上野の東京国立博物館で標記の展覧会をやっていると知り、行ってみた。
空也上人像と言うと、あの慶派の代表的作品の一つ、上人の口から六字の名号が実体化して出て行っているという表現の、あの像だ(左写真)。
国立博物館のホームページによると、4月からは特段事前予約がなくとも、当日入場は可能だという。折よく憲法記念日、祝日で休みだ。朝からいそいそと出かけた。
窓口に10分くらいは並ぶが、どうということはない。 “特別展「空也上人と六波羅蜜寺」” の続きを読む
オッサンは生きている。
上野の東京国立博物館で標記の展覧会をやっていると知り、行ってみた。
空也上人像と言うと、あの慶派の代表的作品の一つ、上人の口から六字の名号が実体化して出て行っているという表現の、あの像だ(左写真)。
国立博物館のホームページによると、4月からは特段事前予約がなくとも、当日入場は可能だという。折よく憲法記念日、祝日で休みだ。朝からいそいそと出かけた。
窓口に10分くらいは並ぶが、どうということはない。 “特別展「空也上人と六波羅蜜寺」” の続きを読む
先日から東京国立博物館で「特別展 国宝 東寺――空海と仏像曼荼羅」というのをやっていて、
しかし、花冷えで天気はもうひとつ、行こうかどうしようか、と逡巡しないでもなかった。
そんな
I君は私と同年配で、凝り性の趣味人だ。最近は仏像に非常に
朝から上野へ行き、I君と待ち合わせをした。
上野公園は満開の桜で、朝の8時過ぎからたくさんの人がブルーシートを広げて花見の場所取りをしていた。今日の東京の朝の気温は7℃、曇天で日も差さず、夜からは雨もぱらつこうかという天気で、大変寒かった。震えながら鼻水を垂らして場所取りをしている人が少し気の毒でもある。
そんな花見客を横目に上野公園を通り抜け、国立博物館へ行った。
「東寺」は言わずと知れた世界文化遺産で、数々の国宝を蔵する大伽藍である。
今回の特別展では、その東寺から、国宝11、重要文化財4、あわせて15もの至宝至尊の他、数々の名宝が展示された。
私としては「風信帖」「伝真言院曼荼羅」などに非常に興味がある。このうち「風信帖」など空海の真筆については、7年前の平成23年(2011)に一度、「空海と密教美術展」というのが同じ国立博物館で開催されたことがあって、その展示で見たことがある。だが、「伝真言院曼荼羅」については見たことがなく、
I君は最近仏像趣味が昂じてきているので、是非とも東寺展は見なければならぬ、と思ったのだという。そんなI君が喜んでくれるのではないかと思い、若い頃買った「梵字の書き方」という釈家向けの教科書を携えていった。
「
仏像では国宝の「
I君とお互いに
帰りは新橋まで行って、「虎ノ門・大坂屋砂場」で蕎麦前を一杯やり、趣味のことなど語っては天婦羅蕎麦を手繰ったことだった。
誠に眼福・口福の土曜日であった。
このところ、二、三日暑い日が続くな、と思うと今度は少し雨となる。繰り返しだ。晴雨交互の
既に近所の柿が色づき、熟し始めた。
今日は秋雨だ。朝から霧雨が
昨日、「運慶展」が催されていることを知った。通勤電車内で、ポスターを見て知ったのだ。上野の国立博物館で催されているという。
早速昨日のうちに上野に寄った。私は毎日秋葉原で乗り換えるので、上野は通勤経路だ。仕事の帰りに寄ったのである。これはすぐに運慶展を見るためではなく、
私は時々こういうことをする。図録だけ先に買い、金曜の夜にゆっくり図録を眺めて予習をするわけである。歴史や背景などの理屈、諸々のエピソードなどを予習してから、土曜に実物を見に行くわけだ。こうすることで、実物を見るときに展示物以外のことに気を散らさないで済み、作品に集中出来る
運慶・快慶の作品は、学校の教科書に出てくるから、誰でもよく覚えている。東大寺の金剛力士像や、興福寺の
正岡子規に
……という句がある。今回の展覧会は、興福寺に伝わる、その「無著菩薩」「世親(天親)菩薩」の
やはり目当ては興福寺の運慶作である。
実は子供の頃、興福寺にも東大寺にも、何度も行っている。東大寺の金剛力士像は勿論のこと、興福寺の無著菩薩も世親菩薩も、また四天王立像など、数多くの運慶作品に親しんできた。ただ、そうしたものをしょっちゅう見られる事が
事前の情報ではかなり混むということだったが、今日は
会場は平成館の2階で、第1会場と第2会場に分かれている。年代順に前期が第1会場、後期が第2会場だ。
いやもう、眼福、眼福、眼福、これあるのみであった。
なんと言っても、見どころは
粘土でかたどるブロンズなどとは違い、彫り直しのきかない
東大寺の金剛力士像の迫力とはまた違った説得力を持っているのがこの無著菩薩立像である。
評論家の西尾幹二は東大寺の金剛力士像を、その通俗ゆえにか、バッサリ「愚作」と切り捨てている。だがしかし、通俗のものは、違う角度から見た本物と言うべきであろう。金剛力士像もまた運慶の面目躍如たる作品であり、切り捨ててしまうのはあまりにも果断に過ぎる。そうは言うものの、西尾幹二が金剛力士像を愚作と言い切ってまでこの無著菩薩立像に入れ込む気持ちもよくわかる。
四天王の足下に踏み
重要文化財「十二神将立像」は、もとは京都の浄瑠璃寺の所蔵であったが、今は国立博物館と静嘉堂文庫美術館が別々に蔵しているため、一度に見ることができない。この展覧会では、これらが四十数年ぶりに一か所に集められた。めったに見られない展示で、これも見ものであった。
昼遅く、たっぷりと運慶展を見終わる。
せっかく国立博物館に来たのだから、ということで、常設展も一回りすることにした。
面白かったのが、刀剣の展示に若い女性が行列をなして群がっていたことだ。
「
さておき。
国立博物館は、一度入ってしまうとさながら罠のように私を
上野公園では何か「にっぽん文楽」という催しをやっていた。和風の扮装の一団が音楽に合わせて踊り演ずるものだ。一部始終を面白おかしく見物した。
仲町通りで一杯、それからアメ横の藪蕎麦で「なめこ蕎麦」を啜り込み、帰路につく。
帰宅すると、いい感じに18時である。楽しい土曜日であった。