台風19号は各地に被害を残して過ぎていった。
被害に遭われた方には、心よりお見舞いを申し上げ、一日も早い生活の再建をお祈りする。
さておき、天災の後、いろいろと政治的な
浮浪者――これも「ホームレス」「浮浪者」等と言うのは差別的な感じがするから、今や「野宿者」等と言うようである――の多い東京都台東区では、非難してきた浮浪者2人の受け入れを
- 台東区の自主避難所、ホームレス男性の避難断る(朝日、青木美希、令和元年(2019)10月13日(日)15時27分)
- ホームレスの避難断る 台風19号で台東区「区民でない」(日経、令和元年(2019)10月13日(日)20時39分)
- 台東区の避難所、路上生活者を「住所ない人は受け入れない」と断る(読売、令和元年(2019)10月14日(月)09時18分)
これがまた、
「人権をなんだと思ってるんだ、浮浪者なんか死んでもいいってのか!?行政のクソが!政府もダメだ!!だから安倍は駄目なんだ、安倍ガー!!」
……というふうな人々と、
「お前ら本当の浮浪者を知らんから平気でそんなこと言えるんだ!!そんなこと言うんだったら半日でも1日でも浮浪者の隣で起居生活飲食してみろ!自分の家に勝手に浮浪者でも難民でも受け入れて助けてやればいいだろ、できるもんだったらやってみろや馬鹿野郎!!」
……というような人々の間で論争になってしまっている。印象的には、今のところ、どうやら後者の方が分が悪いようだ。
- 避難所でホームレス(野宿者)が受け入れ拒否された件(Togetter、令和元年(2019)10月13日(日)00時00分)
- 【ホームレス排除】台風19号で大荒れの台東区、避難所利用を断り野宿者を放り出して炎上 #台風19(Naver、Cocochanさんまとめ、令和元年(2019)10月12日(土)00時00分)
なんだか、ヨーロッパで起こっている難民の受け入れと同種同根の何かすら透けて見えるように思う。
浮浪者にも命があり、人権、生存権がある。いや、浮浪者のみならず、例えばたまたま来日旅行中で日本に国税を収めているわけではない外国人や難民であろうと、日本国内に位置する人間は、人間である限り、日本国からその誇り高い人権擁護の精神と政府の権威をもって、寛容な庇護が与えられて然るべき筈のものである、と言ってこれは誰しも二致はあるまい。
台風で死にそうだ、命の危険が迫っている、助けて下さい、と庇護を求めている者には、救いの手が差し伸べられなくてはならぬ。
だが実際、そんなこと、簡単ではないのだ。区役所に言われても困るというのが、区役所の言い分だろう。
実際、もし自分がやむなく避難所で起居していて、自分の隣に、イカれた、臭く、
そりゃまあ、浮浪者にもいろんな人がいて、上述のようないろいろ複合したひどい人物ばかりでもなかろうが、正直なところ付き合いかねる人種が多いのも、これは正直なところ、肯定せざるを得ないというのが事実ではあるまいか。
ところが、世の中、「そういう人でも私は平気であり、受け入れる」という博愛の方も、実際にいるのである。そういう方は、災害の時だけではなく、普段から天与の使命感に燃え、活動家として浮浪者の人権を守るべく、額に汗して一生懸命頑張っているのである。立派である。今回も、そうした立派な人たちが早くから浮浪者の野宿床を見て回り、見捨てられつつある弱い立場の浮浪者を助けようとしたのである。
古くはイエス・キリストが、薄汚れ、迫害され、弱く、飢えた人々に寄り添い、病気の人の
だから、台東区役所の言い分のみならず、他の自治体や政府の、浮浪者の人権をどうするのか、そこら辺の見解が出てくるのを待ってみようではないか。事情をよく聞いてみようではないか。
ともかく、今回の浮浪者二人は、どうやら台風が過ぎ去った後で新聞のインタビューに答えているようではあるから――いや、本当にその本人なのかはなんだか怪しいようだが――命は助かったものと見える。死ななくて本当に良かったと思う。命のある、生きている人間なのだから。彼らには、例え不幸でも、都市の片隅で生きていける自由と権利がある。その程度の冗長性を都市が持っていても、それはそれでいいのではないか。冗長性が