何を今更ソーシャル・ディスタンスなどと

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 依然、新型コロナウイルス「COVID-19」は猖獗(しょうけつ)を極めている。米国人は既に2万人が亡くなったという。伊国人もまた2万人近く、仏国人は1万4千人、英国人は1万人が亡くなった。

 深くこれを哀悼(あいとう)したい。亡くなった人々は自らの罪によらずして、(たま)さかこの恐るべき微生物禍に()って不慮(ふりょ)の死を()げたのである。それぞれの国民、地域、家族の慟哭(どうこく)、その不運を思い、心からいたみ、悲しみをともにしたい。

 そんな中で、英国首相がこのウイルスに(おか)され一時は生死の境をさまよったものの、すんでのところで命を拾ったことは実に稀有(けう)なことであり、盟邦(めいほう)の一国民としてこれを喜びたい。

 さて、米・英・仏・伊の人口は、それぞれ、3.3億・6.7千万・6.7千万・6千万である。これに対して、新型コロナウイルス感染者数という「検査の実施率」に依存する不確かなものでなく、同ウイルスによる死亡者数で割合を計算してみよう。単純な計算で、米・英・仏・伊それぞれ、0.007%・0.017%・0.02%・0.03%となる。別の書き方をすると、米・英・仏・伊それぞれ、約1万4千人に1人、約5千7百人に1人、約4千5百人に1人、約2千9百人に1人が亡くなった、ということである。

 日本について同様の計算を試みると、1.3億の人口に対して113人の死亡、つまり0.00009%の割合である。これは約112万人に1人が亡くなったということだ。細部は下リンクの表計算を見て貰えばよい。死者数の一人単位カウントに対して、人口の1万人単位カウントがなんだかスッキリしないが、それはここで言いたいこととはあまり関係がない。

 日本と欧米で、「桁」が随分違う。日本は死者の割合が米国に対して2桁、英・仏・伊に対しては、なんと3桁少ない。くどくも記すが、不確かな「感染者」の数を言っているのではない。相当確実と言いうる「死者」の数で言っている。

 これをよく味わうと、欧米諸国政府の力量不足、努力不足、健康ひいては人類文明というものに対する意識とアンテナの低さ、責任感や当事者意識の欠如、低劣さ、怠慢など、諸々(もろもろ)の欠点が浮き彫りになってこないだろうか。

 何をボヤボヤと手を(こまね)いているのか。軍隊など出しているようだが、そんなことに意味があるか。欧米諸国政府には猛省を促し、我が日本国政府のやり方、日本国民の日々の生活をよく研究してもらいたいものである。

 欧米諸国人に促したい反省としては、「ハグ」などと称して人目も(はばか)らずすぐに抱き付いたり、人前でいやらしくキスをしたりする習慣を即刻改めるべきだということが挙げられる。今更、何が「文化」などと言っておれよう。日本人も明治維新以来欧米の悪しき習慣に染まり、一部の若者はこのような行動をとることがあるが、しかし、人前でキスしたり抱き合ったり頬ずりしたりというような恥ずかしくて不潔な行動は、日本ではいまだ必ずしも一般的でない。

 欧米人の一般的挨拶習慣である「握手」もよろしくない。この悪弊が疫病を蔓延させていると知るべきである。日本人のように相手と距離をとって静かに「お辞儀」をするのが有効だ。

 日本人はこのように、昔から「お辞儀」などによって、社会的な距離、すなわちソーシャルディスタンスを重んじてきた。欧米風の()れ馴れしい風習や、土足で家に入るなどと言う不潔な習慣、便所と風呂が一緒くたになっているというような建築様式など、不潔な風俗をやめ、日本流に立ち返ることがこの非常時には正しいと言えよう。

 この際、中国とその政府については言うまい。人口が多すぎ、病者の状況もまったく不明と言え、論ずることに意味が認められない。