らなかった。その室町砂場の反対側の通りにTBSの放送センターがあるのは知っていたが、その周辺が「赤坂サカス」と言う複合施設で、楽しめる場所になっている、というのは妻から今日聞いて初めて知った。いつも素通りしていたので知らなかったのである。

 妻がその「赤坂サカス」に行って見ようよ、というので、ぶらぶらと歩いていく。赤坂御用地の東側、新緑の外濠沿いに出てきたら、それが「紀之国坂」というところだ。ゆっくり歩いて坂を下り、外濠に沿っていくと地下鉄の赤坂見附駅の入り口に出る。そこから今度は右へ折れていくと赤坂の繁華街に出る。10分か20分ほどの散歩だ。

 赤坂サカスの中華レストラン「DRAGON RED RIVER」というところで日替わり定食など食べる。牛肉とトマトの旨炒め、春巻き、胡麻団子、卵のスープ、ご飯がついて1300円は安い。

 それから、TBS直営のスーベニア・ショップに寄って娘どもにお土産を買う。

 宮城鎮護の官幣大社・山王日枝神社へ詣で、永田町側へ行って総理官邸やその裏の料亭「黒澤」の建物などを見物し、半蔵門線に乗って帰宅した。

 春の日帰りにはまことに良い、楽しい行楽であった。

本日の室町砂場・赤坂店

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img_4952 今日も永田町の国会図書館へ調べものに行った。

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 もう最近のパターンになってしまっている「室町砂場・赤坂店」、やっぱり今日も行く。

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ユデじる

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 世の中、まあ、色んな育ち方、生き方、嗜好、そういう多様性なんでしょうな、とは思うが、この場合はそんな小難しいことではなく、単純に世間をよく知らないだけだろう、と思う。

 また、一般論だが、大阪では蕎麦湯はあまり使われない。昔からあることはあるが、頼まないと出なかったり、出さない店も多かった。理由は比較的単純で、大阪の麺(つゆ)饂飩(うどん)向きで、塩気を(おさ)えてあるため、飲むときに湯で(ゆる)める必要などないからである。

 また、無料で振る舞うのではなく、別メニューとして誂える蕎麦湯を出すところもあると聞く。ごく薄い出汁(だし)に蕎麦粉を溶かしてとろみをつけたものを、値段を付けて出すのである。

 実際のところ、関東でも、庶民的な値段の蕎麦チェーン店のカウンターに、ポットで置かれている蕎麦湯なんて、私は飲むけれども、「すごく旨い」とかいう(たぐい)のものではない。腹を落ち着かせるのに七味をパラッと入れて、蕎麦(つゆ)をちょっと入れて、吸い物代わりか、茶の代わりに飲む程度のものだ。

 店にもよるが、場合によってはこの「ポットの蕎麦湯」を蕎麦猪口(ちょく)()ぐと虹色に油が浮かんでいるのが見えたりして、「ああ、天婦羅を扱った箸で蕎麦を茹でたな」などと想像がつく。まあ、こうなるとこの「匿名ダイアリー」の人の言う事も満更(まんざら)責められたものでもない。「食品を熱湯で洗ったあとの排水」みたいな感じがするのだろう。

 実際、「二八蕎麦」と言いながら、「八」は小麦粉のほうだったりする店もある。そういう色が黒いだけの細うどんに近いような蕎麦を出す店の茹で汁だと、溶け出しているものは小麦粉の澱粉やグルテン類の蛋白質ばかりであったりするから、旨いとか不味いとか、そういう話になるものではない。それをごまかすのに、蕎麦湯を出す際、蕎麦粉をちょいと足すような店もあるのだという。

 これが、いい蕎麦屋になると、茹でている蕎麦が、たとえ「二八」でも「蕎麦粉が八」であり、また、略々(ほぼほぼ)蕎麦粉が「十」だったりもするから、本当に蕎麦の香りや味が移って、おいしい蕎麦湯になるわけである。

 ところで、今日も図書館へ行った帰り、いつもの「室町砂場・赤坂店」へ行った。

 永田町は変なデモ隊が繰り出して、寒々とした騒ぎになっており、人数は少ない癖にやたらと拡声器の音が大きく、耳の遠い私ですら鼓膜がつんざかれるようで、迷惑した。しかも、国会議事堂前を通って赤坂見附に出ようとしたら、整理に出ている警察官に「議事堂前はデモで混雑していまして……。遠回りで申し訳ないですが、行って途中で引き返すことになるというのもお気の毒ですので、迂回していただいたほうが結果的に速いと思いますが……。」と(すす)められ、平河町から溜池まで降り、遠回りする羽目になった。

 迷惑であった。そのこと、別のエントリによく書いておきたい。

img_4925 しかし、室町砂場の座敷に上がると、デモ隊の喧騒は嘘のように聞こえない。午後の蕎麦屋の座敷は閑静そのものだ。気持ちが良い。

 凝ったものを頼むでもなく、いつものように焼海苔と通しもので一合。

img_4926 「もり」を一枚。

 しばらくすると、椅子席の方から、女客のおしゃべりが少し聞こえてきた。聞くともなしに聞いていると、この「はてな匿名ダイアリー」の一件が話題に上っている。なにか、このこと、テレビ番組でも話題になったそうな。

「ねえ、どうなのかしらね。飲まないものかしら?」

「普通のお店は出るわよね」

「でもほら、関西ではあんまり出さない、って」

……等々と、だいたい落ち着きどころの論に落ち着いているようだ。

img_4927 私はと言うと、先日少しばかりSNS上でこの件に関する意見を開陳したりしていたので、それを思い出し、ふふふ、と、なにやら楽しく感じながら、今日は湯桶を1本半もお代わりした。

