いろいろ祝い

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 子供や若者にデジタル機器を与えることに極端な拒絶を示す人も多い。自分が子供の頃になかったものへの恐れは、明治ひと桁生まれの人が蒸気機関車の轟音を耳にしてこれにひれ伏すようなものだと思う。

 私は自分の子供たちには躊躇なくデジタルを与え、これに触れさせてきた。ガラケーもスマートフォンも、折々に与えて習熟させてきている。それが現代というものだと思うからだ。

 だが、さすがにカネはかかる。

 次女には中学校の入学祝にスマートフォンを与えた。初代の「Nexus 5」だ。だが、粗忽(そこつ)者の次女は数か月後にこれをうっかり地面に落とし、画面にひび割れを入れてしまった。

 「お父さん修理に出して~」と訴える。しかし、操作してみると問題なく使える。与えたものを粗末にして壊しては修理などということを無制限に許していてはためにならぬと思い、

「馬鹿者、親の与えたものを粗末にしおって。なんでもかんでもタダでもらえると思うな、我慢せい」

と申し渡した。同時に、「高校にキッチリ入ったら新しいのにしてやる」とも。

 それで、この春、高校に入学したときに「好きな銘柄を選べ、買ってやるから」と言ったら大喜びしていたのだが、どうも、その権利を保留しておくのが楽しくて仕方ないらしく、いつまで経っても選ばない。

 今日まで延び延びになっていた。

 先日書道で表彰され、加えてもうすぐ誕生日でもある。「いろいろ込みで褒美を買ってやる」と言うと、やっとこさ選んだのが「iPhone 8」である。

 買ってやった。

 それにしても、た、高い。10万円を超える。コッチは真っ青だ。

 親父(おやじ)はこうやって(スネ)(かじ)られ、()け込んでいくのだなあ、などと考えることしきりである。

知・美でコミットコミット~

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 毎日毎日、陰惨な気持ちで通勤している。

 すし詰めの通勤電車にようやっと乗り込んで、さて、と一息ついて、壁から天井から絢爛(けんらん)豪華にうるさくぶら下がっている車内広告を眺め渡すと、こんなに独立起業が困難で大抵の会社は4年以内に潰れてしまう、なんていう冷厳な指摘があるにもかかわらず、いろんな金儲けが存在するものだな、と、むしろ感心してしまうのである。

 その中でも、ははあ、と、色々考え込まざるを得ないのが、

バカ・デブ・ブス・ハゲ

……に訴求する広告である。

 上記の通り、片仮名で人の形容を書きつけると、本当に差別的で腹の立つ字面(じづら)になるなあ、と思う。なので、これを美しい字面に書き直すと、

知・美

……となろうか。

 「知」には「高学歴・英語」、「美」には「デブ・ハゲ・ブス」など、もろもろが含まれるのだろう。

 いや、これは、私がそういうことを言ってるんじゃないんです。電車の中に貼られている広告を、「結局こういうことでしょ?」と、私ができるだけ分かり易く訳してみようとしただけで、私には責任はないんです。

 いまや、こういうふうに、差別的カタカナ用語で書いたら多分袋叩きに遭って路上で(なぶ)り殺しにされかねないような、ものすごい広告のオンパレードである。この十年、状況は変わらない。

 金もうけの奥義なんだろうなあ、これ。なんというか、知とか美って、本来人間には寄り添ってない不自然なものだから、大概(たいがい)はそんなのコッチの味方じゃないのよ。ところが、嫉妬というか、知性や美が自分より優れた他人を見ると、「ワタシだってぇ~」と、焦るわけだ。

 単なるやかましい訴求のことを「コミット」などと言い換えて、卑怯なもんだと思う。

 そこへつけこんで、一発勝負をかけると、あぶく銭がじゃらじゃら入る、ってことなんでしょうね。

ジャンル等 訴求先
バカ
英語 バカ
ライザップ デブ
TBC ブス・ハゲ
GABA・ベルリッツ バカ
林修 バカ
社会人大学院で修士 バカ

 こういう貼り紙に惑わされて、じゃぶじゃぶお金つぎ込むわけだわ、ほとんど全部無駄なんだけれどもさ。

 だからさ、こういう、善意を装った、その実、結局、「差別の増大」を図るようなものは、戒めなくちゃならないんじゃないか。こういう広告は差別だから、公権力で取り(はら)わなくてはいけないのではないか。