知・美でコミットコミット~

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 毎日毎日、陰惨な気持ちで通勤している。

 すし詰めの通勤電車にようやっと乗り込んで、さて、と一息ついて、壁から天井から絢爛(けんらん)豪華にうるさくぶら下がっている車内広告を眺め渡すと、こんなに独立起業が困難で大抵の会社は4年以内に潰れてしまう、なんていう冷厳な指摘があるにもかかわらず、いろんな金儲けが存在するものだな、と、むしろ感心してしまうのである。

 その中でも、ははあ、と、色々考え込まざるを得ないのが、

バカ・デブ・ブス・ハゲ

……に訴求する広告である。

 上記の通り、片仮名で人の形容を書きつけると、本当に差別的で腹の立つ字面(じづら)になるなあ、と思う。なので、これを美しい字面に書き直すと、

知・美

……となろうか。

 「知」には「高学歴・英語」、「美」には「デブ・ハゲ・ブス」など、もろもろが含まれるのだろう。

 いや、これは、私がそういうことを言ってるんじゃないんです。電車の中に貼られている広告を、「結局こういうことでしょ?」と、私ができるだけ分かり易く訳してみようとしただけで、私には責任はないんです。

 いまや、こういうふうに、差別的カタカナ用語で書いたら多分袋叩きに遭って路上で(なぶ)り殺しにされかねないような、ものすごい広告のオンパレードである。この十年、状況は変わらない。

 金もうけの奥義なんだろうなあ、これ。なんというか、知とか美って、本来人間には寄り添ってない不自然なものだから、大概(たいがい)はそんなのコッチの味方じゃないのよ。ところが、嫉妬というか、知性や美が自分より優れた他人を見ると、「ワタシだってぇ~」と、焦るわけだ。

 単なるやかましい訴求のことを「コミット」などと言い換えて、卑怯なもんだと思う。

 そこへつけこんで、一発勝負をかけると、あぶく銭がじゃらじゃら入る、ってことなんでしょうね。

ジャンル等 訴求先
バカ
英語 バカ
ライザップ デブ
TBC ブス・ハゲ
GABA・ベルリッツ バカ
林修 バカ
社会人大学院で修士 バカ

 こういう貼り紙に惑わされて、じゃぶじゃぶお金つぎ込むわけだわ、ほとんど全部無駄なんだけれどもさ。

 だからさ、こういう、善意を装った、その実、結局、「差別の増大」を図るようなものは、戒めなくちゃならないんじゃないか。こういう広告は差別だから、公権力で取り(はら)わなくてはいけないのではないか。

次女の「悲しい」

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 ショパンの「別れの曲」をイ短調に移調したやつが次女(小1)のキーボード付属の楽譜集の中にあり、それを拾い読みしつつド~ファーミファソ~♪と爪弾いて遊んでいた。

 そばに次女がいたので、「オイ智香、この曲、どんな風な感じがする?面白い?暗い?悲しい?気持ちじゃなかったら、色とか味とかでもいいぞ?」と聞いてみた。それは先日、ピアノの先生がショスタコービッチのワルツの稽古を次女につけつつ聞いていたことだ。芸術の才能の優れた者には、「共感覚」とて、色彩や音階から味を感じたり、音階から色が見えたりするそうで、そういう者は知能が高いということをどこかで読んだことがあるのを思い出した。

 さておき、私のこのブログには今まで書かなかったが、次女はわが子ながらたいへん面白い子である。時折その突拍子もない感性に爆笑してしまうことがある。私の質問に少し思案してから出した答えが、

「転校生だと思う」

 というのである。

「・・・?転校生?この曲が?・・・転校生がどんなふうなんだ?」

「転校生が悲しいの。その転校生はブスだから。ブスで友達がいなくて、悲しい。」

 次女がわりと真剣な顔でそう言っているのにもかかわらず、思わず吹き出しそうになった。

 が、改めてそういう気持ちで「別れの曲」を聴くと、沈鬱に悲しんでいるブスの転校生の心みたいな感じもしなくもない。だが、悲しむブスの映像を思い描きながら、そのビジュアルのBGMに「別れの曲」を脳内で流してみると、なんだかメッチャ笑えるのであった。