 新越谷まで帰ってきて、駅ビルの「カルディ・コーヒーファーム」へ立ち寄る。去る11月17日は今年の「ボージョレ・ヌーボー」の解禁だったのを思い出したからだ。

img_4929 店頭には「プレ・ペール・エ・フィス」という銘柄の「ボージョレ・ヴィラージュ・ヌーボー」が箱積みになって売られていたから、一本買う。袋の中に塩味の生胡桃(くるみ)が詰め合わせになっていて、都合がよい。

img_4931 帰宅して、一杯。

 するどい味で、旨い。

img_4934 瞬く間に一本。幸せよのう。

 自作「東京蕎麦名店マップ」に写真を足す。

図書館~蕎麦屋~雷電為右衛門~月~焼肉~ラーメン屋

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国会図書館

 国会図書館へ調べものに来た。

 そのついでに、旧陸軍・二式複戦「屠龍」のパイロットであった樫出勇大尉の書いたものがないか探した。

 「陸軍戦闘機隊―私は愛機と共に青春を賭して戦った!」というのが見つかった。多くのパイロットの戦記集成だ。その中に樫出大尉の文章が収載されていたのでそれを読む。

 (かね)て、光人社の文庫本で一冊、樫出大尉の著書を持っている。読んだ時その内容に非常に驚き、本土防空戦について認識を大いに改めさせられたものだ。

 読んだのは6年ほど前のことだ。当時、Amazonのレビューに読後感を書いたが、今日はそのことを思い出し、他に樫出大尉の文章があればと思って探してみたのだ。

 内容は光人社文庫とだいたい同じで、どちらかをもとに推敲して使ったものと思われる。

室町砂場 赤坂店

 今日も蕎麦を手繰る。砂場蕎麦の名店「室町砂場 赤坂店」は国会図書館から歩いて行ける。

 14時過ぎあたり、そろそろ空いたかなという頃合いを見計らって行ったのだが、(あに)(はか)らんや混んでいる。少し並ぶ始末だった。今日偶々(たまたま)混んでいただけか、いつもそうなのかはよくわからない。しかし、小体(こてい)な店なので席が空くのも早く、10分とは待たなかった。

img_4863 とりあえず菊正宗を一合。通しものは浅蜊の時雨煮だ。薄味の出汁で煮てあり、旨い。

 いつもは肴に焼海苔をとるが、今日は「梅くらげ」を頼んでみた。以前、室町砂場の日本橋本店で通しものに出され、旨いなあ、と思っていたからだ。菊正宗によく合う。

img_4864 いつものとおり、まだ盃に一杯ほど酒が残っている頃おいに「もり」を一枚頼む。

 旨い。やめられない。

梅くらげ 350円
菊正宗 750円
もり 600円
合計 1,700円

 しかも、「砂場蕎麦」は、虎ノ門にしても室町にしても、結構安いのである。

雷電為右衛門墓所

 img_4867 砂場蕎麦を出てうろつくうち、赤坂三分坂(さんぷんざか)というところの途中で珍しい練塀のある古刹に行き当たった。山門に「報土寺」とある。

img_4866 その脇に由来書きなどの案内看板がいくつかある。読むと、そのうちの一つに、「ここがかの大力士、雷電為右衛門の墓所だ」と言う意味のものがあった。

%e9%9b%b7%e4%bc%9d%e7%82%ba%e8%a1%9b%e9%96%80%e5%a2%93%e6%89%80 これが墓石なのかどうかはわからないが、手形を刻んだ自然石がある。

 雷電為右衛門と言うと、「小田原遺恨相撲の一席」などという題で、講談や浪曲、また河内音頭などにもなっているくらいで、伝説は数多い。

 生涯326試合中254勝、預かりや引き分けを除くと黒星はわずか10敗という驚愕の戦歴を誇る。勝率にすると96%だ。因みにレジェンド・千代の富士の勝率が71%、白鳳でも89%だから、これと比べても雷電がどれほど異様な強さを誇っていたかがわかる。格闘家中の格闘家だ。

 また、文武両道で頭もよく、多くの文章を書き残しており、その日記(『諸国相撲控帳』(俗に『雷電日記』)、『(よろず)相撲控帳』)は当時の風俗などを知る一級品の資料だという。

img_4870 今日は旧九月の十五夜で、天文学上の望ではないがすばらしく大きな月が出た。

 今年はたまたま、先月と今月の日付が旧暦も新暦も同じなので、わかりやすい。旧九月十五日は新10月15日である。

 「後の月」は旧九月十三夜なので、一昨夜にあたる。昔の人は仲秋の名月(旧暦八月十五夜、先月)だけ月見をして、この「後の月」を見ないことを「片月見」と言い、縁起が悪いとして嫌った。今年は、先月(旧八月、新9月)の間、次々と台風が襲来したこともあって天気が悪く、無月であった。どうしたって片月見である。

 仲秋の名月の事を「芋名月(いもめいげつ)」と言うが、後の月のほうは「栗名月」「豆名月」などと言う。子供の頃は三方に豆や栗を載せて縁側に出したものだった。周りに平屋しかなかったから、月もよく見えた。

焼肉屋

img_4872 妻が出かけているので、娘二人連れて近所の焼肉屋で晩飯にする。

 多少食い足りない程度で焼き肉を切り上げ、近くのラーメン屋に連れて行ってやると、娘二人大喜び。旨い旨い言って食っている。